第1話 港で迷子の航海士
海洋モノというだけで「海洋モノは売れない」というジンクスを言われて企画を読んでもらえなかった作品。
どうしても書きたくて書いてはみたものの、第1章を書き上げたら、そのまま第2章途中で満足してそのまま放置してしまいました。
取り敢えず、書き上がってる1章分だけを4分割して公開します。
「アオバ先生。本当に来るんですか? この海洋クラスにウワサのアイドル航海士が編入だなんて……」
船から港の施設を見ながら、短い黒髪の少女がぼやくように尋ねた。
少女がいるのは、船橋の横に設けられた屋根のある見張り台だ。
少女の肌は日焼けなのか、みごとなほどの褐色をしている。服装はショートパンツに袖のないTシャツ。そして頭には小さめのひさしのサンバイザーだ。
「来るよ。さっき港前の駅まで来てタクシーに乗ったって連絡があったから、そろそろ着いてもいい頃じゃないかな?」
答える青年は、細身で色白だった。しかもボサボサの髪にメガネ。胸に『技術魂』と書かれたTシャツ。その上に油で汚れたシワクチャの白衣を羽織って、袖を数回折ってまくっている。あまり船という場所には似つかわしくない風体だ。
「駅? 列車で来たの? たしか昨日は船で来るって言ってなかった?」
「その船なら、昨日、武漢に入ったんだ」
「武漢? こっちに入ればいいのに、あっちに何か用があったのかな?」
「違う、違う。これからティー・レースが始まるからね。参加しない船は三日前から南昌へは入港できないんだ。それで仕方なく北の武漢に上陸して、そこからは陸路でってワケさ」
青年が白衣の胸ポケットに付けた細長いものに触れた。そこから空中にキーボードとモニターが投じられ、操作すると横に大きな地図が投じられて港や道路などの情報が重ねていく。
「さて、今はどこにいるのかな?」
空中に浮かんだ地図に、赤い点が描かれた。
「アオバ先生。それ、彼女の位置情報?」
「そうだよ。途中で何かあった時に困るからね。到着するまでの期間限定で、位置情報と移動ログが送られてきてるんだ」
「ふ〜ん」
少女が地図を見ながら、気のない相槌を打つ。
「それにしても、よくアイドル航海士なんか編入できたわね。それも彗星のごとく現れた人気アイドルよ。よく芸能事務所が許したわね」
「そりゃあショーコくんと同じ事務所だからね。それに同じ学園の生徒だ。どちらもタオ財閥が出資してるから、財閥が無理を言えば逆らえないさ」
「同じ事務所?」
「きみの後輩だよ。あとからぽっと出の新人の方が売れて気に喰わないかな?」
青年教師──アオバが茶化すように言ってきた。それに少女──ショーコが、
「あたしは芸能活動なんかしようと思ってないので、何とも思いません」
と言い返して、不愉快そうな表情を浮かべてぷいっと横を向く。
そのショーコが横目で地図を見て、
「ところでさ。その子、まさか航海士なのに方向オンチじゃないよね?」
なんてことを言い出した。
「あ〜、たまにいるらしいねぇ。陸では建物なんかがあって目的地までまっすぐ行けないから、道を何回か曲がったところで方向感覚が狂う船乗りとか……」
「先生、それはただの都市伝説だから……」
ショーコがツッコんで、地図全体を見渡す。
「あれ? この地図、なんかおかしくない?」
ショーコが地図に違和感を覚えた。
「この船、陸に乗り上げてる扱いになってるけど……」
気づいたのは、自分の居場所表示が間違ってる点だ。
「あ、そうか。今日はこのあたりのGPSが乱れるって注意が流れてたっけ……」
「GPSが乱れる?」
「ほら、先週大西洋であった隕石の空中爆発で、上空にある気球が三つも壊されたニュースがあっただろう。それで気球の足りない地域が、今、このあたりに来てるんだよ」
「このあたりに? あれで問題になったのって、ヨーロッパだけじゃなかったの?」
「おいおい。気球は風に乗って、常に地球をまわってるんだぞ」
今度はアオバがツッコむ番だった。
「いいかい。地球の空には高度八〇キロのところに約一二〇〇個の気球が浮かんでるんだ。気象観測、通信、GPS、隕石監視などをする多目的気球だ。それが空に……」
「ああ〜、そういう難しい話はいいわ。要するに今、気球が足りないのね」
ショーコがイヤそうに解説をさえぎった。
「ショーコくん。これは一般常識だよ。社会のテストでも出る……」
「はい。わかりました。あとで勉強しますから、それよりも迷子の航海士の話に……」
ショーコが調子いいことを言ってお説教から逃げる。そんなショーコが、
「それでアイドル航海士は、今、どこにいるんですか?」
と、アオバの注意を空中に地図に向けようとした。
「う〜ん、どこだろうねぇ? ログもGPS情報で書かれてるから、まったくアテにならないなあ」
アオバはショーコの思惑とは違い、地図ではなくログに目を向けている。
「……あれ? 港に入ったところで、いきなり逆方向に走ってないか? もしかして今は、あの岬の向こう……かな?」
アオバが地図でだいたいの位置を予測してから、広い港を見渡した。
今、二人の乗る船は、埠頭からかなり突き出した浮き桟橋につながれている。
けっこう大型で、四本のマストがある帆船のような見た目だ。マスト一つにつき二枚の三角形の帆を扇子のように張る縦帆型で、今は最後尾の一枚を除いて帆は折りたたまれている。そこに張られている帆は緑色で、上は三〇度ほどの角度で開く二等辺三角形。下は正三角形で中央に黄色い『桃』の字が書かれていた。
その船に今、コンテナが積み込まれている。
浮き桟橋には二本のレールが敷かれ、同時に二編成が入ってこれるようになっていた。今、そのうち二人のいる船の側に、コンテナ貨物が止まっている。
コンテナ貨車は四〇輌以上ある長い編成だ。貨物車一輌につき標準サイズのコンテナが前後二つずつ二段重ねで四つ積まれている。
それを船の甲板にあるクレーン──というよりは、先端に四本指のあるアームが伸びてコンテナをつかみ、一つずつ船倉へ積み込んでいる。同時に動いてるアームは三台だ。すでに空荷になった貨物は桟橋の沖の方へ移動している。
ちなみに船の長さはコンテナ車一三〜四輌ほど。貨車一輌の長さは一五メートル弱なので、二〇〇メートル近い長さがあるようだ。
二人は見張り台から、甲板の積み込み作業を見ている。
同じ桟橋の反対側には、側面に大きく『Silvania』と赤く書かれた白い双胴貨物船が泊まっていた。そちらはコンテナ貨車二〇輌ほどの長さなので、船の長さは三〇〇メートルには届かないほどか。細長い二つの船体に渡された甲板の幅は、二人の乗る船の倍はある。そこに積まれたコンテナは、すでに甲板の半分を埋めていた。
ただし、二人のいる見張り台よりも高く積まれたコンテナはない。そのため隣の船越しに港の様子を見渡すことができた。
「あの岬って、五キロぐらい離れてますよ。ホントに港には来てるの?」
「彼女のログが間違ってなければ港へは入ったはずなんだが……。GSPが乱れまくってて、さっぱりわからないよ」
「もう……。ホントに今、どこにいるのよ。迷子のアイドル航海士……」
ショーコが手すりをつかんで、身を乗り出すように港を見渡す。
とにかく広い港だ。あちこちに連なった山があり、それが海に突き出して岬になっている。港ではそのふもとに倉庫や岸壁を作り、船を泊める浮き桟橋も無数に用意していた。
◆◇◆◇◆
その二人が待ちわびるアイドル航海士は、
「地図にない山が生えてます……」
空中に浮かべた地図と見比べながら、埠頭で倉庫の後ろにある山を見上げていた。黒髪でやや小柄な少女だ。首に巻いたチョーカーのベルトは細めだが、前の方に太めのプレートのようなものが付いている。
「なんて冗談を言ってる場合じゃありません。まずは現在位置を把握しないと……」
そう零す彼女の後ろで車が進入禁止の柵にぶつかって事故っている。
「やっぱりGPSが乱れてますね。まったく違う場所の地図を出してます。このせいで無人タクシーが暴走したのでしょうかねぇ?」
少女が空中に浮かべた地図の、表示する範囲を広げた。そして、
「いきなり逆方向に走って事故りましたから、おそらく本当の場所は……」
などと言いながら、目の前にある浮き桟橋へ降りていく。
その桟橋には船は泊まってなかった。だからこそ見晴らしが良いため、それで現在位置を割り出そうとしたのだろう。
「あ、その前に……」
少女が地図の横に浮かんだ小さなモニターに触れて、新しいモニターを切り替えた。そこに現れた名簿を選んで『通話』を選ぶ。電話だ。
「あ、アオバ先生ですか? リンシアです」
すぐに相手が出た。
「すみません。乗った無人タクシーが暴走したみたいで、いったいどこへ連れてこられたのか……」
少女──リンシアが、通話をしながら浮き桟橋の先の方へ歩いていく。
「ええ、GPS……、乱れてますよねぇ。おかげで現在地がわからなくて、今、地図を見ながら……」
──ウゥゥゥ〜〜〜〜〜……
突然、サイレンが鳴り出した。電話の向こうからも聞こえてくる。
『隕石警報、隕石警報。当港北東側に隕石が落ちてきます。その前に空中爆発する恐れがありますので、急いでお近くの退避壕へ避難してください。繰り返します。当港北東側に隕石が……』
「隕石警報?」
驚いたリンシアが、ほとんど条件反射的に空を見上げた。
「落ちてくるなら、たぶん西から……」
青い空の中に白くて大きな円弧──リングが見えている。そのリングに沿って、視線を右の方へ向けようとした。そこへ電話の向こうから、
『リンシアくん。早く逃げるんだ!』
アオバが注意してきた。それで地上に目を落としたリンシアが、
「そうでした! 早く退避壕を探さないと……」
浮き桟橋を陸に向かって駆け戻っていく。一応、浮き桟橋にも退避壕はあるが、リンシアは敢えて無視していた。駆け込もうとする退避壕は、立ち並ぶ倉庫のあたりあるものだ。ところが、
「ウソ! 逃げ場が……」
桟橋と倉庫群の間に長い貨物列車が入ってきた。しかも隕石災害が起きる前に、緊急停車させようとしている。四〇輌以上あるコンテナ貨物の編成だった。あまりにも長いため、倉庫群の前に巨大な壁が現れたようなものである。
「うわぁ、来ましたぁ!」
立ち往生するリンシアが、空に光を見つけた。それが急速に輝きを強め、オレンジ色から白へと変わっていく。と同時に白い煙のような航跡を残しながら、港の上を通りすぎようとしている。
それを見上げるリンシアの背後では、貨物列車がギイギイとエアブレーキの音を上げながら、早く止まろうとしていた。
次の瞬間、空が強く輝いた。隕石が空中爆発したのだ。
それを見上げるリンシアは、そのままの恰好で固まっている。次に何をすればいいのかわからなくなり、頭が真っ白になってるのだろう。
そこへ、
「バカ! すぐ伏せるんだ!」
と叫んで、貨物列車から誰かが飛び降りてきた。貨車のデッキに乗って港を移動してた船乗りのようだ。帽子を深くかぶり、上着の青い制服を着ている。
「え?」
リンシアが腰の引けた恰好のまま男を見る。その男が、
「飛ばされて、貨車に轢かれたいのか?」
リンシアに抱きつき、その場で押し倒した。
「ええ〜?」
地面に倒されたリンシアが、目を丸くする。その直後、
──ドドォ〜〜〜〜〜ン……
爆発の衝撃波が襲ってきた。
「うく……」
リンシアが地面に押しつけられて、肺から息を押し出された。体を地面に押さえ込まれたまま、貨車の方へ動かされる感覚がわかる。
あのまま立っていたら、爆風で貨車にぶつけられていた。最悪、そのまま轢かれていたかもしれない。
その貨車は爆風に押されて、海側の車輪が浮き上がってるのが見える。このまま爆風に押されてあの下へ飛ばされたら一巻の終わりだ。
──ザッバァ〜ン……
爆風の次は津波が襲ってきた。
「まずい!」
リンシアを抱える男の口から、そんな言葉が漏れる。
二人は波にさらわれた。爆風で起こされた津波だ。
波に流され、車輪の浮いた貨物の方へ流されている。最悪の状況だ。だが、
──ガゴゴゴゴ……
流される二人の耳に、重い金属が次々と落ちる音が聞こえてきた。浮いていた車輪がレールに戻った音だ。
それによって波の流れが変わった。車輪と車輪の間はカバーで覆われているため、それで水が堰き止められたのだ。そのカバーに男の背中が当たった。そのまま水圧でカバーに押しつけられ、身動きが取れなくなる。
「ガンバって頭を上げろ! 溺れるぞ」
「がはっ!」
何とか水から顔が出て、息ができた。水の深さは三〇センチほど。流れが強いため、立っていても水圧で思うように動けない深さだ。まして倒れたところを水に呑まれたのだ。耐えてないと水圧で呑まれてしまいそうだ。起き上がる余裕もない。
その水圧が不意に弱くなった。それがすぐに引っ張るような流れになる。陸に押し寄せた津波が海へ帰っていく引き波だ。
「もう少しの辛抱だ。あきらめるんじゃねーぞ」
男がコンテナ車のデッキに登るステップに左腕を引っかけた。そして右腕でしっかりとリンシアを抱えたまま、引き波に耐えている。リンシアも男にしがみつき、波に流されないように必死だ。
その引き波も少しずつ浅くなってきた。流れは速いままでも、リンシアの力だけでも耐えられるぐらいになってきている。
「もう大丈夫……ですかね?」
リンシアが男にしがみついていた力をゆるめた。まだ気を許したら流れに呑まれそうだが、男は今もしっかりと抱きとめてくれている。その男がリンシアを片手で抱えたまま立ち上がると、水の深さは、たったの二〇センチほどだった。
そこで男が腕の力を弱め、リンシアを解放してくれる。
「ふぅ〜。どうにか無事みたいって……。え? リンシアちゃん?」
それでリンシアを見た男が、その場でマヌケな顔になった。
先ほどの波で帽子が流されたのだろう。その下の顔はけっこう若い。
「はい? そうですけど……」
リンシアには、相手に見覚えはなかった。
「え? 本物の茉鈴夏ちゃん? もしかして、きみもティー・レースに参加するのかい?」
「そう……ですけど……」
リンシアには相手が何を興奮してるのかわからなかった。
命の恩人なのに、危ない人を見る目になっている。
その様子を見て我に返った男が、
「あ、いきなりゴメンね。ぼく、きみの大ファンだったから、つい……」
なんて言ってきた。
「ファン? どういうこと……です?」
リンシアの態度が、更に警戒するものに変わった。男との距離が三メートルに開いている。それに男の方も、
「え? どういうことって……」
反応が予想外だったのか、戸惑った感じになっていた。
「ほら、きみは科学界のアイドルで、最近も曲を出したじゃないか」
「……曲……ですかぁ?」
リンシアの警戒度が跳ね上がった。男との距離が五メートルに広がる。
それを見た男が胸ポケットに入れた機械に触れ、
「これこれ。先週出た『恋する微分方程式』。これも、いい曲だよねぇ〜。恋する気持ちは非線形〜、答えの出ない特異点〜って……」
と、歌を口ずさみながら自己弁護するように語ってきた。モニターもリンシアに見せるために大きめに拡大している。
そこには曲のタイトルとリンシアの名前を漢字とアルファベットで書いた文字と一緒に、いかにもアイドル風の衣装で着飾ったリンシアが映っている。
「……な、なんですかぁ〜、これはぁ〜?」
リンシアが大声を上げて駆け戻ってきた。
「こんなもの知りませんよ。……と言いますか、誰ですかぁ? こんなものを勝手に作ったのはぁ?」
リンシアが空中に浮かべた映像を、喰い入るように見ている。
そんなリンシアの横に、もう一つの映像が浮かべられた。そこでは歌いながら、キレッキレのダンスをするリンシアの映像が流れている。
「このダンス、すごいよね。これ、本当に踊ってるんだよね? これをサンプリングなしでCGを作れるクリエーターはいないってウワサが流れてるんだけど、まったく身に覚えがないのかい?」
リンシアが踊る映像を指差して、男がそんなことを聞いてきた。だが、
「えっと、すみません。何を聞かれてるのかわかりません」
リンシアには状況整理が必要だった。どうして自分が歌って踊るような映像が出まわっているのか、そこからわかってないみたいだ。
だが、男はリンシアが何に引っかかってるのかわからず、
「デビュー曲のダンスもすごいよね。ネットで濃いファンが解析したんだけどさ。二つとも衣装の動きとかが自然で、AIで作ったCGの動きとは明らかに違うそうなんだ。もしもAIに作らせたものだとしたら、それぞれ数百枚の静止画か、三分程度の動画でモデリングされてるはずって言われてるだけど、衣装を着て撮影した心当たりはないかな?」
などと熱く語りながら、デビュー曲の方の映像も空中に浮かべてくる。
まるで解析した濃いファンが、この男だと疑いたくなるほどの物言いだ。
「撮影の心当たり……ですかぁ? ……あ……」
リンシアの脳裏に、ある日のできごとが浮かんできた。
『お誕生日おめでとう。リンシアちゃん。ボクからのプレゼントだよ』
それはリンシアの誕生日だ。
時は二月。お世話になっている知り合いの家でのできごとだ。
『ありがとうございます。ルー教授。この紙袋、服ですか?』
『その通りだよ。リンシアちゃんも一六歳だ。勉強ばかりで家にこもってないで、少しはオシャレして街に買い物に出て欲しいと思ってね』
『あはは、お心遣い、うれしいです。見ていいですか?』
『できれば着て見せてくれないか。サイズは大丈夫かな? まだ成長期じゃないよね?』
『いつまで成長するんでしょうね? できれば成長して欲しいところが……あわわ……』
つい余計なことを口走ったリンシアが、慌てて口を押さえる。
そのリンシアが袋を開けて、中から服を出した。それを広げたところで、表情が少し凍りついたようになる。
『可愛い服だろう。リンシアちゃんに似合うと思って……』
『ルー教授。これはお出かけ用じゃないですよ……』
どう見てもフリフリの多いアイドルの衣装だった。さすがにこれを着てお買い物は恥ずかしすぎる。
『違ったのかい? 街にある写真を見て、ああいう可愛い服がリンシアちゃんには似合うと思って、似たような感じのものを二つ買ってみたんだけど……』
『イヤですよぉ、ルー教授。あれはアイドルの写真で、あたしたちがお出かけで着るものとは違うんです』
『そうだったのかい? てっきり今どきの若い子の流行だとばかり……』
『あはは、ルー教授、世間知らずですよ』
『いかんなあ。世情にうとくて、若い子の流行がわかってないなあ』
ルー教授が照れ笑いしながら、自分の額をペシペシとたたいた。
『せっかく買ったんだ。その恰好で出かけろとは言わんが、着て見せてくれないか』
『はい。そのぐらいならいいですよ。着替えてきますね』
そう断ったリンシアが、自室に戻って渡された服に着替えた。普通であればまず着ない服だけに、なんとなく着てみると自分が別人に変身したみたいで気持ちが高まってくる。
とはいえ、
『ルー教授、これはもう完全にアイドルの衣装ですよ。これを着て家から出るだけでも恥ずかしすぎます』
さすがに衣装を着て人前に出る度胸はなかった。
『そうかあ。だが思った通り、可愛いなあ。せっかくだから、記念に撮っておこう』
『ルー教授、アイドルの撮影会じゃありませんよぉ……』
などとツッコみつつも、白壁を背景にカメラの前でポーズを取ってみせる。
身内だけなら恥も外聞もない。となれば教授の言う「せっかく」のノリで、今の状況を楽しんでみた。
『いいね、いいね。そこで、くるっと回ってみてくれ。次は右手を上げて』
教授もノッてきて、ポーズに注文をつけてきた。リンシアも、
『アイドルのダンスって、こんな感じでしたかね?』
教授以上に空気に乗せられて、怪しいキレキレダンスを始める。
たぶんその場のノリだけで適当に踊ったのだろう。おそらく再現不可能だ。だが、これがキレッキレなダンスの誕生である。
心地よい疲れで、頭がハイになってくる。そのため二着目の衣装を着た時には、更にハイになった気分で奇妙なダンスを披露していた。
『あ〜、堪能した。ありがとう、リンシアちゃん。もう十分に満足できたよ』
『どういたしましてぇ。あ〜、疲れました。もう動けません……』
その日のお誕生会は、そのまま二着目の衣装を着たまま祝ってもらった。
回想終了……。
「……あ、あれです……。世間知らずは、あたしの方でした……。大人って怖いです」
若気の至りだった。
話を聞いていた男は、それになんと声をかければいいのか困っている。
そんな二人の横を、アンドロイドの鉄道作業員が貨車の下を覗き込みながら通りすぎていく。運行再開を前に、車輪を一つずつ目視で確かめて脱線がないかを見てるのだ。
「あの腐れ学者……」
リンシアの口を衝いて、そんな呪いの言葉が出てきた。
「リンシアちゃん。その学者さんって……」
「あ、失礼しました。あたしの父の古くから親友で、父が仕事でいない時、お世話になってる大学の先生なんです」
「じゃなくて、たしか地球圏物理学の重鎮、陸海空博士……だよね?」
「あ……、そうです……。よくご存知で……」
リンシアが毒気を抜かれたような顔で、聞き直した男を見る。
「ファンにとっては基本常識だからね」
「……あの、ファンと言われましても……」
リンシアの態度が、再び警戒するものに変わった。男との距離がまた三メートルに開いている。そんな態度を見た男が、
「ところでリンシアちゃん。きみは、どうしてここにいるんだい? もしかして、きみもティーレースに参加するのかな?」
と話題を変えてきた。今はアイドルの件は避けた方がいいと察したようだ。
「そうみたいです。今日の昼までに青山埠頭に泊めてある『華駿号』に乗るようにと言われてまして……」
「昼って、レース開始予定時刻じゃないか。まるで軍隊上がりのフリー航海士みたいな受け方をするね」
「なんですか? そのピンポイントなたとえは?」
リンシアは今の物言いを聞いて、それが男自身のことだと直感した。
「違いますよ。希望してた海洋クラスがようやく発足するので、早く合流したくて港まで戻ってきちゃいました。最初の予定では太平洋上で邂逅できた時に乗り込むって手はずだったんですけど、ギリギリで時間に間に合いそうだったので……」
「洋上で邂逅? じゃあ、最近まで他の船に乗ってたのかい?」
「はい。昨日まで学園の持つ海洋調査船に乗せてもらってたんです。航海士資格を持つ学生があたしだけだったので、学園側もありがたがってくださいました」
今の言葉に、今度は男の方が何かに感づいたようだ。その男の目が、浮かべたままになっていた科学界のアイドルをしているリンシアの映像に向く。
「その船には、いつから乗ってたの?」
「春です。出港したのは三月の……二九日あたり……でしたかね?」
リンシアがそう答えながら、チョーカーに付いたプレートに触れる。携帯する情報端末の本体なのだろう。空中にモニターとキーボードが現れ、正確な日付を確認する。
「デビューの前日……ね」
男が感づいた裏事情が、今の話で補強された。それにリンシアも、
「調査船に乗るように進めてくれたのって、ルー教授……なんですよねぇ。学園の持つ調査船なので、融通を利かせてくれたと思ってたのですが……」
こっそりとデビューさせるためにハメられたことに気づいた。あまりのことに茫然自失している。
──ブォォォ〜ン……
その時、コンテナ貨物を牽く機関車が汽笛信号を鳴らしてきた。
『異常なぁ〜し。貨物が動くぞぉ〜。乗るヤツは急げぇ〜』
車掌が大きな声で報せてきた。それを聞いた男が、
「リンシアちゃん。そういえば乗る船は、青山埠頭に泊まってるって言ってたよね?」
と声をかけてくる。
「はい。そうですけど……」
「ぼくの目的地も同じ青山埠頭だから、一緒に行くかい? この貨物、ぼくの乗る貨物船に積み込むものなんだよ」
と言って、貨物車の横にある行き先プレートを示す。そこには漢字とアルファベットで、行き先と積み込む船名が書かれていた。
「いいんですか?」
「いいも何も、港湾鉄道は船乗りが移動するためのものだろ」
──ピィィィ〜……
先頭の機関車が、今度は甲高い汽笛を鳴らしてきた。出発の合図だ。
──ガチャガチャガチャ……
機関車が動き始めると、前の方から金属のぶつかり合う音が近づいてくる。
「あぁ〜、帽子を流されたが……探してる暇はないか」
男が帽子を失くしたのに気づいた。その男が、
「仕方ない。さあ、行こうか」
先にステップを駆け上がって、リンシアに手を伸ばしてくる。
「さあ、早く!」
「はい!」
リンシアが男の手をつかんでコンテナ貨物にある作業用デッキに乗り込んだ。
直後、二人の乗る貨車がガチャンと揺れて、ゆっくりと動き出した。
「脱線の見落としはなかったみたいだね」
貨物列車は加速せず、しばらく徐行を続けていた。何かあった時、すぐに止まるためだろう。それに対応するためだろう。アンドロイドの鉄道員が、乗り込まずに編成の横を歩いている。
「青山埠頭まで、どのくらいですかね?」
「あの山の向こうだよ。ここからだと隕石クレーターの反対側だ」
男の指す小山の先にも埠頭が作られている。その小山は隕石によって作られた外輪山の一部のようだ。
港湾鉄道は、その山の右をまわるように伸びている。
リンシアは横に顔を出して、港の様子を見ていた。
──ピピィ〜〜〜〜〜……
また機関車が警笛を鳴らした。それを合図に、周りを歩いていたアンドロイド作業員たちが駆け寄って貨車のデッキに乗り込んでいく。それで全員が乗ったかどうかを確かめるでもなく、貨車は徐々に速度を上げていった。