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悪役令嬢を弁護します~婚約破棄から始まるアーサー・ドイルの推理劇

作者: kuroe113
掲載日:2026/05/03

ミステリーに初挑戦してみました。

「エリザベート、貴様、自分がいったい何をやったのか分かっているのか!」



 全校生徒が集まる、集会の場。この国の貴族が多数集まるロワイヤル学園の中であるからか、歴史を感じさせる重厚な石造りの建物を、美しいシャンデレラを照らしていた。



 磨き抜かれた傷一つない大理石の床の上で、今この国そのものを分裂させかねないやり取りが行われていた。




「はっ、どういうことですの……?」



 しかし、声をかけられた本人は、状況を理解できないのかポカンとしていた。



「この期に及んでもしらばっくれるのか!」


 ハイドリヒは一人の少女に対して目線を向けた。

 そこには、包帯を手足にきつく巻きつけた可憐な少女がいた。



「お前が、お前なんかが、メアリーに危害を加えたことはもう分かってるんだぞ!

 あんな痛ましい彼女を見ても、何も思わないのか」


「いや、あの……」


 ハインリヒが怒りを燃やせば燃やすほど、エリザベートの心は冷え冷えになっていた。



「メアリーのノートを破り捨て、持ち物を隠す、はてには7日前に俺が渡した万年筆を壊しておいて……今まではメアリーが止めるからこそ、我慢してきたが、もう我慢の限界だ。

 このような、心の汚いお前に、この国の未来を照らす王妃の座をつかせるわけにはいかない。

 よって、今ここに王太子として、エリザベート、お前との婚約を破棄させてもらう」




「お待ちになってください。確かに、万年筆を壊したのは認めます。しかし、それは単なる偶然の産物。というよりも、こんな学園の集会で、そのような大事を決定するのは……」



 縦方向に奇麗にセットされていた金髪の髪が、大きく左右に揺れる。


 チラリと、普段から何があろうとも自身の味方です徒おべっかを使っている連中は視線を横にそらした。

 つまり、エリザベートは単独でこの状況をどうにかしなければならない。



 絶対に、彼女にはひくわけにはいかなかった。


 何せ、自身と、この皇太子との婚約は、家と王国が話し合いの末に決まった契約なのである。

 それをまだ王でもない皇太子が、それも独断で破棄するなど、何をどう考えても厄介ごとの気配しか感じない。



「そもそもの話、わたくしがやったという証拠があるのですか。証拠もないのに決めつけるなど、バカらしいとは思いませんか!」


「そんな事は決まっている。貴様意外にこんなことをする人物がいないからだ。今までお前がやって来たことを忘れてなどいわせんぞ」


「メアリーさん、本当に、本当にわたくしの姿を見たのですか?」


「そ、それは……」


 突き落とされた本人であるメアリーは言葉を濁した。



(メアリーさんが私の罪をかぶせたと考えていましたが……)


 その姿を見て、ハイドリヒが自分との婚約を破棄したいあまりに、難癖をつけたのだと、エリザベートは理解した。


(そうだとしたら困りましたわ。その場合、真実かどうかなど意味をなさない)


 猿に小説を書かせるのと同じくらい、頭に血を登った人間を説得するのは難しい。だが、それ以上に困難なのは嘘でも真実でもいいと割り切った相手を論破することだ。


(こんなの、小説の中の名探偵であろうとも、説得なんて不可能ですわ)


 きつく唇をかみしめ、己の知識を総動員するも、しかし、打開の道は見つからない。



「さあ、王太子としての命令する。さっさとこの罪人を連れていけ」


「え!」



 命令に、学園付きの衛兵がぎょっと目をむき足にした。


「本当によろしいので、このものには弁論の機会も法廷に立つ権利も有しておりますぞ」



 明らかな横闇破り。

 司法機関の手続きを完全に無視した強硬策だ。。


 しかも相手は公爵家のご令嬢。

 もしもこれが真実であったとしたのならば、まだどうにかなる。しかし、これが勘違いであったのならば……。最悪、内戦だ。



「どうした!」


 王子の一喝。

 その一声とともに、王子の取り巻きたる、現在の将軍、宰相、辺境伯。

 その子息たるこの国の未来が動いた。


 ガッシリと、


 日頃の恨みもあってか、指で肉を食い破れるのならば食い破って見せると、それほどの気迫をもって、肩を握られた。



「そんなことせずとも、わたくしは一人でも歩けますわ!」


 蝶よ花よと育てられた貴族の令嬢が生まれて初めて受ける、罪人としての扱い。

 戸惑いはあれど、それを外には見せぬと、エリザベートは自分を引っ張る手を払いのけると、自ら守衛に手を差し出した。



「先生!」


 今度は令嬢の甲高い声が響いた。


「このたび、わたくしエリザベート・アイリッシュフォードはしばし、この学校を休学させていただきますわ」


「困難にあろうとも、気高さを失わないその姿勢素晴らしい! たとえどれだけ欠席しようとも、マナーの成績に関しては満点をさしあげます」


 それだけ言って、今度こそ彼女はエレガントに牢屋に向かって運ばれていった。





 ドンドンドン、ドンドンドン!



「アーサーさん、アーサーさん、事件ですよ!」



『執筆中、誰も入るな』


 執筆中はわずかな音にもストレスから過敏に反応してしまう。そんなアーサーのメッセージを無視して、下宿先の女主人が姦しい声で、盛大に騒ぎ立てる。



 その後ろには、今がタダならぬ事態が起きていると知らせるように、黒く清潔感のある執事服を着込んだ壮年の紳士が張り付いている。




 どうぞと、部屋の主から許可が下り入室すると、



「げっほげほげほ……」


 部屋の主人は椅子に座り、パイプを吹かしていたのだが、どうにも煙が身体に合わなかったらしい。

 吸う息よりも、むせ返り吐き出し大気のほうが多いくらいだ。



 この20代をほんの少し超えたくらいの若い男こそがアーサー・ドイル。

 最近撮り潰された男爵家の三男坊。

 その正体は転生者であり、近年巷で話題となっている、推理小説、シャーロックホームズの生みの親と誤解されている、若き作家であった。




「まったく、驚かせないでくれよ!

 君のせいで喉が痛いんだが!」


 と、いまだに小刻みに揺れる喉を彼は優しくさする。



「あなたが吸えもしないのにパイプを吹かしているからでしょ」


「仕方がないだろ。ホームズがヘビースモーカーだ!

 周囲の人間から作者ということで彼のようにと期待されるのだぞ!」


「今からでも遅くありません。健康を気にしてたばこをやめたということになされては?」


「そしたら、吸い殻の分析法の精度が下がるだろ」


 アーサーは、吸い殻もまた資料だとして、きれいにファイリングした。




「実は、急いでいるのだ」


 その悠長な態度が気に入らなかったのだろう。執事は家主の許可もなく、椅子に座った。



「それで、アイリッシュフォード家の執事殿がどうして三文作家の部屋に訪れたので?」


「失礼、どこかでお愛したことがありましたかな?」


「気がついていないなら、言っておきますが、そのネクタイピンに家の紋章がついていよ。おおよそ10度ほど曲がっていますから、直してはどうかな?」


「まさか、小説の中の推理を実際にできるとは!」



 アーサーの推理を耳にすると、執事はさすがだとほめたたえた後、曲がったネクタイピンを直した。



「その、観察眼を見越して」


 執事はことの詳細を語るまえに、ドンと金貨が満載になった袋を机の上に置いた。



「観察眼ね、もしかしてだけど、この私に探偵のまねごとをしろと……」


 しかし、アーサーはそんなものには一切興味を持つことなく、うんざりだという思いを隠そうともしない。



「意外ですね。お得意の推理では何もわからないのですか?」


「予想はつくさ。ただ、予想通りだった場合、あなたがたの評価を一段から二段落さなければならない。ただの物書きに何を期待しているので」


 できれば新しい作品の執筆依頼であることが望ましいのですがと、アーサーは皮肉を飛ばした。



「なら、私共はあなたの評価を暴落させることとなりましょう」


 頭痛を押さえるように、アーサーは額に指を置いた。

 その態度に執事たちは眉をひそめはするも、本業でないことを押し付けている自覚があるだけに、何も言わない。



「それで、いかなる事件を解決してほしいので……、この脳髄を刺激してくれるほどに複雑怪奇な事件であることを望むのだがね」


「ならば、私共はまたしてもあなたを失望させることとなりましょう」


 執事の重い重いため息を見て、即座にアーサーは机のうえにある金貨を返した。



「こんな不出来な作品しか書けないボンクラ小説である私ですが、それでも作品を心待ちにしている読者がいるのです。

 その読者をほったらかしにしてまで、雑務にかかわることはできません」


 もっともらしい理由、もっともらしい言い訳を並べるも、その本心は面倒ごとはごめんだという一点だった。



「そうですな、リアルと小説は別物。

 小説の中のヒーローのように現実で苦しむお嬢様の冤罪を晴らしていただきたかったのですが……。

 無茶な事件に付き合わせたことを謝罪いたします」


 もっとも言いたいことだけ言い残し、執事は退室しようとする。

 その背中を、アーサーは目をらんらんと光らせ見つめていた。



「もしや、この事件の影で冤罪に苦しんでいる誰かがいるのか!」


 慈姑話題だというのに、情熱は燃えていた。



「ええ、当家のお嬢様が!」


 執事はうなずいた。



「そいつは無実なんだな」


「間違いなく」


「そいつは被害者なんだな」


「ええ」


「確実に」


「もし、違ったのならば、この命をかけましょうぞ」


「そんなに大事なことをどうして後回しにするんだ。

 くだらない痴情のもつれかと思い、関わり合いになりたくなったのだが、それならば話は別だ。協力しよう」


「本当ですか」


「もちろんだ」


 こうして、2人は握手を交わした。





 そこはまだ秋だというのに、肌寒さを覚える石の牢獄だった。


 貴族。それも年若い令嬢がつながれているからか、きっと看守が精いっぱい清掃したのだろう。

 一切の汚れも悪臭もない、牢獄とはとても思えないほどの清潔感にあふれていた。

 だが、すごしやすさを追求したとしても監獄は監獄。


 皆が彼女を害さないようにと気を使ったものだから、近くには他の囚人、悪態をつく看守も、忍び込んでくるネズミすらいない。


 だからこそ、静寂があふれていた。

 それは冥府のように、生者がいないからこその静寂だった。


 段々と自分が生きているのか、死んでいるのか。その感覚すらあやふやになる暗い暗い檻の中は今活気に満ちていた。



「なるほどなるほど、つまり、あなたは彼女の万年筆を破壊したことは認めるが、それ以外の犯罪についてはについては断固として否定するわけだ?」


「もちろんですわ。ノートの破損、階段から突き落とした件については絶対にわたくしはやっていません!」


 ふむふむ、とアーサーは頷いたうえで、この証言を記録している3人に視線を向けると。

 執事は痛ましげに、宰相の息子はミハエルはエリザベートを忌々しげに睨め付け、学校の教師は早く面倒な仕事が終わってくれることを心の底から望んでいるようだった。




「お嬢様は髪型を変えたようだ。

 話を聞く限り、普段は縦ロールだそうですが」


「ここは牢の中ですしね」


「私としてはそちらのほうがお似合いと思いますよ!」


「あら、お上手ですこと。これがハイドリヒだったら、きっと、髪型を変えたことにも気が付かないでしょうね。あの人、一度たりとて、女性のオシャレをほめたことがないんですもの。

 あれほどまでに気をかけているメアリーにだってそれは同様ですのよ。

 9月の初め頃。赤い十字をかたどった髪留めを身に着けているというのに、皆気付きもしないで」



「このやり取りになんの意味がある!」


 アーサーとエリザベートがのどかに話し込んでいるものだから、横にいたミハエルが速く本題に入れとせっついてきた。



「私が騎士ならば、強引な取り調べもできたでしょうが、ここにいるのはただの探偵だ。

 貴族のお嬢様相手に手荒な真似などできませんし、するつもりもない」


「あら、紳士なのね」


「なので、できることは話をして、どこかに矛盾がないか探るくらいだよ」


「それならばどうして、そのような口説き文句を口にする」


「決まっているだろ!

 会話の流れから先を読ませないためだ。

 思考が事件一点で占められていては、先読みされ、嘘の返答を用意されかねない。

 だが、こうして、日常会話を挿入すれば、相手の先読みを崩壊させることができる」


「さすがだわ。人の心の機微に敏感なのね。好きな女の髪留めの変化に気が付かない誰かとは大違い」


「僕は気が付いていた!」


 ミハエルの断言をエリザベートは全く信じていないからか、疑わしげに見ていた。



「だが、意外だ。僕は君がこの女を弁護するために来たと考えていた」


「まさか!」


 アーサーは机の上に肘をついた。



「もしも弁護なり、証拠の隠ぺいをしてほしいというのならば、巷で噂になっている公爵家の黒い手にでも頼めばいい。

 というか、ただの作家に何を期待しているんだ!

 私はただ真実を明らかにするためにここに来た。その真実が依頼人に不都合なものだろうと知ったことか!」


 アーサーの本音を聞いて、執事の表情が苦虫を噛み潰したように歪み、ミハエルの表情からは険しさが消えた。



「つまり、君はこの女の見方をするつもりはないと」


「どちらの世話になったことがない第三者に頼むんだ。

 どちらにも肩入れするつもりなんてないんだが」



 ――パチパチパチパチパチ



 ミハエルの疑いに、アーサーは信念で返した。

 その男気をたたえるかのように拍手が響いた。


「セバス。こんな面白い人材を見つけてくるなんてね」


 執事とアーサーへの賞賛は狭い石造りの部屋の中だから、何重にも反響した。

 


「余裕だな、だが、その余裕も長くは続くまい。

 誰が何をどう見ようと、犯人はこの女しかいない。

 自ら招いた破滅に後悔するのを楽しみにしている」


 苛立たしげに告げるミハエルに執事が待ったをかけた。



「お嬢様がメアリーさんが階段から突き落とされた時刻。

 その時にはアーサー殿の作品風に言うのであればアリバイが存在します」


「だから無実だと。僕をバカにするな。そんなもの、部下なり、取り巻きなりを使えば説明できる」


「部下……とりまき……ね」


 ミハエルの宣言に、何だかんだで、これまで感情を悟らせぬように、淡い微笑を絶えず浮かべていたエリザベートの笑みが確かに陰った。



「わたくしとしては、彼らのことをお友達と考えていましたわ。

 でも、きっと彼らはそうではなかった。

 誰一人、そう、一人としてわたくしのもとを訪れた人物すらいないのですよ」


 今でも、友情のはかなさを信じられないのだろう。

 愁いを帯びた表情で、窓の外を眺めた。



「だから、取り巻きの中に汚れ役を買って出たものはいませんわ。

 古来より、暗殺者というのは、所詮は捨て駒。わたくしが危ない時に寄り添おうとする者がいないのです。わたくしのために犠牲になろうとする人間などさらにいるはずもありません」


「まぁ、暗殺を国の上の人間がやることは意外に少ないものだよ。

 何せ、国家というのは巨大な歯車仕掛けだ。

 一つの部品が消えただけで機能不全を起こすようなもろい機械であれば、放っておいても崩壊するさ。

 それこそ、超遠隔操作できるゴーレムを量産でき、その目による監視網と、その場にいなくとも人を殺せるようにならなければ、気軽にはできないはずだ」


 そんなことできるはずがないと、この国で最高の教育を受けた2人の貴族は笑い飛ばした。

 ただ一人、アーサーの表情は遠い未来を見据えていたが、その事実に気付くものはいない。



「つまり、君はエリザベートと直接顔を合わせたこともないような下っ端が事件を起こしたとでも言いたいのか?」


「被害者が犯人を見ていないのなら、ありとあらゆる可能性を考慮するべきだ」


 後で、勝手に動かない取り巻きと、結婚にやる利害関係にある人物をリストアップしてくれと頼む。



「なるほど、どうやらただの作家風情ではないらしい」


 協力は惜しまないとミハエルは納得した。




「さてと、ではお嬢様。……ああ、ここでは紙とペンくらいの差し入れは可能でした?」


 こうして和やかな雰囲気が形成されたその瞬間。

 アーサーは爆弾を投げ込んだ。



「その、これから一体何をするので?」


「決まっている。協力してくれると約束してくれたので、早速あなたの聞き込みだが」


「まさか、僕のことを疑っていると」


「……? どうしてそうなるので」


 アーサーは、コテンと首を傾げた。



「今やろうとしているのは時間軸の整理ですわね」


「その通り。権力者は時として白を黒に変えられる。

 しかし、時そのものを操ることはできない。

 やったことは不可逆であり、その不可逆の痕跡をたどって探偵は真実を逆算する」


「この場合、わたくしが嘘をついているというのであればどこかに矛盾が出てきますわ。

 そして、今、わたくしの目の前には敵対者がいる。わたくしがどれだけ圧力をかけようとも黒を白とは逆転させない信念を持つ人物が。

 もしも、わたくしが嘘をついているのならば矛盾が浮き彫りになる。

 もっとも、わたくしの言葉に矛盾が見つからなくとも、あなたはきっと疑い続けるのでしょうが……」


「そうそう。そういうわけで、うその証言をしていないかを確認するために、後ついでに、人による勘違いを防止するために、被害者と、被害者と長時間行動を共にした複数の人間から、事件や、ここ最近のできごとについてお聞きしたいんだ」


「なるほど、この女が付いたであろう、欺瞞をあぶりだすためのものか……」


 聞き込みと聞いて、ミハエルは自分に事件の矛先が向いているのではないかと警戒した。

 実際、この場にいる執事に関しては自作自演を半ば確信していた。

 決して逃がしはしまいと、無意識のうちに入口の方に一歩踏み出している。


 結果として、執事は手を煩わせることはなかった。

 問題なしと判断したミハエルが尋問を受け入れたからだ。




「さてと、改めて時系列を整理させていただきますよ。

 ここ最近で最も大きな事件が何かね」


「その女と同じというのは気に食わないが、新学かな。

 9月1日。わざわざ王妃様がおとずれ、スピーチをしてくださった。

 この国の人間として、これ以上の名誉があるものか」


「その上で、王妃様はメアリー嬢について、何か語っていたので?」


「何かとは……?」


「何せ、王妃様自身が定めた婚約を本人が否定しているのだ。王妃様視点から見れば面白くない展開なのではない。

 王妃、あるいは王子は何か言ってはいなかったのかね?」


「特に、何も言ってはおられませんでした」


 断言に疑わしきところはなかった。

 なにせ、身内のごたごただ。

 親友であろうとも口にしないというのは十分に納得できる。



「それで、あなた自身はメアリー嬢をどのように思いで。

 今、メアリー嬢に対して、危害を加えたとして、エリザベートさまに怒りを燃やしておいでですが、王子の婚約者を傷つけられたからお怒りなのか、それとも、あなた自身の意志で、エリザベート様に怒りを燃やしているのか、どちらなので?」


「それは……答える必要があるのか」


 返答は針のようにとげとげしかった。

 この下種めと、勘繰りに対して腹を立てているのだろう。



「ない……ね。

 今ので、確認できましたから」


 声にならない心の声をアーサーは聞いた。



「そして、新学期から10日後。11日に事件が起きた。確か、メアリー嬢の万年筆を破壊したのでしたっけ」


「ああそうだ。この女が、あんなにも可憐な、メアリーの私物を破壊したんだ」


 怒りに、拳をぎゅっと握りしめるその姿を見て、アーサーは頬の端をひきつらせた。

 一人の女に複数の男がいいよる。それも国内有数の貴族、権力者の子息がだ。

 まだ、権力闘争の結果だというのならば、くだらないとは思えるが、それでも解くに値する謎になるだろう。

 しかし、この状況。

 偶然ぶつかったという事故でなければ、痴情のもつれの末の事件だとしか考えられなかった。



「そして、それに続く16日に彼女の教科書、ノート類が破壊されたと」


「ああ、少し前に、ハイドリヒが彼女にプレゼントとして万年筆を渡していたから、それが気に食わなかったのかな」


「へぇ、これに関しては、エリザベート様の証言にはありませんでしたね」


 新情報について問いただせば、エリザベートは首をゆっくり横に振った。



「そんなこと知りませんわ。

 使っている万年筆が変わった程度、男性だって、女性のおしゃれに全く気が付かないのと同じです」


「だ・か・ら! 僕はきちんと気が付いた。嘘じゃない」


「どうだか……」


「まぁ、女性のおしゃれに男性が気が付かないというのは、古今東西のあるあるだがね」


 この2人は王子の婚約者とその親友だ。

 幼いころから交流があったとしても、アーサーはおどろかない。



「そして、そのことで女性が機嫌を悪くするのも」


 と、ミハエルがつかれたように過去のやらかしを思い出した。



「その点でいえば、あなたの髪型についての評価は100点をあげたいものですわ」


「褒めても何も出ませんよ」


「あらやだ」


 エリザベート自身、何かを期待していたわけでもないのだろう。

 あっさりと引いた。



「だが、うん……まぁ」


 アーサーは何かを言いかけ、そして止める。



「それで、教科書が破壊されていた時の状況。その日何があったのかを教えてくれませんか?」


「あれは、確か、メアリーが外の授業に行った帰りかな。

 教科書、ノートも破られていたのが発見されたんだ。

 不安がっている彼女に、教科書がないから貸してあげたのを覚えているよ」


「そして22日に階段事件と……」


 アーサーは会話の中で、時系列を組み立てていく。



「さてと……」


 牢獄から抜け出すと、アーサーはトイレの鏡の前に立ち、髪型とスーツの乱れをチェックする。

 普段、ずぼらで、服装なんてどうでもいいと言ってのける彼であろうとも、これから尋ねるのはこの国の王子なのである。

 さすがに気を使う。


 慣れないことをしたせいで、気が散り、そのせいで、遅刻しそうになってしまい、慌てて走り出す。

 せっかく整えた服装がまた乱れてしまったのは皮肉といえる。





「聞いたぞ。エリザベートの有罪を確定すべく動いているのだな」


「残念ですが王子。私が追い求めるのは真実のみ。

 彼女が本当に黒であればその結果として、彼女を有罪にするだけだ」


「ならば問題ない。あの女が黒であることは間違いないのだからな」


 王子は自信満々に断言するが、アーサーは、本当に今の事態を分かっているのだろうかと、不安になってくる。



「とはいってもだ。もう、貴殿があの女を気にかける必要はないのだぞ。

 時期に、公爵家から追放されるのだから」


「それはまた」


 普通なら、ゴシップだと聞き流せる展開も、相手が王子であるから信憑性が高い。



「公爵家の連中も、あの女の精神の醜悪さを知っているのだ」


 だからこそ、かばうことなく見捨てたというのが、王子の推測だった。


 アーサーからいてみると、貴族、その中において事実上の頂点である公爵家がこうもあっさりと自分の非を認めたという事実に嫌な予感しかしない。


 一切の事前準備無しにお嬢様を拘束したのだ。

 最悪内戦になりかねないと思ったのだが、あるいはこの動きが迅速すぎて内戦になるのを避けるためなのかもしれない。



「それで、正式に、その事実が通達されるのはいったいいつになるので」


「3日後だ」


「そうですか」


 アーサーは地平線の彼方で、いままさに沈もうとしている太陽を見た。

 今日はもう、王子以外へ聞き込みをするのは厳しいだろう。

 つまり、実質2日間でアーサーは真実に到達しなければならない。



「以前から、あの女はメアリーに対して当たりが強かったが……、このような蛮行に及ぶとはな。

 昔からの中だ。私物の破壊までは許せたが……、それにしても、彼女は元から貧しく、筆記用具一つ消えただけで代わりの品がなく、小鞠に困っていたのだ。

 その上で怪我までさせるというのならば、もはや見逃すことはできん」


「その……、エリザベート様とは昔から、関係は悪かったので」


「ああ、あのような傲慢で支配的な女。俺はこれまで一度たりとて、婚約者と認めたことはない。

 ただ、母上が強引に話を推し進めるからこそ、今まで婚約者の立場に居座らせていただけだ」


 一応は、幼馴染という関係であるだろう2人であるが、お互いに、お互いに対して情などというものは一切ないらしい。

 ろくに調べもせずに牢獄の中に叩きこみ、それについて罪悪感を感じることもないハイドリヒ。

 突然の理不尽に抗弁するわけでもなく、何を言っても無駄と弁明しようともしないエリザベート。

 非常にいびつな関係が出来上がっていた。



「そういえばですが、エリザベート様が壊した品物についてですが……」


「ああ、それについては何かに使えると思い保存しているぞ。俺とて、貴殿の小説を読んでいるからな」


「なるほど」


 ――ドクン!


 アーサーの心臓が歓喜から脈打った。

 幾らパクりとはいっても、自分の作品がスラムにいる孤児から、王宮に住まう王子まで広まっていることに歓喜しない作家はいない。



「持ってこさせようか?」


「その、よろしいので……」


「構わん。公爵家があの女の罪を認めたのだ。

 もはや証拠としての価値もない」


 王子が指図すると、背後に控えていた、執事が証拠の品を持ってきてくれた。




「保存状態申し分ない」


 アーサーはルーペを取り出して、観察し合格点を出した。



「さてと、この下賜に対して貴殿は何と答える」


 証拠の品をがっしりと掴んだ手を、王位は上から押さえつけた。



「何をお求めで……?」


「これで貴殿の捜査には十分であろう」


「残念だが、私はただの三文作家。この非才の身では証拠などいくらあろうと」


「故に、傷心から部屋に引きこもっているメアリーにちょっかいをかけることは許さん」


 アーサーの話をハイドリヒは無視して宣言した。

 すごむ王子の姿を見れば、これはお願いという形をとった強制であることが理解できる。





 王子は、自分がつかんだ情報を隠し通す気はないらしく、エリザベートのもとに意気揚々と出かけて行った。

 アーサーはこれが最初から、痴情のもつれの果てだと思っていた。

 執事がそれはないと否定したが、予想通りだと改めて自覚した。



「指紋が使えたら楽だったんだが」


 アーサーは転生者だ。

 だからこそ、基礎ではあるが、科学捜査の知識があった。


 だからこそ、捜査の王道、器物の指紋による犯人確認をしたかった。

 しかし、それはできない。この世界では未だ、指紋の操作能力を認められていないからだ。

 この方法を世間に認めさせることこそが、彼の生涯の目標の一つだった。



 とはいえ、使えぬからと言って、諦める彼でもない。

 ならば他の道をと。地道に捜査を進めることを決めた。


 一人一人に質問をして、皆の動きをふかんした時刻表を作り、そして今、目の前にある証拠をつなぎ合わせる。

 文字通りに。



「この万年筆は! 王子からプレゼントだけあっていいものを使ってるな」


 職人制作の一点物を見て、彼もまた作家。

 同じものが欲しかったということもあり印象に残った。



「ああ、もう、やはり一人で、こんな作業をするものではないな」


 それからしばらくはこれが最後の独り言となった。


 一人、じっくりと地道な作業を進めていると、眠気と、今日一日動き回った疲労から目がかすんでくる。


 幸いなことに、もっとも時間がかかるノートは4つに分割されているだけ・


 メアリー嬢は几帳面な性格らしく、ノートは1日1ページ。きちんと日付を書かれているので、修復にそこまで時間はかからない。



「やはりというか、ろくな証拠がないな」


 そして、ノート類を修復するも、やはりというか、なんというか、ろくな証拠は出てこなかった。


 できたことなど、メアリーの筆跡に詳しくなったことくらいだ。

 本物の、ホームズであれば、そこから人物鑑定をするのだろうが、脳がガス欠を起こしているアーサーにはそこまでする気力はなかったし、ここまで知り合いがいるのだ。

 周りの人間に人なりを聞いたほうが速いと思ってしまう。


 見ず知らずの相手だろうとも、周囲の人間に彼女がどんな人物かを聞いたほうが速いというのが、偽りのない事実だった。


 加えて、事件のもう一人の主役。

 被害者に直接話を聞けないというのも頭痛の種だった。


 未解決事件の場合、犯行について最も詳しいのは犯人であるが、2番目に犯行について詳しいのは被害者だ。


 だというのに、王子に鎖を付けられ、アイに行くのを禁止された。

 一国民として、そのお願いを断ることは流石にできないし、メアリーには暗殺帽子の名目で常に複数人の護衛がいるらしい。


 制限時間内に、犯人を見つけるのはムリなのではないか。

 弱音を囁く悪魔がアーサーの耳に止まる。



「このままだと、そう、このままだと、また、冤罪で罪なき人が犠牲になるんだぞ」


 アーサーは頬を叩くことで、悪魔の還元をかき消した。

 そして、良心という名の天使の導きと、科学という理性によって事件に立ち向かうことを決めたのだった。



「げっほげっほげっほっ」


 散々試して、体に合わないから咳き込むだけだったパイプも、今この時だけは気付けとして非常に重宝する。


 破り捨てられた私物の中の、つなぎ合わせられた日記をアリバイ確認のためにアーサーは食い入るように見つめていく。


 とはいえだ、そこにある内容はミハエル、エリザベート、ハイドリヒとの証言に矛盾を生じさせることはない。

 やはり無駄骨だった、しかし、貴重な証拠であることに変わりなく。

 破られ、ボロボロになった日記を、アーサーは丁寧に丁寧に保管しなおしていく。


 考えども考えども、思考が煮詰まることがないので、最終的にアーサーはあきらめて眠りにつく。




 ――ドン! ドン! ドンッ!


 次の日。

 アーサーはのどかな寝顔は、扉を勢い良く叩く執事によって崩壊した。



「お、おはよう」


「残念ですが、今はもう昼です」


 その一言で、抗議してやろうとお摩手まで出てきた、アーサーは自分の失敗を悟るのだった。



「いやぁ、申し訳ない」


「構いませんとも」


 最初は、皮肉の1つや2つぶつけてやろうと考えていた執事も、壁一面に貼られた事件に関する資料をみて、つんけんとしていた態度を軟化させた。


 部屋を見ただけで、目の前の男がエリザベートのために夜も寝ないで操作していたことが分かったからだ。



「それで、お嬢様の無罪を証明する証拠は見つかりましたか……」


 ひとしきり、注意した後。

 目覚まし変わりにと、紅茶を一杯出した後に、執事は捜査の進捗を問いただす。



「すいません、さすがにね」


「まぁ、捜査一日目で結果が出るとは我々も思ってはいません」


 サンドイッチをもぐもぐしながらの返答に、執事は初めから期待していなかったのか、一切の落胆を見せなかった。


「それで、そちらの方も家がごたごたしているようだが」


「報酬の件ですか。残念ながら、その……」


「報酬、君はまさか、私が報酬後時のために動いているとでも思っているのか。

 たとえ、それが無料であったとしても私は動くとも」


 その様子だと、王子の話は本当らしいとアーサーは大きく溜息を吐いた。





「それで、先生。今回の事件について、何か分ることはありませんか」


「残念ですが、ただの生徒の動きに、そこまで注力などしておりませんよ」


「それでですが、エリザベート様の行動で何か異変はありませんか。

 例えばですが、彼女に変わってメアリー嬢を襲撃しかねない人物だとか」


「生徒には……いませんね。

 あなたがただってわかるでしょう、やれ決闘だ、やれ戦争だと、口をそろえて勇ましいことをいう生徒でも、いや、そういった生徒だからこそ、暗殺だという卑劣なことをきらうし、そんな不名誉なことをきらう」


 教師に、妖しい人物がいないかと尋ねても、しかし、それらすべてを否定されてしまう。

 それが教師だから、生徒そのものを信じているからか、単に問題を起こしたくないのかをアーサーは判断できなかった。




「なら逆に、メアリーさんの周囲で、彼女を害する人物は」


「どうしてそうお思いで」


「直接会ったわけではありませんが、魔性の女でしょ、彼女。

 国家の中枢を担うあれだけのメンツを虜にしている。

 自分の手に入らないというのなら、それでっていうものがあると考えたんだが」


「さすがに、そのようなことはないと思いますがね。とはいえ、教師と言ってもしょせんは他人は他人。その人物の外面から内面を推察できますが、どろどろとした、その人の内に秘められ、誰にも明かしたくない内面など分かりかねます」


 教師は断言した。

 アーサーも生徒の数を思えばそれも仕方ないと流した。




「それで、何か分りましたか……」


「残念ですがね、今だ、本人に話を聞けていないし、証拠が足りません」


「ああ、メアリーさんには常に護衛が張り付いていますしね。でしたら、これを」


 そういって、教師は一枚の紙を取り出してきた。



「これは何ですか?」


「彼女が提出した宿題をプリントしたものです。

 あれから彼女は、怪我のせいで学校に来ていません。彼女が回復出来たら渡そうと思ったのですが。これを届けたというのであれば、護衛も通してくれるでしょう。

 長時間の会話は無理かもしれませんが……」


 と、教師が長々と会話をしているが、しかし、もはやそんなことコナンの耳には届いてすらいなかった。



「分った、分かったぞぉ!

 これで事件は解決だぁ」


 そのプリントに書かれていた文字を食い入るように見つめた後、アーサーは叫んだ。





「それで、俺たちを集め、貴殿は何をしたいのだ?」


 今、牢獄の前にて、公爵家、宰相、将軍、辺境伯。

 この国で最もこの場所に似つかわしくない面々が集まっていた。

 薄暗い室内も、今この時ばかりは輝いて見えた。



「今回の事件の真相が分ったのだよ」


 とはいえだ、ここが牢獄ということに変わりはない。

 薄気味悪い雰囲気に、皆が眉をひそめていた。

 唯一の例外は久しぶりの温かい食事と紅茶に感動しているエリザベートくらいだろう。


 辛うじて、身に着けたマナーが消え去ることはないものの、代の大人ですら顔負けな速度で、食事がその小さな口に消えている。



「なるほど、つまりはこの女の共犯者が分かったのか」


 自分がその不届きものをせっかんしてやると、王子の鍛え上げられた肉体が脈動した。



「ああ、そうそう。話を始める前に、所要を解決したい、これを」



 アーサーは懐から一枚の紙をミハエルに渡した。



「えっと、これは」


「メアリー嬢の宿題だ。どうにかして、彼女に会えないものかと、教師にお願いしたのですが、その際に、これを渡すという名目で会いに行けばいいと言われたのだよ。

 結局は医者に追い返されてしまいましたが。

 あなたとともに、行った宿題なのですから、あなたが届けるというのが筋ではありませんか」


「それは、まぁ、そうだな」


 ミハエルはその答案をじっと眺めた。

 一切のミスなく、満点であることを確認して、満足げにうなづいた。



「この字を見ると、メアリー嬢の優しさというのが良く分かるよ。

 文字から、その人物の性格がにじみ出ているようだ。

 文字は大きく、見間違いがないように工夫されている。

 いついつに、宿題をやったのか、紙の端に書いているところからは几帳面さを感じるよ」


 アーサーの分析に、皆がうんうんとうなずく。

 例外がエリザベートとその執事だ。彼女たちからしてみれば、自分の恋人を寝取ったいけ好かない相手なのだから当然だが。



「本当にきれいな文字だ。それこそ、何か特別な工夫を感じるよ」


 その言葉を聞いて、一人の顔から、血の気が失せたのをアーサーは見逃さなかった。



「確か、メアリーさんは庶民出身。

 その成績の優秀さから、この学園に入学できたそうですが、筆記用具などの持ち物は常に最小限だと伺っています。

 だからこそ、ここにいるエリザベート様ガ彼女の万年筆を壊したことで大きな問題となった」


「直ぐに、俺がプレゼントしたから事なきを得たがな。だが、それをこやつはすぐに壊した」


 恋人を害したメギツネが憎くて憎くてたまらないと言った風だった。



「ですから、わたくしはそんなこと知らないと」


「はっ、嘘つきめが。そんなこと、口ではいくらでもごまかせる」


 バチバチと2人は火花を飛ばしあった。



「では、口ではない証拠ならどうです」


 その熱い火花の間に、アーサーが割って入った。




「実はこの宿題についてなのですが、メアリーさんの組のみ17日に出されたものなんだよ」


「間違いありません。メアリーさんの教科書が破壊されたと知って、この状況で、手を煩わせることを増やすのがはばかられて」


「あなたがプレゼントした『特別性』の万年筆が破壊されたのは16日。

 筆跡には、個人個人の癖が出ますが、それは書き手の質だけではなく、道具の質も影響します」


 見比べてくださいと、彼はメアリー嬢のノートを取り出した。

 限られた筆跡を使っているからこそ、道具を変えたことが一目瞭然だった。



「いやでも、ただの万年筆よね。こう言ったらなんだけど、しょせんは量産品。偶然同じものを使たということもあるのではなくて」


 意外なことに、最初に推理を講義したのは

エリザベートだった。

 だからこそ、アーサーは彼女に壊れた万年筆を手渡した。



「これは……、ガラス製」


「そう、この溝の中にインクを保管し、長時間執筆ができる特別製だ。これだけならば、まだブランド品というだけで他にも同じようなものはあるでしょうが」


「これは俺のために作られた特別製。

 尾内ブランドものならば、似たような質感になるだろうが……」


 王子はミハエルに、お前も同じ万年筆を持っているのかと尋ねた。




「メアリー嬢の教科書を破壊し、部屋を荒らした犯人はあなただね」


 アーサーは真剣な表情で、ミハエルの名を呼んだ」



「まて、どうしてミハエルがメアリーの部屋を荒らす。動機がないではないか!」


 頼むから反論してくれと、ハイドリヒは頼むが、ミハエルは何も答えなかった。



「ええ、王子。あなたの想像は正しい。もしも、彼ひとりでしたら、このような犯罪を犯さなかったはずだ」


「そうか、つまり、エリザベートに脅されていたのだな。俺たちは親友のはずだ、幼い頃より兄弟同然に過ごしてきた。なのに、どうして相談してくれなかった」


 ただならぬ様子から、ハイドリヒはミハエルの犯行を悟った。

 だからこそ、親友の胸ぐらをつかんで詰め寄った。


 その後、ぐるりと、首を回すと、牢の中にいるエリザベートに飛び掛かった。



「エリザベート、貴様! 一体ミハエルに何をした。こととしだいによってはただでは……」


 王子は牢獄に顔を埋め、悪鬼羅刹のような表情で、元婚約者を睨んだ。



「もう、おやめください」


 その肩を、小さくか弱い手がつかんだ。



「どうして、メアリーがここに……」


「お手紙を、お手紙をいただいたんです……」


 弱弱しく、彼女はアーサーを、そして、エリザベートを見つめた。



「ごめんなさい、エリザベート様」


「その、これは一体どういうことだ……」


 メアリーは、エリザベートがいる牢の前で跪くと、謝罪を口にした。

 これには、今まで罵声を浴びせていた王子ですら、一体どう反応していいのか、処理をしきれずに完全にフリーズしてしまう。




「それで、そちは……いったいどうしてこんなことを」


 魂の底から、どうにか絞り出した疑問を聞いて、エリザベートは腹の底からあふれ出る笑い声を押さえることができなくなっていた。



「そんなの決まってい。自作自演で、メアリーさんがわたくしを陥れようとしたことを周知させることで、あなたからの好感度を下げるためですわ」


「い、いったいどうしてそのようなことを」


「つまるところ、あなたは振られたのですよ」


 申し訳なさそうに、メアリーはミハエルの腕をそっとつかんでいた。



「あなたの言いだせない気持ちもわかります。だって、ハイドリヒ、人の話を聞かないんですもの」


 今度はミハエルが勢い良く頭を下げた。



「頼む、頼むから見逃してくれ!

 僕はこれから、メアリーとともに姿を消す。そうすれば、あなたの疑いも完全に晴れるはずだ」


「なるほど、なたがメアリーさんを連れて逃げ出さなかったのは思ったよりも怪我が酷かったのと、王子が暗殺者警戒のために護衛付けたからですね。

 で、1わたくしがそれを許すとでも」


 報告を聞いて、エリザベートは同情するも、これだけのことをされたのだ。

 許すつもりにはなれなかった。



「いや、あなたはこの娘を逃がすよ。

 まったく、探偵が冤罪を手助けするなんて、世も末だ」


 復讐の炎に身を焼かれることを恋人たちは覚悟した。

 その炎を、氷のように冷徹な理性が水をかける。



「わたくしが、この女たちを許す理由がどこにありますの」


「簡単です。この事件にはもう一人犯人がいる。

 そして、あなたはそのもう一人の犯人をかばうからですよ」


「まさか……、でも証拠はありますの?」




 エリザベートは消去法で最後の犯人にたどり着いた。

 しかし、証拠は、と確かめずにはいられない。



「残念ながら。あったとしても、あなた方の証言だけだ。

 ですが、状況証拠ならありますよ。赤い十字が入った髪飾りをどこにやりました」


「赤い十字。まさか、カーター勲章か!」


 王子がそのデザインに見覚えがあったからこそ、驚愕する。

 何せ、自分の家が持つ最も古く、権威のある勲章と同じデザインなのだ。



「その髪留めを、どこで購入したのか、言えますか……」


「そ、それは」


 ミハエルが大急ぎで、その口を閉ざそうとするも、それをメアリーは手で制した。



「ええ、そうです。あの髪留めは王妃様から頂いたもの。

 私、私王妃様と話して怖くなったんです。

 公爵家と王家の結ぶことによる雇用の創出。王権の地位の向上。そして、この話が破談になれば、いったいどれだけの人が不幸になるのか。

 知ってしまうと、個人の幸福を求め好き勝手することが、怖くて怖くて……」


「だからこそ、自作自演でエリザベート様をおとしいれ、適当な場面で自作自演だと白状する。

 そうして、王子から失望され、視界から消えさるのが目的だったのですか」


「ええ。間違いありません」



「ですが、あなたには誤算があった。

 あまりにも王子が動くのが速すぎたんだ」


「その通り、まさか裁判もなしに、エリザベート様を牢獄に叩きこむなんて思いませんでした」


 アリサの手は後悔と、罪悪感で、細かく震えていた。

 それでも、しっかりと前を見据えていた。



「まさか、そんな、母上が……」


 一方で、王子は身内の裏切りに対してショックを受けているのだろう。

 呆然としていた。


「なるほどね……、王妃様にまで話がつながっているとなると、やぶをつついて、蛇を出すということになりますわね。

 まったく、あなた方も、王族の政治劇に巻き込まれて、その上で、忠義から今の地位を捨てるなんて、本当に大変ですわね」


 ここに、エリザベートの復讐の火が消えた。

 確かに、自分をおとしいれたが、そのおとしいれた先が王妃。

 幾ら公爵家とは言っても、王妃に弓を引くにはそれなり以上の覚悟が必要だったからだ。



「一つだけ訂正を」


 だが、メアリーはこうなればすべての真実を明かすことが自分の贖罪と考え、勘違いを否定することにした。



「ミハエルさんは、私が困っているのを気が付いて、自分から手助けしてくれるっていったの」


「その、いきなりいわくありげの紋章を付けていたのが気になって……」


 なるほど、これが愛の力かと、その場には奇妙な納得があふれた。



「待ってくれメアリー。

 たとえ王妃からの圧力があろうとも、俺は君を守って見せる、だから」


 そういって、王子は彼女を引き留めようと、その手を握るのだが。



「ごめんなさい。私、せっかくおしゃれをしても気が付いてくれないような人と、これから先やっていける気がしません。

 だから、さようならです」


 こうして、王子は完膚なきまでに振られたのだった。





 聖暦1721年10月7日。

 アーサーは迷宮都市ロンドベルに、寂しい懐のまま帰還していた。

 真実を明かすと約束していたというのに、冤罪に協力してしまったせいで、報酬を受け取るのを拒否したのだ。



『執筆中、誰も入るな』



 ドアの前に、木片をかかげると、アーサーは遅れた執筆作業を取り戻すべく机に向かった。



 もともと、アーサーがシャーロック・ホームズシリーズをパクったのは、その作品のファンだったというのもあるが、それ以上に科学捜査の重要性がこの世界に必要と考えたからだ。



 エリザベートが単に怪しいというだけで、逮捕された。

 今回は公爵令嬢が対象ということで、彼が呼ばれたが、捜査という一点にかけてはさほど異端というわけではない。

 権力者が黒と言えば、そのまま黒となる事態がこの世界では頻発していた。



 ホームズこそが、そのイメージによる犯人逮捕という現状を打ち崩すための切り札だった。

 ここに、前世で見聞きした科学捜査をちりばめることで、その種子から目が出るのを待っているのが、彼の現状だった。



 もちろん、作品の完成度が元から高いということもあってか、ホームズは金になった。

 だが、売れるということは必ずしもいいことばかりではなく、今やっている研究である、指紋による個人確認に関する論文が遅れてしまうという問題もあった。




 とはいえだ。これほどまでに大きな事件になったのだ。

 公爵家からの直属の依頼。

 幾ら売れっ子の作家とはいっても、今回ばかりは締め切りにうるさい編集者も休載を認めてくれた。

 だからこそ、いつものように、せかされるわけではなく、ゆったりと彼は執筆を進めることができているのだ。



「気が散るから、誰も入るなと書いてなかったと思うんだが。レモン女史」


「残念ですが、編集が執筆中の作者の近くにいるのはわが社の鉄則です。

 それは一作家のこだわりを凌駕しますよ」


 本を出版している会社の編集者であるレモンはその眼鏡をきらりと光らせた。



「それなら、せめてノックしてくれないか」


「しましたよ。でもあなたは何かに夢中になると、周囲に目を向けませんし」


「それで、どうしてここに来たので」


「簡単です。新しい出版が決定したんです」


 レモンは机の上に次に書く作品の表紙を叩きつけた。



「なになに、シャーロックホームズの作者が挑む実際に会った犯罪捜査ぁ!」


 確かに、犯罪捜査を依頼されたから執筆を休むと言ったが……。



「ダメダメダメ!

 今回の一件は王家の醜聞にもかかわるんだ。

 最悪、王家からにらまれるよ」


「構いません。よく言いますよね。売れればすべて許されると。今回の一件は、まちがいなくベストセラーになります」


「これはやめよう、この事件だけはダメだ。記事にするにも、もっとおとなしいものにしよう。というか、こういうのは関係各所の許可がないとダメだろ」


「いいではないですか、いいではないですか」


 目を欲望にたぎらせながら、レモンはじっとりとアーサーに迫っていく。

 前かがみになったせいで、スーツの隙間から、大きな谷間が覗き見える。

 気恥ずかしくて、アーサーは大きく視線を逸らした。




「あら、私は構いませんわ。むしろ、わたくしのことを悪く書いてくれたほうが都合がいいくらい。

 ところで、誰ですの、その女」


 この混沌とした部屋の中にあって。

 レモンが半開きにしていた扉から音もなく、新たな登場人物が入室した。



「エリザベート嬢。ずいぶんとスタイリッシュな服装になりましたね」



 前回、と言ってもほんの数日前だが、アーサーと別れたとき、彼女は貴族らしいドレス姿だった。

 だが、今はコートにブーツという、下町の働く女性がするような恰好だ。



「ありがとう。本当にあなたは、どこかの誰かさんと違って、女性の変化に敏感ですわね」


「探偵たるもの、それがどんなに微かな変化であろうとも、憶えていなければ仕事にならないので」


「ちょっと待ってください。

 えっと、すいません。どうして公爵令嬢様がここにいらっしゃるので」


 軽口をたたきあう2人を見て、レモは動揺をあらわにした。



「少し古い話ですわね。わたくし、公爵家からは追放されましたの」


「執事さんの話では、事件が解決されたので、数日のうちには帰属に復帰できると言う話だったと思うのだが」


「そしたらどうなると思います。あのデリカシーのない男の婚約者に逆戻りですわ。それだけは絶対に嫌。

 なので、追放されたのをいい機会として、新しい働き口を探すことにしましたの」


 エリザベートはアーサーににじり寄っていたレモンを跳ねのけると、その手をがっしりと掴んだ。



「で、一つお願いがあるんですけど。わたくしを助手として雇ってくださらない」


「私の本業は作家ですよ」


「あら、先ほどレモンさんとこれから探偵業をやると語ってではありませんか」


「いやいやいや、本当に探偵をする危険な仕事だよ」


「ちなみにですけど、今この下宿はわたくしが買い上げました。

 この意味が分かって」


 にっこりと笑う、その笑顔を見て、アーサーはこの悪役令嬢目と悪態をつくことしかできなかった。

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