豊滝
「じゃあ行って来ます」
夕食を済ませると、清悠はケースに収めた天体望遠鏡を担いでいそいそと出かけて行った。
ボクは食器洗いをさせてもらうことにした。それなら家でもやってるし、できるから。
「ありがとう正道君。清悠はあの通りマイペースな子なのよ。正道君は普段この時間て、どんなことをしてるの」食器を片付けながら綾子お母さんがそう尋ねてくれた。
「ボクは家だと、タブレットでYouTubeとか見たりしてます」
妹と一緒に、好きなチャンネルを見て盛り上がる。
「タブレットならあるわ。へえ、YouTubeって面白いの」
そう言うと綾子お母さんは「こっちこっち」とボクを居間に連れて来た。
それから、ボクは綾子お母さんと一緒にボクの好きなチャンネルの動画を見て、大笑いして盛り上がった。
「あー、こんなの初めて見たわ。面白いねえ」と綾子お母さんが言う。
「清悠はいつも、何してるんですか」
「そうねえ、清悠はテレビもあまり見ないわねえ。とにかく天体が好きで、縁側や庭に望遠鏡を持ち出したり境内の方まで行ってるときもある。ついでにクワガタ捕まえて来たりね」
そんな清悠もなんか面白い。
その後ボクがお風呂に入って部屋に戻ったら、ちょうど清悠が帰って来た。
まだ制服のまま望遠鏡を担いでるから、この縁側の部屋に直行したらしい。
「おかえり。土星はよく見えた」
「ああ美しかったぞ。正道、お前も見てみろ」
そう言うと彼は望遠鏡のケースを縁側に降ろしてパーツを取り出すと、早速組み立て始めた。
今帰宅したばかりだというのに、今夜の観測がよほど感動的だったのだろうか。
「わざわざまた組み立てるの」
「今朝、見たいって言ってたろ。俺の部屋よりここの方が、今は方向的によく見えるんだ」
こちらも見ずに清悠は言って、もう組み立てを終えると縁側のガラス扉を次々と引き開けた。
「ほら、こっち来いよ」
裸足で庭に降りて、望遠鏡をそっと縁側から庭に下ろすと清悠はボクを呼んだ。
ボクもつられて裸足のまま庭に降りると、望遠鏡のそばで片膝をついて倍率を合わせている清悠の隣に並んだ。
「ここを覗いてみ」
そう言われて目の前のレンズを覗いた。
うわあ土星だ。
そこには可愛らしく、くっきりとした土星とその輪がちゃんと見える。
「輪がとても綺麗だねえ。それに可愛いね土星って」
「正道、可愛いって……、まあな。個性的だし、俺は土星が好きだ」
清悠はボクの可愛いって言葉に反応してクスッと笑った。そうか、男子のはずのボクがつい綺麗とか、可愛いとか言ってしまったから。
しばらく土星を鑑賞し、月を眺め、それから夕方の話の続きを清悠は話し始めた。
「俺、つまり豊滝と正道はさ、平安時代をともに生きた親友なんだ」
天体望遠鏡の前でボクはうなづいた。
「俺は天文や方位学を司り、折々の祈祷も執り行う立場の三門家に生まれて、正道は織戸という公家の家に生まれた。正道の兄の病を癒すための祈祷に、父親の供で俺も同行したことがきっかけで、親しくなった」
ふむ、なるほど。
「年が近いから遊び仲間でもあったが、正道には不思議な力があった。神官でもないのに妖魔が見えたんだ。はっきりした形に見えたり、黒く煙のように見えたりするらしい。俺がともに訪れた時、兄に取り付いていた病魔は俺の姿を見た途端、ひどく怯えたと言っていた」
「すごいね正道って。霊感があったの」
「そうなんだ。妖魔が俺に怯えることは承知していた。俺には取り付いた妖魔を祓うだけでなく、術で懲らしめたり滅する力があるからだ。おのれ豊滝めが、と妖魔は毒づいて、その声をそばに居た正道も聴いた」
そうか、二人には妖魔が見えるという共通点があって、しかも正道は豊滝の力を目の当たりにした。
あまり他人には言えない感じの能力を持つ二人が、とても親しくなったのはわかる。
「しかも間近で妖魔の声を聴きながら、正道は毛ほども動じなかった。肝が座っているのさ」
正道ってすごい勇敢な親友だったんだね。
彼のことを話す清悠の口調が熱を帯びているもの。
「正道は弓も達者で、妖魔退治で俺を助けてくれたこともある。普通の矢で妖魔にダメージを与えることはできないんだけど、正道が射ると妖魔を射抜くんだ」
「不思議、どうしてなんだろうね」
昨日ボクが妖魔を矢で射た時は、その力が働いたんだ。
ボクの能力は正道の持つ力、なんだね。
「もっともっと昔の過去生で、正道は神官だったのかも知れないな。それに正道には妖魔が寄り付かなかった。多分俺とは全く違う理由で」
「どんな理由」
そうボクが聞くと、清悠は少し目を伏せて懐かしむように言った。
「きっと正道の気性のせいだろう。あいつはその名の通り、心正しく朗らかでとても優しい男だったから」
清悠は、いや豊滝は正道のことが大好きだったんだなあ。
豊滝の生まれ変わりだという清悠だっていい奴だけどな、ちょっと意地悪してくるけどさ。
そう思った時、清悠が言った。
「でも、俺の目の前で正道は死んだ。ある強い妖魔から俺を助けるために、無茶をして」
「え」
「ちょうど今の姿で、数え十七だった」
そう言うと清悠はボクの顔をじっと見つめた。
その目が少し遠くを見るように夜の庭の淡い光を映して、彼は少し寂しそうに小さく言った。
「俺を思い出さないか、正道。邸の縁で、よくこうして話しただろう。見忘れたか。いや、俺のことなど思い出したくもないのか。だから俺がいくら呼んでも、お前は俺を豊滝とは呼ばないのか」
あれ、口調が違う。
妙だな、とボクは思った。
さっきまでの清悠じゃない。姿は清悠だけど、まとっている空気が違う。
月明かりの下でボクを見る、奥二重の切れ長な上がり目。
その顔が大人びて寂しげで、これまで感じたことがない胸騒ぎを覚えた。
強く強く惹きつけられてずっと見ていたいような、それでいて目を合わせることさえ恥ずかしくて困ってしまうような。
そうだ、色っぽいって言えばいいのか。
それになんかちょっと大人っぽい、いい香りがする。
変だ、今ボクが見ているのは、きっと清悠じゃない。違う人だ。
これが、三門豊滝なの。
そうだ、きっとそうだ。
その妖しい雰囲気に呑まれそうな気がして、ボクはあえて力強く言葉を返した。
「そんなことがあったの。でもボクは今こうして生きてる。中身は違っても、ボクだって何かできたらと思ってる。ボクにできることはさせてよ。何が解決の糸口になるかわからないんだからさ、ね、清悠」
感じが違う。
だけど清悠って、わざと呼んでみた。
ボクのその言葉を聞いた清悠が、急に我に返ったように瞬きをして、それから言った。
「ん、ああそうだな。じゃあこの週末は、思いつくことを色々やってみよう」
あ、また空気が変わった。
これはボクが知ってる感じ、清悠だ。
あの不思議な香りも、もう消えてる。
さっきまでの、目も合わせられないくらいの胸の高鳴りから解放されて、ボクは心底ホッとしていた。