第3話 ティー・レース開幕
リンシアが食堂に着くと、そこではもうみんなそろっているようだった。
気になるのはテーブルに着いているのが数人で、壁ぎわに執事やメイドたちがずらりと並んでいる光景だ。ただし、執事服を着てはいるが、リグだけはユイウェンの隣に座っている。
「お、来た来た」
最初に声を上げたのはアオバだった。そのアオバが、
「リンシアくんはショーコくんの隣に座ってくれ」
と、席を指定する。
食堂にある大きなテーブルには、すでに先客が座っている。
俗にいう『お誕生日席』に座っているのはアオバだ。おそらく、この海洋クラスの担任だからだろう。
そのアオバに向かって右側に、ユイウェンとリグが座っている。
そして、左側は一つ空いた席があり、真ん中にショーコが座っている。リンシアに座るように示されたのは、入口に近い場所だ。
「ん? 硫黄の匂い? あんた、どこに行ってたの?」
着席したリンシアに、ショーコが話しかけてきた。匂いが気になったようだ。
「お風呂に温泉があったんですよ。それも海を眺めながらの岩風呂です」
「温泉? それは絶対に入れって言ってるの?」
リンシアからもたらされた情報に、ショーコがそんな結論を読み取る。
だが、その話は、
「さあ、初めてのミーティングを始めるよ」
というアオバの言葉で中断させられた。
「改めて、ぼくがこの海洋クラスを受け持つことになった青葉未来人だ。この船を設計したのもぼくだから、そのままクラス担任を任されることになったんだ。一応は学園の理数系を受け持つ教師だけど、大学院で博士課程でも学んでるよ。この船はぼくの卒業研究ってわけだ」
最初に担任として、アオバの自己紹介から始まった。
「で、時間が惜しいから自己紹介ではなく、こっちで勝手に紹介させてもらうよ。こちらがタオ財閥の御曹司で、この船の持ち主ってことになる桃豊裕さまだ」
「あの、先輩。あまり『さま』付けは……」
アオバの紹介に、すぐにユイウェンから訂正が入った。それにアオバが、
「まあまあ、こういうことにはケジメが必要だろう?」
と返してくる。
「先輩?」とはショーコの疑問だ。
「ロボット工学部で同じゼミの後輩なんだよ」
そう答えたアオバが、ユイウェンの肩に手をまわした。
「ぼくは大きな機械が作りたくてね。ロボットらしくないけど、その結果がこの船だ。で、若さまの専門はヒューマノイドでね。船で働くアンドロイドの開発者だ。まるで人間みたいな見た目だろ」
「ええ? この人たち、アンドロイドだったんですか?」
驚いたリンシアが、その場で立ち上がった。
「人間そっくりどころか、一人一人顔つきや体格まで微妙に違うんだけど、どこまでこだわってるの?」
なんて言い出したのはショーコだ。ショーコも周りにいるのはヒューマノイドとは聞かされてなかったらしい。
「申し訳ございません。若さまが担当されたのはヒューマノイドの中身でございます。外のデザインは、すべてわたくしが担当いたしました」
それをリグが訂正してきた。
「……え? 執事さんがデザイン……してたの?」
ショーコは今の言葉に、かなり驚かされていたようだ。リグを見たまま完全に固まっている。
「こちらのリグくんは、タオ財閥で代々執事長を任されてる家系のご子息だ。小さい時からずっと若さま専属の執事として、いつも黒い執事服を着ていた反動からかな。今は美術部でデザインを勉強してるんだ。服のデザインからヒューマノイドの造形まで、何でもござれだよ」
「つまりこのメイドさんは、リグさんの趣味?」
「失礼ですね、きみは……」
ショーコのひとことに、リグがムッとした。
とはいえ、壁ぎわに控えてるのはメイドが目立つだけで、執事や女医、船橋クルーと思われる姿もある。
他にも甲板作業員たちがいるが、彼らは今コンテナの積み込み作業をしているため、一人もこの場には来ていない。
「それで、ヒューマノイドについてだけどね……」
「あ、先輩。ヒューマノイドの注意事項でしたら、わたしが……」
ユイウェンがそう言って、説明役を替わった。
「ヒューマノイドですが、お二人にも、できるだけ人を相手にする時と同じように、普通に接していただきたく思います。開発中のため、いろいろ都合が……」
「要するに、普通の人間のような振る舞いを学習させたいので、あまり極端な態度では接しないで欲しいってことだ」
アオバが横から説明に加わってきた。
「先輩。説明がうまいですね」
「正しく伝えようとするから、説明が難しくなるんだ。相手が間違えて覚えようと、大筋さえ間違ってなければいいやって思った方がいいぞ」
「そんな、いい加減な……」
アオバの言葉を、ユイウェンがそう言って非難する。
「若さま、それよりも命にかかわるかもしれない大事なことがあるでしょう?」
アオバがそう言って、自分の耳のあたりを指で差した。
「ヒューマノイドのピアスですか? たしかに重要かもしれませんね」
どうやらユイウェンの中では、説明すべきものとの認識がなかったようだ。
「ピアス?」
「はい。ヒューマノイドの耳のピアス、これはまだ開発中で何が起こるかわからないのですが、赤く光っていたら危険だと思って離れてください」
「赤?」
話を聞いたリンシアが、近くにいるヒューマノイドに目を向けた。白衣を着た女医と思われるヒューマノイドだ。その彼女がピアスを見せるように、軽く髪を掻き上げてくれる。今は緑色だ。
「とにかく信号と同じだと思ってください。赤は危険、黄色は注意と……」
「ピアスの色はヒューマノイドの動作状態なんだよ。赤くなるほど通信状態が悪いとか、内部処理に妙な負荷がかかってるとか、不具合がひどいと思ってくれ。人間でたとえたら、赤は幻覚を見てて何をするかわからない。黄色は疲れが溜まってて注意力散漫って感じだ」
「先輩……」
また説明を取られて、ユイウェンが悩ましい表情を浮かべる。
「あとは……」
ユイウェンが説明漏れがないかと探す。そこにリンシアが、
「ヒューマノイドの名前は?」
と聞いてきた。
「それでしたら、個体識別の必要から名札を付けてます。メンテナンスの都合で、中身が入れ替わるようなこともありますので」
答えを聞いたリンシアが、白衣を着た女医と思われるヒューマノイドを見た。その胸に付いたプレートには『梅』と書かれている。
隣りにいるオペレーターっぽい女性の名札は『響』だ。
メイは優しいお姉さん、シャンはマイクを持たせたら歌いそうな雰囲気をしている。
「時間が押してるから、二人の紹介……といっても、するまでもないほど有名だね」
アオバがまた場を仕切り、残ったショーコとリンシアの紹介を始める。
「まずは立花翔子くん。二年前、ある映像制作会社が作った『アイドル候補を太平洋横断ヨットレースに参加させる』という企画の番組に応募して、みごと中学生ながら単独横断に成功して堂々の五位入賞した有名人だ」
「中二で入賞は有り得ないと、ヤラセ疑惑で騒ぎになってましたが……」
アオバの紹介に、リグがちくっと言った。それにショーコがギロッと睨むと、何もなかったように横を向く。
「ヤラセ疑惑って?」とはリンシアの疑問だ。それにアオバが、
「そこはイヤな話だから、知らないなら知らないでいる方がいいと思うよ。どうしても気になるなら、自分で調べてくれ」
と説明を見送ってくる。
「で、もう一人は今、彗星のごとく芸能界に現れて、話題を集めている茉鈴夏くんだ」
「あのぅ〜。それ、すっごく間違いが……」
アオバの紹介に、リンシアがなんとか訂正しようとする。
自分に何が起きているか、ここに来る途中でポールから聞いたばかりだ。
「あ、大丈夫、大丈夫。わかってるよ。きみとショーコくんは同じ芸能事務所の先輩と後輩ってことも、二人とも本当はアイドル活動なんかやる気がないってこともね」
アオバがリンシアを落ち着かせるように、手ぶりで止めてくる。
「それにしても、とんでもない話だよね。世の中に、もっと科学に関心を持ってもらいたいって考えには賛同するけど……。そのために科学界のアイドルを作って、そこからっていう考え方は……ねぇ。まあ、海洋学をやるために航海士の資格を持っていて、その上可愛いなんて条件がそろったら、白羽の矢を立てられるよなあ」
「えっと……。すみません。そういうのは……勘弁してください……」
リンシアが顔を真っ赤にしてうつむいた。こういうことは言われ慣れてないようだ。
「えっとぉ、そろそろ料理を運んでいいですかぁ?」
そこへ厨房の方から声がかけられた。コックの恰好をしたキティだ。
「そうそう、あの子も忘れちゃいけないね。……と言いたいけど、ぼくはまだ何も知らないんだ。学園に海洋クラスへの転学届けを出しただけで……」
「でしたらキティのことは、わたしが紹介しましょう。キティ、こちらへ来なさい」
振り向いたユイウェンが、キティを手招きする。それにキティが、
「はいですぅ」
と明るく答えて、とてとてと駆けてきた。
そのキティがコック帽を取った。その下には、黒い猫耳カチューシャをしたままである。
「この子は当家で料理長をされている方のお孫さんで、小さい頃からわたしとリグとは兄と妹のように育った仲です。フルネームは、キティ・ウェッジバーグ。これからレースで目指す、ゴールに近い街の生まれです」
紹介されながら、キティが甘えるように背中をユイウェンにもたれかける。
「今は一三歳でしたか? がんばり屋さんで一一歳までに高校の卒業課程までをすべて済ませて、昨年からは大学部で医療栄養学を学んでます」
「若さまの料理を作るためですぅ!」
そう言ったキティが、そこで両手を横に広げた。そしてショーコとリンシアを見て、
「アイドルだからって、若さまを取っちゃダメですよぉ」
と言い出す。キティ的には宣戦布告だ。
「ホントに一三歳なの? まだ小学生じゃないの?」
と言い出したのはショーコだ。
「一四三センチだからって、失礼ですぅ! まだ成長期ですよぉ!」
キティがぷうっと頬を膨らませた。
「あたしだって、あと三年もしたら、キュッ、ボーンで負けないですぅ!」
「いや、勝負する気なんてないんだけど……」
敵意を向けられて、ショーコが困った。
その一方でリンシアは二人に背中を向けて、
「ボーンは……。はぅ……」
何となく情けない気持ちにさせられている。
◆◇◆◇◆
そんな自己紹介と昼食を兼ねたミーティングも終わり、一同は船橋に集まっていた。
「若さま。せっかく船長席を用意したのに、何も片づけなくても……」
「先輩。冗談でも玉座なんか用意しないでください。わたしが素直に座るとでも思ったのですか?」
「思ってたよ。時間がなければ、一回ぐらい……」
船橋では海洋クラスのメンバーたちが、それぞれの席に着いている。
船橋は階段状に作られていて、後部の一番高いところにあるのが船長席だ。
「うぅ〜。食べすぎたぁ〜……」
二段下がって船長席の右前には横に操舵輪のある席がある。そこで操舵輪にもたれて反省してるのは、操舵長のショーコだ。
船橋の段は四つあり、ショーコの前はもう一段低くなっている。そこに誰かが立って窓から外を見ていても、ショーコの視界をさえぎらない作りだ。
「あたしもです。キティちゃんの料理、あまりにも美味しいので食べすぎました」
そう言って突っ伏してるのは、船長席の前の段にいるリンシアだ。
ここは航海長用の席で、海図などを置く大きなテーブルが置かれている。
「ありがとうですぅ。あのぅ、あたしがここにいる必要、あるですかぁ?」
キティはリンシアの左側の空間に座っていた。本来は何もない場所だが、そこにイスが置かれてキティが座ることになったのだ。
そのキティの座っているイスは、ユイウェンが座るはずだった玉座だ。その上にモニター表示の加工ではあるが、『料理長席』と書かれた文字が浮かんでいる。
「甲板員から連絡。コンテナの固定が終わったそうです。いつでも出港できます」
操舵席の左の席にいるリグが、そういうことを告げてくる。ここは甲板長の席だ。
「シャン。運営からの連絡は?」
リンシアと同じ三段目の右の壁ぎわに、アオバの座る機関長席がある。そのアオバが同じ段の反対側にいる通信士に尋ねた。
「予定変更の連絡はありません。開示されている運営情報でも、一〇分ほど更新は……」
通信士は船橋にいる唯一のヒューマノイドだ。高めの澄んだ声で、朗々と伝えてくる。
「今、開始時間の一〇分繰り下げの連絡が入りました。レース開始は一五時一〇分です」
「なんだか運営も混乱して、ずるずる引き伸ばされてる感じだね。待機電力を喰いすぎて、夜に使う分の燃料がなくなりそうだ」
そう言ったアオバが、周りに浮かべているモニターをいくつか入れ替える。
「光合成パネル、もう一枚展開するよ。一番マストだ」
もっとも前にあるマストの帆が広げられた。
「太陽の位置と風向きがいい感じだね。今は帆をいっぱいに張っても、船の姿勢を変えるような影響はなさそうだ」
港には南東から風が吹いている。そのおかげで光合成パネルに、十分に日光を当てられそうだ。
その展開した光合成パネルの下に、ぽたぽたと水滴が垂れ始めた。光合成によって生じた水が、パネル表面を伝って汚れを落としている。
「あ、インターネット中継、五分前から始まってます。すぐに出します」
シャンが船橋の上に大きなモニターを浮かび上がらせた。そこにティー・レース開催を待つ船の姿が映し出される。
『……昨年のレースは、最後の最後にもつれましたね』
『はい。先に「ぺがさす丸」がリバプール港に着いていたのですが、タグボートによる接岸作業に手間取ってる間に、あとから来た「フライング・シャーク号」がイッパツの自力着岸。二〇日と三時間での優勝となりました』
当時のタイムプラス映像を背景に、司会と解説者が軽快に語っている。
『さて、前回優勝の「フライング・シャーク号」は、今回は参加しません。代わりに出場するのは、同じフライングシリーズの一番船「フライング・クラウド号」です』
上空からのドローン映像に切り替わった。
画面の中央に積み込み作業中の白い双胴船が映し出される。
『おや? 隣に帆船が見えますよ。こちらもレースに参加するのでしょうか』
映像が、同じ桟橋に泊まる船を映し出した。
「ああ、あれ……ね」
船の前方を見たショーコが、空を飛んでいる大型ドローンを見つける。画面に映されているのは、ショーコたちの乗る船だ。
『レースの参加登録によりますと、四本縦帆型多目的高速帆船「華駿号」。河南学園の実験船ですね。乗組員も全員、河南学園の学生、生徒です』
『ティー・レースだからって、帆船での参加ですか?』
『いえいえ。見た目は帆船だからって、侮ってはいけません。先日、港に入って走ってくるところを見たのですが、おそらく航跡から見て動力は電磁推進でしょう。そもそも河南学園の実験船ですから、かなりのハイテク船と予測されます』
『他に、どのような技術が使われているのでしょうか?』
『そこに関しては企業秘密というところでしょう。今回のダークホースです』
船については意外と高評価だ。
『ところで帆船で学校の実験船となると、貨物の積載量が心配になりますが』
『そこの心配はありません。大会の競技規則ではリバプールまで三千トン以上の貨物を運び、そのうち紅茶が五〇トン以上であることを求めてます。それに対して「華駿号」の積載能力はコンテナ千個以上、重量で一万三千トン以上。この大会でも七千トン近い貨物を運ぶようです。優勝を狙っている船の多くが速度を出すためにギリギリの重量まで抑えてますから、「華駿号」は比較的多めに運ぶ方になります』
『ということは、優勝を目指さないのでしょうか?』
『そこはわかりません。貨物が多いと言いましても、この船にとっては半分ですからね。船を安定させるために必要な量とも考えられます。それよりも……』
いきなり画面に、リンシアとショーコの写真が現れる。
「な……」
画面を見上げるショーコが、大口を開けてのけぞった。そのまま後ろへパタンと倒れてしまう。
『おや? この二人は?』
『河南学園に通う二人のアイドル──ヨット娘の立花翔子ちゃんと、アイドル航海士の茉鈴夏ちゃんです。このお二人、どちらも海洋クラスに通ってるそうです。この二人が乗るだけで、河南学園としては話題性大爆発ですね』
『いきなりネットが大騒ぎです。コメントを映したら、画面が文字だらけになってしまいます』
『この大会は出場するだけでも宣伝効果が高いのに、この話題性は卑怯ですね。あ、映像が船橋にいる誰かを捉えてますが、誰でしょうね? セーラー服は河南学園高等部の女子制服ですけど、望遠ではこれが限界でしょうか』
映ってるのは、もちろんリンシアだ。
『この船はどのようなレースをしてくれるでしょうか』
『そこはわかりません。この大会は出場するだけでも船会社の宣伝になるため、三分の二は参加登録だけして優勝争いには参加しません。この船も優勝を狙うよりも河南学園や技術の宣伝のために参加した可能性が高そうです。その答えは始まってからのお楽しみでしょう』
意外と時間をかけて、船のことが紹介される。
『おっと、次に見えてきたのは全通甲板の軍艦だ。多目的輸送船ですね』
『ルーシ海軍の大型揚陸艦ノソロークです。災害支援などで高速航行する必要がありますからね。優勝候補の一角です。今大会でも軍艦を売り込むために、多くの国が輸送艦や揚陸艦を参加させています』
その後もドローンが港を飛びまわって、映像に入った船を紹介していく。
「おや? お隣さん、何かあったのでしょうか」
開始を待つ時、リグが隣の船上での動きに気づいた。
甲板に何体ものアンドロイド甲板員が出てきて、何かをしている。コンテナを調べているようだ。
「オーナー。フライング・クラウド号から通信が入りました。つなぎますか?」
通信士のシャンが、そんなことを告げてくる。オーナーとはユイウェンだ。
「つないでください」
ユイウェンの返事を受けて、天井近くに大きな通信画面が現れる。
『やあ、フォーチュン号のみなさん。突然の通信、失礼するよ。フライング・クラウド号の航海長、ポール・マイケルソン・ネヴィンだ』
映像に出たのはポールだった。その後ろには船長と思われる白髪の男が小さく映っている。
「ポールさん?」
『やあ、リンシアちゃん。先ほどぶり。おお、セーラー服姿も可愛いね。……って、そういう話じゃなかった……』
一瞬、仕事を忘れかけたポールが、すぐに自重してマジメな顔になった。
『もしかしたら気づいてるかもしれないけど、念のために伝えておくよ。お茶を入れたコンテナから、時限発火装置が見つかった。そちらにも仕掛けられてる可能性があるから、気をつけてくれよ』
ポールからの伝言は、以上だった。
「時限発火装置?」と聞き返したのはリンシアだ。
『そう、お茶が燃えて五〇トン以下になったらレースに失格だろう。誰かが妨害のつもりで仕掛けたんだろうね』
「なんで、そんなことを……」
『そりゃあ、ライバルを減らしたいんだろ。なんせ優勝船の運んだ紅茶にはプレミア価格が付くんだ。それに優勝船の所属する船会社は宣伝効果もあって、その後の仕事が増えて儲かるからね。欲の皮が突っ張った参加者は、毎年いるから気をつけてくれよ』
とんでもない情報がもたらされた。
その時、シャンが、
「運営からの連絡です。レース開始時刻、一五時一〇分で変わりません。くれぐれも定刻前の離岸には注意とのことです」
と伝えてくる。
「あと二分だけど、もう動いてる船があるわよ」
そう言ったのはショーコだ。
離れた埠頭にある緑のコンテナ船が、すでに動き始めている。
「毎年、何隻かやるセコい作戦だよ。長い係留ロープを用意しておいてね、まだ桟橋につながってるから離岸してないって……」
そんなことを言いだしたのはアオバだ。
それを聞いたショーコが「ホントにセコい」と零している。
『それじゃ、互いの幸運を。次はゴールで会おうね』
そこでポールとの通信が切れた。それが消えた後ろに、
『さあ、レースの開始時刻が迫ってきました。本日は午前中に隕石が落ちてきた影響で、当初の予定よりレース開始が三時間一〇分遅れることになってます』
再び中継映像が出てくる。
『時刻通りに離岸するためでしょうか。すでに錨を上げ終えた船が多いですね』
『はい。大会の競技規則ではタラップが接地してるか、係留ロープが一本でも桟橋とつながっていれば離岸とは見做しません。そこを見越して、年々長いロープを用意する船が増えてますね』
『わかりやすく桟橋から離れてはいけないという規定ではダメなのでしょうか?』
『そこは毎年説明してますが、多くの船は右側を桟橋に着けるため、停泊場所によっては出口に船尾を向けることになります。そういう船が不利にならないように、何かが岸とつながっていれば良いという規定に落ち着いたんですね』
『なるほど。しかしそれでは、そのうち五キロぐらいあるロープが出てくるかもしれませんね。あはは』
今はまだ冗談で済んでるらしい。
その映像に、大きな数字が現れた。それがカウントダウンしていく。
『レース開始です!』
数字がゼロになった。
と同時に港のあちこちの空に白い煙が生まれ、パンパンといくつもの号砲が鳴り響いた。
「若さ……いえ、船長。出港の合図を」
アオバがうながした。
「ふむ。では、華駿号、出港してください」
「航海長。進路の指示は?」
ユイウェンの号令に続いて、ショーコが舵輪を握りながら尋ねる。
ちなみに操舵席にはジョイスティック型の操船設備もあるが、立って操舵輪を使うのはショーコの好みだろう。操舵輪が操舵席の横にあるのも、急ごしらえで付け足したからだろう。本来の操舵は、あくまでジョイスティック型の方だと思われる。
「安徽水道を抜けるまでは一本道ですよ。指示、要りますか?」
「他の船と衝突しないように……よ。指示がないなら、あたしが勝手にやるけど」
「衝突? それは、しないように……」
リンシアはショーコが何を言いたいのかわかってなかった。それにアオバが、
「あはは。リンシアくん。この船はAI任せの自動操舵じゃないから、ある程度の指示は出してくれ。最低限、進路を東寄りか中央寄りかぐらいは頼むよ」
と笑いながら注意する。
「ところでアオバ先生。この船の経済速度は、他の船と比べて高い方ですか?」
「高い方だ。加速性能や運動性など、今のうちに試してみてもいいぞ」
アオバがそんな助言をする。
「では、港を横切る形になりますけど、東に……」
「緊急事態発生! 魚雷の発射を確認しました!」
リンシアが指示を出そうとした時、シャンがそういうことを伝えてきた。