第9話:「契約書という名の『奴隷リスト』」
「す、すごい……! これが契約書……!」
会議室のテーブルには、分厚い書類が置かれている。
『出版契約書』という文字を見ただけで、鋼田の手は震え、清宮は拝むように手を合わせている。
対面に座るのは、大手出版社の編集者二人組。
人当たりの良さそうな笑顔を浮かべているが、その目は笑っていない。
「いやあ、素晴らしい作品です! 編集部でも話題持ちきりですよ」
「ぜひ我が社で書籍化させてください。これが契約書です。……まあ、新人の先生ですので『一般的な条件』になっておりますが」
編集者がボールペンを差し出す。
鋼田は感動で涙ぐんでいた。
「俺の書いた『魂』が、ついに本になるのか……!
条件? 関係ない! 世に出るなら、金などいらん!」
「僕もです……! 僕の絵が書店の棚に……!
夢が叶うなら、タダでも描きます!」
二人は、内容を一行も読まずにペンを走らせようとする。
完全に「カモ」の反応だ。
バァァァァンッ!!
その時、横から伸びてきた白い手が、契約書をテーブルに叩きつけた。
三島律だ。
「……あ?」
編集者が眉をひそめる。「何ですか、君は」
三島は契約書をパラパラとめくり、特定の箇所を指差して冷たく笑った。
「『一般的な条件』?
よく言うわね。これ、『奴隷契約』の間違いじゃない?」
「ど、奴隷……!?」
鋼田と清宮が凍りつく。
三島は契約書の条文を読み上げる。
「印税、初版5%?
グッズ化・アニメ化の権利はすべて出版社に帰属?
二次使用料の分配は出版社の裁量による?
……昭和の芸能事務所でも、もう少しマシな契約書を作るわよ」
三島は契約書を放り投げた。
「鋼田先生、清宮先生。ペンを置きなさい。
これにサインしたら、あなた達の作品がアニメ化して100億稼ごうが、あなた達の手元にはスズメの涙しか入らない。
骨の髄までしゃぶられて、ポイ捨てされるわよ」
編集者の顔から笑みが消えた。
「……おい、君。部外者が口を挟まないでくれるかな。
これは業界の『常識』だ。新人がデビューさせてもらう立場なんだから、最初は我慢するのが……」
「常識? 誰の?」
三島が立ち上がった。
その瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
ただの編集者ではない。かつてドーム会場の数万人の視線を一身に浴びた、「絶対的センター」のオーラだ。
「いいですか、おじさん達。
あなた達は、この作品を『そこら辺の新人』だと思って買い叩こうとしてるみたいだけど。
現状の数字、見てる?」
三島はスマホの画面を見せつける。
「ランキング1位継続中。
ブックマーク数、歴代最速ペース。
SNSでのトレンド入り3回。
この作品はね、もう『新人』じゃないの。
『今すぐ現金化できるドル箱(特級資産)』 なのよ」
三島は編集者たちを睨みつけた。
「私が現役の頃、こういう汚い大人をたくさん見てきたわ。
『君のためだ』と言って権利を取り上げて、グッズの売上を中抜きしていくハイエナたち。
……言っておくけど、私の担当作家には指一本触れさせない」
「な、なんだと……!」
編集者が立ち上がる。
「いい加減にしろ!
おい、先生方! こんな女の言うことを聞いていたら、出版の話は白紙ですよ!
大手のウチから出せば、名声が手に入るんです! それを棒に振るつもりですか!?」
究極の選択。
目の前の「大手デビュー」か、三島の「謎の自信」か。
鋼田と清宮は顔を見合わせた。
そして、鋼田が口を開いた。
「……なぁ、あんた」
「はい、先生! 契約していただけますね?」
「あんたは、俺の作品の『どこ』が良かった?」
「え?」
編集者は虚をつかれたように瞬きした。
「え、ええと……そ、そうです! 流行りの異世界もので、テンポが良くて……その、売れそうだと思いまして!」
鋼田は、深くため息をついた。
そして、三島の方を見た。
「三島くん。君はどうだ?」
「……は? 今さら何よ」
三島は不機嫌そうに答える。
「主人公はクズだし、ヒロインは性格悪いし、文章は暑苦しいし、絵は性癖が歪んでるわ」
「ぶっ!」
編集者が吹き出しそうになる。
しかし、三島は続けた。
「……でも。
その『歪み』が、今の市場で唯一無二の熱量を生んでいる。
この作品は化けるわ。
私が保証する」
鋼田と清宮の顔に、電撃が走った。
(こいつ……俺たちの作品を『ゴミ』と言いながら、一番理解してくれている……!)
鋼田はニヤリと笑い、編集者に向き直った。
「悪いな、アンタら。
俺はハードボイルドな男だ。
『甘い言葉で近づいてくる詐欺師』より、 『毒舌だが背中を預けられる戦友』 を選ぶ」
「ぼ、僕もです!」
清宮も叫ぶ。
「三島さんは悪魔ですけど、僕の性癖を否定しなかった!
僕たちの価値を信じてくれるなら、僕は悪魔と契約します!」
「き、貴様ら……正気か!?」
三島は満足げにフンと鼻を鳴らし、自分の鞄から別の書類を取り出した。
「お聞き及びの通りよ。
契約したければ、こっちの条件を飲みなさい」
三島が提示したのは、彼女が一晩で作成した 『修正契約案』 だった。
印税:初版10%(業界最高水準)
電子書籍印税:実売の30%
メディアミックス権:原作者の許諾必須
担当編集者:三島律の指名
「……なっ! こんな条件、通るわけがない!」
「通らないなら、よそへ行くだけよ」
三島は冷たく言い放つ。
「KADOKAWA(仮)さんも、スクエニ(仮)さんも、連絡を待ってくれてるの。
さあ、どうする?
今ここで『未来の覇権コンテンツ』を逃した無能として上司に報告するか、
私の条件を飲んで、出世の手柄にするか」
三島は、アイドル時代にファンを堕とした時と同じ、最強の「キメ顔」で微笑んだ。
「……賢い判断を期待してるわ♡」
3日後。
「と、通った……」
「本当に、あの条件で契約できた……」
会議室で、鋼田と清宮は送られてきた正式な契約書を見て震えていた。
条件は、ほぼ三島の提示通り。
出版業界の常識を覆す、クリエイター有利の「特例契約」だ。
「三島くん……君はいったい……」
「魔法使いですか……?」
三島は、山積みの書類整理をしながら淡々と答えた。
「ただの『交渉』よ。
相手が一番欲しがっているもの(売上)を人質に取れば、大抵のワガママは通るの」
彼女はメガネの位置を直し、二人に告げる。
「さあ、喜んでる暇はないわよ。
契約は結んだ。つまり、もう逃げられないってこと。
来月の発売日に向けて、書き下ろし短編5本と、店舗特典イラスト10枚。
これらを1週間で仕上げなさい」
「い、1週間で!?」
「し、死ぬゥゥゥゥッ!!」
「死なないわよ。
私が現役の頃は、全国ツアーの合間にドラマ撮影とレコーディングをしてたわ。
……人間、意外と寝なくても動けるものよ?」
三島律のスパルタ・マネジメントは、商業デビューしてますます加速していく。
だが、その背中を見る二人の目には、もはや反発の色はなかった。
あるのは、絶対的な信頼と、少しの恐怖だけだった。
(続く)




