少し変わった距離感
翌日、学園の馬車乗り場が溢れ帰る時に、私たちは身支度をして出発した。
混雑していれば、私たちの馬車がどこへいくのか気づかれにくいだろうと思ってのことだ。
庶民たちはまだ朝早いうちに乗合馬車で出発するのでもう居ないが、貴族たちはそれに合わせる必要がないのでゆっくりと遅い。
もう昼過ぎだ。
今から起こす行動を考えると、昼食はあまり喉を通らなかった。
騎乗御者をジョシュアが務めているので、私一人でいる馬車の中はひどく落ち着かない。
どうしてもそわそわしてしまい、手汗がでてきて何度も拭った。
「お嬢様、到着しました。準備はよろしいですか?」
扉を開けて、ジョシュアが言った。
「いいわ。覚悟はできてる」
手をかりて馬車を降り、ジョシュアが馬を逃がす。
馬車は森の陰にとめてあるので、冒険者以外には気づかれにくいだろう。
仮に冒険者が気づいても、この馬車には家紋がついている。
貴族と関わると面倒ごとに巻き込まれることが多いで、ふつうは関わるのを躊躇するはずだ。
しばらく気づかれない時間が稼げるのならば、それでよい。
計画書には街で私だけおろしてもらって、ジョシュアが後で合流すると書かれていたが、ジョシュアが私を一人にすることに断固反対したため一緒に行動することになった。
街までは少し距離があるが、今日はいつものようにヒールのある靴ではないのでなんとかなるだろう。
「荷物はやはり収納魔法鞄を貰ってきて正解でしたね。これならお嬢様が派手に転んでも余裕で担げます」
「せめておんぶにしてくれないかしら……」
なんとか靴擦れも起こさずに街へつき、馬車を1台購入する。
1人で乗るのが嫌だったので、御者とともに乗れるタイプにした。
これなら比較的小さめだから、馬も1頭で良いし小回りも効く。
口止め料として多めに支払った。
「一応屋根がついていますが、外からは丸見えですね」
「4頭立てはさすがに買えないわ。私は帽子をかぶればいい。でもジョシュアの髪は少し目立つわね」
ミルクココア色の髪は平民でも貴族でも、まぁよくある色である。
金髪は貴族に多いが、平民にいないこともない。
この世界はファンタジーらしく、色んな髪の人種がいるが、ジョシュアの銀色はちょっぴり珍しい。
街に1~2人いるかな?くらいの程度だけれど。
「魔法で変えましょうか。どうです?」
呪文を口ずさんで、私と同じ色の髪になった。
「良い感じ。遠目では絶対にジョシュアだとわからないわ」
ジョシュアが目立てば、それと一緒にいるのは当然ベアトリクスだとわかることになる。
ジョシュアが目印にさえならなければ、パッと見て気づくことはないだろう。
馬車にそのまま座るとお尻が死ぬので、魔法鞄からクッションを出して敷く。
魔法鞄の容量はそんなに大きいものではないけれど、1つあるだけでかなり便利だ。
さっき買った馬車の10倍くらいの値段がするが、これはもともと実家で所有していたものなので私の懐が痛んだわけではない。
休暇で帰省する時に使えるようにと持たされていたものをありがたく拝借したのだ。
「このまま、次の村へ向かいます」
「ええ……いよいよね」
街がゆっくりと遠ざかっていく。
ベアトリクス達の通っていた学園の、シンボルである高い塔が一番最後まで見えていた。
「合流する時刻を考えると、少し急がなければなりません。向こうは早朝に出発しているのに、僕達は昼食後でしたし」
「仕方ないわ」
ヒューバート達の乗る寄り合い馬車と合流する前に、予め壊した馬車のところへ行くのが私たちの最初の目的になるのだが、半日ほどの時間を遅れて出発することを考えると、夜までにというには無理がある。
馬もへばってしまうし、暗くなれば、獣や強盗に襲われる確率もあがる。
私たちが迷わずに済むように、途中の村でヒューバートの手の者が宿と馬を用意してくれる手筈になっていた。
隣同士にいるのに、私は緊張して一言も発さずに村に着いた。
言われていた通りの、ペンキが一部だけ剥がれた宿にいき、教えられていた合言葉を唱えれば、受付にいた優しそうなおかみさんが、張り付いた笑顔のまま部屋に案内してくれた。
部屋につくと、なぜかおかみさんまで一緒に入ってきて扉がしめられた。
「ちょっといいかい」
警戒したジョシュアが私の前に立った。
「怖がらないで大丈夫。明日の馬だが、厩の一番端に用意がしてある。頭の毛に小さく赤い紐を括り付けてあるから目印にしておくれ。それからこれはおばちゃんのお節介なんだけど、そのままの口ぶりだとすぐにばれるよ。詳しくは聞かないし聞きたくもないが、あんたがお嬢様だなんてよんでいたら、いらん輩も呼び寄せる」
「つい、癖で……気を付けます」
「そっか。そういえばもう、違うんだったわね」
おかみさんは夕食を部屋に持ってきてくれるといい、出て行った。
私たちは顔を見合わせて悩む。
「ベアトリクスって名前も変えないとまずいわよね?」
「そうですね……まったく違う名前にしてしまうと、自分で認識できないかもしれません。ご両親や仲の良い方にはトリスと呼ばれていましたよね?」
「ええ。トリスとか、トリシャとか」
「でしたらそちらは関連しないような、ベティなどいかがでしょうか」
「ベティ……いいわね。一文字目が同じだから、呼ばれてもなんとか反応できそう。ジョシュアは?」
「僕は変えなくても大丈夫でしょう。よくある名です。それと、申し上げにくいのですが……ベティ」
「はっ、はい!?」
さっきまでお嬢様呼びだったから、違和感がすごい。
ジョシュアの声は低くて落ち着くものだったのに、私の名前を呼ぶときだけ妙にざわりとした、色気を感じてドキリとした。
「もう侯爵令嬢ではないのだから、敬語はいらないよね?」
「ヒュッ」
破壊力が……破壊力がやばい。
ことりと首を傾けてにっこり笑うジョシュアに対して、私にはそんな余裕はない。ジョシュアの適応力が高すぎる。
「どうしたの?急に黙って。ねえベティ、雇われているとはいえ、僕達これから2人きりなんだよ?」
目の前にいる男は一体誰なのだろうかと思ってしまうほどの変わりようである。
いや、銀の髪も、その金の瞳も、紛れもなくジョシュアなのだけれど……急に変わりすぎて、私がついていけないわ!
「だからさ……」
ジョシュアが私の座っている椅子に、自分の椅子を引き寄せて座りなおした。
内緒話をするときのような距離感。
「こうして一緒に夕食も食べられるね。これからも、ずっと」
へらり、と嬉しそうに笑うジョシュア。初めてみる表情だった。
夕食を終えて寝る時間になった。
前世でもホテルで寝るのなんて、修学旅行とかで、年に1~2回あるかないかくらい。
それも友達とか家族とかといっしょだったから、全然知らない場所で1人で寝るのが怖い、とジョシュアに伝えたが、「ベティには危機感がなさすぎる」とため息をつかれた。
私だって男女が同じ部屋に寝るのはどうかとは思うわよ。
だから別に一緒に寝ようとかそんなんじゃないわよ!ちゃんとわかってる!でもね、悪い人が扉をこじあけて入ってきたらどうしたらいい?シナリオ通りになるように誰かが連れ戻しに来たら?私1人で抵抗なんてできないわ!とうじうじぐだぐだ駄々をこねた結果、私は部屋のベッドを使い、ジョシュアが玄関にソファーを運び込んでそこで寝るということで落ち着いた。
朝起きたらジョシュアの目が据わっていた。
ソファーじゃやっぱり寝にくかったのかもしれない。ごめんね。