第二話 エメはレベル50の冒険者に出会う
「こんにちは、一串もらえるか?」
「はい、いらっしゃい。6銅貨です」
エメの隣に立った客に、屋台の男は愛想良く答える。
冒険者の女性だった。夜空のような色合いの深い藍色のローブを身に纏って、長い金の髪をゆるく三つ編みにしている。綺麗な人だと思って、エメはぽかんとその女性を見上げた。
代金を払って串焼き肉を受け取った冒険者の女性は、エメの視線に気付いて見下ろした。
「君もお客さん? もしかしたら、注文の邪魔をしてしまったのかな?」
だとしたらごめんね、と優しく微笑んだ。その瞳は華やかな明るい翠色で、エメがこんな風になれたらと思うような色合いだった。
「いや、どうも迷子みたいで。もうじき巡回が来るだろうからと思ってたんですけどね」
「迷子……なるほど」
屋台の男の声に、冒険者の女性は頷いた。そして、ローブが地面につくのも気にせずにエメの前にしゃがむと、エメににっこりと微笑みかけた。
「はじめまして、わたしはロラだ。キミの名前は?」
「エメです」
「ありがとう、エメ。可愛い名前だね。今日は誰とここへ来たの?」
「兄と来ました。父とは市場に入る前に別れて、買い物が終わったら一緒に村に帰るんです」
「エメはしっかりしているね」
冒険者の女性は串焼き肉を持っていない方の手で、エメの頭を撫でた。
「エメ、今からわたしと警備隊の詰所に行かないか? 警備隊の人たちが、キミのお兄さんとお父さんを探してくれるよ」
エメには警備隊というものがどういうものなのかはわかっていなかったのだけれども、目の前のロラが親切で言ってくれているということは理解できた。エメは何度か瞬きした後、おずおずと頷いた。
ロラは安心させるようにもう一度エメの頭を撫でて、それから立ち上がって屋台の男に告げた。
「わたしが警備隊の詰所まで送り届けるよ」
「お客さん、大丈夫ですか? いや、俺としては助かりますけどね」
「大丈夫。今日は時間があるから」
ロラは屋台の男にも安心させるように笑いかけて、それからエメの手を引いて歩き出した。
道すがら、ロラは串焼きの肉をエメにも食べさせてくれた。ソースが焦げた香ばしい匂いを纏った肉は、噛むと口の中に肉汁が広がって、エメは口の周りをベタベタにして食べた。その姿を見て、ロラは清冽の魔法をエメに使った。水属性のその魔法はエメの口元を優しく拭ってくれた。
「お姉さんは、冒険者で魔法使いですか?」
ロラは、エメの歩調を気にしてゆっくりと歩いてくれていた。ロラは、エメのきらきらした目を見下ろして、にっこりと笑う。
「そうだよ」
「すごい! わたし、魔法使いのテオドールの話が一番好き!」
「テオドール……レベル100の?」
「そう! 黒竜と一人で戦うところが好きなんだ!」
ロラは面白そうにふふっと笑った。
「テオドールはすごいね。わたしはようやくレベル50だから、パーティを組んでもあの黒竜は倒せないだろうな。なかなかダンジョン話のようにはいかないね」
「レベル50……!」
レベル50でも、エメにとってはじゅうぶん刺激的な数字だった。憧れの眼差しでロラを見上げる。これまでダンジョン話でしか聞いたことのなかった冒険者、それも大好きなテオドールと同じ魔法使いが目の前にいて、レベルも50もあって、さらには優しくて串焼き肉までくれた。
「すごいな。わたしも冒険者になりたい」
ロラにそう言ったとき、エメは自分の夢を初めて自覚した。これまでエメは、ダンジョン話が好きで魔法使いのテオドールの話が大好きだったけど、自分がそれと同じになれるかもしれないなんて考えたことがなかった。
「なれると良いね」
ロラに優しくそう言われて、エメの中に「冒険者になりたい」という気持ちがすとんと落ちてきた。自分は冒険者になりたいんだ。ダンジョン話のテオドールみたいに。目の前の優しい魔法使いみたいに。
エメは浮かれてふわふわとした気持ちで、テオドールがどれだけカッコイイのかをロラに語って聞かせた。ロラも嫌な顔をせずに、笑ってエメの話を聞いてくれた。
警備隊の詰所の建物の前まで来ると、そこにバジルが立っていた。イライラと爪を噛んで地面を睨み付けている。
「兄さん!」
エメの声を聞いて、バジルがはっと顔を上げる。エメの姿を見付けて、心底安堵したように息を吐き出した後、大股にエメの方に近寄って来る。
「エメ! 良かった! 歩くのが早すぎたんだよな、悪かった、無事で良かった……」
バジルはエメの前に膝をつくと、エメをぎゅっと抱き寄せた。
「良かったな。お兄さんが見付かって」
ロラが優しく声をかけると、バジルはそこで初めて気付いたようにロラを見上げた。
「あの、妹を助けてもらって……」
「わたしは警備隊の詰所に届けにきただけだよ」
エメは、今度はバジルと手を繋いで、ロラを見上げた。
「あの……ありがとうございました。お肉も、ご馳走様でした」
エメの感謝の言葉を聞いて、バジルがぎょっとした顔でロラを見た。
「妹が何かご馳走になったんですか? すみません! 代金は支払います!」
「わたしが勝手にあげただけのことなのに、君たち兄妹は礼儀正しいんだね。とはいえ、断るのも却って気にさせてしまうかな」
ロラは顎に手を当てて少し考えてから、何かに納得したように、大きく頷いた。
「わかったよ。串焼き肉は半分こだったんだ。だから代金も半分だ。3銅貨だけ受け取るよ」
そう言って、バジルが差し出す3銅貨を受け取った後、ロラはエメの前にしゃがんだ。
「冒険者になりたいと言ってたね。実際には大変なことも多いよ。でも、わたしはキミのその気持ちを応援しよう。頑張って」
ロラはそう言って、エメに青い石のお守りをくれた。バジルが慌ててエメから取り上げてロラに返そうとするのを、ロラは押し留めた。
「ダンジョン産と言ってもCだし、初めてダンジョンに潜っても手に入るくらいのもので、そんなに高価なものじゃないんだよ。気になるなら……そうだな、いつかエメが大きくなったら返しにきてくれ」
そう言って立ち去るロラの深い藍色のローブ姿を、エメはもらったお守りを握り締めて見送った。自分もいつかあんな冒険者になりたいと思いながら。
「わたしね、冒険者になるんだ」
初めてレオノブルに行った翌日、エメは隣の家のフロランにそう告げた。
フロランはエメと同い年で、鍛冶屋の息子だ。エメの家にある畑道具や刃物はフロランの家で面倒を見てもらっている。
歩いて半刻とはいえ、隣の家だ。家同士の付き合いもあるし、同い年なのもあって、エメはよくフロランと一緒に遊んでいた。今日も二人で、背の高い草むらに入って草笛になる草を探していた。
フロランはエメにとって、もう一人の兄弟みたいなものだった。今年一歳になるフロランの妹は、エメにとっても妹みたいなものだ。
「この村から出てくのか?」
フロランの言葉に、エメは頷いた。
「だって、この村にはダンジョンないもん」
当たり前のような顔で言うエメのことが、なんとなく面白くなくて、フロランはちょっと口を尖らせた。家族のように過ごしていたし、小さい頃から一緒だったから、なんとなくずっと一緒にいるものだと思っていたけど、そんなことはなかったのだと幼いなりにフロランは気付いた。
黙り込んだフロランのことをどう思ったのか、エメはフロランの顔を覗き込んできた。
「そうだ、フロランも一緒に冒険者になる?」
「え、俺?」
「うん、一緒にパーティ組んで、ダンジョン探索しようよ!」
エメが無邪気に笑う。フロランは口を尖らせたまま首を振った。
「俺はダメだよ。だって俺は鍛冶屋になるから。親父の跡を継がなくちゃ」
「あ、そっか」
エメはぽかんと口を開いた。その間抜け面も、フロランにはなんだか面白くない。でも、幼いフロランにはその面白くなさの正体がわからなかった。
「エメは末っ子だしさ、女だから、そのうちお嫁に行くんだ。うちにお嫁にきたら良いって母さんは言ってるよ。そうすれば、家も近いしって」
家での親の会話を思い出しながら、フロランは言う。その言葉は、母親のものを繰り返しているだけで、自分が何を言っているのかの自覚はなかった。母親の言う「お嫁にくる」が、つまりは自分とエメの結婚のことを言っているということに、このときのフロランは気付いていなかった。
色恋沙汰になるには二人は幼すぎたし、何よりも家族みたいな距離感が二人にとっては当たり前すぎた。
「えー、ダメだよ。わたしは冒険者になるって決めたの。冒険者になるならダンジョンのある街じゃないと。だから、村には住めないんだ」
フロランは口を尖らせたまま、ずっとここで一緒にいた方が楽しいのに、と考えていた。エメはそんなフロランを見て首を傾けて何か考えていたが、やがてこっそりとフロランに耳打ちする。
「あのね。家族以外には見せちゃダメって言われてるんだけど、フロランには見せてあげるね」
耳元にエメの声があたる擽ったさに肩をすくめて身を引くと、フロランはエメの方を見た。エメはしゃがみ込むと胸元から服の中に手を突っ込んだ。フロランもそれに付き合って正面にしゃがんだ。背の高い草むらの中で、周りからは二人の姿は見えない。
エメは服の中に入れていた手を取り出して、それを開いて見せた。エメの開いた手のひらの上には、小さな青い石があった。フロランは瞬きしてそれを見詰める。
「あのね、お守りなんだよ。ダンジョン産のマジックアイテム。フロランも誰にも言わないでね」
エメはひそひそと小さな声でフロランに宝物の説明をした。
小さな青い石は綺麗だったけど、フロランにはそんなに凄いものには見えなかった。「なんだただの石か」と心の中で毒づいて、エメの顔を見る。エメの暗い緑の瞳が、その時わずかに赤く見えた気がして、フロランはぱちぱちと瞬きをした。少し紫がかったような赤い色だった。
その色が見えたのはほんの少しの間だけで、もう次の瞬間にはいつも通りの緑色だった。フロランは不思議な気持ちでエメの目を見詰めていた。鍛治場の火花が、たまにあんな色になることがある。もう一度その色がみたいとフロランは思ったけど、エメの瞳の色はもう変わらなかった。
「ロラさんって冒険者の人がくれたの。わたしが冒険者になるのを応援してるって。ロラさんはすごく優しいんだよ。テオドールと同じ魔法使いでね、レベルは50もあるんだよ」
「50だったらテオドールの半分だ」
エメが村を出ていくと言うのをやめないので、フロランはつい意地悪を言ってしまった。エメはお守りのペンダントをまた服の中にしまうと、頰を膨らませた。
「レベル50でもすごいんだから。それに、すごく優しい人だったんだよ」
エメは服の上からお守りを握り締めて、街でのことを思い出してふふっと笑う。フロランは立ち上がると、何か言う代わりに手近にあった草を掴んで千切った。
十歳離れた兄が結婚したのは、その二年後、エメが七歳の時だった。商人ギルドの紹介で、レオノブルから近いヴァードゥイという村の人だった。マルトという名前の明るくて元気な働き者で、兄よりもさらに二つ年上だったけれど、すぐに家族と馴染んだ。エメが成人するまでの間に三人の子供が生まれて、家はとても賑やかになった。
七つ上の姉は、エメが九歳になった年に結婚して家を出ていった。カロルの結婚は六年経った今でも村で語り継がれている。相手はレオノブルにある高レベル冒険者向けの老舗宿屋の一人息子で、父と一緒にレオノブルに行った時に見初められたらしい。カロルは最初、商人ギルド経由で届けられた結婚の打診を断った。「こんな田舎の娘が街の宿屋に嫁ぐなんて無理」といった内容をやんわり伝える断りの手紙を受け取ったその一人息子は、レオノブルからジェルメまで贈り物を持ってやってきて、エメたち家族が見守る中で熱く愛を語った。カロルは真っ赤になって困り果てて、目の前で断ることもできずに、最終的にはそれを受け入れた。今では二児の母で立派な宿屋の女将になっている。
三つ上の兄はレオノブルの商人ギルドで働くことになって、今はレオノブルで暮らしている。エメが父と一緒に商人ギルドに行った時や時折家に帰ってくる時に、扁桃の飴がらめをくれる。まだ結婚するという話は聞かない。
二つ上の兄は成人してからも家で仕事を手伝っていたけれど、最近商人ギルド経由で結婚の打診があった。ヴァードゥイの村で婿を探している家があるとのことで、近々父とヴァードゥイに行くという話をしている。
そして末っ子は、成人の年に冒険者になるために、家を出てレオノブルで暮らし始めた。
両親は当然、好い顔をしなかった。冒険者はダンジョンのある街を渡り歩く。ダンジョンに潜って良いマジックアイテムが手に入るかは賭博に近い。若いうちは良いかもしれないけれど、年を取れば続けるのも難しくなる。結婚も遅くなりがちだ。
親からするとエメの「冒険者になりたい」という言葉は「レベル100の魔法使いテオドールになりたい」という意味で、それは小さい子供が「妖精になりたい」「竜になる」と言い出すようなもので、だからそのうち大人になれば忘れてしまうだろうと思っていた。隣の幼馴染とはずっと仲が良かったので、なんとなくそのまま結婚してこんな感じの生活に落ち着くのではと、勝手に考えていたところもあった。
エメの両親は、フロランの両親に相談した。お互いの家庭で「将来はエメをフロランの嫁に」というのは暗黙の了解のようなものだったからだ。
フロランの両親は、フロランに修行の話があるということを共有した。レオノブルの知り合いの鍛冶屋で、三年か長くて四年。成人してすぐに結婚するのではなく、フロランの修行が終わるまで待ったらどうか。そのくらいまでにはエメの熱も冷めて落ち着いているだろう、いつまでも子供ではいられないのだし。冒険者なんて大変だから、案外一年も経たずに音を上げるかもしれないぞ。いやあ、フロランが一緒にいてくれるなら安心だ。
こうして、本人たちの与り知らぬところで家庭同士の話し合いは決着し、エメは冒険者になることが許された。
カロルの家で世話になること。ドニに定期的に報告に行くこと。それから鍛冶屋で修行しているフロランとも連絡が付くようにしておくこと。何かあったらいつでも家に戻ってくること。
それが、エメの両親がエメに約束させたことだった。フロランの修行が終わるまでというのはエメには伝えなかった。最初から期限があると知らされると、エメはきっと依怙地になってしまうだろうと両親は考えていた。末っ子で甘やかされたエメのことだから、どのみち一年か二年もすれば落ち着いて自分から戻ってくるだろうと、エメの決意を甘く見ていたところもある。
いろいろ制約付きではあったけれど、エメは冒険者になってしまえばなんとかなると思っていた。冒険者として成功すれば、きっと両親も認めてくれる。早く一人前の冒険者になって両親を安心させようと、エメは決意して家を出た。
冒険者ギルドの登録には、なぜかフロランも付き合ってくれた。フロランは鍛冶の修行にレオノブルに来たのではなかったのか。エメは冒険者ギルドへの道すがら、首を傾ける。
「別に一人でも大丈夫だよ」
エメの言葉に、フロランはしばらく黙って何かを考えていたのだけれど、考え事と同じ表情のまま言った。
「今はまだ時間あるから。それに、試しにやってみたら面白いのかもしれないし」
これまでフロランは、エメが冒険者やダンジョン探索の話をしても、あまり興味なさそうに聞いているだけだった。エメはフロランの言葉を聞いて、もしかしたらフロランもダンジョン探索に興味を持つようになったのかもしれないと考えた。もしそうなら、エメに拒む理由はない。
「そっか。じゃあ、一緒にダンジョン探索しよう! きっと楽しいよ!」
エメはフロランに向かって無邪気にそう笑いかけた。フロランはやっぱり難しい表情をしていた。




