無情の烈火
ボクが正道になってから二週間が過ぎても、解決の糸口はまだ見つけられずにいた。
身代わりの一香は、それからも問題なくやってくれているようだし、あのお祭りの日から清悠は、式とボクの記憶を同期する方法を練り直してくれた。
実現にはまた、一波乱ありましたが。
その方法とは式とボクの意識を夢で時々繋ぐというものだった。
「すごいね清悠」
「まあな。でも術を掛ける必要があるから、また式をここに連れて来る。帰りにウチに寄れって言うからな」
えー、一香だけを放課後に三門家に寄り道させるの。
うーん待てよ。
もし、ユイがそれを聞いたら一層誤解されそうで、やだなあ。
「あの、さあ。それじゃあ正道が一香に用があるからって風に言ってくれない」
「どうしてさ」
「いいじゃん、ボクが用ってのは本当なんだからさ」
「はあ、意味がわからん」と言って清悠は出かけた。
案の定、情緒に疎いマン清悠にボクの危惧は伝わらなかったようで。
その日の放課後、あろうことか清悠は身代わり一香と連れ立って帰宅した。
これじゃまるで一香が抜け駆けしたみたいじゃん。
ボクは動揺し、清悠にブチ切れた。
「もう、どうして一緒に帰ってくるのさ。なんで、どうして。清悠が先に帰ってくるとかさあ、どうしてできないのさ」
「うっせー。二人とも掃除当番だったから、そのまま来ただけだろ。ブーブー言うな。母さんが出かけているうちにさっさと終わらせる、ほら」
清悠は全く取り合わずにボクと一香を並んで座らせると、銀の鈴を振り鳴らして場を清め、術を掛けた。
ボクは「また遊びに来てって、結菜ちゃんに言ってよね。頼む」と、そっと一香に伝えた。
「オッケー、言っとくね」と一香。
せめてこれでユイに対して筋が通る、気がした。
また正道としてユイに会いたいって気持ちは本当だしね。
それから、もういよいよ神無月。
十月になり、学校では合唱コンクールの朝練が始まった。
「行ってきます」と、朝早くに家を出る清悠をボクは綾子お母さんと見送った。
合唱コンクールが終わったら、その翌週はもう清悠の誕生日。
ユイが清悠への誕生日告白を決めたXデーが迫って来ていた。
その日までに、ボクが元の体に戻れていなかったら、どんな展開になるんだろう。
どこでユイは告白するつもりなのかな、学校、それとも。
考え事をしながら本殿の拭き掃除をしていたら。
リーン。
あれ、この音。
あの涼しげな音色が聞こえた。
ボクが手を止めて三門戻り橋に向かうと、そこには制服姿の清悠がいた。今は学校のはずなのに。
「清悠じゃない、どうしたの」
「また妖魔が現れた。封じに行く」
え、今これから。学校は。反射的にボクは言った。
「一緒に行く」
「俺は呼んでない。お前はここに居ろ」眉を寄せて清悠が言った。
でも、鈴の音が聞こえたんだ。
仲間の呼び声みたいに、いつもこの音はボクの胸に響く、だから。
清悠が呼ばなくても、ボクはどうしても清悠を一人で行かせるのが嫌だった。
「嫌だ。ボクも行く」
「ああー、もう。なら来い」
三門戻り橋を越えたら、もうそこはどこか知らない街の繁華街で人が大勢いる。
清悠が青い根付けの鈴を一振りすると、よく通る透明な響きがあたりの空気を揺らした。
なのに、誰もボクたちには気づかない。
それもそのはずで、そこら一帯はすでにパニック状態だった。
「キャアアアアッ、今髪を切られたっ。誰?」「痛い、痛い!いきなり切られた。誰か助けてください!」「俺のカバンが切られてる、誰の仕業だ。泥棒っ」
あちこちで悲鳴が上がり、何かに斬りつけられて怪我を負い血を流している人や、髪を切られたと怯える人。カバンを斬られて、道路に散らばった私物を必死に掻き集める人。
そうしたたくさんの人々の姿が目に飛び込んだ。
そして頭上から「ケケケケケッ!」と嘲笑うような高笑いが聞こえて来た。
見上げると、耳障りな笑い声の主は鮮やかな緑色の大鎌を振りかざしたカマキリだった。
だけど二本の人間の足があって、まるでカマキリ人間だ。
虫と人の一体化なんて、すごく気持ち悪い。
でも、気づく人は無く、こいつの姿は周りの人間には見えていないんだな、と思った。
すぐに清悠が呪文を唱える。
「リン、ビョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン!」
輝く光の渦が宙に現れ、白い光を放つ謎の文字列の螺旋に変わって、妖魔に向かって飛んで行く。
ところが。
「ケケケケケッ」
カマキリ顔の妖魔は赤く裂けた口で一段と高く笑うと、左右の手のような緑色の大鎌を振り回した。
ヒュッヒュッと風を切る音が響くと、ボクの目の前に光の紙吹雪がキラキラと舞った。
呪文が、文字が散ってる。
清悠が放った呪文の文字列が、妖魔の滑るような緑の大鎌でバラバラに切り裂かれてしまった。
「破られたっ!」
清悠が叫んだ時、もうボクは手の中に現れた例の弓に矢を番え、弦を大きく引き絞っていた。
バンッ。
勢いよく音を立て、矢が妖魔めがけて飛ぶ。
けれどまたヒュッヒュッと風を切る音が響いて、ボクの矢も妖魔の大鎌に切り刻まれて、あたりに散った。
「負けないっ!」
すかさずボクはもう一度矢を番え、妖魔を狙った。清悠も、また呪文を唱えている。
「ウギャッ、ウギャッ」妖魔は雄叫びをあげると、また大鎌を振り回した。
ゴウッと唸る音と一緒に、何か来る。
「正道、避けてっ」
呪文の詠唱が途切れて清悠が叫び、凄まじい風がボクに向かって来た。
間一髪で飛びのいたけど、右の頬に鋭い痛みが走り、ザザッと耳元で音がして、背後に飛び退る風とともに、髪がパラパラと肩に散った。
今の突風を避けきれず、ボクの右頬と一つに束ねていた髪が斬られた。
「正道っ」
駆け寄ってボクを見た清悠の顔つきが変わった。
「血が流れた。おのれ、よくもっ!」
そう言うと、妖魔に向き直った清悠が別の呪文を唱え始めた。
「ノウマクサン、マンダバザラダン、センダマカロシャダソワタヤ、ウンタラタカンマンソワカ!」
今度は、火のように深い赤色に揺らめいて輝く文字列の輪が現れた。
それが妖魔目がけて飛んで行き、ヤツの足元にピタッと陣取ると、
ゴオオオオオッと唸るように真紅の猛烈な火柱になって噴き上げた。
「ギャアアアアアッ!」
次の瞬間、全身を炎に包まれた妖魔が、筒のような火柱の中で甲高い悲鳴をあげ大暴れしていた。
足元の真っ赤な円形の炎の陣から逃げ出せないようだ。
目の前で焼かれ、苦しむ妖魔。
怖い、とボクは思った。
周りの傷ついた人たちはこの恐ろしい様子には気づかないから、ボクたちは清悠が敷いた結界の中で戦っているようだ。
でも際限なく吹き上げる炎の中の様子は、残酷で怖い。これ以上直視できない。
清悠、もうやめてほしい、ここまでしなきゃいけないの。
そう思って、清悠を呼ぼうとした時。
「灰になるまで踊れっ」
炎に包まれもんどり打って苦しむ妖魔に向かって、清悠がそう言い放った。
薄笑いを浮かべ、高く噴きあげる火柱を映したその目は。
清悠じゃない。
これは、この口調と威圧感は。また豊滝になってる。
清悠はどうしちゃったんだろう、呼び戻さなきゃ。
「清悠っ、戻って」ボクは呼んだ。
ところが豊滝は手を伸ばすと、ボクの口を塞いで言った。
「この俺を三門豊滝と知りながら封じるつもりか。正道、出て来い。正道っ」
その目つきは鋭くて、すごく怖いのに。
燃え盛る真紅の炎を映して言いようもなく美しい。
炎が伝えてくる熱と一緒に、覚えているあの練香が香った。
どうしよう、清悠が戻ってこない。口を塞がれて呼びかけられないし。
そうだ、あの鈴。
清柾さんがくれたボクの鈴。
必死にジーンズのポケットを探ってあの赤い根付けの鈴をしっかり握ると、一振りした。
リーン。
鈴の音が響き渡り、豊滝が弾かれたようにボクから手を離して言った。
「正道じゃない。お前、女かっ」
今だ。
ボクは大声で呼んだ。
「清悠、清悠帰って来て!お願い、清悠っ」
帰って来て欲しくて夢中で呼び続けていたら、やっと「正道」と呼ばれた。
「ああ清悠だ、帰って来たあ。今、豊滝がここに……」
「知ってる。あいつに抑え付けられた」
額に汗が滲んでちょっと疲れた感じの清悠は、妖魔を包んだ火柱に掌を向けて呪文を唱えた。
すぐに火柱が消えたけど、中にいたカマキリ妖魔は、すでに黒く焼け焦げて動きをなくしている。
「酷いな。もう終わらせてやらなきゃ」
清悠の呪文で再び生まれた光の螺旋が飛び立ち、焦げた妖魔に巻きつくと、掲げられた半紙に吸い込まれて消えた。
「清悠うー、帰って来たあ。良かったあ」
放心してボクが言うと、清悠はボクの顎を持ち上げて顔を見た。
「頬に切り傷がある。でも、深くはなさそうだ。あれ、泣いてるのか」
確かに少し涙が出ていた。右頬の傷に少し沁みる。
「怖かったの」
「そりゃ、まあ。うん」
清悠が戻って来ないから。
それに泣き顔を見られた悔しさと照れでボクが素っ気なく言うと、
「ごめんな正道」
清悠は優しく言って、ポンポンとボクの頭に手を置いた。
それから再び鈴の音をあたりに響かせると、
「ここら一帯に竜巻が起きて、かまいたち現象の被害があった」と清悠は言い置き、ボクたちは三門神社に戻った。
三門戻り橋のたもとで「学校に戻る。身代わりを置いて来たんだ。でも給食は俺が食う、お前も傷を手当てして昼飯食えよ」と言うと、清悠は再び橋の中に消えた。