縁側の平安人
参道脇に落ちていた自分のリュックを拾いあげて拝殿の横を抜ける道を歩いていくと、二階建ての古くて大きな日本家屋がある場所に出た。
ここが三門の実家なの。
目の前には、庭に面した縁側があり、美しいツヤのある木目の上に、臙脂色の座布団が二枚並んで置かれている。
そのそばの円い木のお盆に、お茶か何かの飲みかけらしいグラスが一つだけあった。
読みかけの古びた本が一冊伏せられていて、その背表紙には「今世紀の彗星回帰考察」と書かれていた。
これ三門の本かな。
この場所で読書していた途中のような感じ。
縁側に腰掛けてしばらくの間、庭の向こうにそよぐ竹林のサワサワという音に耳を傾けていると、混乱した気持ちが少しずつ落ち着いてきた。
ユイに向かって三門が鳴らした青い寝付けの銀の鈴。
よく通る音色だった。
あれは催眠術の道具か何かだろうか。
「倉見には忘れてもらう」って言ってたのは、そういう知識を三門が身に付けているってことなの。
ユイは本当にボクと一緒だったことを忘れたようだし。
光の渦で化け物を消し去った呪文に、催眠術に。
三門清悠。あいつ、一体何者なの。
そう考えていたら、当の三門が竹林の道をこちらに向かって歩いて来た。
改めて見る彼の足元は、裸足に雪駄を履いている。
なんか渋い。
白シャツに黒いジーンズ姿の三門は、雪駄を脱ぐと縁側に上がって臙脂の座布団にあぐらをかいた。
こんな感じも歳よりずっと落ち着いて見えて、同い年ぽく見えない。
十歳くらいは上って気がする。
この人、おじさん要素が入ってるのかなあ。
ユイとのさっきの事が気に入らないからってディスってるわけじゃないんだけどさ。
「安野、ほらお前も上がれよ。どう、少し落ち着いたか。矢立も外すといい」
そう言われて、ボクは背負っていた矢の入っている筒型の容器を降ろすと、もう一枚の座布団に座った。
「早かったね、ユイはどうだった」
「ああ。広い通りまで一緒に出たら、もう自分で帰れるからって。しっかりしてたよ」
それを聞いてひとまず安心した。
「問題はむしろお前の方なのに、人の心配するのな」とボクを見て三門は言った。
「だってユイは親友だし」
「そうか、そうだな。親友ならばな」
何かを考えるように三門はそう言って、一人でうなづいた。
「さて、今度はお前のことだけど。その格好で家に帰るわけにはいかないよな、ちょっと待てよ」
そう言うと三門は立ち上がって部屋を出て、四角い物を手にしてまた戻って来た。
「いいか、これを見てみろ」
そして持って来た四角い鏡をボクに手渡した。
そこに映っていたのは。
あごヒモ付きの黒い帽子を被り、しっかりとした眉で黒目がちの顔立ちがはっきりとした、高校生くらいの男子の姿だった。
服装はやっぱりどう見ても平安時代の人みたい。
「これが、わたし」愕然とした。
いや、鏡で見たこの男子はスポーツマンタイプで、正直かっこいい方だと思う。
でも。
これで家に帰ったとして誰もボクだってわかりっこない。
どこから見ても男子で、一ミリもボクとは似ていない。
ショックを受けた。
イチカだよって、ボクがいくら主張したところで、両親からも小六の妹からも、ドッキリはおろか不審者認定されるだけだ。
この三門にしても、よく安野一香だと信じてくれたなあ。
むしろ、信じてくれたことが不思議なくらい。
「そうだ安野。今のお前は俺の昔の親友、織戸正道ってやつの姿になっているんだ」
「織戸正道、それでさっき正道って呼んだの」
「そうだ」
三門はうなづいた。
あれ、でも昔の親友って一体何してる人。
ああ、この格好は。
きっと能とかそういう伝統芸能でも本格的にやっている人、なのかなあ。
「それで安野、その姿なんだけど。元に戻す方法が今のとこ俺にもわからないんだ」
「え、そんな」
嘘、俺がなんとかするって、さっき言わなかったっけ。
「だからお前は、今日中には家に帰れないだろう。でも、お前の身代わりを作ることなら俺がなんとかできる。ここまで理解できるか」
「このままじゃ、家に帰れない。でも身代わりなんて無理でしょ、どうすんの」
ボクはまたパニックしそうになった。
「落ち着いて安野、聞けよ。元のお前の髪の毛を探して、それを一本でいい、俺にくれよ」
「毛を一本て、孫悟空か?それともDNAから再生すんの?」
ボクが言うと、三門は弾けたように笑った。
「ハハハ、あーお前おかしい、遊びじゃないぞ。危機感あるのか。櫛かブラシ持ってないか、そこから一本取ってくれればいい」
「もうひどいっ。そんなに笑わなくていいじゃない。わたし、十分困ってるよっ」
理解が全然追いつかない。
でもボクは自分のリュックを開くと、持っていた小さなヘアブラシに絡んでいた髪を一本見つけて抜き出すと、三門にそれを渡した。
三門は縁側に面した和室の違い棚に置かれていた手文庫から、鋏とサインペンを出してくると、またシャツの胸ポケットから長方形の白い紙を一枚取りだして、それを縦長の二つ折りにした。
そのままそれを鋏で切って広げると人の形をしている。
「お前のフルネームと歳を書けよ。歳は数えで書くから、今の歳に一を足して」と言って、三門はサインペンをくれた。
安野一香、十五歳、とボクは書いてその紙を三門に渡した。
「じゃあいくぞ」
三門はその人型の紙とさっきのボクの髪を合わせて持って目を閉じると、唇を動かして何かを唱えた。
そして目を開くと、フッと三回紙に息を吹きかけた。
「あっ、ボクだ」
縁側に面した夕暮れの庭に、突如として制服姿のボク自身が現れたからだ。
「よし、こいつが身代わり」
三門は言ってちょっと妖しくニンマリした。
目の前のボク、安野一香は大人しく目をパチパチしている。
どこから見ても人間で、ボク本人にしか見えない。
「ねえ、ちゃんと喋ったりご飯食べたりお風呂はいったり、普通の生活できるの」
ボクが小声で疑問をぶつける。
「当然だ、俺が作った人型の式だからな。なあ安野」三門は身代わりのボクに話しかけた。
すると、「なに三門。隣の人は三門の友達、それとも親戚の人なの」と身代わりのボクがちゃんと答えて会話が成立する。
すごい。
「こいつは俺の親友、織戸正道って言うんだ。よろしくな、安野」
三門が身代わりのボクに向かって、今のボクを紹介する。
だからボクも身代わりの自分に向かって「よろしく。えと、安野さん」と、どぎまぎして話しかけた。
あー変なの、今日は変なことばかりでおかしくなりそう。
「安野、もう遅いよ。暗くなる前に家に帰れば」と三門が言うと、
「うん、そうするわ」
身代わりのボクは答えて、縁側に置いたボクのリュックを背負った。
「じゃあ帰る、お邪魔しました。織戸君もまたね」
笑顔でこちらに手を振ると、身代わりはそのままスタスタ歩いて行った。
「何、あれ」
あまりのことにボクはその場で脱力し、縁側に横倒しになった。
「驚いたか。まあ、自分の姿を三次元で見るなんてドッペルゲンガーみたいだもんな。ちょっと休めよ、麦茶でも持ってくるから」
三門は縁側にあった木のお盆を手にすると部屋を出て行った。




