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三門戻り橋 魔封じの銀鈴  作者: のすけ
16/22

林檎と涙

「清悠、おはよう。入るよ」

 部屋の外からそう声をかけたけど返事がない。

 ボクは部屋に入った。

 やはり清悠は眠っていたけど、いつもより顔が赤い。呼吸も、ハーハーしてて苦しそう。

 この感じ、熱があるんじゃないかな。

「朝だよ、清悠」

 布団の横に膝をついて、そばで言ってみる。

「うーん……、はあ」

 清悠は目を開けたけど、その目がどんよりしている。

「具合悪いの、ちょっとおデコ触るよ」

 額に手を当ててみたら「うう、冷たい」と、首をすくめてしかめ顔をされた。

「ごめん、でもおデコ熱っつい。きっと熱があるよ、お母さんに言って来るね」

 綾子お母さんに報告すると「おやおや、これは珍しい。風邪かな、いつぶりかしらねえ」と、体温計を出して二階に上がって行った。

 そして階下に戻って来たお母さんは、「清悠、熱が三十九度もあるのよ。インフルエンザかも知れないわ。正道君にうつらないといいけど。学校はお休みして、早く病院に行かなけりゃ」と言った。

 それなのに、間も無く清悠がユラーっとした感じで階段を降りて来た。

「清悠どうしたの。おトイレは二階の使えばいいし、ご飯なら運んであげるのに」とお母さんに言われると、

「身を清めて、それから拝礼します」と清悠は言った。

「こら、あなたこの熱で何言ってるの、だめよ。寝ていなさい」

「いいえ、逆にスッキリするから。大丈夫」

 熱に浮かされて変なテンションなのかな、清悠。心配するお母さんを押し切るとは。

 そして本当に風呂場に向かって行った。

 身繕いしていつものように神様にご挨拶を済ませた清悠は、さっきよりもシャキッとした様子になった。

 顔も赤いし気だるそうだけど、ご飯も少しだけ食べて、お母さんの運転する車で病院に向かった。

 深夜に雨の中でバトルなんかしたせいだ。

 その上ボクを庇って、妖魔に変な煙を吹きかけられて。あれが毒だったんだ。

 テレビのニュースを見ていたら、夜中の二時過ぎに直下型の地震に見舞われたある農村の様子を報道していた。

 『未明の○○村地域では、強い雨が降る悪天候でしたが、ところどころ地割れが見られたものの土砂崩れの被害はなく、村民は全員避難したことから、死傷者は出ていない模様です』

 あ、これだ。

 夜中にボクらが居たのはきっとあの村だ。

 人が犠牲にならなくて本当に良かった。清悠にも後で知らせてあげよう。

 朝の日課が一通り終わると、ボクはまた夜中のことを思い出して心が曇った。

 清柾さんに相談したいな、と思ったけど今日は予約のご祈祷と外出の用もあって無理そうだった。

 落ち着かない。

 今朝の拝礼の時も、ボクはいつもより長くお祈りして神様にお願いした。

 神様、あの雨の中で、地震と土砂崩れから村を守るために妖魔と闘った清悠を見ておられたでしょう。

 夜中でも知らない土地でも、顔も知らない誰かのために、まっすぐ駆けていく清悠をどうかお護りください。

 それに、これからも一人であんなことさせたくないから、どうかボクに今しばらく力を貸してください。

 引き戸を開ける音がして「ただいま。お留守番ありがとう」と、お母さんと清悠が戻って来た時、ボクは玄関に走り出て行った。

 清悠はインフルエンザではなく、熱は高いが一般的な風邪でしょうと言われたそうだ。

 二階の部屋で、神饌を下げたリンゴをお母さんが剥いてくれたのを食べながら、彼は言った。

「少しずつ良くなってる。闘いで穢れを受けたせいなんだ。だから風呂に入って拝礼して、いつも通りにしてればいいんだ」

「良くなってるの」

「ああ、あの時は浄めの呪文が間に合わなかっただけ。だからもう気に病むなよ。世話かけたよな、お前も寝不足なんだから昼寝したら」

 そうは言ったものの、熱を測ったらまだ三十八度を超えている。

「アイス枕とかあったら、もらってこようか」

「いや、いい。俺、冷やすの苦手」

 そうして水分補給にスポーツドリンクじゃなく、大好きな麦茶に天然の塩を溶かしたのを飲んでるとこが、またまたお爺さんみたい。

「穢れって、いったい何なの」

「魂に付く汚れ、だよ。あの時は物質化して煙に見えたけど、悪いことをしたり、良くないことを思ったりすると心が煤けて汚れてく。人から妬まれたりとか良くない念を受けても汚れがつく」

「そうなの」

 心の力って怖いんだね。

「そんなに心配するなよ。あの村の人たちが無事で、本当に良かったよな。それにさあ、俺たち闘うごとにお互いの間合いが良くなってるよな」

 清悠は、にっこりと快晴の秋空みたいな笑顔を見せた。

「そうだね、ボクもちょっとだけ周りが見えるようになってきた」

「でも、また怖い思いしたろ。ごめんな、安野」

 片肘をついて横になっている清悠は、そばに座っているボクを見上げて言った。

 熱のせいで、ほんのりと染まった頬をして、目もちょっと赤くて潤んでいる。

 それに、正道じゃなくて久しぶりに安野って呼ばれた。

 何だか落ち着かない。

 困るくらいに妖艶なあの豊滝じゃなくて、今そこに居るのは確かに清悠なのに。

「ううん、それはいいの。熱あるのに邪魔してごめんね。もう休みなよ、ね」

 ボクはお盆を手にすると立ち上がった。


 少し安心できたおかげか疲れを感じ、その晩はボクも早めに休んだ。

 ところが暗闇の中、またしても何かの気配で目が覚めた。

 でも、どうしてか体が思うように動かせない。

 いやだなあこれ、もしや金縛りかな。

「!」

 目を開けたボクはひどく驚いて、声も出せず息を呑んだ。

 目の前に清悠の顔がある。

 ボクの寝ている布団の上に四つん這いの体勢で乗ってて、見下ろしていた。

 この体勢、まさかの床ドン。

 どうして、いつの間に。

 そしてまた、あの(みやび)な練香の香りが漂って来た。

 この香り、今こうしているのは豊滝だ。

 暗闇に目が慣れた今はもう、外から入り込む月明かりにその姿をはっきり捉えることができた。

 例によって、どこか遠くを見透かすような眼差しでボクを見つめて、切なそうに豊滝は言った。

「正道。頼むから、後生だから俺の前に現れてくれ。さもないと、俺は……」

 さもないと、さもないと、何なの。

「やめて、……ください、豊滝さん」

 絞り出したボクの声が掠れた。でも豊滝は聞いていないようだった。

「俺は恋しい、お前が恋しい、ただそれだけだ。お前の命あるうちに伝えたかった。美しい月に、在りし日のお前の記憶を辿ることさえ、もはや何の慰めにもならぬ。俺はもう耐えられない。現れないのなら今宵、お前の姿をしたこの体を暴く」

 ボクはやっと豊滝の心を理解した。

 豊滝は正道に恋してる。

 親友としてじゃなく、恋の相手として正道を求めてたんだ。

 まるでユイに恋してたボクじゃないか。

 いや、ボクとは比べ物にならないほど、はるかに長い時間をかけて降り積もった強く苦しい、激しい気持ち。

 でも、その気持ちは。

「正道に告白、していないんですか」

「かつてお前の今際(いまわ)の際に、俺とお前の(たま)の緒を結び、このたびの転生によって再会できることをひたすらに願った。だがそれは無駄だった。ああ全てが虚しい、虚ろな存在に過ぎないこの体を今宵虚しく俺は暴く。許せよ」

 やっぱりボクの言葉は届かない。そしてわかったことは。

 豊滝は正道の魂に会えないことに焦れて絶望して、今夜ボクを滅茶苦茶にする気だ。

 怖い、そんなの嫌。絶対に嫌。

 しかも清悠の体で、ひどい。

 弱っている清悠の魂を押しのけてこんなことするなんて、卑怯だよ、勝手すぎる。清悠だって絶対嫌に決まってる。

「清悠、戻ってきて。清悠ってば、……早く」

 声が掠れてうまく出ず、清悠は答えない。

 ボクの赤い根付けの鈴は枕元にある、それに手を伸ばそうとしたら。

「無駄だ、同じ手は食わぬ」

 豊滝は強い力でボクの両手首を束ねて抑え、布団をバサっと引き剥がした。

 もう泣きそう、絶体絶命の床ドン完全ホールドだよ。

 豊滝を止めて、止めて、正道。

「正道、織戸正道、助けてよ。出てきて豊滝と話をしてあげて」

 怖さで喉が詰まったようになりながら、ボクは正道を呼んだ。目の前が曇り、涙が溢れてくる。

 すると、サラっと頬に髪が触れる感触がして、軽く頬を吸われた。

 ほぼゼロ距離にある清悠の白い頬には、月の光が青く繊細にまつ毛の影を描いてる。

 豊滝が、頬に溢れたボクの涙を唇で吸ったんだ。

「え。だ、だめ……」

 このままじゃボクも清悠も、病んだ豊滝に滅茶苦茶にされる。

 その時頭の中に、初めて聞くよく通る温かい男の声が響いた。

「安野一香、すまない。少し道を開けてもらうぞ」

 途端にボクは気が遠くなって、ジェットコースターで思いっきり急降下する時みたいに落ちていく感覚に襲われた。


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