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第十二話 秦王として

 乱を鎮圧した秦王だったが、彼には政権を掌握しなくてはならないという課題があった。

 反乱軍 本陣

「夏育め、あやつは義渠県が秦から独立したがっていると勘づいていたまではよかったが、それを任鄙の若造に話しよった。口惜しいのう」

 盲目の老将鳥獲は、自らの太ももを拳で殴った。

「なんのことだ鳥獲将軍。この戦に、義渠県は関係ないだろう」

「そんなことはありませんぞ、(そう)様。義渠は未だに秦からの独立を目指しており、幾度となく秦に攻めてきているのです。今回も、秦国の中枢にいる鼻ナシの樗里疾や、権力を独占する魏冄らをまとめて片付ける好機であると儂が口説き、力を貸してくれておるのです。つまりそののちに我らが国政を掌握し、やつらの独立を認めてやると、匂わせておるのです。約束はしておらぬゆえ、ご安心ください。こういう駆引きができる者が、政をすべきなのです」

「なんと……そなたそれは……」

「なんということはありません。現時点では、義渠県も我が秦の一部。これは秦で若き王を操り、親戚一同で政を専横し始めている魏冄や宣太后、樗里疾らから、商鞅より始まった血筋より実力を重視する、強き秦を取り戻すための戦いなのです!」


 戦は激化し、双方で多数の死者を出した。鳥獲は勝利を願ったが、戦局は徐々に、反乱軍に不利となった。鳥獲には誤算があった。彼は親戚同士で国を支配する今の秦が、実力至上主義ではないと思っていた。だが魏冄をはじめに、権力を掌握する面々は、確かに当代きっての実力者であった。


 乱は一ヶ月以内に鎮圧された。将軍任鄙は将軍夏育を破り、斬首。大将軍魏冄と華陽君羋戎は鳥獲将軍を捕縛。右丞相樗里疾は本軍の魏国宰相甘茂を破り、甘茂は魏へ逃亡。残された総大将の公子壮は、魏冄によって生け捕りにされた。

 秦王は、魏冄とその姉であり自身の母である宣太后(せんたいこう)羋八子(びはっし)の進言を受け、首謀者並びに鳥獲将軍を処断した。

「鳥獲も武王が倒れた元凶だ。孟賁と同様に一族郎党皆殺しにすればよかったものを、少し見逃したばかりにこの騒ぎだ。これはそなたの罪ぞ、魏冄!」

 朝議にて、秦王は魏冄を叱責した。張りつめた空気は、魏冄の動向を見守るためであった。

 臣下の誰もが知っている。この若き秦王はあくまで旗頭であり、権力を掌握し真の為政者として君臨しているのは、この魏冄と姉の宣太后なのである。

「失礼致しました秦王様」

 そういって魏冄は頭を下げた。しかし、その目は笑っていなかった。その目はまるで、調子に乗る子供に呆れるような、そういう大人の目であった。

宣太后(生年不明〜没:紀元前265年4月)……戦国時代の楚の王族で、秦の王太后。本名と両親は不明。姓は羋、別号を羋八子。恵文王の側室で昭襄王(嬴稷)、涇陽君(嬴巿)、高陵君(嬴悝)の生母。義渠の戎王とも男女の仲にあった。

恵文王と正室の恵文后のあいだの子が武王として即位したのち、武王は子を成さず薨去。後継者争いが勃発すると、羋八子は弟の羋戎、魏冄とともに自身と恵文王の子である嬴稷を王にするため奔走し、即位させた。その後は秦で権勢を誇り、羋戎、魏冄と合わせて三貴と呼ばれるようになる。

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