第四話 エメは冒険者タグを手に入れた!
午後の最初の講習は、基本スキルだった。斥候や罠感知といったダンジョン探索で必要になるスキル、灯りや清冽といった使えると便利な魔法を一通り教わる。
スキルは、その覚えたいスキルの魔石を飲み込むことで使うことができるようになる。魔石とは言っても、実際の石ではなくMPを抽出して固めたものらしい。大きさも親指の爪ほどで、口に含んで飲み込む間にふわっと溶けて消えていくのがわかるほどだ。
魔法の覚え方も同じで、最近では魔法もスキルの一種であるという見方がメジャーになっていると講師が説明していた。長らく別物と考えられていたために制度が追い付かず、今はまだ別物として扱われていることの方が多い。
一度覚えたスキルや魔法の使用は自由にできるが、本人の習熟度や使用できるMP量などで威力が変わってくる。MPの少ない低レベルな冒険者の火炎と高いMPを持ち使い慣れた冒険者が放つ火炎では、その威力の差は大きい。威力だけでなく、成功率や命中率、細やかな調整、維持できる時間など、単に覚えただけでは使えることにはならない。
エメを含めた冒険者見習いに、いくつかの魔石が配られた。みんなでそれを飲み込んで、試しに使ってみることになる。
エメは罠感知で大成功を出して、目の前だけでなく周囲の罠を見抜くことができた。
「初めての罠感知スキルで大成功か。加護持ちって訳でもないんだよね……よっぽど運が良かったのかな」
引退した回復術師だという講師は、しばらくの間じいっとエメを見ていたが、やがて落ち着いた声で説明を再開した。
「まあ、成功おめでとう。ただ、こういうスキルはできるだけ淡々といつも通りに使えるっていうのが重要だからね。それに罠を見付けてからの方が重要だ。大成功に浮かれ過ぎないように、落ち着いて罠解除」
「あ……はい!」
エメは元気良く返事をして、目の前の罠に対して罠解除スキルを使う。一回失敗はしたものの、二回目の実行で無事に罠解除をすることができた。
エメのその結果を見て、講師は大丈夫そうだねと頷いた。
灯りで大失敗を出したのは、その後だった。
「灯り」
エメの声と共に、エメの周囲の光がすっと消える。いきなり周囲が真っ暗になって、エメは慌てた。慌てて周囲を見回したけど、真っ暗で何も見えない。身動きをとるのもためらわれるほどに暗い。
足が竦んで、エメはその場に座り込んでしまった。その指先が無意識にお守りを探して、服の上から握りしめた。
「解除」
講師の声と共に、エメの周囲の暗闇がすっと晴れる。
「さっきの大成功の子か。大成功に大失敗、こういうこともある……?」
講師はエメを見下ろしたまま、独り言を呟きながら何か考え込んでしまった。
呆然と座り込んだままのエメに、フロランが手を差し出した。
「大丈夫か?」
「あ、うん……ありがと」
素直にフロランの手を掴んで立ち上がる。何人かはエメに注目していたけれど、みんなすぐに自分のことに集中し始めた。
「フロランは? 調子はどう?」
「成功率は七割より下かな、体感だけど」
「そっか……さっきの大失敗なんだね、急に真っ暗になるからびっくりしちゃった」
フロランと話しているうちに、エメはようやく落ち着いて、息を吐き出した。
「君、ええとエメさんだっけ。ちょっともう一回灯り使ってくれるかな」
「あ、はい」
講師に声をかけられて、エメは改めて姿勢を正す。深呼吸して緊張を抑えると、右手を出して声を上げる。
「灯り」
今度は大成功も大失敗もせずに、握り拳ほどの大きさのほわりとした光がエメの右手の上に現れた。その瞬間、エメの瞳に赤い色が差す。エメの様子をじっと見ていた講師とフロランは、その瞳の色の変化に気付いた。
「あれ、君、その瞳……」
「え、なんですか?」
講師の言葉に振り返ったエメの瞳は、もう元の通りの暗い緑色だ。灯りの光を反射してきらきら輝いてはいるが、赤くは見えない。講師はちょっと目を細めたけれど、すぐに小さく首を振った。
「ああ、いや、見間違いかな。ともかく、今度は失敗もしなかったね。おめでとう。大成功も大失敗も運だからね、自分ではどうしようもない。探索中に発生しても、浮かれすぎたり慌てたりせずに、冷静にね」
「はい……ありがとうございます」
大失敗になった時はどうしようかと思ったけれど、それ以外は順調だとエメは感じていた。大失敗も運なら仕方がない。そういうこともあるのだろう。むしろ、今の時点で大失敗に慌てる経験をした分、ダンジョン探索中になっても落ち着いて対処できるかもしれない。
エメは前向きにそう捉えて、その講習を終えた。
フロランはエメの瞳の色のことを気にしてはいた。幼い頃にも一度、その色を見たことがある。何かあるのかもしれない。そうは思っても、本人に何を言えば良いのかわからない。そのまま言うタイミングを逃したフロランは、結局また何も言わなかった。
職業別の講習でも、大成功と大失敗があった。大成功はともかく、大失敗になった時にどうすれば良いか、エメはわからずにおろおろするばかりだ。
「大失敗ってこんなに出るものなんですね」
眉尻を下げてしょんぼりと言うエメに、現役魔術師の講師は困ったように頭を掻き回した。
「いやー……大成功も大失敗も普通はこんなに出ることはないんだけどねぇ。加護も呪いもないんでしょ? うーん……こういう日もあるっていうのもなんか納得いかないよなぁ。MP量が何か影響するとか? いやでも、そんな話これまで聞いたことないしなぁ」
エメはもう何も言えずに俯いた。自分に何か原因があるのだろうかと考えても特に心当たりはないし、エメとしては単純に魔法を使っているだけなので、これ以上気を付けるような何かにも心当たりがない。
「まあ、基本的に大成功も大失敗も運だからさ、出ちゃう時は出ちゃうんだよねぇ。まあ、習熟度を上げることで大成功率上げたり大失敗率下げたりとかは多少はあるんだけど、一日のうちにこんなに発生することってそんなにはなくて……でも、確率の問題なら今日みたいなこともないとは言い切れないし……大成功だけとか大失敗だけって感じでもないし……うーん……もう一回だけ睡眠やってみようか」
「あ、はい……」
エメは弱気になる気持ちを抑え込むように首を振った。それから深呼吸をして、力強く案山子に意識を向ける。
「睡眠」
エメが使用した睡眠の魔法は、今度は大成功も大失敗もせずに案山子に届いた。講師は少し目を閉じて考えるようにしてから、エメに向き直る。
「うん、やっぱり魔法に問題がある訳じゃないんだよねぇ。きっとたまたまそういう巡りだったってことかなぁ。大成功も大失敗もあったけど、魔法自体は使えてるし問題ないと思うよ、大丈夫」
ほっと、エメは肩の力を抜いた。さっきまで何がいけないのかとひどく緊張していたけれど、講師の言葉にそれが解かれ、ほうっと長く息を吐いて安心した笑顔を見せた。
「はい……ありがとうございます!」
「杖とか装備するのも良いかもね。ダンジョン産ほどじゃなくても成功率に影響するんだよ。講習資料の中に、ギルド加盟ショップ一覧が入ってるはずだから、装備見に行ってみると良いんじゃないかなぁ」
エメの職業別の講習は、魔法を追加したことと大成功や大失敗の発生もあって、他の人よりも時間がかかった。
MP登録を行って冒険者タグを発行してもらえた時には、もう夕方になっていた。エメの名前とレベルが刻まれた金属の板には小さな透明の石が埋め込まれていて、エメが触れてMPを通した時だけ、その透明の石が光を放つようになっている。
エメはそれを首から提げると、自分の胸元を覗き込んで冒険者タグとお守りが並んでいる様子を眺めてにやにやとする。冒険者タグを手に入れて嬉しそうにするレベル1を見慣れている登録係は、穏やかな笑みを崩さないまま事務的な話を続けた。
「おめでとうございます。早速ですが、ダンジョン探索の予定についてです。同じく本日登録のフロランさんから一緒のパーティでという希望を受け取っています。同郷の方ですし、お知り合いですよね。一緒で問題なければそのように手配しますが」
エメははっと顔を上げて、慌てて真面目な顔を作ろうとした。口元が緩んでいるので、うまくはいっていない。
「あ、フロランですか。はい、一緒でお願いします」
「わかりました。それでは……ええと、明後日の午後の登録です。昼過ぎに冒険者ギルドに集合してください。そこで顔合わせと一時パーティ登録を行って、それからダンジョンまで移動です。遅れるとパーティだけでなくダンジョン探索を待っている他の冒険者にも迷惑となりますので、決して遅れないようにお願いします。持ち物は本日の講習内容を参考に用意してください。困ったら冒険者ギルドの売店で『初めてのダンジョン探索用初心者セット』も売ってますので、そちらもどうぞ」
登録係が集合日時と注意事項などが書かれた紙をエメに差し出す。エメは満面の笑みで受け取った。
冒険者ギルド入り口の待合所でフロランが座って退屈そうにぼんやりしていた。
「フロラン、待ってなくても良かったのに」
エメが近付いて声をかけると、フロランは相変わらずつまらなそうな顔でちらとエメを見て立ち上がった。
「ドニさんとこに行くんだろ。俺も顔出しとく」
「ああ、うん……今日もう遅くなっちゃったから、明日でも良いかなって思ってたんだけど」
「もし帰ってても、伝言くらい残せるだろ。こういうのはちゃんとやっとけよ」
フロランが眉をしかめるので、エメは誤魔化すようにえへへと笑ってみせた。
二人で商人ギルドに向かって歩きながら、エメは時々自分の胸元を引っ張って中の冒険者タグとお守りを眺めてはにやにやとする。フロランは隣を歩くエメのその手元をちらちらと見ていたが、何度目かで溜息をついて視線を逸らした。
「おまえ、それやめろよ。子供じゃないんだから。みっともないだろ」
「だって嬉しくって」
注意されてもエメはにやにやした顔をやめず、それでも胸元を引っ張るのはやめて、服の上から胸元をそっと押さえる。フロランはその手の動きを目で追って、それから胸元をじっと見詰めてしまっていたことに気付き、慌てて前を向く。
「フロランは、戦士だよね。職業別講習、どうだった?」
「どうって言われてもなあ。いくつか武器を試して、スキルを覚えて、戦闘中の動き方習って……魔法使いとそんなに変わらないんじゃないのか?」
エメは自分の講習を思い返して、そして大失敗のことを思い出して首を振る。
「魔法使いだと魔法の使い所みたいなのは聞いたけど、武器を試すみたいなのはなかったよ。そうだ、杖を持つと良いって言われたんだった。探索の準備も必要だし、明日見に行かないと」
「そっか、俺も武器持たないとか」
エメのうきうきとした声と対照的に、フロランの声は沈んでいる。フロランはもともとレオノブルに修行に来ていて、修行が始まるまでの間、ほんの少しエメに付き合っているだけのつもりでいる。もうすぐに修行を始めないといけないから、ダンジョン探索も次が最初で最後になるだろう。だから装備にあまりお金をかけたくない。
そもそも、冒険者ギルドの受講料を知らずに、ちょっと付き合いくらいの気分でついていってしまったのだ。お金を払う段になって「ただの付き添いです」も「やっぱりやめます」も言えずに冒険者タグの発行までしてしまった。
「じゃあ、明日一緒に見に行こう!」
隣を歩くエメが、きらきらした大きな目でフロランを見上げる。フロランは仕方ないかと溜息をついて、頷いた。
「朝飯食ったら迎えに行くから」
「うん、楽しみ!」
そう言って、エメはまた自分の胸元に手を当てた。その指先で冒険者タグの形を確かめる。
そんなに嬉しいものなのかと、フロランも自分の冒険者タグに触れる。指先で摘んでMPを通すと、埋め込まれている小さな石がふわりと光った。
初めてのダンジョン探索が終わったら、フロランは鍛冶屋での修行を始める。何年か修行して、そしたら村に戻って父親の跡を継いで鍛冶屋になる。フロランはその未来が変わるとも変えたいとも思っていない。
今のうちに鍛治以外のことをやっておくのも良いかもしれないと思ってエメに付き合って講習を受けてはみたけれど、フロランにとってあまりしっくりくるものではなかった。村で鍛冶屋になっている自分はイメージできても、冒険者になる自分はイメージできない。ダンジョン探索をやってみても、それが変わるとはどうしても思えなかった。
中古の安い装備で良いやと考えているフロランの隣で、エメはどんな杖を買うのかに思いを馳せ、その杖を持ってダンジョン探索する自分をイメージして、そして何度も何度も「楽しみだな」と呟いていた。