シナリオを知っている人
よーくよく考えてみてほしい。
ちょっと褒められて舞い上がっていたが、冷静に、落ち着いて、考えてみればすぐにわかったことだった。
ディランはシナリオを知っている。
知っていて、その通りになるようにイベントを進めている。
ということは、つまりディランは敵なのだ。
婚約者を断罪しようとしている悪いやつである。
それなのに、そんなのに絆されて喜んでしまって恥ずかしい。
でもまだ本当に敵かわからないじゃない?
もしかしたら、ディランにも何か考えがあるんじゃないの?
そうでなきゃあんな…頑張ったな、なんて、褒めたりしてくれるはず、ないんじゃないの?
いやいや、あんな風に優しくして私に気を持たせたりして、その実利用するだけ利用してたりして?
だって悪い奴なんだものそれくらいするわよ、きっと。
かれこれ2時間はうんうんと悩む私に、オカン執事が就寝時間を伝えてくる。
「寝れるわけないでしょ!」
「なんですか急に…!?」
こんなにも悩ましいのに、ずっと考えて寝れる気がしないわ。
「そんなに悩み事がおありでしたら、1人で悩まずご相談してはいかがですか?」
「なるほど。それはいいわね」
こうして本人に直接敵かどうか尋ねることに決めた私は3秒で寝たのだった。
基本的に、うじうじするのは嫌い。
悩んでも結局答えはでないのだから、たとえショックを受けてでも聞きに行ったほうが早いわ。
敵って言われたのならそれまでだし。
婚約者が敵ならもう絆されることもないし、なんなら婚約を破棄してしまえばいいのではなくて?
醜聞は怖いけれど、それよりも命の方が大事に決まってる。
大丈夫よ、家を追い出されてしまったのなら困るけれど、修道院くらいなら…。
いえ、それよりは自分で次の結婚相手を見つけるのもいいかもしれない。
侯爵家の一人娘ですもの、それくらい我儘で通せないかしら?さすがに王族が絡むとダメかしら…?
「それで結局、婚約破棄を願いに来たと?なぜ?」
ディランの暗く赤い瞳が私を射抜く。今日は目を合わせてくれるみたい。
「だって、ディラン様はシナリオをご存じなのでしょう?私がどうなるか、知っていらっしゃるではないですか。でしたら愚問でしょう。死にたくないからですわ」
「……シナリオの事を、誰から聞いた?」
「えっ……?ディラン様が言ったのではないですか。私が毒杯を賜る前に、『シナリオを知っていて、その通りに行動したから、君は断罪されて死ぬ』と」
「――っ!?まさか、貴女は、その時の記憶があるのかっ!?」
興奮気味にディランに詰め寄られ、私はソファのはじに追いやられた。
隣同士に腰かけたのは間違ったかもしれない。
「そうか、それで奇行を…」
「くっ…」
わかっていても、奇行だと思われるの、つらい。
「婚約破棄は…できない。」
「何故でしょうか?聖女様と結ばれるのならばいずれは破棄するなり解消するなりしますよね?その時期が早まるだけですし、私が死なずともシナリオ通りハッピーエンドを迎えるのであれば、それで良いのではありませんか?」
「貴女は、それでもいいと?」
「ええ、まあ。できれば解消のほうにして頂いて、ほかの方との婚約も斡旋して頂ければ最高なのですが…」
暗いルビーの光が消えて、さらに暗くなった。
淀んでどこを見ているかわからない瞳が私を捉える。
ディランに腕を掴まれて、ソファのはじより先の、壁に押し付けられる形になってしまった。
ドクドクと、お互いの心臓の音が聞こえそうな距離。
ディランの顔がゆっくりと近づいてきて、お互いの額と額がぴったりとくっつく。
「悪いが、許可できない」
掠れた声で、ディランが告げた。
どこかほの暗い、じっとりとした空気を肌に感じる。
虚ろな瞳に睨まれて、本能が、逃げられないと告げてくる。
「貴女が悪役になるのは、変えられない。この国には、予言書が存在する」
その声量の小ささで、これはプライベートルームの傍で控えている護衛や従者には聞かせられないことだと理解する。
なるほど、だからこんなに近づいて…?
「予言書からは逃げられない。貴女がどんなに足掻こうが……無駄なことだからやめなさい。それから」
ディランは掴んだ腕とは反対の手をわたしの頬に伸ばし、つう、となぞる。
なぞった指先はやがて唇に到達し、キスされそうな距離まで顔が近づけられた。
さすがに抗議しようとした私の声は間に合わず、ディランの口に吸い込まれていく。
私の唇を軽く食んでから遠ざかっていった自身の唇を、味わうようにペロリと舐めてディランが薄く笑ったよう見えた。
「貴女も、私から逃がさないから」
「お嬢様?――お待ちください、お嬢様!」
どっと全身が熱くなって、頭は真っ白になって、気づいたらプライベートルームを飛び出していた。
走り出すなんて、令嬢らしくないけれど、そんなことに構っていられない。
今はとにかくどこかへ行きたかった。
どこへいく宛もないのに。
行きついた先は以前、花の中で眠るイベントを起こそうとした庭園だった。
ここの垣根の秘密スポットなら、きっとしばらく一人になれる。
まとめ上げられた髪が、壁に押し付けられた時のせいでぼさぼさになっている。
そっと飾りをはずして髪を軽く整えた、その時。
「わあっ」
「……っきゃあ!?」
垣根の上のほうから、人が降ってきた。
さっきまで見ていた色と同じ、蜂蜜色の金髪。けれどその瞳の色は暗いルビーではなく、水色であった。よくみれば、蜂蜜色の金髪も少し違って茶色よりである。
その人は、ベアトリクスに覆いかぶさるように降ってきたので、押しつぶされそうになった。
「ごめん、大丈夫か…な…」
「ヒューバート、様?」
「あれっ?もしかして、ベアトリクス嬢?」
ヒューバート=ホークショー。王太子ディアンの従兄弟で、公爵家の嫡男。攻略対象だ。
ヒューバートは私の顔を確認すると慌てて上からどいて謝罪した。
「すまない。は~…よく似ているから、間違えてしまった。またやり直しだ…」
「え?間違えた?誰と?」
「誰って、クロエだよ。クロエ=キャンベル。ベアトリクス嬢は今日は珍しく髪をおろしているし、似たような色に思えて」
ベアトリクスの髪色は、ミルクココア色の茶髪である。
クロエは、アプリコットオレンジ。
普段は見間違えようがないが、時刻は夕方。
夕焼けの光と、生垣の陰とでそう思えても仕方がなかった。
顔をみれば、目鼻立ちはもちろん、ベアトリクスはアメシストの瞳で、クロエは琥珀色の瞳だから見わけもつくだろうが、その時私は俯いていたので上にいたヒューバートからは見えない。
なお、学園では制服なので、服装での見分けもつかない。
「こんなところにくるような子、他にはいないと思ったのにな~」
「つまりヒューバート様は、わざと、狙って?」
「そうだよ。やらなきゃ、シナリオが進まないだろ」
ベアトリクスは、はっと息をのんでヒューバートを見つめた。
この人も、シナリオを知っている……!?
「ヒューバート様!!」
「なっ…なに??」
すごい勢いでヒューバートに語り掛けたので、若干引いているがお構いなしである。
逃げられては困るので、その手をしっかりと握りしめた。
「あの、シナリオって…!もしかして、ヒューバート様はこの世界のヒロインとか、イベントだとか、エンディングとか、そういうのをご存じなのですか!?」
「待って痛い痛い、爪食い込んでるッ……!」
「もしくは予言書というものに心当たりは!?時間を繰り返している、なんてことは…!?」
「ベアトリクス嬢、ちょっと力を!緩めてほしいかなあ!」
いけない、ついうっかり力をこめすぎたようだ。
ヒューバートは少し涙目になっていた。
「えぇっと、まず、シナリオについてだけれど、もちろん知っているよ。君もだろう?エンディングについてはまだ聞かされていないけれど、俺がやるイベントに関しては把握してる。予言書に書いてあるからね。セリフ一字一句までちゃんと覚えているとも。ただ、時間を繰り返すというのはわからないな」
「予言書に書いてある……一字一句…セリフが?」
「そうだよ。予言の巫女アンナ様が残されたっていう本。あれ?ベアトリクス嬢はシナリオを知っているんだよね?読んだことないの?」
「読んだこと、ありません…。あの、それは誰から?それとも誰でも読めるものなのでしょうか」
予言書というのは、さきほどディランから聞いたものが初耳である。
察するに、巫女アンナ様というのはこのゲームをやりこんだ人間で、それを攻略本のように書き残したのであろう。
ベアトリクスが知らなかったということは、おそらくディランが選んだ人間のみが知っているものなのかもしれない。
私はヒューバートからできるだけ情報を得たいと思い尋ねた。
「誰でも読める訳じゃない。俺は関係者だからだ。ベアトリクス嬢は知っているかもしれないが、俺は予言書に記されたシナリオの中で、攻略対象という位置づけなんだ。さっきもディランに言われて、イベントを起こそうと生垣の上でクロエを待っていたって訳さ」
「イベントはディランが指示しているということですか?」
「待って。なんかその様子だと、ベアトリクス嬢はディランから聞いていないのか?」
ヒューバートは困惑した様子で、あたりをきょろきょろと見まわした。
「なんだか込み入った話になりそうだ。場所を移さないか?もうすぐクロエが来るかもしれない」