誰がサンタのサンタクロース (201812)
夢を見た。
あるコミュニティから追放される夢だ。
「うまく紛れ込んでいたけど、君は違うだろ?」と微笑みながら諭されて。
罵りや殴りなどの粗暴さもなく、私有財産が没収されることすらもなく。
ただ、ひたすら穏やかに、和やかに、いなくなることを望まれた。
夢のなかでは怒りに震えていたが。
起きたときには、優しい連中だったなぁと気づいていた。
悪夢なのか、そうでもないのか、いまでもわからない。
***
誰がサンタのサンタクロース
***
喧嘩の声が聞こえる。
ある夫婦のやりとりだ。憎悪と無関心のブレンドが、小さな炸裂を含みつつ燃え盛っている。
クリスマスだというのに。あるいはクリスマスだからか。
隣にいるサンタ野郎が言うことには、これこそが彼らの至るべき場所であったという。……人間には相性がある。それを越えた対人濃度になれば、いつか関係は破綻する。出来事や想いなどなんら影響を及ぼすことができない。
ひどくつまらない、どこにでもありうる光景。とげついた騒々しさは、付近にいなければならない僕にとって不愉快でしかなかった。
かじかむ手をこすりながら寒空にてしばらく待ち、ようやく喧嘩が終わる。片方が家を出ていった。もう片方は家の中で荒々しくテーブルを蹴り飛ばした。僕は合掌した。
うきうきしながらサンタ野郎が空から降りていく。同じく空中にいた僕もとぼとぼついていく。
付け髭と赤い衣装で扮装をしたこの本物めいたサンタクロースは、この人たちになにを贈るのだろう。そう思いながら見ていると、サンタ野郎は紙っぺら一枚を取り出してピースサインを向けてくる。
ピースじゃねぇよ。
……いや、あるいは、ピースなのか。これが。
離婚届である。その紙には氏名ふたつを記入する場所があり、ある契約を終わらせる法的パワーがある。まぁ実際、破綻した夫婦生活など終わってしまうほうがいいのかもしれない。僕はよく知らないからわからない。でもこのサンタ野郎、クリスマスにそれを贈るのか。うまく言葉にできないので、おいおいおいと言うしかなかった。
そのドヤ顔ピースサインやめろ、サンタ野郎。
***
「いやぁうまくいったねぇ。初仕事だけど最高のデキだよ」
「アッハイ」
「これならサンタもなかなかだね。いつもは逆のことしてるけど、クリスマスぐらいは祝うのもヨシ! だね」
「……ヨシだろうけどさー、なんで僕まで連れてきてるんだ」
「サンタにはトナカイがいないとだからさ」
「ひとりでやれよ。なんで僕だよ」
「どうせ暇だろ、クリスマス」
「そりゃ予定はなかったけど、酔狂に付き合うほど社交的じゃないよ」
「……やっぱ酔狂に見える?」
「そんなのわからないよ。こっちはろくに説明も交渉もなく連れてこられてきたんだから、君の想いなんていまわかるわけないじゃないか」
「なんて付き合いのよさ!」
「君に恨まれたくないだけだよ……」
***
ホームレス。つまりは、路上生活者。
ダンボールなどの廃材で区切られた空間は、夏の暑さも冬の寒さも防ぎえないだろうが、それでも彼らには確固たる寄る辺などなく、それゆえそういった地に滞留するしかない。まったく、いまの季節は真冬だ。どれだけ手を尽くそうと、凍えるような大気からは逃げきることなどできないのだろう。
警察らによる撤去からなんとか逃れたこの国の死角、いくらかのホームレスらが作り上げたねぐらの真上に僕たちはいた。空である。
サンタクロースならば空にいてもまぁおかしくはない。見えなくなっているのも当たり前だし、物体をすりぬけて移動できるのも納得できないこともない。もちろんそれが、人類にとっても一般的である、なんてわけではないが。
隣にいるサンタ野郎は、僕に『静かにするように』と仕草で指示すると、とあるホームレスが寝ているところへ近づいていった。さっきはどぎつい物品をプレゼントしていたが、今回は、なにを、……。
……酒かよ。
明らかにアルコール中毒っぽいホームレスへのプレゼントが、よりにもよって5リッターの焼酎ボトルかよ。
なんか……ああ、そういうのをプレゼントするノリなんだな。いまの君は。
だからそのドヤ顔ピースサインやめろ。やめろって。
***
「今回もヨシな仕事したねートナカイくん!」
「ヨシ……かなぁ」
「そりゃあもう。絶対に必要でしょ、あの人には」
「だけどもアル中だよねあの人」
「抗酒剤でもプレゼントしろって? ナイナイ、使わないよそんなの」
「そうかもだけどさー」
「しつこいねトナカイ。そんなんじゃサンタクロースの仲間になれないよ!」
「ていうか、そもそもなんで僕なんだ」
「知り合い? だし、それに、ちょうどいいかなって」
「どこがだよ。まっとうな人間だぞ、僕は」
「へー。じゃあ訊くけど、あんた、これまでに犯した最大の罪ってなに。法的にとかじゃなくて、自分で最も大きいなって思うの」
「それは……」
「…………」
「……ここにいてすみません」
「はい、そういうこと。前にちょっと話したとき、ああそういうやつなんだなって思ったから。だから、そんなあんたが、わたしのトナカイさんにはヨシなんだよ」
「言葉もないね……」
***
靴。
人間は、靴がなければ足を守れない。守れなかった果てには、歩くこと、いや立つことさえできなくなってしまうだろう。だから靴は大事だ。
しかしこのサンタ野郎、そもそも最近になって足を失った人に、その靴をプレゼントするというのか。
ジョーク……か。いや、ジョークじゃない。本気で『必要でしょう?』ってやってるんだ。これは。
リハビリして義足で歩けるようになれと。あるいは、移植をしてどうにか足を手に入れろと。そこに至ればどのみち靴が必要になるだろう、と。
だけども、足を失ったショックも大きかろうに、喜び多くなりうるかもしれないクリスマスの朝だというのに、足を失った者の枕元へ真新しい靴が贈られてしまうのか。こんなの、発狂や飛び降りだってありえるんじゃないのか。本当にこれで大丈夫なのか。
ブラックだ。ユーモアが少なく、あるとしてもかなりどぎつい類である。
ひと仕事やってやったぜというドヤ顔ピースサインを、嬉しそうにサンタ野郎はこちらへ向けてくる。これをサンタクロースと呼んでいいものなのか?
とはいえ、実際のところ、僕はサンタクロースについてほとんどなにも知らないと言っていい。だから、こんな、人間に対し嫌悪を持ち、それゆえ『正気かよ』とでも思えそうなプレゼントばかり贈っているサンタ野郎に対しても、サンタクロースとして実際に不適格であると断言することができなかった。
***
「君は、相変わらずみたいだな」
「というと?」
「僕が知り合ったときのように、世界を嫌い続けているんだろう」
「……それ、わりと逆じゃないかなーって思う」
「それは……世界が君を嫌っている、ということか」
「そう。さらに言えば、世界がわたしを嫌ったから、わたしは憎んで呪う形になったんだよ」
「君は復讐者なんだな」
「いや、そんな大層なものじゃない。2から5を引けばマイナス3になるねってだけの話」
「君はマイナス3か」
「んー……マイナスいくらだろうね。億は、まぁ。いかないと思うけど。わっかんないな。だからべつに、バケモノだと思ってくれてヨシだよ」
「そうか」
「人間にとってわたしは、明確に害悪存在だろうね。とはいえ、わたしのルーツが人間側にあるから、消去もできない」
「必要悪ならぬ必然悪か」
「そんな感じ。文句はいちおう聞くけど対応はできないね。いつものわたしがプレゼントできるのは呪詛だけだから」
「今夜は違うってことか。あれらがプレゼントでも」
「そうそう、そうなんだよ。……さて、次は……あー。なにも持ってない人だ」
「なにも?」
「ぜんぶあげちゃったみたいだ。財産から社会的地位まで」
「命も?」
「まぁ、そう。なのかな」
***
ある者を飢餓から助けるために、ウサギが身を差し出す話がある。これは美談だろうか。それとも悲しい話だろうか。どちらでもあるとするなら、どちらがより重いのか。
いま眼前にあるその者は、いまにも息絶えそうだ。当然だ。生存に必要な臓器や体液すら足りていない。
顔の表情は一切ない。なにもかも惜しみなく分け与えて、もう求められなくなったから、……誰も近くにはいなくなったから、ようやく表情すら作らなくなったのかもしれない。もし誰かがいたなら、その人のためになにか、喜びとか悲しみとかそういう、求められる表情を作っていたのだろう。そう思えるほど、この者の人生は壮絶な人生だった。サンタ野郎の説明を聞き流していただけでも、それがわかってしまった。こんな人生があっていいものかと、少し思ってしまうほどに。
ここは病院ではない。そんな金がこの者にはない。恩義を返す者もない、その恩義そのものも誰かの手に渡ってしまっているからだ。
路端でこの者は亡くなろうとしている。
たったひとりで。それがせめてもの救いかどうか、もうなにもわからなかった。
サンタクロースに扮したあいつは、その者にそっと近づいていく。
優しく穏やかな声であいつは、『こっちにおいで』、そう言ったように思う。
すると、その者の苦しそうな呼吸が止まった。
あいつはなにかを抱きとめるような仕草をしたあと、なにもプレゼントを渡すことなく、こちらに戻ってきた。
どうにも神妙な表情で。それは笑顔ではあったけれども。
***
「そいつを連れていくのか?」
「うん。わたしはみんなでわたしだから」
「……やっぱり君はバケモノだ」
「怨霊だよ?」
「違う。そういうことじゃない。さんざ与えてきた人に、亡くなったあとでもそれをさせるなんて」
「――要点がつかめないんだけど、わたし、喧嘩を売られてるよね?」
「ごめん」
「謝られても。……うん。まぁねぇ。わたしは与えるもの、憎しみをもって呪いを与えるもの。怨霊。いまだけは違うけど、結局。そうだねぇ、プレゼントが違うだけでやってることはいつもと同じ。で、どうしてそうするのか」
「そうだよ。君は、なんで……」
「……そうしたいと思うみんなが、わたしになっているから。だよ。……生きてるみんな、もういないみんな、関係なくわたしになっているから」
「なにかを贈りたい。みんな、そう思ってる? ……それは」
「ねぇ。どうしてクリスマスは聖なる夜なんだと思う?」
「聖人が生まれた日だから」
「その宗教がない場所でもクリスマスのようなものはあったさ」
「なら、もっとプリミティヴな……うん、プレゼントの話? 棚ボタ的な?」
「そりゃあヨシなものは欲しいだろうけどさ。でも、プレゼントの中身はがっかりでなければきっとなんでもいいんだよ」
「プレゼントすること自体が、大事ってこと?」
「もう一声」
「値切りじゃないんだから。……ああ。プレゼントされること自体も、なのか」
「与えること与えられること」
「……交換、か」
「たぶんね、わたしたちは、なにかを贈り合うことで想いを共有したいんだ。そんでもって、それが推奨されるから、それが喜びだから、クリスマスが聖なる夜になれるんだ。誰かの誕生なんてきっと口実さ」
「だったら――」
「だったら?」
「――いや、なんでもない」
***
だったら、きっと、サンタクロースこそがクリスマスに最もふさわしくない存在なのだ。そのシステムはむしろ生贄に近いのだから。
与える。無私無償で。交換ではなく、一方的贈与。しかもそれを望まれる。特定のコスチュームに扮した、孤独な誰でもないなにか。
醜いというのは、言いすぎだろうか。
きっとそれは方便だったのだろう。誰かに贈り物をするための。だが、具体化してしまえば、その像はあまりにも無慈悲な形だ。
誰もサンタクロースの実際を知らない。
誰もサンタクロースとプレゼント交換などしない。
誰もサンタクロースに対する要求が重すぎることを考えない。
なるほど、サンタクロースは聖人だ。クリスマスというカーニバルに殉教する贄であり、疑いなく、クリスマスを味わえないまま孤独にそれを支え続けている。
……僕の前には、いま、サンタクロースがいる。
サンタ野郎だ。いつもは怨霊で、世界つまり人を呪って苦しめている。でも今日は違う。サンタ野郎で、どうにも内容にスパイスが効きすぎているきらいはあるけれど、その人に必要そうなものをきっちりとプレゼントしている。求められているサンタクロースをきっちりやっている。
いや。怨霊だとしても。
それは、プレゼントであって――ああ。
やっぱり、行き着くのはこれで。
誰がサンタ野郎に。
……こいつにプレゼントを贈るのか。
首を振る。
薄明かりにあってため息が、虚しく白い。
僕のポケットには小銭があるばかり。
ちょうどよくなにか揃う。そんな奇跡なんて、ろくに転がってないもので。
***
「おい、サンタ野郎」
「なんだいトナカイ」
「朝方まで夜を駆け回った君に、僕からのねぎらいだ」
「……缶コーヒー?」
「おつかれさま。『つめた~い』があればそっちを買ったんだけどね、自販機にはなかった。せいぜい温まるがいいよ」
「……ブラックか」
「無糖のほうが好みかい?」
「まあいい、マズいけど飲んでおくよ。……苦手なんだ。熱くて、苦くて甘くて」
「…………」
「……暖かくて」
「そりゃあよかった。真冬でバカみたいに寒いからね」
「自分のも買えばいいのに」
「……金、貸して」
「ないよそんなの。怨霊だよ?」
「だろうね……」
「……缶コーヒーってやっぱマズいわ。残ったの飲んで」
「プレゼントだぞ、ありがたがって飲めよ」
「鎮痛薬だって半分は優しさだろ、胃の」
「ボケをセルフでツッコムなよ。はやいっての」
「はいはい。……まったく、あんたがトナカイでよかったよ」
「そうだろ?」
「はいはいはい、おつかれさま。――メリークリスマス」
「めりくりー」
***
僕がゴミ箱に向かって投げ込んだ缶は、リサイクルボックスにうまく入らず地面を跳ねた。
まったく、最後までしまらない聖夜だ。
それでも聖夜なのだから。
この言葉をかけあい、別れのあいさつ代わりにする。
誰かの不幸が、せめて誰かを幸福にしていますように――
誰かの幸福が、それでも誰かの不幸をより重くしていませんように――
――ああ、前向きになんて祈れなくても。
やっぱり聖夜だったのだから。