戻り橋の怪異
ボクは安野一香、十四歳の中二女子。
乾いた秋風がそよ吹く九月のとある放課後、ボクは親友の倉見結菜と二人で地元の由緒ある三門神社にやって来た。
なぜ女子なのにボクなのかって。
多分、小四の時にはもうボクはボクで、初恋は小五の時、同じクラスの女子だった。
その相手が今一緒にいる親友の結菜。
つまりボクの見た目は女子だけど、心は男子、なのかも知れない。
でもユイが好きになるのは男子だから、親友ポジションのボクはもうかれこれ四年くらいの片想い。
ボクがユイに好きだよって伝えたら、どうなるかなあと想像することもある。
けど、やっぱり無理。
もし、もしも、ユイにキモいとか思われたりしたら、もう消えてしまいたい。
そんなことになるくらいならこのままでいい。
ユイとはせめて友達でいたいから。
今日二人で三門神社に来たのは、この神社が縁結びのご利益でかなり有名なところだから。
可愛いお守りとかもあって、それを持ってる子も多い。でも今日は別の理由。
ユイが好きになった相手は、この神社の息子の三門清悠。
三門はボクたちの同級生で天文部部長。
でも、一人暗ーい星空を見つめてる孤独っぽいやつじゃなくて、一年生の時に自分から職員室に乗り込み、先生に談判して天文部を立ち上げ、部長になった。
実家が歴史ある神社という、ほぼ森の中みたいな環境のせいか肌の色は白めだけど、やや上がり目の塩顔で高身長。
他の学年からのフォローも多くて、現在は生徒会副会長(おそらく次期会長)。
「ねえ一香、ここの神様に告白応援のお願いしたら、なぜかすぐ三門君にバレちゃうとか、そんなことってないよね」
「まさかー、ユイ。縁結びの神様だもん、ちゃんと秘密で応援してくれると思うけど」
ユイって時々不思議なこと言うけど、ボクなりに考えてフォローする。
「あ、ほらイチカまたボクって言う。イチカは綺麗で男子に人気あるんだから、ボクは封印だよ。よし、お参りして誕生日告白の応援お願いするよ」
気心知れた子達と話す時はつい、ボクって言っちゃうのが癖なんだよね。
いやいやユイ、ボクは男子の人気とかいらないから。
ユイさえ居てくれれば、それでいい。
十月十日が三門の誕生日で、ユイはその日三門に告白すると決めたらしく今日は決意表明のお参りだ。
ああもう、本音は切なくて複雑。
大好きなユイの気持ちはわかるし応援したい。
けど、これでうまくいってユイと三門が付き合うことになったら、ボクは失恋確定。
同じクラスで毎日ラブラブの二人が目に入ったら、悔しくて嫉妬の嵐を巻き起こしそう。
ただし、ボクの心の中だけで、ね。
どうしてボクは女の子に生まれたのかな。
もしも男の子だったら堂々とユイに告白してるのに。
う、いや果たして堂々とできるだろうか。
でも告白はしてるさ、絶対に。
お参りに上がる前に手水舎で手を清めた時、変化に気づいた。
手水舎の左奥に小径があるんだけど、その手前に小ぶりな石橋が掛かっている。
あの石橋って前からあったっけ。
いやなかったはず、新しく作ったのかなあ。
川もないのに、何のためにあんなところに。
そう思うとボクの足は、スーッと引き寄せられるようにその橋に向かっていた。
向かって左側の親柱の手前に橋の名前が彫られている。
なになに「三門戻橋」だって、なんて読むのこれ。
見ると右側の親柱には親切に平仮名で「みかどもどりばし」と彫られていた。
ふうん、もどりばし。
その名前を見ながら親柱の上に手を置いた時だった。
ビリッと体に静電気が走ったように感じて。
リーン、とかすかに鈴の音がしたような。
よく通る涼し気な響きのその音色が、どこか懐かしい気がして。
なぜだろう。
「イチカ、どうしたの急に。そっちになんかあったの」
「え、なんか新しい橋ができてるよ。ほら見てあれ」
そうユイに教えようとしたけれど、え?
今見たばかりの橋がどこにもない。消えたのか、ボクが幻でも見たんだろうか。
「ん、別に何もないじゃん。あの道は前からあるよ」
「ああそう、だよね。ボク、なんか勘違いしたみたい」
変なの、おかしいなあ。
どこか気持ち悪い、でもユイを怖がらせちゃうといけないから、それ以上今の出来事には触れずにそう答えた。
本殿の賽銭箱にお賽銭を入れて、ユイと並んで二度礼をして二度拍手し、それから一緒に手を合わせた。
今回ばかりは参拝の正しいお作法っていうのをユイと調べて勉強してから来た。
しかしこの状況で、神様になんて言ったらいいわけ。
とりあえず、ボクはユイが大好きだから、ユイに幸せになってほしいです。
それと、家族や友達みんなが幸せに暮らせますように、と。
そう願って顔を上げたら、ユイはまだ目を閉じて小さな両手を合わせて一心にお祈りしていた。
小柄で色白で、ショートボブの髪からのぞく頬がちょっとピンクでめっちゃ可愛いユイ。
大、大好きだよ。
神様の前で思わず盗み見してしまった。
でもそこは神様だからお見通し、きっとわかってくれるだろう。
ボクの気持ち、純粋なんです。
お参りを終えて、ボクらは木陰の参道を歩いて戻った。
「よし、これで頑張れるよ。つき合ってくれてありがとう、イチカ」
クルンと大きな瞳でボクを見上げて、笑顔のユイが言った。
ボクは小柄なユイより頭一つ分くらい背が高い。
「よかった。うまくいくといいね、ユイ」
精一杯いい人ぶって明るく言った時、ボクの目の前で辺りの景色がさあっと暗くなった。
雲がかかって日が陰ったか、いやそうじゃなかった。
真っ黒な煙のような何かがボクらの行く手に現れた。
そいつは流れるように一気にこちらに向かって間合いを詰めてくる。
「いやっ!あの黒いのなに、こっちに来る。ねえ、怖いよイチカ」
「何だよこれ。ユイ、ボクの後ろに来て」
ボクはユイを後ろに庇って少し後ずさった。
黒い煙は見る間に形を変えて、その輪郭がはっきりして来た。
動物のような四つ足になり、首が二つにわかれていく。まるで生きてるみたい、これ化け物?
「ユイ、本殿の方に逃げよう」咄嗟にボクは言った。
神様をお祀りした拝殿の方向に向かえば安全な気がしたから。
「しっかりして、ユイ。先に走って行って、ボクが後ろにいるから頑張れっ」
怯えて足がすくんでいるユイにもう一度声をかけて、一緒に走り出した。
でもその時ゴウッと突風が唸るような音を立てて、そいつの気配が背後から迫り、ボクはひどく焦った。
だめだ速い、もう追いつかれる。
でもどうにかしてボクがユイを守ってやる。手出しはさせない、絶対に!
その時また、リーンという鈴の音を聴いた。あれはさっきの音、今度はもっと間近に聞こえる。
直感的に思った。
心強い、これはきっと味方だ。
「行くぞっ、正道」
不意に若い男の声が頭の中に響いて、ボクはその声に呼ばれた気がした。
途端に心がしっかりと踏み止まって、すごく勇気が湧いてくる。
もう逃げないぞ、ここで敵を迎え撃つ!
そして次の瞬間。
足を止めて後ろを振り返ったボクは、左手に弓を持っていた。
反射的に、背負った矢立から矢を一本抜いて番えると、大きく口を開いて迫る双頭の犬のような黒い化け物に的を絞った。