白百合姫の秘密
しばらくして、私が落ち着いてきたのを確認するとミカエルは私の肩を少し押し、少し自分の身体から私を離した。そして、私の顔を覗き込み、そっと私と視線をあわせる。
「アウレイリア様。一体、何が貴方をそんな風に苦しめ、何が貴方をこんなふうに追い詰めたのか、私にお話し頂けませんか?」
「…」
私はじっと彼の瞳を見つめた。青紫色の宝石のような輝きを持つ瞳。でもそこには、私への心配と私の力になりたいという真剣な思いが込められているのを感じた。
「…これは私の最大の秘密。…もしこれを聞いて私に仕えることは難しいと思うのなら、その時は護衛を辞退して貰っても構わない」
私の言葉にミカエルはゆっくりと首を横に振った。
「例え、貴方がどんな秘密を抱えていようと私の気持ちは揺らぐことなどありません」
「…分かったわ。私は貴方を信じる」
私はそう言うとふうっと息を吐きだした。そして、一度心を落ち着けてから静かに口を開く。
「私は…呪われているの」
「…呪われている?それはいったいどういうことですか?」
私の言葉に、驚きを隠せないという表情で私を見るミカエル。私は当時あった出来事を話した。あの時、見た光景。あの時、あった出来事。そして成人した時、私はこの手でこの国を滅ぼすことになるのだということ。呪いを解く方法を探したが、それは叶わず、せめてもの悪あがきで善行をしていたこと。これまでの経緯をこと細やかに彼に打ち明けた。
呪いなんてあるわけないと、信じてもらえないかもしれないという可能性も考えていたけど、ミカエルは最後まで真剣に私の話を聞いてくれた。
「話して下さってありがとうございます。よくここまでお一人で耐えていらっしゃいましたね」
そう言いながら彼は私の頭を右手でゆっくりと撫でてくれた。そして、そっと頭を彼の胸のあたりに誘導し、片手で再び私を抱きしめてくれた。この時、初めて私は自分の身体が震えていたことに気が付く。布越しに感じる彼の体温が心地よくて、私はそっと瞳を閉じ彼に体をゆだねた。
「…成人までにはまだ時間があります。私もお手伝いしますから一緒に呪いを解く手立てを考えましょう。ですから、どうか今回のようなことはなさらないでください。お願いします」
彼の言葉を聞いて私は全身の力が抜けていくのを感じた。もう、ひとりじゃないんだとそう思えた。ずっと張りつめていた心がゆっくりと溶かされていくような感じがした。
「ありがとう。ミカエル。貴方が一緒なら心強い」
自然と緩んだ表情で私がそうお礼を言うと、ミカエルは一瞬動きを止めた後、微笑みながら頷いてくれた。
…ミカエルのそんな表情初めて見た
一瞬、初めてみる彼の表情に見惚れた私は、ふと視界の端に映った彼の左手を見て我に返った。
「そうよ!ミカエル!貴方、左手…」
そう、彼は私を止めるために左手でそのままナイフを掴んだ。素手の状態でナイフを掴み、一瞬とはいえかなり力を入れたため、左手は血だらけだった。私が慌てて彼の左手を確認しようと左手を掴もうとすると、彼はそれを拒んだ。
「大丈夫です。利き手とは逆の手ですし、貴方の心の傷と比べたらこれくらいの傷たいしたことありませんから」
「だめよ!騎士にとって手は大切な者だもの!急いで治療しないと…!」
私は大丈夫だと止める彼の言葉を無視し、部屋に備え付けられた棚から医療箱をとりだすと、そこから消毒液と包帯を取り出し、彼の治療を始めた。始めは拒んだ彼だったが、最後には諦め、おとなしく私の治療を受けていた。
「ごめんなさい。痛かったでしょ」
「いえ」
傷口に消毒液を塗りながら私はそう言う。傷口は結構深くて、とても痛々しかった。やはり、しみるのか彼の否定する声には少し力が入っていた。消毒が塗り終わると、今度は包帯を手に巻き付けていく。彼は静かにその様子を見ていた。
「…随分と手慣れていらっしゃいますね」
すらすらと包帯を巻きつけている私に、ミカエルは驚いたように呟いた。
「私、昔は本当にお転婆だったの。待女の忠告無視して、王宮内走り回って。好奇心の赴くままに色々なことに後先考えず挑戦するものだから、本当に怪我が多くてね。待女にばれると怒られるのが嫌で、自分で治療してたの。だから自然と上達したわ」
「そうでしたか…」
無事に治療が終わり、箱を棚に戻した後、私は床に落とされたままの短剣に気が付いた。そのままそれに近づきそれを拾うと、刃先についた血を近くにあった布で拭き取り、綺麗にした。始めは私が短剣に近づいたことに警戒の色を見せたミカエルだが、私にもうその気がないのだと判断すると、静かに私の動きを見守っていた。
机の上においたままだった鞘に刃を納め、元の形にもどすと私はそれを持ったままミカエルの側に戻った。
「この短剣は亡き母の形見なの。生まれてすぐに母を亡くした私にとって数少ない母を感じさせる貴重な物。なんとなく、死ぬならこれがいいと思った。これなら、刺されても母を感じられるから寂しくないと思った」
「アウレイリア様…」
手元の短剣を見つめながらそう言う私を、ミカエルは悲しそうな顔で見つめた。
「私ね。怖いの。この手でこの国を傷つけることが。大切な彼らを自分の手で傷つけることが。もし、突然自分がそうなってしまったらと思うと恐ろしくて。成人までは大丈夫だと思いたいけど、それが本当なのか分からないし…」
そこまで言って私は手元の短剣を彼に差し出した。ミカエルは少し困惑の表情を浮かべながらそんな私を見る。私は彼の右手を手に取り、短剣を握らせるとその上から自分の手を重ねた。
「ミカエル。これを貴方にあげる。もし、私がこの手でこの国を滅ぼそうとしたときは、どうかこの剣で私の心臓を貫いて」
「…っ!それは…」
そんなことできない。そう目で訴えてくる彼を私は真っすぐ見つめ返し、必死に語りかけた。
「私はこの手でこの国を傷つけるようなことをしたくないの。いくら、呪われているとはいえ、もしそんな風になったら私は耐えられない。だから、もし成人までに呪いを解くのが間に合わなくて、私が毒に染まってしまったその時は、貴方の手で私を殺して私を止めてほしい」
「アウレイリア様…」
彼の瞳は悩まし気に揺れた。私は彼の目を見つめたまま言葉を続けた。
「お願い。貴方が私を止めてくれるという約束があれば、私は全力でこの国のためにこの命を捧げることができる。正直、このまま生き続けるのは不安なの…」
「…わかりました。ですが、それは最終手段です。貴方にこの国を傷つけさせるようなことは絶対にさせません。何としてでも、呪いを解く方法を見つけ出して見せます」
ミカエルは私から受け取ると、片足を床につき礼の形をとった。そして、胸にその剣をあててそう誓った。私はそんな彼の言葉に心を打たれながら、彼という護衛騎士に出会えたことに心の底から感謝をした。
「ありがとう。ミカエル」
この出来事をきっかけに私とミカエルの関係は大きく変わっていったのだった。