モニカ・ワンダーの決意
始めまして、またはご無沙汰しております。
新シリーズ、スタートです。
「は~い! お待ちどうさま!」
イスカの街の大衆食堂で、モニカは給仕服を着こんで、常連たちの座る机に出来立ての料理を運び、手際よく並べていく。
日も暮れだしたこの時間帯は、仕事終わりに訪れる者も多く、店内はとても賑わっている。
モニカ以外にも、給仕服の女性たちが料理や酒、空になった器を持って行ったり来たりをしていて、注文は滞りなく通り、暖かな料理はそれ程客たちを待たせることなく提供されている。
モニカはその中でも一際、良い動きをしている。
常に客たちが思い思いにくつろぐホールに目を光らせ、お代わりやお会計のタイミングを見ていたり、客が去った後のテーブルの片づけもテキパキと済ませて、すぐに綺麗にしている。
効率が良いと言えばそれまでだが、彼女は食器類を雑に扱わず、客へも愛想よく接している。
どれだけ忙しくても、笑顔で店内を行き来する彼女は、老若男女問わず、人気があった。
この食堂を訪れる者の中で、モニカに興味を持って声をかける男たちも少なくはなかったが、全て笑顔で話を受け流され、撃沈している。
今日もまた、モニカに声をかける者がいた。
それは、つい今しがた、店に入ってきた数名の騎士の中の一人だ。
この国では見た事のない恰好だったが、皮鎧の胸元に、三本の交わった剣の上にはばたく鳥の紋章が描かれている事から、この騎士たちが隣国の一つである、ラトゥス王国から来たと言う事は、すぐにわかった。
確か、つい最近、王都の方で合同訓練があったと聞いたから、彼らはその帰りに、このイスカへと立ち寄ったのだろうとも、推測ができた。
男女五名程のラトゥスの騎士たちは、別国の騎士の来訪に各々反応する客たちを他所に、空いている席へと座り、注文を取りに来たモニカにいくつか注文していく。
公共言語である旧帝国語で話しかけてくる騎士たちの注文を余す事なく拾ったモニカが、さて、数分後に彼らの席へ料理や飲料、酒を運んだ時、若い男の騎士が声をかけてきたのだ。
要約すると、明日ヒマなら付き合って欲しいという話だったが、モニカはそれを笑顔で、丁重に断った。
男は特に気分を害した様子もなく、乾いた笑顔を見せた後、机に突っ伏し、連れの騎士たちに呆れられたり、苦笑いを向けられたりしていた。
他国の騎士が来たと言う、少し変わった出来事があったが、旅人だってこの食堂を利用する。
別に珍しい事ではない。
モニカの日常の一部だし、何気なく過ぎていく、それなりに忙しくて、幸せな毎日の光景だ。
だから、今日もいつものように店が閉まるまで働いて、賄いを食べて、家に帰って眠る。
いつものように。
でも、今日、その日、モニカの毎日の光景が、一変する。
先ほどの騎士たちが、酒や料理に舌鼓を打っていた時だった。
騎士の一人である女性が、ラトゥスの方の言葉で、驚きの声を漏らした。
「ねぇ、これってもしかして、フライドポテトじゃない?」
自分より、少し年上に見える女性の騎士は、手につまんだ、細く切った芋を揚げた料理を見て、他の騎士たちに見せている。
「本当だ」
「へぇ、まさかこっちでも食べられるなんてなぁ」
彼らの驚き、嬉しそうな声に、モニカは思わず、空になった机を拭いていた手を止めた。
あの料理は、調理方法こそ簡単ではあるが、それを知っているのは、自分と、父親が他に唯一教えたこの店の店主だけだ。
他のお店では食べられない、この大衆食堂の名物。
そのはずなのに、彼らは、別の場所で食べた事があると言っている。
心臓が、大きく跳ねる感覚があった。
いや、もしかしたら、そう思いながら、止めていた手を再び動かして机を拭き上げる。
他に注文や、席を立とうとしている客はいない。
モニカは足早に台拭きを洗い場で洗い、しっかりと絞っていつでも使えるよう畳み、所定の位置へと置いてから、ホールへと戻る。
騎士たちはポテトや料理をつまみながら、酒を飲み、楽しく話し始めていた。
「そうそう、そう言えばお前、この前の試合、見られていなかっただろ?」
「ああ。見回りだったからな。しかし、そんなに凄い試合だったのか」
「ええ。あのエウィ副隊長が一撃よ、一撃!」
エウィ副隊長。
確か、ラトゥス王国にある、アスカスなる街に駐屯している騎士の一人で、自分とあまり変わらない年頃ながら、小隊の副隊長をしていると言う猛者だ。
しかもその小隊は、各国の騎士たちが集うトーナメントでも毎年優勝をさらっていくと言う、強者たちの集まりだと聞いた事がある。
エウィ副隊長もかなりの実力者で、年上の大柄な男性の騎士にも一歩も退かず、華麗に倒してしまうと、同僚たちが話してくれた事がある。
トーナメントにも、他国の事にもあまり興味のないモニカは、騎士の世界は凄い、くらいしか考えなかった。
もっと、凄い人物を知っていたからだ。
だが、今は関係ない。
彼らがフライドポテトを、どうして知っているか、その訳を改めて聞きたかった。
またフライドポテトの話に戻るのか、と周囲に目を配りながらも意識を向ける。
「その一撃って言うのが信じられないが、皆、口を揃えて言うんだよ。でも、相手は街医者だろ?」
「ばっか、お前! ただの街医者じゃねえぞ!」
少しキツい声を上げたのは、先ほどモニカに声をかけてきた若い男だった。
先ほどのナンパぶりはどこへやら、彼の表情には、若干の怒りが混じっていた。
大切な人を侮辱された怒りだとわかった。
「何だよ急に」
「っとすまねえ。昔から、世話になっててな。それより、そう、先生は強いんだぜ?」
「ほぅ? 第一小隊の狐が尊敬する相手か」
「その言い方、俺は認めていないんだが。ともかくそうだ。先生は、強い。あの場で誰も、先生が勝利するなんて思っていなかった……俺たち第一小隊のメンバーを除いてはな」
この場で、彼らの言葉がわかるのは、自分くらいだろう。
もしも彼らの言葉をわかる者がいれば、騎士たちの会話に、少なからず興味を抱いて、聞き耳を立てていたに違いない。
しかし、モニカはあまり興味がないため、早くフライドポテトの話に戻らないかな、と若干やきもきしていた。
そんなモニカの気持ちなど知る由もない騎士の話は、最高潮を迎えようとしていた。
「剣をこう指でつまんで、まるで馬車の車輪のようにクルクル回して、エウィ副隊長をけん制する。あのエウィ副隊長が、隙を見いだせずにいた。俺たちも、この後、どうなるのか、じぃっと目を凝らしていた。そうしたらよ……」
騎士は持っていたフライドポテトを反対側の立てた人差し指に打ち付けるような素振りを見せた。
「次の瞬間、エウィ副隊長が倒れていて、剣を振りぬいた状態の先生が居たんだよ」
人差し指を倒し、フライドポテトを横持ちにして見せて、騎士は厳かな口調で締めくくった。
話を聞いていた騎士たちは、驚いたり、当時を思い出しているのか、深く頷いたりしていた。
「本当か……いや、お前たちの言う事は本当なんだろうな……」
「いや、もう、あの試合を見れた事は幸運以外の何物でもなかったわ!」
「ええ、でも、エウィ副隊長の攻撃を凌いでいる時の動き方も参考になるのよね」
「うーん、何だか見れなかった事が少し悔しいな。なんていう医者なんだ?」
話しの種にはなる話だったが、肝心の話題が再び上がる気配はない。
これは、もう話さないかな、とモニカは心の中でため息をついた。
しかし、
「ゼット・ワンダー先生だ」
その名前が挙がった瞬間、モニカは、弾かれたように顔を上げた。心臓が、先ほどよりも大きく跳ね上がって、胸に一瞬の痛みを覚える程に、驚いた。
『モニカ』
懐かしい声が、姿が、まるで昨日の事のように鮮やかによみがえる。
気づけばモニカは、厨房にフライドポテトの追加を一皿頼み、それを自分の賄い分から引いておいて欲しいと、店長に頼んだ。
店長はモニカを一瞥すると、何も言わずに頷いて、揚げたてのフライドポテトを皿に盛ってくれた。そして、トマトケチャップの入った器も一緒につけてくれた。
モニカは、母親のように慕っている店長に礼を言うと、皿と器を持って、足早に騎士たちの席へと向かった。
途中ですれ違った同僚が驚いた顔をしていたが、気にしている余裕はなかった。
騎士たちは、あらかた料理を食べ終えていた。
名残惜しそうに、空になったポテトの皿を眺めながら、これからどうするか話し合う彼や彼女らが席を立ってしまう前に、と思いながら、モニカは声をかけていた。
「ラトゥスの騎士の皆様」
ラトゥスの言葉で話しかけた事に、騎士たちは驚いた様子だった。
今にも走り出しそうで、震えそうな心と体を、落ち着いてと宥めながら、表では愛想のよい笑みを浮かべ、モニカは持っていた皿と器をテーブルに置いた。
それを見た騎士たちは困惑した顔になり、意気揚々と話していた若い騎士が、
「俺たちの言葉が、話せるのか?」
「はい。それで、皆様のお話が耳に入ったもので……もう少し、お話を聞きたいなと思って。こちらのポテトとソースは、私からの奢りです」
「なるほど、前金って訳ね」
女性の騎士がニヤリと笑ったので、微笑みを浮かべる事で、答えとした。
「えー、じゃあ明日ヒマ」
「こぉら、折角、タダでポテトをもらえたんだから野暮な事は言わない」
「さっきふられたし」
「言うなよ……」
女性陣に言われ、男性陣からも何か言いたげな視線を向けられた若い騎士は、垂れた頭を上げると、新しい皿からポテトを取ってかじった。
「わかったよ。んで、お嬢さん、どこから聞きたい?」
「そうですね。その、副隊長様を倒した騎士について、聞かせてください」
「こりゃまた危ないところを聞いて来るねぇ」
「他の人に言いふらしはしませんよ」
「そうしてもらえると助かる。下手したら俺の首が飛ぶ」
「まぁ怖い」
言い合った後、騎士から話を聞いたモニカは、ある確信を得た。
お礼を言って去ろうとしたが、女性の騎士の一人に呼び止められた。
「ねぇ貴女、このフライドポテトだけど、これまでの道中で見なかったのに、このお店だけ出てきた。店主さんが作っているのかしら?」
「ええ、そうですよ。でも、考案したのは、私の父です」
「貴女のお父様?」
騎士たちが揃って首を傾げ、訝しむ表情を向けて来る。
覚悟は話を聞いている決まった。
これは、きっと敬愛する女神様たちが、私にくれたチャンスだ。
「このフライドポテトは、私の父が、別れ際に私たちに教えてくれた、思い出の料理なんです」
モニカは、フライドポテトに目を向ける。
それは、暖かな日々を、優しく思い出させてくれる物の一つだ。
「お嬢さん、名前を聞いてもいいかい?」
すると、若い騎士が、どこか軽い空気を引っ込めて話しかけてきた。
その目には、まさか、とも、そんな馬鹿な事があるか、と言う困惑と怒りの感情が浮かんでいるようだった。
モニカも、困惑している部分は、同じ気持ちだ。
だが、同じ名前の人物を、モニカは他に知らない。
もしかしたら、違うかもしれない。
でも、もしも、あの人だったらと思うと、モニカの胸には、不思議と勇気が湧いてきた。
だから、胸に手を当て、背筋を伸ばして、笑顔で、モニカは名乗った。
「モニカ・ワンダー。
黒髪黒目の旅人、ゼット・ワンダーの娘です」
若い騎士が驚愕に凍った。
お読みいただき、ありがとうございます。
2年ぶりに続編を出しました。
前作を読まれなくても、この作品だけを読んでも大丈夫なように作って行くつもりです。
至らない点があれば、お手数ではありますが、ご指摘いただければありがたいです。
サキュバスとエロ漫画野郎と冒険者の続きはもう少しだけお待ちください。