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98.束の間の休息

 目を開けていられないほどの光が収まり、お互いに何も言えずにその場に佇んでいると、ふいに部屋をノックする音が聞こえた。

「フィリップ殿下、急ぎ伝えたいことが!」

 カークの緊迫した声に、フィリップが反射的に身構えた。

 用心しながらドアに近づき、ゆっくりと開ける。

「ハーマン陛下の護衛騎士であるベルナール殿が!」

 カークがフィリップに告げた。


 フィリップが廊下を見ると、ベルナールはまるで重さに耐えかねるように床に膝をついていた。必死に立ち上がろうとするが、体が動かない様子だ。

「……この動き……まさか、結界の対象になっているのか!?」

 ハーマンが低く呟いた。その声は震えている。

 王太后アンヌが頷いた。

「たぶん、そうね。あなたが『ダイバーレス王国の脅威』と認識している対象に違いないわ。彼は、アンドリアンの残党なのでしょう」

 アンヌは冷たい目でベルナールを見下ろした。

「……まさか、王の護衛騎士までもがアンドリアンの手の者だったとは」

 ベルナールは再び立ち上がろうと試みたが、結界の重力に押しつぶされるように再び膝をついた。


「無駄よ」

 カミーユがピンク色の髪を揺らしながら、首を横に振る。

「陛下が『敵』と認めた者は、みんな重力に苦しむって決まっているのよ」

 フィリップは即座に判断した。

「では、城の中で苦しんでいるのは、全てアンドリアンの残党のはずだ!」

 カークに向き直り、鋭い声で命じた。

「カーク、このことをヘンリーにも伝えて、私の護衛騎士たちを連れて城の中をくまなく調べるんだ!」

「はっ!」

 カークが一礼する。

「ヘンリーは怪しい者のリストを持っている。リストに載っていなくても、同じ状況の者は全て捕縛しろ!」

「かしこまりました」

 カークが駆け出していく。足音が廊下に響いて、遠ざかっていった。


 呆然としているハーマンに、アンヌが声をかけた。

「人を見る目が無いのは、オーウェン譲りなのかしら」

 その声には、呆れと同情が混ざっていた。

「……とにかく、魔法水晶が正常に作動するようになったことはわかったわ。あなたも疲れたでしょう。部屋に戻って休みましょう」

 フィリップも声をかけた。

「ヴェルデン領には、スタンダル帝国軍がどうなったかを確認するための使いを出します」

 ハーマンが顔を上げる。

「使者が戻ってくるまでの間、ゆっくりお休みください。戦後交渉については使者が戻り次第、考えることになります」

 そして、フィリップは続けた。

「私も、アンドリアンの残党の処理が済み次第、一度部屋に帰ってゆっくりします」

 ハーマンは力なく頷いた。その肩が、小さく震えていた。


------


 フィリップが諸々の対応を終えてエレオノーラの待つ控えの間に現れたのは、昼過ぎだった。ヘンリーが手配してくれた遅い昼食を2人で終えると、フィリップはカップを手に取り、静かにエレオノーラの横に座った。

「久しぶりのお城の昼食、美味しかったです」

「真央の手料理には敵わないけどね」

 そう言ってフィリップが微笑む。

「フィリップ殿下……」

 エレオノーラがヘンリーの方を気にしてちらっと見る。

「エレン、カークと同じように、ヘンリーのことは気にしなくていい。2人の時に話すみたいに話してほしい」

「え、でも……」

 もう一度ヘンリーの方を見ると、彼はにこりと微笑み、何も言わずにその場で待機している。エレオノーラは少し戸惑ったが、フィリップがそう言うならと、前世の真央が和真と話していたときみたいに話すことにした。


「魔法結界がちゃんと作動して、本当によかった。まだスタンダル帝国軍がどんな状況になっているかはわからないけど……」

 エレオノーラは、少しほっとした顔でフィリップの顔を見つめる。フィリップは静かに頷いた。

「そうだね。ヴェルデン領に向かわせた使いが帰ってこないとわからないけれど、あの重力ではスタンダル帝国兵も何もできないんじゃないかな」

 彼は紅茶を一口飲んだ。


「それにしても、エレオノーラの『スキル』?が無ければ、あんな風にはいかなかったと思う。改めてお礼を言うよ。ありがとう」

 彼の言葉に、エレオノーラの胸が熱くなる。

「役に立つことができてよかった……」

「うん。エレオノーラの『愛の力』のおかげだね」

 フィリップは嬉しそうな顔をして、エレオノーラの手をそっと引いた。バランスを崩したエレオノーラは、そのまま彼の胸に引き寄せられる。

「きゃっ……!」

 エレオノーラが顔を真っ赤にして驚いて見上げると、フィリップは楽しそうに笑っていた。

「エレオノーラの愛の強さは強烈だったね」

 彼の腕が、優しくエレオノーラを包み込む。


「褒美は爵位とかがいいかな?それとも、聖女の称号?」

「えっ、冗談でしょ?」

 エレオノーラは目を丸くした。

 するとフィリップは、エレオノーラの頬を軽くつつきながら、少しだけ真剣な表情を見せた。

「……まあ、実際にそれくらいの貢献だとは思うんだけど」

「でも、ハーマン陛下の立場もあるから……」

「そうなんだ」

 フィリップは少し肩をすくめながら言った。

「だから、僕が魔法を使えたことも、エレオノーラの力で増幅されたことも、内密にすることになっている」


 その判断は当然だろう。

 フィリップが王家の者として魔法を扱えたと公になれば、ハーマンの立場を揺るがしかねない。

「うん、わかってるよ。大事なのは、王国が平和であることだもの」

 エレオノーラの返事を聞いたフィリップは、満足そうに微笑んだ。


 そして、ふと隅で静かに佇むヘンリーに目を向けると、彼は生暖かい目でこちらを見守っていた。

「お二人とも、まるで新婚夫婦のようですね」

 ヘンリーの言葉に、エレオノーラは顔を赤らめた。

 フィリップはくすりと笑い、エレオノーラから少し離れた。


 そんな和やかな雰囲気の中、エレオノーラはふと魔法結界の部屋での出来事を思い出した。

 あの瞬間、王太后アンヌとカミーユは信じられないという顔をして、ただ呆然としていた。

 そして、ハーマンは——

「……ハーマン陛下、魔法水晶を見て本当にほっとしていたね」

 エレオノーラがぽつりと呟くと、フィリップも静かに頷いた。

「そうだね。今までの色々なことに対して責任を感じていたみたいだから」

 フィリップは窓の外を見た。

「護衛騎士がアンドリアンの手の者だったと知ったのはショックだったみたいだけど、粛清が終わったら少しは安心できるだろうし、ようやく国内が落ち着くだろう」

 そして、ふっと息を吐いた。

「……まぁ、戦後処理とか色々忙しくはなるだろうけどね」

 彼はそう言って、エレオノーラに向き直ると、彼女の青い瞳を真剣な目で見つめた。


「エレオノーラ」

「な、なに?」

 突然名前を呼ばれ、エレオノーラはどきりとする。

 心臓が早鐘を打つ。

 フィリップは少し微笑み、エレオノーラの手を再び取った。

「ひと段落ついたら、正式に婚約しよう」

 その言葉に、思わず息を呑む。

 やっと、やっとここまできたのだ。

 エレオノーラは嬉しさで胸がいっぱいになりながらも、頷いた。

「はい……!」

 声が震えている。涙が滲みそうになるのを、必死にこらえた。

 フィリップは優しく微笑み、エレオノーラの手を握りしめた。

「ありがとう、エレン」

 二人は見つめ合った。

 時間が止まったような、幸せな瞬間だった。


 しばらくして、ヘンリーが咳払いをした。

「フィリップ殿下」

「ん? 何?」

 フィリップは邪魔をされたからか幾分険しい顔でヘンリーの方を見た。

「婚約の手続きについて、確認させていただきたいのですが」

 ヘンリーは真面目な顔で言った。

「まず、ヴェルデン公爵家への正式な申し入れが必要です。そして、婚約の儀式の日取りを決め……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 フィリップは慌てて手を上げた。

「まだ国内が落ち着いてからって言っただろう?」

「はい、ですが事前の準備は必要かと。特に、婚約指輪の準備には時間がかかりますし、エレオノーラ様のドレスも——」

「いいから、待ってくれ!お前は真面目すぎるんだってば!」

 フィリップは苦笑する。

 エレオノーラも、その様子を見て思わず笑ってしまった。

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