表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私のチロリ

作者: 真朱マロ

 チロリは不思議な生き物だった。


 狐よりも尻尾が小振りで。

 狸よりも細いがポテリとして。


 犬よりも鼻が丸くつぶれているし。

 猫よりも耳が丸いが大きく目立つ。

 真珠のように白く艶々したビロードのような短い毛皮なのに、尻尾だけは風を受けてふさふさと揺れる。


 つぶらな眼は黒曜石のように輝く夜よりも深い色をして。

 ダックスフントのように脚は短いくせに、駆ける速度は風のよう。

 スルリと草むらを走り去るチロリの白い光の残像は軽やかなのに、立ち止まって振り返った姿は丸々と肥え太った一反木綿のようだと、失礼な事を言ったのは数年前に亡くなった私の夫だ。


 チロリと私の縁は付かず離れず。

 ずっと近くにいて姿を見せるのに、飼えるほどに居つくことはない。

 まるで友達以上恋人未満みたいだねと、面白そうに笑ったのも数年前に亡くなった私の夫だ。


 始まりは、物心もついて、お留守番ができるようになってすぐだった気がする。

 私の実家は郊外にある、ありふれた兼業農家だった。

 うちにはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんがいて。

 仕事をしているお父さんもお母さんもいて。

 だけど兄弟はいなかったから、農繁期の休日は大人は田んぼや畑に逝ってしまうから。

 大きな家の中で一人、お留守番をすることが多かった。


 寂しくないと言えば嘘になるけど、独りにしないでと言い出せない程度には、周りが見えている子供だった。

 よく言えばおとなしく、悪く言えば自己主張が薄い。

 忙しそうにしている大人を困らせるよりは、大きな家の中で本を読んだりしながらポツンと寂しさをかみしめるほうが、申し訳なさで委縮するよりも、ずっとずっと気持ちが楽だったのだ。

 そんな私の心の隙間に、スルリと入り込んできたのがチロリだった。


 農繁期は特に、大人が家から出払う時間がけっこう長い。

 稲穂も実る秋ともなれば、朝から夕刻まで帰ってこない。

 お昼ご飯は用意されていたし、本当に大人の必要な用事があれば、畑や田んぼに呼びに行ける。

 けれど、そこに行っての手伝いはただの邪魔なので、私の選択肢はお留守番一択だった。


 縁側でひとりぼっちを心細く思いながらおやつを食べていたその時。

 柵の合間からチラチラ見えた白い尻尾に声をかけると、恐れることなく近寄ってきたので、幼児らしい傍若無人さで名前を付けた。

 勝手に名付けた「チロリ」が自分のことだと賢いからすぐに気づいたのか、キョトリとしたその顔は愛らしく、手にしていたパンを半分に割って投げると、匂いを嗅いで少しかじって、キラキラと目を輝かせると戦利品のようにくわえて意気揚々と去っていった。


 たったそれだけなのに、チロリの琴線に何かが触れたのだろう。

 私が一人で留守番をしている時にチロリは現れて、チラチラと真っ白な尻尾を揺らしながら現れ、柵の合間からチョコりと顔を出す。

 最初は距離があったけれど、そのうち慣れたのか人懐っこく身体を摺り寄せてくるようにもなり、話し相手を得たとばかりに喜ぶ私のとりとめもない話を、コクコクとうなずきながらしたり顔で聞くようにもなった。

 たまに顔を見せない時もあるけれど、チロリの気まぐれは終わらなかった。

 

 中学生ぐらいになると、窓を開けていたら部屋に入り込んでくることもあり、本を読みながら机でうつらうつらとしていたら、頬を可愛らしい肉球でグイグイと揉みしだかれたりもした。


 高校生になってもチロリとの関係は変わらなかった。

 チロリは家族が出払った時に気まぐれに現れる。

 一ヵ月や二カ月もの間姿を見せない事もあれば、部活帰りの薄暗い夜道にヒョイと現れて、白い彗星のように美しい毛皮を輝かせながら、足元にまとわりつくこともあった。


 勝手に私が名付けた「チロリ」という名前で呼ぶと、ちょこんと首をかしげて「ちぃ」と鳴く。

 辞典で調べてもチロリに似た生き物は見つからないけれど、プニプニした桃色の肉球はやわらかな弾力をして、ここに実在することを教えてくれる。


 チロリにはいろんな話をした。

 勉強のこと。友達のこと。

 お手伝いのこと。家族のこと。

 好きなこと。苦手なこと。

 なにより、好きになった男の子のことを話したのは、チロリだけ。


 人間ではないけれど、私の一番の友達。

 それでも、こんな関係は子供でいる間だけだと思っていた。

 なんとなく、大人になったチロリは現れなくなると、そんな予感がしていた。


 そんなことはなかったけどね。

 私の予感は大外れ。


 進学や就職で独り暮らしを始めた時に、突如、部屋の中に現れたチロリにずいぶんと驚かされたものだ。

 真っ暗な夜の中でお布団にくるまって、遠く離れた実家を思い出してシクシクと枕を濡らしていたら、ノシッと体に乗る重みがあった。

 ホームシックで黄昏ていたことも忘れて「ギャーッ」と叫ぶぐらい驚いたし、恐る恐る顔を出したら胸の上にチロリがいた。


 どうやって部屋に侵入したのか、とか。

 実家から県も違う遠い場所なのに、なぜチロリがいるのか、とか。

 謎はいくつもありすぎて、そもそもチロリと出会ってから20年近く経っているのに、姿かたちが変わらないのは何故なのか、とか。

 考えると不思議な事ばかりなのだけど、でもまぁチロリだから、と思うと不思議とストンと腑に落ちる。

 そんなこんなでずっと、私とチロリとの縁は続いている。


 大学に入って、仕事もして、恋もした。

 結婚して、子供も生まれて、自分以外の誰かを大切に想って。

 愛情をいっぱい受け取るばかりの頑是ない子供から、愛情を惜しみなく与える事を覚えた良い大人になっても、チロリは私に会いに来た。


「ほんと、不思議な子ねぇ」


 いつの間にか私はおばあちゃんになったけれど、チロリはずっと変わらない。

 子供たちは独立して、それぞれ家庭を持って、季節の節目に顔は見るけれど、血のつながった家族よりも頻繁にチロリと会っている。

 おしゃべりも出来なくて、ただ単に居心地が良いというだけにしては長い長い付き合いだ。


 今もまたノシッと私の膝の上に乗って、なにやらくつろいでいるので、ヨシヨシとその体をなでてやる。

 気が向かなければ触れさせてくれないチロリなので、これは77歳の誕生日を迎えた私へのプレゼントのようなものだ。

 思う存分に堪能していたら、撫でられることに飽きたチロリが立ち去るそぶりを見せたので膝から降ろしてやる。

 そのまま去りかけたチロリは、ふと気づいたように立ち止まる。

 ちょいちょいと可愛い肉球で示したのは、四葉のクローバー柄のノートだった。


「あぁ、それはね。死ぬ前にやってみたい100のことを書きだすと良いって聞いたのよ。だから、エンディングノートのついでに書いたの」


 そんなことをして人生が変わるのかしら? と首を傾げつつやってみたけれど、思いのほか楽しかった。

 楽しかったけれど、つい「でもねぇ」と自嘲してしまう。


「やってみたいことって、今の自分に出来る事ではなくて、かつての自分がやってみたかったことになっちゃうのよね」


 貫徹しての24時間耐久読書とか。

 波打ち際を端から端までスキップしてみるとか。

 お肉屋さんの出来立てコロッケを歩きながら食べちゃうとか。

 コロッケよりも子供の頃の憧れだった、生クリームたっぷりの大きなホールケーキを丸ごといただくのも有りかしら、とか。


 魅力的な誘惑はたくさんあるけれど、77歳の今現在。

 やりたい欲に身体がついていかないというか、実行してしまうと老体に鞭打つような過酷さが待っていると、簡単に想像できるのだ。

 さすがに、睡眠不足での心不全や食べ過ぎでの胃腸不良は嫌すぎる。


 やりたいことって幾つもあるけれど、身体能力に合わせた事を選ぶ分別を付け、ベストではないけれどベターは選ばねばならないのだ。

 ヒッチハイクで世界一周旅行はどう考えても無理だから、異国情緒の気分を味わえる遊興施設に行くぐらいならできるだろうか。

 クルーズ船で世界一周の船旅は出来そうだけれど、体調を考えると港に停泊している船舶レストランに行くぐらいがちょうど良い気がする。


 だけど、そうやって「出来そうなこと」に変換していくと、しっくりこない気がして、今ひとつ心が躍らない。

 独りだということに足踏みするならお友達を誘えばいいけれど、声をかけられる相手はすべからく私と同じ老人枠だし、気兼ねなく振り回せる夫は数年前に鬼籍に入っていた。


 お友達を誘わず一人きりでやるとなると、温泉に行くぐらいなら平気だけど。

 ガチャガチャの制覇ですら他人の目を気にしてしまい、なんとなく面映ゆく感じて二の足を踏むから、困ったお祖母ちゃんになっちゃったわ、とも思う。

 子供ばかりで割り込めなかった電気屋さんのガチャガチャコーナーの文豪シリーズを制覇する、ぐらいならすぐさまできるけれど、やっぱり恥ずかしさを抱えてしまう。


 そもそも、無理をしてまでやりたいことなど、なにもないのだ。

 チマチマとノートに書きだした「やってみたいこと」は、かつての私の夢の残滓でしかない。

 今の自分の夢って何だろう? なんて思考を巡らせてみたけれど思いつかず、結局のところ途中で書くのをやめてしまった。

 自分を知っていると言えば聞こえは良いけれど、つまらない大人になったって事なのかもしれない。


 ため息を一つ落とした私に、チロリは「ちぃ」と鳴く。

 もの言いたげなその顔に、手を伸ばしてヨシヨシとなでてやった。

 人生を四季に例えるなら、今は晩秋。もしくは初冬のようなものだ。

 実りに実った人生の恩恵を収穫し、のんびりと思い出を振り返るぐらいがちょうど良いだろう。


 夜更かしは身体に悪いし、思考があっちこっちに飛ぶこんな夜は、さっさと寝るに限る。

 速やかに布団に入った私の側で、珍しくチロリが丸くなった。

 いつも勝手に来て、勝手に消えてしまうので、本当に珍しい事だ。

 チロリが傍に居るだけで、とりとめもない寂しさが消えていく。


 当たり前に寝て、当たり前に朝起きる。

 いつもと同じ繰り返し。


 そのはずだったけれど。


 翌朝、目覚めると子供になっていた。

 鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめると、小学生の3~4年生ぐらいだろうか?


 若い。とりあえず若すぎて身長が縮んだので、洗面台も台所も使いづらい。

 なんとか朝ご飯を作って、いつもどおりニュースを見て、ちゃんとこれが現実だと確かめた。

 老眼鏡がなくてもスイスイ本も読めるし、肩こりも消えて動きやすい。

 どういう事かしら? と首を傾げたもののすぐに、まぁいっか、と思った。

 考えても理由はわからないから、せっかく子供になったのだから、子供にしかできない事をすればいいのだ。


 そう思い立ったら善は急げ。

 お出かけしようとぴょんと跳ねたところで気が付いた。

 子供の私にちょうど良い服がない。


 あらま、と困ったところで、足元に絡みつくよう身体を擦り付けたチロリがちぃと鳴いた。

 フワフワ動く尻尾についていくと、クローバー柄のノートの横にスポーティだけど可愛い子供服があった。

 着てみると私にぴったりで、真新しいスニーカーまであったので、なんだかおかしくなって笑ってしまった。


「チロリはまるで、シンデレラの魔法使いみたいね」


 子供になるなんて、とても現実だとは思えない。

 でも、夢だっていうにはすべてが鮮明で、このまま楽しめばいいって納得できるぐらい、すべてがクッキリしている。

 これが夢でも現実でも、どちらでもかまわないぐらい、都合の良い事が続いているから、乗っかってできる事をすべてやっちゃわないと、もったいない。

 ずいぶん前に孫が置いていったナップサックにお財布や鍵を入れて、背中に背負うと「よし」と私は気合を入れて、一歩外へと足を踏み出した。


 心地よい風が頬をなでる。

 トコトコと早足になっても身体が軽く、どこも痛くないし息が苦しくならない。

 目に映る景色は色鮮やかで、クッキリとした鋭利な輪郭がそのまま目に飛び込んでくる。


 あぁそういえば、子供の頃に見ていた景色は、いつだって鮮烈だった。


 そんな風に思い返しながらいつの間にかかけていたけれど、ふと、足を止める。

 この先は商店街だから、嬉しそうに足元を駆けているチロリを他の誰かに見られるのは良くない気がした。

 私の両親や祖父母にはチロリの姿は見えていなかったけれど、亡くなった主人は太りすぎた一反木綿だと笑っていたので、主人のように見える人がいたら面倒だ。


「おいで、チロリ」


 ナップサックを大きく開けると、心得たように中に入ったチロリは、開いた蓋の隙間からチョロリと顔を出す。

 見えちゃったら意味がないじゃん、と思ったけれど、行けとばかりにペシリと肉球で後頭部をはたかれて、私はナップサックを背負って駆けだした。

 アスファルトを蹴るつま先も、意味もなくジャンプしても、ただただ楽しいばかりだった。


 だって、身体がとても軽いんだもの。

 誰かに何かを言われたら、子供のやる事だよって顔をして、そのまま走って逃げれば良いのだ。


 私は子供の体で、子供の目線で世界を見上げながら、息を弾ませてマラソンみたいに走り抜ける。

 商店街で人通りが増えたところは早足に変えたけれど、歩きなれたその道も、視界が低いのでとても新鮮だった。


 ちゃんと電気屋さんによって入り口横にあるガチャガチャをグルグル回してみたし、お肉屋さんの揚げたてコロッケを歩きながら「アチチッ」と頬張った。

 御無沙汰だった固焼きせんべいも心置きなくかじったし、最近は息切れがするので足が遠のいていたお寺の階段を駆け上って主人のお墓参りもした。


 力いっぱい走って、お腹いっぱいに食べて。

 目に映るいつもの情景が、とても新鮮で。

 なんて楽しいのだろう。


「ねぇ、チロリ。海に行こう!」


 季節は秋だけど、海を見たかった。

 足が弱ってからは、海まで出向くことはなかった。

 あの広く大きな青い海を、純粋に受け取る子供の目で見たかった。


 ナップサックの蓋をキュッと絞めてチロリを隠し、電車に乗った。

 カタコトと走る電車は座る余裕があったし、知らない場所に向かうのもチロリが入っているナップサックがあるから怖くない。


 駅員さんが教えてくれた、海に近いという駅に降りて、駅前で自転車をレンタルする。

 子供の私にはちょっぴり大きかったけれど、大人にはちょっと小振りだからなんとか乗れる。


 すごいな。10歳ぐらいの子供でも、こんなにできる事があるんだ。


 ゆっくり安全運転で、海を目指す。

 頬をなでる風が、潮の香りを運んでくる。


 そして、大きな海が見えた。

 坂道を滑るように進み、海岸を目指す。

 潮騒の音は穏やかだけど、でも、音楽のように胸に迫る。


 あともう少しで砂浜に辿り着くという所で。

 キラキラと輝きながら風が通り抜けた。


 打ち寄せる波の連なりをなでた風は、飛沫を光る粒に変えて空に散らす。

 大きな虹のアーチが空にかかる。

 そのすべてが、夢のように綺麗だった。


 思わず知らず、私は笑っていた。

 ケラケラと笑う私の背中で、ナップサックから顔を出したチロリが、嬉しそうに「ちぃ」と鳴いた。


 なんて、素敵な時間なのだろう。

 これが夢でも、現実でもかまわない。


 だって、私の頬をくすぐるチロリの毛は、ふわふわとやわらかくて温かい。

 とても幸せで、綺麗で、楽しい時間がここにあるのは、なによりも確かな事だからそれで良いのよ。


 砂浜につくとナップサックから飛び出したチロリの後を、私も走って追いかけた。

 ひとしきり追いかけっこを楽しんだ後、真っ白であたたかな身体を捕まえて、ギュッと抱きしめた。

 天から降り注ぐのは、いつだって祝福の光だから。

 キラキラと輝きながら、長く空にある大きな虹に願いを託す。


「ずっと側にいてくれてありがとう。大好きよ、チロリ」


 願わくば、この命が尽きるまで。

 不可思議で可愛くて頼もしい、私のチロリと共に居られますように。



【 おわり 】


季節の変わり目ですね。

体調を崩しやすい時期です。

喉や風邪だけでなく、気温変化で身体も痛めやすいです。

締切り前の数日間、ギックリ寸前で動けませんでした(冷や汗


元気が一番。

みなさまも御自愛くださいね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
随所に共感するポイントが散りばめられてて、引き込まれんように読んでいました。 死ぬまでにやりたいことリスト。 かつての自分がやりたかったこと、という言葉に、思わず唸りました。確かにそうか、と。 現実の…
謎の生物チロリ。いつも傍らにいてくれる不思議生き物ですね。正体が気になって一気に読んでしまいましたが、謎のまま……。けれど、謎のままなのがいいんだろうなぁと思いました。 読む人によって、チロリはなんな…
月餅企画へのご参加ありがとうございます! チロリが可愛い。 海岸の描写がきれいだなあと思いました。 この後どうなるか書かれていないけど、幸せに笑ってチロリを抱いているのかなあ。 私もチロリが欲しくなり…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ