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彼らの周りの奇しき事件簿

桜花一片に願いを

作者: 水沢ながる

 そぼ降る雨を受けて、また一枚、薄紅色の花弁がひらひらと地に落ちて行った。

 満開もピークを過ぎた上、ここ何日か雨が続き、この山の桜の木々も既に散り始めている。盛りの時すらさほど見に来る者もいない山桜の穴場だったが、今日に限っては多くの人々がこの場にやって来ていた。

 山の主の如くそびえる、年経た一本の桜の下でせわしなく動き回るのは、決して花見の客などではなかった。

「被害者は女性、年齢は20代から30代。死後一週間程度と思われます」

 張り巡らされている黄色のテープ。辺りに飛び散る赤色灯の光。紺色の制服を着た警察官や鑑識官が行き交う。

 無粋な光景だ、と武田春樹は思った。もっとも、自分もその無粋な者達の一員なのだが。



 死体を見つけたのは、たまたまここに来た近所の老人だった。

 老齢ながらかくしゃくとして、健脚が自慢のこの老人は、この辺りの野山を歩き回ることを趣味としていた。雨にも関わらず、愛犬を連れてこの桜の古木を見にやって来た彼は、愛犬の吠える声でそこに何かが埋まっていることに気づいた。

 これも雨のせいか、埋まり損ねた女の手が少しだけ地面から覗いていたのを見て、老人は仰天して警察に連絡をして来たのであった。

 そして現在、警察官達によって死体が掘り出され、この無粋とも言える光景が繰り広げられている。武田はそこから少し離れた場所で、それを眺めていた。

「先輩!」

 中上が武田の元へやって来た。

 中上美琴は、今年から県警の捜査一課に配属された新人だ。それまで一匹狼だった武田に妙に懐き、なし崩し的に組むようになった女性刑事だ。

 活動的なパンツスーツに身を包み、髪をショートカットにしている彼女は、どこか子犬のような人懐っこい雰囲気を振りまいている。

「ダメですよ、武田先輩。こんなとこでタバコなんか吸ってちゃ」

「吸ってねえよ」

「ホントですかあ?」

 武田がこのご時世では時代遅れのヘビースモーカーだと知っている中上は、疑いの眼差しを向けた。

「それより、何かわかったのか」

「あ、はい。被害者の首に、擦過傷がありました。詳しいことは解剖しなければわかりませんが、大森検視官は絞殺でほぼ間違いないだろうと」

「身元は?」

「身元のわかるものはありません。服も全部剥ぎ取られてます」

「……そうか」

 武田は眼をすがめた。桜の根元、死体が埋まっていた場所。今は掘り起こされ、大きな穴が開いている、まさにそこに。


 ゆらり、と。

 白い手が、伸びる。

 他の者は誰も気づかない。

 武田の眼、だけに。

 地面の下から。

 女の、顔が。

 現れる。


 武田以外の誰の眼にも映らず、女は桜の花に手を伸ばした。何かを祈るように。散る花びらを受け取るかのように。

『この桜はね、願いの桜って言われてるのよ』

 ──これは、まだ彼女が幸せだった頃の“想い”だ。

 かたわらにいるのは、女より何歳か歳上の男だ。

『この桜に願をかけると、愛する人と一生結ばれる……って、私が高校生の頃に流行った噂だけど』

『女の子は好きそうだよな、そういうの。でも、ここは大人でもちょっと来るのに難儀しそうだけど』

『だからいいんじゃない。簡単に来れないから。……私、この桜、好きよ』

 武田の視界がブレる。場面が変わる。

 同じ桜の木の下、しかし時間は夜だ。雨の降る中、オフロード仕様の四駆車が走って来る。近寄れるところまで近寄って、車は停まった。

 蒼白な顔で降りて来たのは、先程の男だ。車からシャベルを取り出し、ざくざくと桜の根元を掘り進む。鬼気迫るとも言える光景を、ただ桜と武田だけが視ている。

 長い時間をかけて掘った大きな穴を、荒い息をつきながら男は見下ろした。すぐに車に引き返し、次に降ろして来たのは女の死体だった。死後硬直が始まっているらしく、思うようにならない死体を苦労して穴に納める。

 急いで上から土をかけ、男は車に駆け戻って去って行った。


 ──どうして。


 土の下で、死んでもなお。


 ──どうして、あなた。


 女は問う。


 ──どうして、私を置いて行くの。


 土の下から、白い手が伸びる。手の形を取った、彼女の“想い”が。


 ──ああ、私はまだ、あなたと一緒にいたいのに。


 桜がざわめいた。


 ──貴浩さん。


「……先輩?」

 中上の声で、武田はこちらに引き戻された。現実に精神のピントを合わせる。

 そのまま、武田はすたすたと歩き始めた。

「せ、先輩! どこ行くんですか⁉」

 武田が向かったのは、先程の幻像で車が走り去った方角だ。

 車は確かこの辺りに停まっていた。そして、急いでここから去って行った。……なら、ある筈だ。ぬかるんだ地面にしゃがみ込む。

 あった。

「中上」

「はいっ!」

「鑑識呼んで来い」

 武田は地面を示した。ここに車が入って来たという証拠。車の下足痕とも言うべきそれが、まだはっきりと残っていた。──車を発進させた時の、タイヤ痕。

 中上は鑑識官達を呼びに、あわてて走って行った。


     ◇


 武田春樹は、霊能者を多く輩出する家系に生まれた。

 現在の武田家の当主である武田櫻子は、歴代の当主の中でも指折りの力を持つとも言われている。彼は櫻子の孫の一人で、一時は後継者と目されてもいたが、自らの意思で警察官になることを選んで今に至る。

 彼の力は、“視る”という形で顕れた。他人に見えないものを“視る”ことに関しては、櫻子すらも自分以上だと認める程だ。

 彼は、自らの力を捜査に活用していた。彼の眼は事件の現場に遺された“想い”を読む。被害者の無念を。加害者の激情を。絡み合う感情や思惑を。事件となる程の“想い”は、その場に染みつく。それを見通すのが、彼の眼だった。

 無論、彼にそれが視えたからと言って、何の証拠にもならない。第三者に示せる証拠がなければ逮捕状を取ることも出来ないし、犯人を立件も出来ない。故に、こうして証拠を示さなければならないのだ。


    ◇


 被害者の身元は、程なく割れた。

 後藤真奈美、28歳。ある中堅の卸売商社に勤める事務員。勤務態度は真面目だったが、一週間程前から無断欠勤をしていた。

 武田と中上は、被害者の勤務先での聞き込みに向かった。武田の姿を見て、女子社員達が浮足立っている。傍から見ると、武田は長身で野性味のある二枚目だ。

「おかしいとは思ったんですよ、後藤さんが無断欠勤なんて。アパートに行ってみても誰もいないようで、一体どこに行ってしまったのかと思っていたんですが、まさか殺されていたなんて……」

 真奈美の上司は小太りで頭髪の薄い、人の良さそうな人物だった。

「後藤さんの交友関係などは、何かご存知ですか?」

 手帳を片手に中上が訊く。

「それが、後藤さんはあまり自分のことは話さない人でして。私どももあまりプライベートのことはわからないんですよ」

「あ、でも、後藤さん、彼氏いるみたいなこと、言ってたよね?」

 同僚の事務員の一人が言った。すかさず中上が食いついた。

「彼氏? どんな人ですか?」

「そこまでは、ちょっと……」

「私もその時いたけど、彼氏がいること自体、口を滑らせたって感じで。ね?」

 周りの女性社員達もうなずき合う。

 その時、事務所のドアが開いて、一人の社員が入って来た。

「ただいま戻りました」

 中上は、武田がその男に視線を向けているのに気づいた。

「あの人は?」

「彼ですか? 営業の千葉くんです。千葉貴浩」

 千葉と呼ばれた男は、武田が桜の下で視たのと同じ顔をしていた。



「あの、千葉って男がホンボシなんですか?」

 聞き込みを終えて署に戻った早々、中上は武田に尋ねた。

「まだそうと決まったわけじゃねえよ」

 缶コーヒーを飲みながら、武田は答えた。

「またまた。こういう時の先輩、絶対外さないんですもん。刑事のカンって奴ですか? 私も見習いたいです」

「俺みたいなのを見習うんじゃない。カンで何もかも解決出来りゃ、苦労はしないさ」

 これは見習うべきものではないし、見習えるものでもない。真っ当な捜査方法ではないのは、他ならぬ武田が一番わかっている。

「それにしても、千葉が被害者の交際相手なんでしょうか? 周りには秘密にしていたようですけど」

「……中上、おまえ、千葉の左手を見てなかったろ」

「左手?」

「千葉は薬指に指輪をしていた。奴は既婚者だよ」



 訪れた二人の刑事を、千葉はにこやかな営業スマイルで迎えた。

「どうもすみませんねえ、刑事さん。妻が出産のために里帰りしておりまして、ろくなお構いも出来ません」

「いえ、お気遣いなく。こちらも仕事ですので」

 ローンで建てたばかりだという千葉のマイホームには、大き目のガレージがあった。シャッターが閉まっているので、外からは中が見えない。

「あの中、後で見させていただいても構いませんか」

「ええ、いいですよ」

 千葉の態度には余裕があった。中上は不審感を覚えた。武田は──表情などには何も出さない。

 今、この家には千葉一人しかおらず、千葉にはアリバイがない。しかし、それだけでは彼が犯人であるという決め手にはならない。

 やはり、車を見るしかない。

 ガレージの鍵を開け、シャッターを上げてもらい──中上は、唖然とした。

 アウトドア仕様の四駆車は、綺麗に洗車されていた。車体に跳ねたであろう泥は落とされ、タイヤも交換されているようだ。

「妻がいない間に、車の手入れをしようと思いまして。二〜三日前に、洗車したんですよ」

 ガレージの隅には洗車用の水道蛇口と排水口がある。奥は物置も兼ねているらしく、アウトドア用品やキャンプ用品が並んでいた。

「アウトドアがご趣味なんですか?」

「はい。この車もキャンプなどに行けるようにと買ったんですが、最近は忙しくて遠出も出来ないんですよ。子供が産まれるとミニバンなんかの方が便利がいいので、買い替えようかと妻と話し合っているんです」

 妙に饒舌に感じるのは、自分が千葉を疑っているからか、千葉が後ろめたさを感じているからか、中上には区別がつかなかった。

 ぐずぐずしていると、車自体を処分されてしまいそうだ。しかし、怪しいと言うだけでは礼状は出ない。中上は武田を振り返った。どうしましょう、先輩。

 ──まさに、その瞬間。

 武田の眼に。

 ひらひらと舞う、桜の花びらが映った。

 無論、ガレージの中に桜などあるわけがない。これは、武田の眼にしか視えていないものだ。

 俺に何かを示そうとしている。一体何を?

 桜は上から降り注ぐ。上。武田は上を見上げた。何かが、ある。武田の“力”に干渉して来る、何か。

 武田は辺りを見回した。小さな脚立を見つけ、車の横に置いて登る。突然の行動に、中上も千葉もポカンとしている。低い脚立であっても、長身の武田にはよく見渡せた──車の屋根が。

「せ、先輩?」

 脚立から降りた武田は、千葉を見据えた。その視線にたじろぐ。

「千葉さん。この車は、事件当時には走らせてはいないんでしたね」

「は、はあ……」

「他人に貸したりしたということは?」

「ありませんよ。ガレージの鍵は僕が持ってますし、ずっと車はここにありました」

「……なら、何故()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んでしょうね」

 屋根の上に、ぴったりと張り付いた桜の花びら。洗車した時はボディやバンパーなどに跳ね跳んだ泥汚れにばかり注意して、屋根まではおざなりになっていたのか、ただ一枚の花びらを落とし損ねていたのだ。

 千葉の顔がさっと青くなった。

「そ……それは、きっと近くの公園の桜ですよ。遠くには行っていませんが、近場では乗っていましたから」

「遺体が埋められていた場所に生えていたのは山桜だ。街中(まちなか)に植わっているソメイヨシノとは品種が違う。調べれば、どこの桜かはわかる筈だ。……この車、調べさせてもらいますよ。隅々まで」

 武田は、捜査本部に連絡すべく、自分のスマホを取り出した。



 果たして、その一枚の桜の花びらは現場近くの山桜のものであると証明された。事件当時は雨が降っていた為、雨で屋根について取れなかったものと思われた。

 調べ始めると、失踪当日に千葉の自宅を被害者が訪れていた痕跡や、被害者と不倫関係にあった証拠も出て来て、千葉は殺人と死体遺棄の容疑で逮捕された。


     ◇


 取り調べの中、被疑者を現場に立ち会わせての現場検証が行われることになった。

 数百年を生きたと言われる桜の古木の下で、再び無粋な作業が行われているのを、武田は再び少し離れた場所で眺めていた。

「先輩、なんかここの現場を避けてません?」

 中上が言った。

「前もこんなに離れた所にいましたよね?」

「そうだな。……出来れば、近寄りたくねえんだよ、ここは」

「?」

 中上が首をかしげた。

 検証が終わり、二人の前を手錠と腰紐をかけられた千葉が連行されて行く。取り調べの間に、ずいぶんやつれたように見える。


 ──貴浩さん。


 それを捉えたのは、武田のみに違いなかった。


 ──これで、私達ずっと一緒よ。


 千葉の体に絡みつくように、一人の女がしがみついている。殺された後藤真奈美だ。その手足は木の根のように変化し、愛した男の体に深々と食い込んでいた。

 武田は桜の古木を見上げた。

(……これが目的か)

 願いの桜と呼ばれる古木は、死んだ女の願いを叶えたのだ。

 警察にもう一度千葉をこの場に連れて来させる為に、証拠となる花びらを車に張り付かせ、その存在を「視える者」である武田に知らせた。

 埋められた女は桜に取り込まれ、桜の根となって埋めた男に根付いた。男が死ぬまで、女は離れることはないだろう。

 武田には、あの根を取り払う程の力はない。例えそれが男の生命を削るものであるとわかっていても。何百年を生きた桜と、一介の人間とでは、年季が違い過ぎた。近寄ることすら遠慮したい。

(桜、さくら。今まで、どれだけの人間の願いを喰らって生き続けて来た──?)

 桜は答えず、たださらさらと枝ずれの音を響かせるばかり。

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