超異質との対決
「とりあえずこんなとこで」
清悠が着替えを一揃いボクに渡してくれた。
白地に淡いブルーのペンシルストライプのシャツ、ブルーのジーンズ、ブルーに白ボーダーのスニーカー用ソックス。
「ありがとう、借りるね。じゃあ着替えるよ」
「俺は隣の部屋にいるから、合わないとかあったら呼べよ」
そしてボクは顎で結わえていた紐を解いて黒い帽子を脱ぎ、狩衣姿から現代人の服装に着替え始めた。
しかしすぐに問題発生。
とても肝心なものが不足してます。
この織戸正道って人、そもそもパンツを履いてなくない。
これが平安人ってもの、それとも正道がそういう人なの。
でもボクは無理、落ち着かない。
このままじゃ、パンツなしとか絶対に無理。
うん。
うん、だからこの件は清悠に言うしかない。
もうすっごく言いにくいけどそうするしか、ないよ、ね。
ボクは脱ぎかけた袴を引き上げて何とか結えつけると、清悠に声を掛けた。
「あのさ、ちょっといいかな」
「ん、サイズ合わなかったか」
「ううん、そうじゃなくて。あのー、正道ってさあ、パンツ、とか履かない人なの」
そう言った途端。
「やばっ、忘れてた。待ってて」
清悠は慌てて部屋を飛び出し、ダンダンっと階段を二階に登って行った。
そして間もなく。
「それ、まっさらの新品だからさ。使って」
控えめな感じで清悠からボクに手渡されたのは、紺に小さな星柄の真新しいボクサーパンツ。
これはまごうことなき男物の下着、しかも清悠用だね。
一瞬だけ固まった。
ええい。
けどでも今のボクにとってはこれが正解、そして必需品ゆえ。
「ありがとう」
ボクは固まりながらもさり気なく答えた。
ボクサーパンツ自体はボクも女子用の持ってるから抵抗ないけど。
でも初めての男物パンツはセンターにある窓口が超異質でリアル。
いや、それよりも対面した自分の体が超異質。
ブラもつけてないじゃん、と思ったら、Aカップながらも存在したオッパイがないし。
ああああ、全てが異質すぎるよー。
暗い窓ガラスに映る織戸正道って人は、やや丸顔にキリッとした顔立ちの少年だ。
同い年なのかなあ、勇ましい感じの顔をしている。
自分で言うと自惚れてるみたいだけど、ボクの顔じゃないし。
客観的に見て美少年と言えるだろう。
スポーツマンぽく引き締まった体付きで、清悠よりも身長は低いから、ジーンズはちょっとロールアップして履いた。
けど164センチある元のボクと、背丈はそう変わらないくらいだ。
清悠のシャツも似合うけど、運動部風の正道はカットソーとかパーカーとか、もっとカジュアルなものの方が似合いそう。
脱いだ帽子の下で結い上げられていた髪が、着替えの最中に解けた。
頭の上で一つに束ねてある正道の髪は、女の子の時のボク本人よりも長い。
ヘアゴムがあるといいんだけどな、あとで清悠に聞いてみよう。
「清悠、できたよ」
ボクは隣の部屋に向かった。
清悠は着替えたボクをまじまじと見て言った。
「へえ、正道の現代の格好、初めてみたよ。不思議だなあ」
「正道って同い年なの」
「いや、二歳年上なんだ。だから今だと高一だね」
この部屋で窓ガラスに映ったボクと清悠は、普通に今を生きる男子の友達同士に見える。
正道の方が年上なのか、じゃあ彼は童顔なんだね。
それからいよいよ夕食に案内された。どうなるボク、緊張だ。
三門家は、三世代同居の五人家族。
清悠のお父さんで宮司の清矩さんとお母さんの綾子さん、一人息子の清悠。
先代の宮司を務めていたお爺さんの清柾さんに、本当はお婆さんのテルイさんも同居しているけれど、今は入院中だと聞いた。
清柾さんの口から、ボクは知人から預かる事になった子供として紹介された。
どうやら清柾さんは、以前にも知人から不登校の子供を託され、しばらく預かっていたことがあるらしい。
そうした清柾さんの実績にあやかり、同じ経緯なんだねというふんわりした空気でボクは迎えられ、ここで仕事のお手伝いをしながら過ごす事になった。
策士の清悠も「じゃあ気が向いたら境内の掃除とかでも、一緒にする」とかボクに言って、一緒にやろうぜ感をじわじわ入れこんで来る。
それからボクの暮らす部屋をどこにしよう、という話になり、母屋の二階の清悠の隣室か、清柾さんの暮らす離れか、最初に来た母屋一階のあの縁側のある和室かという協議になった。
清悠の隣室は心強いけど、あまりにもユイに済まないような。
だって、男子の姿になったという事故から、ユイが憧れている三門清悠と同居、というまさかの事態。
この上さらに隣室なんて近すぎる。
これはユイに悪いんじゃないかという気がした。
清柾さんの離れも素敵なところに違いないけど、正直なところ清悠と離れるのが心細い。
追いかけてきたあの黒い妖怪を思い出したからだ。
結局は、最初に来たあの和室に決まった。
「俺あの縁側気に入ってるから、昼間遊びに行くと思うけど」と清悠。
それは一見、無邪気な言い方で。
だけど何となく彼の目を見ると、その眼差しがまた雄弁に語っていた。
おい、これからのことマジで相談な。必ず早くに解決するぞ、と。
清悠って心の声の圧がすご過ぎる。
本日の、祖父・孫連携プレーの立役者で、ボクの魂が安野一香だと知っている清柾さんは後からそっと、
「あなたの魂は女の子だ。困ることがあれば私に話すといい。本当は、私の連れ合いがいればもっと心強いのだがね」と言ってくれた。
ボクは、ついさっき直面したパンツ問題を思い出して、その言葉に心から頭を下げた。
清柾さん、ありがとうございます。
ボクは心を強く持って一つひとつ乗り越えます。
後から縁側の部屋に、清悠が布団を運んで来てくれた。
この母屋の中を案内してもらって、離れに向かう時に清悠は庭を突っ切って行ったけど、本当はちゃんと母屋と繋がる渡り廊下があると知った。
「面倒なんだ。俺はいつも庭から」と清悠は言った。
「正道君、はいヘアゴム。髪長いんだねえ」
清悠とボクの部屋で話していたら、綾子お母さんが来て茶色と黒のヘアゴムをくれた。
「それとパジャマとか着替えね。タオル類はお風呂場の方にあるから、清悠が教えてあげてね」
「はい、母さん」「ありがとうございます」清悠とボクの声が重なる。
「清悠って家族に話す言葉とか態度とか、すごくちゃんとしてるね」ボクは感心して言った。
「そうかな」
「うちはもっと適当、もっと生意気言ってる。小六の妹がいるけど、ご飯のおかずが気に入らなかったりしてもブーブー言うもんね」
こうなってみると、ボクも中二全開でいつもわがまま言ってばかりだったと思う。
清悠はふふっと小さく笑って言った。
「親が命を慈しみ、捨てずに繋げばこそ、の俺たちだからね」
「え、難しいこと言う」
「正道が生きてた頃はさ、今みたいに医療も発達してないし食べるものも粗末で、子供はバタバタ死んだんだ。生まれた家が貧しければ、産み捨てられたりもしたんだ」
子供を産むことも育てることも、大変なことだったんだね。今も、か。
「清悠って人間できてるね、うん」
「まあ、ほぼ爺さんの受け売り。社家に育つと、子供の成長のお祝い事ってたくさんあるってわかるし、その由来とか聞かされてさ」
「ボクは、清悠のご両親には本当に感謝してるよ。事実をきちんと話せなくてごめんなさい、と思ってる」
「いいんだ正道。これは俺自身が親に秘密にしてることと絡んでるから、半分は俺のせい。お前が謝ることじゃないよ」
二人とも畳の上に並んで座って話していたけど、そう言った清悠が横からボクの頭に手を置いた。
束の間しんみりした、というか微妙にしっとりした空気になった、ような気がした。
でも、清悠は急にスッと立ち上がって言った。
「正道、風呂場案内するから入りなよ」
「うん」
お風呂でボクは再び、パンツ問題を超える全身の異質さに直面した。
オッパイがないってのは、はっきり言って歓迎だけどな。
ボク、ブラジャーって嫌いだったからさ。
でも、メンタルが強化されてきたのか、自分が今は男子なんだってことをポジティブに考えられるようになって来た。
また女子に戻れたら、男子に生まれたかったボクにとって、これは二度とない体験で貴重なギフトだったことになる。
けど万が一、戻れないとしたら。
それはやはり怖いけど、でもこの体を受け入れるしかない。
織戸正道として、男子として生きるんだろう。
その時はそうだ。
もっと弓を極めて、化け物退治だろうが何だろうがしてやるさ。