二人の平安人
正道の出現と同時に一香は気を失った。
あたりに白っぽい光が雲のように現れると、それがたちまち人の姿をとり、豊滝の前に立ちはだかった。
織戸正道の魂がついに現われたのだ。
そして、正道を前に感極まった豊滝は束の間、清悠の魂を縛りつける手を緩めた。
その隙を縫って、自分の体の底に強く抑え付けられていた清悠の意識が一気に浮上した。
異変に気がついた清悠はハッとしてあたりを見回した。
あれ、ここは一階の縁側の部屋じゃないか。いつの間にこの部屋に来たんだ。
うわわっ、俺が安野一香を押し倒してる。
正道の魂が離れた一香は今、元の中二女子の姿に戻っていて、自分の手が彼女の両手首を束ねて抑え付けている。
ああああっ!やられたっ、また豊滝に。
すんなりと細身の体に大きく見える清悠のパジャマを着た一香は、ぐったりと布団の上で気を失っている。
慌てて一香の体の上から飛びのいた清悠は、やや震える手で掛け布団をひっ掴んで掛けてやった。
『ダメ、絶対』が今夜ついに現実になってしまった。
いや、二人ともパジャマ着てるし。
危ないところでなんとか間に合った、何もしていない、そうだよな。
激しくパニックする清悠の耳に届いたのは、よく通る温かい若い男の声だった。
「もうよせ豊滝。この体に手を掛けてはいけない」
初めて聞く声だ、織戸正道か。
ついに織戸正道の魂が現れたのか。彼が豊滝を止めてくれたんだな、よ、よかった。
月明かりさす部屋の中、狩衣姿で向き合う二人の平安人の魂。
布団のそばで一香を守るようにしながら清悠は息を詰めて見守った。
今夜やっと、数々勝手な振る舞いをしてくれた我が先祖、三門豊滝の姿も確かめることができた。
豊滝も今は清悠の体を離れて、正道と同じ白く煙るような魂の姿になっている。
これが豊滝か。
いくぶん神経質な面立ちの彼は、自分とかなり似ている気がする。
「正道、やっと現れてくれたか。この機会を俺は一日千秋の思いで待ちわびたぞ」
うっとり、と言っていいくらいに正道を見つめて、巡り会えた嬉しさを全身からにじませて豊滝が言う。
「俺もお前に会えて嬉しい限りだ。豊滝、久しいな」
魂の正道は、豊滝に屈託のない笑顔を向けた。
豊滝がゆっくりと近づいて正道を抱きしめた。
魂の織戸正道は、童顔だけど温かく清々しく男らしい雰囲気の人物で、彼は豊滝の背を軽く叩いてなだめるように語りかけた。
「だがこれは強引すぎるぞ、豊滝。この娘、安野一香が仰天し念仏を唱えんばかりだったじゃないか」
清悠はそれを聞いて、また心臓が飛び出そうな思いだった。
豊滝が安野を仰天させたって、だから正道が止めに入ったのか。
この不良先祖、安野一香に何をした。
激しい焦りとともに、一片の不穏な気持ちが湧いたけれど、清悠はそれをぐっと抑えて二人の会話に耳を傾けた。
「それは、正道。さっきまではともかく、今はすまないと思っているさ。お前の魂に会うことが叶わぬこのところの俺は、絶望の淵に立たされた心持ちだったのだ」
「豊滝、俺はお前の心を知った。魂の緒に結ばれたこの糸がお前の心を伝えて来たからな。でも、それは本来望んではならないことなのだ。お前のためにもならない。それはお前自ら悟るべきと思い、だから俺は今まで応えずにいたのだが」
正道は豊滝に向けて自分の左手の小指を見せた。
豊滝も左手を挙げる。
二人の左手の小指には金色に輝く細い糸が結ばれ、それが二人を繋いでいた。
清悠は驚いた。
俺にも見える。凄い、あの光る糸の正体は非常に強力で特別な呪だ。
魂同士を結びつけ、二人の人間が来世に生まれ変わっても、時空を超えてお互いの魂を見いだすことができる強力な術の証。
でも、それは絶え間なく念を注ぐことでしか保つことができない、途方もない時を超えて繋がる細い細い呪文の糸なのだ。
「この思い、本当はお前の命があるうちに伝えるべきだった。だが、あの頃の俺は意気地がなかったのだ。お前との間に築いた深い友情を失いたくなかったから」
優しい顔の正道は、黙って豊滝の言葉に耳を傾けていた。
顔を上げて正道から身を離すと、豊滝は彼の両肩に手を置いて言った。
「今こそ言う。正道よ、俺にはお前しかいない。恋しくて、恋しくて、この両腕にいつまでも閉じ込めておきたいほどだ」
月明かりの下で正道を見つめ、一心にかき口説く豊滝。
千年以上の時を超えた平成の世。
深まる秋の夜更けにこぼれた平安人の真剣な告白。
以前に俺のお爺さんが言われた通りだった。
豊滝は脇目も振らず正道を愛している。
男同士だけど、そんなの関係なく激しく愛してるんだ。
それを覗き見るようでいたたまれないけど、気絶した一香を前に立ち去ることも叶わない。
「ついにこうして二人揃って転生できたのだから、今生を共に生きよう。なあ、そうしてくれ正道」
強い眼差しで情熱的に言う豊滝。
けれど正道は静かに、穏やかに言った。
「それはいけない、豊滝。俺がこの娘の魂を押しのけてしまったら、この娘が学ぶべき人生を全うできないじゃないか。お前の子孫にしても同じ事だ。なあ、わかるだろう」
今度は豊滝が無言になった。
「そこにいるお前の子孫、三門清悠は心の強い男だが、彼とてお前がこのようなことを繰り返せば、いずれ精神が崩壊するぞ。誇るべき三門の血脈が損なわれても、お前はいいと言うのか」
そう言って正道が清悠を示す。
豊滝がこちらをジロリと眺めたので、清悠はタジタジとなった。
気づかれてる、当然といえば当然だけど。
黙ったままの豊滝は苦い顔をした。
正道が言う通り、数え十三で豊滝の魂が現れて以来の妖魔退治はともかく、最近の強引な心身ジャックは清悠にとって相当な苦痛だった。
なにせ意識がいきなり水底に引きずり込まれ沈められるようなもので、抵抗しても這い上がれないのだ。
一香が名を呼んでくれるか、あの赤い根付けの鈴を振って豊滝を祓い、自分を呼び戻してくれないと浮上できないほどに豊滝の力は強大だった。
「誇るべき血脈か、俺は女は嫌いだ。それでもこの血を繋ぐ責務は果たしたぞ、もう十分だろう」
豊滝が冷たくそう言いはなつ。
「そう言うな、豊滝」
眉を寄せて正道は言った。
「俺もお前に伝えたいことがあったのだよ。実はお前と死に別れる直前に、妻を迎えることが決まったばかりだったんだ」
「え、なんだって」
虚をつかれた表情で豊滝は正道を見つめ、そして言った。
「その、相手は」
「緑園の姫だ」
答えを聞いた豊滝は正道から顔を背け、さらに苦い表情になった。
やがて唇を噛んで、小さく言った。
「正道、本当にすまない。取り返しのつかぬことになった」
正道は首を横に振ると、また穏やかな温かい調子で語りかけた。
「良いのだ、それはもう案ずるな豊滝。また力を合わせて妖魔を封じ、結界を強固にすること。それが今生での俺たちの宿命ではないか。共にその宿命を果たし、今度こそ二人揃って黄泉に旅立とう」
想い人の不慮の死によって、断ち切られた豊滝の恋心。
それを受け入れられず、ともに生まれ変わる時を待って、待ち続けてまで結ばれたいと願うとは。
俺の先祖は、あまりにも一途で病んでる。
いや、それでも子孫を残してくれたということに感謝すべきだよなあ。
清悠は思った。
しかも正道には婚約者がいた。緑園の姫っていう人だったのか。
親友の豊滝にも祝福して欲しいと願っていただろうに。
でも、そのことを豊滝に話す前に、妖魔との戦いで命を落としてしまったんだな。
「待て、豊滝」
正道の声がして、同時に清悠は再び自分の意識が沈んでいくのを感じた。
あ、どうしたんだ。
豊滝は正道との話し合いの途中だったんじゃ。
清悠は気絶しないように精神をガードしながら、豊滝の魂を迎え入れた。
「すまないな、三門清悠。気は確かか」
一人その場にとどまっていた正道の魂が清悠に話しかけてきた。
「恐れ入ります、平気です。正道の命」
「正道と呼べ。お前は礼儀正しいのだな。豊滝のやつ、隠れてしまったらしい。ああ見えて繊細でとても優しい男なのだよ。だが、どうするべきかは理解しているはずだ。もうわずかだけ、あれに猶予を与えてやってくれ」
「わかりました」
「では、またな清悠。お前は実に豊滝に生き写しの美形だ」
正道の魂は清悠に柔らかく微笑みかけると、気絶している安野一香の体に戻って行った。




