高すぎた授業料
異世界における、とある令嬢にまつわる事件を中心とした歴史考察。
とある愚かな王子が行った婚約破棄劇。
その選択が、被害者となった令嬢の人生の選択肢を大きく変更させ、そしてそれが結果として国の滅亡に結びついていく。
第三者視点で史実をなぞる、というスタイルに挑戦してみました。
これは、とある世界に残された歴史資料である。
とある一件から王族の婚約破棄について調べていたおり、この事件について知った。関心をもち調査してみて、本件がなんとあの『レナの悲しみ』の主人公、魔女レナ・エブリルである事に気づき、これを一文にまとめる事とした。
歴史上、彼女について史実の面から調べ上げた資料は過去に全く知られていない。おそらくは貴重なデータであると思われる。
なお本件をまとめるに際し、データ提供に応じてくださったチグリス王立図書館館長のネグレラ・マンタ氏には心から感謝の意を捧げたい。
『レナの悲しみ』に登場する魔女レナ・エブリルであるが、元はレナ・テルル、侯爵令嬢であった。
彼女は私怨と冤罪により婚約者に捨てられ、家を、ひいては国をも追い出された。そしてそのまま破滅させられるはずであった。
しかし運命の女神は、彼女に別の運命を与えたのだった……。
推定にして、少なくとも数百年は昔。(年代記の都合で正確な時代がわからない)
とある世界の、とある国の王宮。
その日、ひとりの王子が婚約者の令嬢に婚約破棄を言い渡した。
もちろんだが、これは醜聞でありスキャンダルだった。
王子本人にしてみれば、押し付けられた姫君よりも自分の愛しい令嬢を妻にしたい、という単純明快な理由だったろう。
しかし王族と貴族の結婚なんていうものは様々な大人の事情により決められるのが常であり、この王子のバカな暴走は多数の犠牲者と、国政の大混乱をもたらす事になった。
まず、婚約破棄のタイミングがまずかった。
父王も王妃も視察という名の国事行為中、つまり王宮を留守にしているタイミングを狙ったのだろう。この時を狙って強引に登城すれば、一時的にせよ王宮内では自分が王族筆頭になる。実際彼はこのタイミングで学園を抜け出し、本来、国王しか使う事の許されない印璽を守護していた者を強引に従わせ、二つの勅命を作成した。
ひとつは自分とテルル侯爵令嬢の婚約令の破棄、そしてもうひとつは、同令嬢を貴族から平民に落とすためのものだった。
前者は、王子が懸想している娘、ターニャ・オルクス男爵令嬢と結婚したいがためだった。ターニャは平民出身でオルクス男爵家の養女となっており、もちろんだが王妃が務まるような教育も全くうけていない。当然ながら王権側にも賛成する者は誰もいなかった。
後者の作成理由は不明である。件のターニャ嬢がそそのかした説が有力だが、そもそもターニャ嬢の真意は、自分が正妃となったうえで生来の姫であるレナ・テルル嬢を自分の侍女にし、負け犬と蔑み、いたぶって楽しむつもりだった事が当人の手紙から明らかになっている。よってこの点で、平民に落とすというのは矛盾している。当時、王宮の侍女は貴族の娘の礼儀作法の勉強の場にも使われており、無位無冠の庶民では王族や正妃の侍女になれなかったのだから。
歴史家ペストルによれば、ここはターニャ嬢の無知による失策であるとも言われる。つまり国母になってしまったら平民を侍女にできないという事も知らず、単に自分の嗜虐心の赴くままに王子をそそのかし、レナ嬢に無実の罪を着せて平民に落としたのだという。おそろしい話であるがまぁ、いかにも彼女らしい話ではある。
さて。
勅命をまんまとでっちあげた王子は即座にこれを実行。本当にレナ・テルル嬢との婚約を破棄したうえ彼女を平民に落とした。さらに部下に命じて彼女から身分を示す装身具を全て剥ぎ取って平民の服に着替えさせたうえ、王都の外に叩きだした。
一国の王子という身分を思えば信じがたい凶行であるが、ふたつの事情によりこれは本当に実行に移された。
まず当時、王子はターニャ嬢によって完全に骨抜きになっていた。
そして、ふたりのスキャンダルを利用して国政を混乱させようという他国の間諜が騎士や侍女に混じっており後押しをしたらしい。
実際、そうでもなければ、いくら勅命の書類があるとはいえ、明らかに無実である侯爵令嬢を裁判も何もなく全ての社会的立場を奪い去り、あまつさえそのまま王都追放に処すなどありえない。おそらく、内政官なり現場担当なり、誰かのところで処理が止まり、国王夫妻の帰りを待つ事になっただろう。
いかに絶対王政の時代とはいえ、たったひとりの王族の暴走で侯爵クラスの貴族一家の者を好きに追放できるわけがない。どんな時代でもこういう事に対するセーフティネットは存在するもので、それがなくなった時はつまり、その国が亡びる時だといえる。
とはいえ、動いてしまった事実はもう止まらなかった。
国王夫妻が戻って事実を知った時にはもう時遅く、レナ嬢は行方不明。王都の全力をあげてレナ嬢の保護に動いたが、結局見つからなかったという。
政治的婚約とはいえ、レナ嬢を非常に気に入っており、その輿入れを楽しみにしていた国王夫妻は大層嘆き悲しみ、そして怒り狂った。
王子の求めたターニャ嬢との婚約要望は当然却下。
一部の貴族が内外の騒動を回避するためと称して婚約をゴリ押ししようとしたが、国王は断固として拒否。むしろ逆に、どんなリスクがあろうとこの婚約は認めぬ、もし進めようというのなら国家反逆罪とみなして公開処刑に処すと、わざわざ談話でなく勅命の形で発令した。
王子については廃嫡とした。貴族としての特権も一切与えず平民とし、一兵卒として国軍に従軍する事が義務付けられた。
さらに、王子に協力した王城関係者、特に印璽の勝手な利用を手伝った者たちは最低でも免職、他の王宮職員を脅したりした者は基本的に全て死罪となった。
ターニャ嬢については、実は本人はほとんど何もやっていない事、そして、様々な大人の事情の結果、未来永劫の社交界への出入り禁止と十年間の自宅謹慎となった。
だが、この扱いには別の理由があった。
オルクス男爵家には女児がおらず、ターニャ嬢は最初から上位の家に嫁がせるために養女とされた存在だった。ゆえに貴族社会から永劫に締め出されたターニャ嬢は、老貴族の後妻や妾としてもらわれていく程度しか選択肢がなくなった。
最終的に彼女は、当時この国の田舎でヒヒ親父領主として知られた家に、金銭的援助の代金として譲渡された。
なお、ターニャ嬢はそれ以降、歴史の表舞台からは完全に姿を消す。
まぁ念のために付け加えるなら、彼女らしき人物の末路については記録がある。当時、一部の年寄り貴族の間で流行していた特殊サロンがあるのだが、こちらでペットとして飼われていたらしい。そしてこの時点で奴隷を示す焼印を押され、魔物の耳と尻尾をとりつけられて半獣の姿にされていたともあるので、おそらく末路もそれに準じたものだろう。
なお、オルクス男爵家では別の娘を養女にしようとしたが、声をかけた全てに拒否された。あまりにもターニャ嬢の悪評が広がった事が原因だ。ターニャ嬢の所業はオルクス男爵の指示によるものという説もあったため、養女いりを求められて承諾する令嬢などもはや居なかった。
そして、オルクス家はこれをきっかけに本格的に没落の道をすすんでいった。
ところで、追放されたレナ嬢は結局どうなったのか?
これについては諸説あるが、あの創作劇のように生き延びたのは驚くべきことに史実らしい。
貴族社会の令嬢が突然、市井に放り出されて無事生き延びられる可能性は皆無といっていい。常識的判断をするならば身内の誰かが彼女をかくまったという事になるのだが、そうではないらしい。
生き延びた経緯については諸説あるので、ここでは手紙や手記から判明している部分だけを元に空白部分を埋め、彼女の『その後』を書いてみたい。
まず、ロイヤルともいうべき青い血を持っていたレナ嬢であるが、魔力あれど魔術はうまくなかったと学園の記録にはある。だが同時に興味深い情報も見つけた。当時の救護担当、すなわち今風に言えば保健室詰めの教諭の日記なのだが。
『レナ嬢は隠しているが、どうやら獣魔スキルを所持しているようである』
『同じく、隠しているがどうやら記憶持ち、それも異界の記憶持ちのようである』
獣魔スキルというのは、簡単にいえば獣類や魔獣と相性がよいという事。たとえば猛獣に襲われた場合の生還率が異様に高かったり、たまに起きる、魔獣や猛獣が人間の赤子を育ててしまう場合などもこれにあたる。騎乗に長けた騎士や馬上の曲芸師、羊飼いや牛追い、果ては魔獣部隊の兵士など、獣類や魔獣と関わりの深い職種の者がよく所持している。
高位貴族はあまり持たないスキルであり、しかも女性。隠した理由もそのあたりであろう。
ちなみにテルル侯爵家は元騎士爵の家柄であり、家紋に馬が描かれるほど。昔から獣魔スキルもちが多かったようで、本来は気にする必要はなかったはずである。実際、もしレナ嬢が男性なら全く気にしなかったろう。
また、レナ嬢の在学時代の逸話には、獣魔もちという前提なら、なるほどと思わせるものが多いのも事実だ。
生き延びたとすれば、このスキルが有効に働いた可能性が高い。
前世記憶については、彼女の言動記録から類推するに事実だと思う。貴族で記憶持ちは好まれないので、侯爵令嬢である彼女が隠していたのは驚くような事ではない。むしろ事情を知った身内が隠させた可能性もある。
ただし、持てる知識まで隠し通すのは難しいものだ。
この時代、王都のとある商会が画期的な女性用下着を発売し、旧来のヒモ型下着を貴族社会から駆逐してしまったのだが、実はこの商会の会長はテルル家と長いつきあいだったらしい。つまりおそらく、レナ嬢の記憶からヒントを得て開発させたのだろう。もちろん物的証拠は何もないのだが。
この事件がきっかけとなり、テルル侯爵家は王家から、ひいては国政から距離をとりはじめる。
もともとテルル領は侯爵家の中でも魔の森を挟んで国境に面し、武力面は辺境侯に近いと言われていた。だがこの件を堺に経済活動も領地の中で行うようになり、次第に自力での経済圏を確立するようになっていく。
さらに約十年後、テルル領の魔の森側の国境近くに、魔獣使いの村が誕生。詳しい内容はわかっていないが、残っている手紙などからすると、どうやら魔獣使いとしての修行の末、強力な魔獣を多数引き連れて帰郷したレナ嬢だったらしい。
テルル侯爵家はレナ嬢の生還を喜び、また、領地的にも大きなメリットのある魔獣使いの村を容認した。そして協力体制をとるようになった。
一方、噂を聞きつけた国では、魔獣使いたちを国軍に組み込もうと詳しい情報をテルル家に求めた。
しかし、徴兵のための情報要求と見え見えだったので、これをテルル家は拒否した。正式な理由は、魔物の事は魔の森に収めるべきで人界に出すべきではないというもので、実際、これは公式記録にも残されている。
この事件から、王国側とテルル家の関係は次第に険悪になっていく。
王国側が魔獣使いを欲したのは、当時やろうとしていた紛争に利用するためと思われる。そしてテルル家が拒否したのは文面通りの理由も当然あったろうが、新しい生活を確立したうえで領民として帰ってきてくれたレナ嬢を、再び国の犠牲にするなどありえないと考えたためであろう。
かりにレナ嬢が今も貴族なら、それでも従ったかもしれない。
だがレナ嬢はもはや貴族令嬢レナ・テルルではない。
それに魔獣使いというのは、単に魔物・魔獣を飼っている存在ではない。魔獣と通じ、魔獣のなかば同胞となった特殊な人間たちである。つまり、平民のうえに魔獣使いとなったレナ嬢を人界のルールで縛るのは不可能。
実はこの頃、廃嫡されたはずの王子を次王に持ち上げる動きがあった。
国王には側室は多かったものの、生き延びた子は少なかった。子供の母親同士で潰し合いをした結果らしく、流産の果てに亡くなった側室も一桁ではきかないし、正室が病気の果てに不妊になってしまったのも薬を盛られたためと言われている。
ゆえに、国王が病に倒れたのをいい事に元王子を勝手に跡継ぎの座に戻し、次期国王にしようという勢力が動き始めた。
王子はターニャ嬢を求めたが、ターニャ嬢はすでに表舞台から姿を消していた。しかし代わりによく似たリリン・マルソム伯爵令嬢が現れ、王子を支えた。
記録によると、リリン嬢はいくつかの点がターニャ嬢によく似ていたらしいが、詳しい事はわかっていない。
彼らは再度、テルル領に徴兵令を発したがテルル領はこれを拒否。ついにはテルル家を反逆罪と認定し、国軍を繰り出して攻め込んできた。目的はおそらく魔獣使いの強制徴発と、最近潤っているらしいテルル領の資金やリソースを奪い取るためだったと思われる。
だが結果として、国軍はほとんど全滅に等しい敗北を喫する事になった。
テルル領では、魔物使いたちとの交流を元に、魔の森をむしろ積極利用する方向で領地を栄えさせていた。これはテルル家の者たちだけでなく一般領民もそうで、彼らは辺境の民である事を積極利用、一部の魔物たちとは魔物使いを経由するまでもなく独自に交流を持ち始めている状況だった。
そして、そんな彼らが人間側の国の勝手な要求に反感を抱かないわけがなかった。
結果として、人間同士の、しかもヌルい戦いしか知らない中央からの国軍は完膚なきまでにボロ負けし、事実上の全滅に近い状態で帰還した。
後日。
弱体化しすぎて自国の治安すらも守れなくなった国は、隣のサジェン国からの隷属要求に膝をつかざるをえなくなり。
そして事実上の滅亡となった。
王子……王子でなく国王となっていたが……彼はリリン嬢と共に公開処刑となった。
この時の公式な処刑理由だが、サジェン国はテルル領に対する扱いの問題をとりあげている。これについては何人かの歴史研究家が首をかしげているが、無理も無い。通常、侵略国が負けた国の王などを処刑する場合、民衆が喜びそうな、単純でわかりやすい理由を表向きに掲げるものだからだ。
これについてだが、最近判明した事がふたつある。
ひとつは、最初の王子の婚約破棄劇の際、サジェン国の外交官が居合わせたらしい事。
もうひとつは、サジェン国にも魔の森があるが、ここの『魔物使い』たちとサジェン国のやりとりの中に、どうやらレナ嬢との交流があり、多くの新世代を育てたらしい内容が見受けられる事。
そして、かの国の魔の森に対する扱いの悪さへの不快感……。
これの事から、ひとつの推測がたてられる。
つまり、サジェン国の侵略の理由にもレナ嬢の活躍が関係していた事。
さらにいえば。
かの王子がレナ嬢を婚約破棄の果てに追放した事が巡り巡って、完膚なきまでにかの国を滅ぼしてしまったのだという事でもあると思われる。
たったひとりの愚かな王子の失敗がひとつの国を滅ぼし、そしてひとつの国を動かした。
失敗は政治の本質であり、いかにそれをリカバーするかが政治家の腕の見せ所だともいうが……せめて現代の政治家には、このような失敗はしてほしくないものである。