第1話:「笑顔(ゼロ円)の時価総額」
「――おい、何をしてる」
編集プロダクション『スタジオ・リブート』の会議室。 カビとインク、そして中年男性特有の脂汗が染み付いたその部屋に、無機質な機械音が響き渡っていた。
ギュイイイイイイイイン……。
安物のシュレッダーが、紙束を飲み込み、断末魔のような音を立てている。 その前には、喪服のように飾り気のない黒のパンツスーツに身を包んだ、一人の女が立っていた。 黒縁メガネの奥にある瞳は、完全に死んでいる。
「何をしてるか、と聞いているんだァァッ!!!」
大男が怒号を上げ、デスクをバンと叩く。 原作担当・鋼田 猛(ペンネーム:剛田鉄心)。 身長190センチ、体重100キロ。かつては『男の挽歌』などのハードボイルド小説で小銭を稼いだが、今は鳴かず飛ばずの崖っぷち作家だ。
その隣で、ガリガリに痩せた男が顔を青ざめさせて震えている。 作画担当・清宮 守(ペンネーム:聖 純)。 「ヒロインのスカートの中を描くと蕁麻疹が出る」という奇病を持つ、絶滅危惧種の清純派絵師である。
鋼田の怒声にも、女は眉一つ動かさない。 最後の一枚が裁断されるのを見届けると、彼女は冷徹な声で言った。
「産業廃棄物の処理です」
「なんだと……?」
「今処分したのは、あなた達が半年かけて練り上げた新作『40歳・独身傭兵の異世界放浪記』のプロットおよび第1話ネーム。 市場価値、ゼロ。燃えるゴミに出す手間すらコストの無駄なので、シュレッダーにかけさせていただきました」
「き、貴様ァッ!! どこのどいつだ!! 新しい担当編集だと聞いていたが、初対面で人の魂(原稿)をゴミ扱いするとは何事だ!!」
鋼田が掴みかかろうとする。 しかし、女は動じない。むしろ、侮蔑の色を強めて二人を見下ろした。
「魂? ……笑わせないで。 あなた達が書いたのは、『自分たちが気持ちよくなるためのオナニー』でしょう? 導入だけで50ページも使って『おっさんの悲哀』を語る? ヒロインは首輪付きの奴隷だから純潔? ……昭和の商店街でも、そんなカビたパンは売ってないわよ」
「なっ……僕の『聖女エルフ』をカビたパンだと!?」 清宮が悲鳴のような声を上げる。
女は無視して、持っていた革の鞄をデスクに放り投げた。 中から取り出したのは、名刺ではない。
ドンッ!!
重厚な音が響く。 机の上に叩きつけられたのは、一冊の写真集だった。
表紙には、南の島のビーチで、極小のビキニを身に着け、太陽よりも眩しい笑顔を振りまく美少女が映っている。 タイトルは『KiRaRa』。 帯には**『累計50万部突破! 国民的妹、七星キララ 1st写真集』**の文字。
「な……え……?」 清宮が息を呑む。 彼の部屋の神棚にも飾ってある、5年前に突如引退した伝説のアイドル。その聖典がなぜここに。
女はゆっくりとメガネを外し、きつく縛っていた髪を解いた。 バサリ、と黒髪が広がる。 照明の逆光を背に、彼女は口角をクッと上げた。 その瞬間、薄暗い会議室の空気が、ドーム会場の熱気に変わったような錯覚が二人を襲う。
「初めまして。 元『スターダスト』センター、七星キララこと、三島 律です」
彼女は自身の写真集を指先でコンコンと叩き、ニッコリと笑った。 それは完璧なアイドルスマイルでありながら、背筋が凍るほど冷酷な「捕食者」の笑みだった。
「この写真集、定価2,500円。 ですが、中身はこの笑顔(原価0円)だけ。 私はこの『0円の笑顔』に『夢』という付加価値をつけて、おっさん達から総額50億円を巻き上げました」
三島は、呆然とする二人を冷ややかに見据え、宣告する。
「いいですか、負け犬の皆さん。 今日から私が、あなた達という『不良債権』の管財人です。 私の言う通りにしなさい。そうすれば、そのゴミ屑のような原稿を、札束の山に変えてあげる」
(第1話 完)




