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星のかけら

作者: 素子

 半兵衛は漆工で細工師だ。指物もこなす。腕はなかなかと評判で、仕事が早くて丁寧なので近頃は依頼も途切れることなく名も知られるようになっていた。

 そんな半兵衛は仕事場で胡坐をかいて腕を組み、じっと壁を睨んでいた。

 仕事に入る前の半兵衛の癖だ。頭の中にさまざまな文様、模様、工程などを練り上げている最中なのだ。

 相模屋のご隠居こと美濃吉から、半兵衛が依頼を受けたのが春のこと。身代を息子夫婦に譲り渡し、気楽なご隠居として過ごしている美濃吉はなかなかの趣味人で、ことに茶道への傾倒は音に聞こえていた。

 

 茶道はただ茶を飲むだけでない。極限まで洗練され研ぎ澄まされた最小の動作に実用と美を見出し、心を静めその場限りで再現のかなわない精緻な時間と空間を作り上げる。茶道を究めようとすれば、自然道具立てや教養にも凝ることになる。

 書、画、建築、茶道具、生け花、庭づくり、着物に香に古典など『茶を飲む』という狭い入口は一生勉強、一生探求の広い世界に繋がっている。


「硯箱を作ってもらえないだろうか」

「へえ。どのような意匠にしましょうか」


 隠居所と称した離れは小さいながらも美濃吉の趣味を生かした、凝ったつくりになっている。さらりと茶をたて、近所の菓子屋から取り寄せた桜を模した菓子を供されながら半兵衛は真面目に耳を傾ける。

 美濃吉は好々爺然とした柔和な表情で、端然と座っている。

 割に体躯には恵まれていてその美濃吉が大きな手で大事そうに茶碗を扱うのは、道具への思いやりにあふれているように思えた。


「毎年、夏に俳句にことよせた茶会があってな。それに合わせたものを頼みたい。できれば漆塗りで蒔絵か沈金、螺鈿まで施して欲しい」

「漆でですか」


 半兵衛の作るものはすっきりとしたものを好む土地柄、木目を生かしたあっさりとしたものが多い。漆塗りだって模様はない潔さか、反対に大胆な物を乞われることが多かった。

 かつての都の流れをくむ指物も作れ、漆工としての心得もある。ご隠居はそれも見越して半兵衛に依頼したのだろう。

 あとは先達らしく見所のある職人を育てるような心づもりか。


「ご隠居、期限は」

「来年の七夕に使いたいのでそれまでに。箱はお前さんのところの物を使ってもよい。一から作るとなると時間が倍かかるだろうからね」


 ご隠居は粋にお茶を飲み干した。

 頼んだよ、と念押しされてしまえばはいと頷くしかない。

 

「では夏の意匠で」


 漆の塗りだけなら箱の制作と合わせても一年まではかからないが、蒔絵や螺鈿までとなればかなり苦しい。お武家に納める場合など二年や三年を費やすこともあるらしい。

 半兵衛はご隠居の依頼にかかりきりになる。ご隠居はそれも見越してか安くない額で半金を渡してくれた。材料費は別に請求というなんとも太っ腹なことだ。それだけに下手な物は作れない。

 半兵衛の職人としての腕がなる。

 幸いに硯箱としても適当な箱は手元にある。仕切りを作り丁寧に磨いて表面をならして、麻布を張ってさらに漆を塗り重ねる。角の補強も済ませてどうやら箱の方は目処がたった。

 問題は意匠の方だ。夏、七夕といえば彦星織り姫、星や蛍、波や花火などが思い浮かぶがさてどうしたものかと悩み抜く。


 この世界も分業化しているから、後は人に任せてもいいのだがご隠居の期待には応えたい。第一最後までやり遂げたい気持ちの方が大きかった。

 朝顔、ほおずき、鉄線などの花の意匠でもよいかとも思うが、あの大柄なご隠居に花の硯箱ではどうにも似合わない。

 残りの日数を考えれば悠長にもしていられないのだが、これが決まらないことにはどうしようもない。

 箱までは順調にあがったが、かくして半兵衛の壁をにらむ日々が続いた。

 あっという間に夏も過ぎ、気付けば秋も深まろうかというまでになっていた。



 独り者の半兵衛は夕餉は近くの店ですます。毎日というわけではないが自分で作る時間も惜しい時や、外の空気を吸いたくなった時などにふらりと往来を歩いて馴染みの店に顔を出す。

 その日もいつものように、のれんをくぐった。


「おやいらっしゃい。家にこもりっきりと聞いていたのに、なんだい思い詰めたような顔しちゃって」

「うまいのを頼む、酒もつけてくれ」

「はいはい、うちはいつでもうまいのしか出さないのにさ。さ、こっちに座っておくれ」


 歯に衣着せぬ女将に促され、木の椅子に腰を下ろす。さてあと数か月で仕上げなければならない。秋から冬に向かうこの時期で七夕とは季節の先取りも極まれりだと、半兵衛は自嘲めいた笑みを漏らした。

 薄味好みの半兵衛に合わせて、煮魚と季節の野菜の炊き合わせ、しじみ汁が出てくる。酒は少し甘め。

 

「これも食べてしゃっきりしなよ」


 青菜のおひたしを女将が置いていく。歯ごたえがあり、確かにうまい。

 しゃっきりか……。うじうじ悩むのは性にはあわないが、ご隠居に認められたい思いが強いのかあれこれと紙に描き出してもどうにもしっくりこない。さてどうしたものかと熱々の飯をかき込みながらどこぞによい景色でもないかと埒もないことを考える。


「ここ、よろしいか?」

「どうぞ、勝手にやってくれ」


 さして大きくもない店だ。相席など珍しくない。半兵衛は飯に視線を落としたままで相手が向かいに座るのを赦した。


「お武家さま? ここは初めてかい。見ない顔だね」

「いや、そんな大したものでは。先頃越してきたばかりで。お薦めはなんだろう」

「じゃ、こっちで見繕うよ。好き嫌いはないかい?」

「なんでも」


 品の良い、涼やかな声だと思ったのが第一印象。清涼な岩清水のようだ、と半兵衛は思い顔を上げた。

 果たして本人も下町の料理屋よりは、料亭が似合いそうな色男だった。着ているものも悪くない。月に兎など題材としてはありふれているが、生地のぼかしで滲んだ夜空を表現し、また兎がいかにもといった楽しげな様子で跳ねている。

 これはどこぞの坊ちゃんか、風流かぶれの武家のお人か。

 半兵衛と目があって、その男はにこりと笑んだ。長い髪を一つにくくって流している。それでいて腰には刀を帯びているのだから、ますますもって正体不明の風体だ。


「それ、美味しそうですね」

「青菜か? ああ、ここのは大抵何を食ってもうまいぜ、いやうまいです」

「そうかしこまらずに。何を食べても、か。ならば楽しみも増すというもの」


 先にきた酒を口に運んで、その男は台所の方を見やった。

 ほどなく女将ができあがったものを持ってくる。季節の野菜の炊き合わせは半兵衛と同じだが、秋魚の塩焼きにはじかみの朱が映えている。

 しじみ汁ではないすましに、温豆腐もついていた。


「これはまた。女将、あと青菜も頼みます」

「はいよ」


 実に嬉しそうに男は出されたものを平らげていく。箸使いにも品があってまるで、そう茶懐石を食しているような研ぎ澄まされた動作の美を感じた。

 男は半兵衛が恐ろしく真剣な眼差しで一挙手一投足を見守っているのに気付いたらしく、合間で茶に手を伸ばした。


「私の顔に何かついていますか?」

「あ、と。すまねえ、じゃなくてすみません。お武家さんの身のこなしが、なんていうかあんまりにも粋だったんでつい」

「おや、褒められた。お武家なんてたいそうなものではないので、普通の口調でよいのに」


 ひびの入った湯飲みを口に運ぶ仕草まで優雅なのだから、いよいよ本物だろう。

 良い物を作るには良い物を見て触れて味わう。かつての師匠からそう教えられていた半兵衛にとって、近所の料理屋でこのような洗練を目の当たりにできたのは望外だった。


「職人とお見受けするが。うまいものを前にずいぶんと渋い顔をしている」

「ああ……七夕に悩まされているんだ」

「七夕」


 見事に骨だけを残して塩焼きを食べきった男は、遅れてやってきた青菜に箸をつけている。噛みしめる音が半兵衛にも聞こえてきた。しゃきしゃきといかにもうまそうな音だった。

 さして飲んだわけでもないのに妙にこの男相手には口が軽く、七夕が期限の硯箱の話をしていた。丁寧な口調でなくてもと男が言い出したので、ついつい素の物言いになっても不快に感じている節はない。

 男は黙って半兵衛の話を聞いていた。愚痴ともつかない話が終わった頃合いで、ふと袂から何かを取り出した。


「いい物をあげましょう」

「これは何だ?」

「星のかけらですよ」

「はああ? いや、冗談いっちゃいけないよ」

「信じていませんね。でも本当なんです。持っていて下さい。きっと助けになるでしょう」


 男は謎かけのような言葉を残すと、勘定を置いてのれんをくぐっていった。

 半兵衛は手渡され反射的に受け取った物をまじまじと見つめる。それは青い石くれだった。


「は、星だなんて大ぼらふきやがって」


 それでも何となく懐にしまいこんで、半兵衛も勘定を済ませた。

 帰る道すがら空を見上げる。暗い漆黒の夜空に白とも黄色とも、あるいは赤にさえ見える小さなまたたく光達。

 どう考えても懐の青い石が星には見えない。


「かつがれたかな?」


 半兵衛は独りごちて粗末な住まいへと戻った。



 漆は埃を嫌う。だから人の少ないところで借家住まいだ。掃除をして、舞い上がった埃が落ち着いてから作業に移る。

 あれほど悩んだ意匠だが、あの料理屋で向かいに座った男が美しく食べた魚が呼び水になったのか観世水から滝を登る鯉の絵図がふっと頭に浮かんだ。それだけでもよいかと思ったが。

 何故だか捨てられなかったあの青い石を、半兵衛は少し砕いて乳鉢ですりつぶしてみる。それはさらさらとした、薄青い粉のようになった。


 観世水は銀の蒔絵で、鯉は小さく、そしてしぶきは水に近い方は銀粉で、跳ね上がった方を金粉で表してみる。平蒔絵の手法でやろうと決めた。漆で文様を描いてそこに銀粉や金粉を蒔いていく。鯉は螺鈿で細工した。

 半兵衛は蒔いた金粉にあの青い石をすりつぶした粉を混ぜてみた。そうすると水のしぶきが漆黒の夜空に瞬く星々に変化していくように見えた。

 どうして、あの石を加えるつもりになったのか。半兵衛にもよく分からない。

 ただ青が涼しげで、あの男自身も清水のような印象だったからとしかいえない。


 文様の部分に摺り漆を施す。あとは神経を使いながら研磨していく。側面も同じように作りながら、鯉は滝を登って龍になるという故事になぞらえて、蓋の裏側には龍の爪の文様を施した。宝珠をつかむ様子を金粉とあの石の粉を用いて表し、月にも見えるようにした。

 好々爺然でありながら、若い頃には相当の修羅場をくぐったと言われているご隠居には相応しいと思ったからだ。

 最後の方は文字通り寝食を忘れるような入れ込み具合だった。



 雨が緑を美しく見せる時節に、半兵衛は相模屋のご隠居、美濃吉のもとを訪ねた。


「出来上がったのかい? 早く見せておくれ」


 促されるままに、半兵衛は風呂敷包みをといていく。現れた硯箱に、美濃吉の鋭い視線が注がれた。じっと見据え、側面も穴の空くほどに観察される。

 半兵衛にはいつもこの時間が緊張していけない。胃の腑がきゅううっと絞られるような気がして、生きた心地がしないのだ。

 美濃吉はそっと蓋の側面に手をかけて、蓋をひらいていく。見透かすような目が下箱の隅々まで這い、くるりと蓋をひっくり返して今度は裏側を吟味する。

 経験はないのに、まるで居合いをやっているようだと半兵衛は感じる。

 美濃吉の気と半兵衛の気がぶつかり、渦巻き、相手の出方を待っている。


「半兵衛」

「……へえ」

「よい仕事をしておくれだ。ありがとう」

「ご隠居さん、それはこっちの方です。この仕事に取り組めて有り難かったのなんのって」


 じっくりと取り組めたいい依頼だった。

 ためつすがめつ硯箱を眺めながらご隠居に満足げな笑みが浮かんだ瞬間に、半兵衛の職人魂は報われたのだ。

 残りの金に多少色までつけてもらって、半兵衛は無事に硯箱を納めた。



 七夕の茶会はつつがなく終わったと、わざわざ半兵衛を呼び出して美濃吉は茶を点てた。夏らしく涼菓は寒天の中に金魚が泳いでいる。茶碗は瑠璃色の天目だ。

 茶の心得は茶道具に携わるときに師匠からたたき込まれた。いっぱしの手つきで茶をすすり、苦みの後でほのかに舌と喉に感じる甘みを味わう。


「あの硯箱は好評だったよ。ああ、不思議なことにな、あれを違い棚において眠ると不思議に夜空に漂うような心持ちになるのだ」


 暑さの堪える時期に、体が軽くて楽だと美濃吉は顔をほころばせた。

 半兵衛は茶碗を畳において、結構なお点前と亭主に感謝する。


 ご隠居のところを辞して夕焼けが美しい時間にそぞろ歩いていると、おやあなたは、と声をかけられた。

 振り向けば料理屋で相席した、あの男が佇んでいる。


「お、兄さん。奇遇だな。俺はいいことがあったんで気分がいいんだ。ちょいと付き合っちゃもらえねえか」

「奢りなら」

「もちろんだ。なんせ兄さんからもらった石が、いい仕事をしてくれたからな」

「それならあれも本望だろう。還ることはあたわずとも、いつまでも輝けるようならば」


 半兵衛は男の独り言に、もう笑わなかった。

 ご隠居の美濃吉が呟いていたように、半兵衛も眠ると体がふわりと夜空に浮かんだような気になるからだ。狭苦しい住まいから広大な空間に身を委ねたような、不思議な感覚を夜毎味わっていた。

 あの石の残りを持っているからだろうか。

 本当にあれが星のかけらなのか、どうしてこの男がそんなどえらい物を持っていたのか。何故半兵衛なんぞによこしたのか。

 聞き出したいが、そいつは野暮ってもんだ。

 半兵衛はにやりと笑いかけた。


「あの料理屋にいい鰻が入ったんだと。下り酒でやらないか」

「それはそれは、豪勢で美味しそうだ」


 鰻も上方からの下り酒も普段の庶民には高嶺の花。男も承諾して、二人は並んで歩き出す。

 空は茜色から薄青、群青にと変わりつつ、ちかり、と星が瞬いた。







 

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