鈴の音の主
「やあっ!」
掛け声をかけて引き絞った弓から矢を放つと、ヒュンッと飛んだ矢が黒犬の化け物に命中した。
うわっ、す、すごい。
「ゴオッ、グアオオウッ!」
ドッとその場に四つ足を折って倒れた黒い化け物は、矢を受けて唸り、苦しんでいるようだ。
「的中、さすがだ正道。このまま封じるぞ」
今度はさっきよりずっとはっきりと、ボクのそばで男の声がした。
え、この声。
「三門」
ボクを呼んだと思った声の主は、あの三門清悠だった。
なぜいるの、助けに来たのか。それにしてもなぜボクを「正道」って呼ぶの。
それに奇妙なのは、ボクは弓なんて持ったことすらない。なのに反射的に体が動いたことだ。
鈴の音とともに突然現れた三門は、疑問だらけのボクの隣で化け物を見据えて何か呪文を唱えている。
そうしながら、手で何度も空を斬るような動作をした。
「リン、ビョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン!」
すると空中に眩しく輝く光の渦が現れた。
その渦は、白い光を放つ謎の文字列の螺旋に変わり、蛇のように化け物に巻きついて締め上げていく。
「グオオオオオオッ、ギャアアアアアアッ!」
またもや化け物が呻いて激しく悶える。
それを見た三門が、白シャツの胸ポケットから一枚の白紙を取り出し空中に掲げた。
うねり輝く光は、その紙に反応したようにピカッと一瞬だけ強く閃き、締め上げた化け物ごとヒューっと紙に向かって吸い込まれていく。
すぐに全てが飛び込んで、跡形もなく消え失せた。
三門が黒いジーンズのバックポケットから、黒い古めかしい手帳を取り出した。
和綴じの手帳の表紙には、金色の線で何かの印が描かれていて、赤い結び紐で閉じてある。
赤い紐を解いて、さっきの化け物を吸い込んだ白い紙を中に挟むと、三門はまた元どおりに紐を結んでジーンズのポケットにしまい込んだ。
「おい正道、大丈夫か」
三門がボクにそう言って、はっと我に返ったボクは拝殿の方を振り返った。
「ボクは大丈夫。そうだ、ユイが」
拝殿の石段の下に、ユイがうつ伏せに倒れているのが見えた。
「待て、正道」
三門がユイの所に行こうとしたボクを引き止めた。
「さっきから正道って呼ぶけどさ、それ誰。わたし、安野一香だから。どういうつもり?」
彼にそう答えて、ボクはやっと気づいた。
通っている中学校の制服ではなく、ボクはいつの間にか着物姿になっていた。
でもそこらで見かけるような着物とは違う。
ゆったりした上着と袴に足元は草履だった。
歴史の資料の絵で見たことがある。
これって、蹴鞠をする平安時代の貴族みたいな格好だ。
左手にはさっきの弓を握ったままだったし、しかもその手がやけに骨っぽくて大きくて、全然ボクの手じゃない。
あれ、そういえば髪も手触りが違うし、頭には帽子を被ってるみたい。
ユイが似合うと言ってくれるから、ボクは髪を伸ばしていて、今日もポニーテールにしていたはずなのに。
えええ、どうして。
明らかに、見た目が元のボクじゃない。
慌てて顔を撫でてみると骨格から違う感じで、肌も触った感じが自分のじゃない。
これは誰の姿なの、でもこれが三門の知ってる「正道」ってやつの姿ってこと。
「お前、安野一香なの。本当にか」
落ち着かないボクを前に、口元に手を当てた三門も驚いた顔でボクをジロジロ見てる。
「そうだよ。そうだけど、今はなんか変。どうして、いつこんな格好になったんだろ」
全くわけがわかんない、困っちゃうけど本当にそうなんだ。
そして三門も黙って考えていたけど、やがてボクに言った。
「落ち着け。まあ待てよ。まずは倉見を帰して、それからだな。とにかく今のお前の見た目は、俺の知ってる安野じゃない。うん、安野一香には見えない。知ってはいるけど別なやつだ」
「どうして、何でこうなったの。三門はわけを知ってるの。あの妖怪のせいなのか、ボクは元に戻れないの」
ボクはさすがにちょっとパニックして、涙目になって来た。
それを見た三門は側に来ると、ボクの両肩に手を置いて顔を覗き優しい口調で言った。
「ほら、落ち着け安野。どう見ても正道だけど、でも安野なんだな。信じるよ。俺が何とかする、だからもう泣くな」
少し首を傾げた三門は、ボクよりもう頭半分くらい背が高かった。
ボクに向かってちょっとだけ微笑んで見せた、やや上がり目のその瞳は青みがかって深い夜空みたい。
そして三門は言った。
「倉見には今のことは忘れてもらう。またパニックするだけだろうし、噂になっても困る。そして安野、とりあえずお前は俺の友達で正道ってことな。いいか、俺と話合わせろよ」
『信じるよ、俺がなんとかする』
三門のその言葉が魔法のようにボクの気持ちを鎮めた。
ボクがうなづくと、二人でユイのそばに向かった。
「大丈夫、ユイ」
ボクが呼んだらユイは目を開けた。
あ、いつもと違う姿でユイって呼ぶのマズかったかな。
驚かせないように気をつけなきゃ。そんな余裕まで生まれた。
三門も屈んでユイに声を掛けた。
「倉見、大丈夫。起きられるか」
「あ、三門君。あれ、私どうしたんだろう」
ゆっくりと体を起こしたユイは、そばで覗き込む三門に気づくと、みるみる頬を染めて恥ずかしそうにした。
三門はすかさず、ジーンズのポケットから鮮やかな青色の根付けがついた小さな銀の鈴を取り出すと、それをユイの目の前で振った。
リーン、と涼やかな懐かしい音が響く。
最初に手水舎のところで微かに聞いた音、そして化け物を前に三門がボクに呼びかけた時のあの音。
それはこの鈴の音だったのか。
この音は、心地いい。
「俺が来た時、倉見は拝殿の前で一人で倒れてた。貧血でも起こしたんじゃないのか。家に知らせて家族に迎えにきてもらうか、それとも俺が送ろうか」
三門は何食わぬ顔でユイにそう言った。
ためらいもなく、「送ろうか」なんてお前は紳士か。
「私、ここに一人で来てたんだね」と小首を傾げて話すユイ。
え、ボクと一緒に来たってこと、覚えてないの。
つい言葉が出そうになったボクを三門が素早く振り返り、一瞬見つめて来た。
その強い眼差しが雄弁に語る。
「話し合わせろ」って、ついさっき俺は言ったよな、と。
うう、そうだった。
ボクはさながら飼い主に戒められた犬のようにおとなしくしていた。
「一人で参拝に来てくれたんだな。本日は、ようこそお参りでした」
そう爽やかに言って、三門はユイに頭を下げた。
こ、この策士め。
ユイの好感度が跳ね上がる一方じゃないか。ええい小癪な。
黙ったままボクはジトっと三門を睨んでいた。
「え、そんな丁寧に」
ユイは首を振って立ち上がり、パタパタと制服の汚れを払った。
「ふらふらしないか」
三門はまた優しく言って、案の定すっかり照れたそぶりのユイは「うん、大丈夫」と言ったきり、俯いて顔を上げられずにいる。
なんだろう、ダダ漏れるこの甘酸っぱい空気は。
あー、イライラするう。
「倉見、やっぱり送る。正道、先にうちに戻って縁側から上がっててよ」
三門はそう言うと、少し顔を寄せてボクの耳に「逃げるなよ、お前はちゃんと待ってろ」と囁いた。
まさか、三門のやつもユイのこと好きだったとか。
ならこれは急展開ってことで。
そうだとしたらユイにとってはすごくラッキーだよね。
神様に告白を誓った途端に逆告白されるとかさ、奇跡じゃん。
でも、あー、やだやだこの雰囲気。
うーんこの展開、早くもボクは超面白くないぞ。