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94.あなたのせい

 私は、オーウェンが亡くなってから、まるで抜け殻にでもなったような気分でいた。

 鏡に映る自分の顔を見ても、オーウェンが褒めてくれた私の美貌の欠片も見当たらない。虚ろな目をした女がいるだけだ。

 ――私の人生は、オーウェンへの怒りを原動力にしていたのだと、嫌というほど思い知らされる。

 そして、今もまだオーウェンに対しては怒っている。

 自分勝手に行動した挙句、抵抗もせずに処刑されたオーウェン。最後まで、私に何も言わずに逝ってしまった男。


 しかも、私はただ恨み続けていたわけではない。

 私は、この国の王妃である以上、国のことを考えなければならなかった。だから、ハーマンを立派な王に育てることを目標にしてきたし、少しでも国の役に立とうと努めてきた。

 社交の場では王妃としての品格を保つために最低限の装いを整えたが、それ以上の贅沢を望んだことはなかった。高価な宝石も、豪華なドレスも。そんなものに興味はなかった。

 私は王妃である前に、この国の民とともに歩む者でありたかった。


 それなのに――

 ハーマンが王となってからの彼の振る舞いには、目を覆いたくなるものがあった。

 特に、彼の婚約者であるカミーユ。

 あの女は、これ見よがしに贅沢を楽しんでいた。高価な宝石を身につけ、豪華なドレスを次々と新調している。

 ハーマンは湯水のようにカミーユへ贈り物をし、彼女の望むものを次々と与えていた。


「少しは控えなさい。国の財政は無限ではないのですよ」

 私はそれとなくハーマンを窘めた。

 だが、彼は全く聞く耳を持たなかった。

「母上は心配しすぎです。これくらい問題ありません」

 そして赤い瞳で私をまっすぐに見つめた。

「王族が贅沢をするから、経済が回るのではないですか。母上が今まで倹約しすぎたから、ダイバーレス王国の発展が抑えられていたのですよ」

 その言葉に、私は言葉を失った。


 ――どこで育て方を間違えたのか。

 私は、途方に暮れた。

 私がこれまで守ってきたものは、一体何だったのだろうか。

 私は、人払いをして自室で休むことが多くなった。

 窓の外を眺めながら、ただぼんやりと時間を過ごす。空が青いのか灰色なのかも、もうどうでもよかった。


 そんな折、国の平穏を揺るがす報せが届いた。

「王太后様、大変です!」

 侍女が慌てて部屋に飛び込んできた。その顔は蒼白だった。

「スタンダル帝国がヴェルデン領へ攻め入っているとのことです!」

「何ですって!?」

 私は椅子から立ち上がった。

 また――またスタンダル帝国なのか。

 私の中に、煮えたぎる憤りが込み上げる。

 あの国はカトリーナをオーウェンに押し付けることで、私からオーウェンの愛を奪った。そして今度は、この国の平和までも奪おうというのか。


 どうして侵攻が始まったのか、考えるまでもなかった。

(……カトリーナの仕業ね)

 スタンダル帝国に通じる者など、限られている。

 オーウェンの処刑後、魔法水晶の輝きが足りなくなったことを伝えたのは、スタンダル帝国の第三王女だったカトリーナに違いない。

 どうして魔法水晶のことを知り得たのかはわからない。だが、そうとしか考えられなかった。


「お待ちください!どこへ向かうのですか!?」

 邪魔な侍女を払いよけ、私はカトリーナの住む宮殿へと足を運んだ。

 廊下を早足で歩く。足音が石畳に響く。すれ違う侍女たちが驚いて道を開ける。そして、私の後ろを侍女と護衛騎士がついてくる音が聞こえた。


「カトリーナ! あなた、スタンダル帝国に情報を流したでしょう!」

 扉を勢いよく開けた。バン、という音が部屋に響く。

 部屋の奥にいたカトリーナが、驚いたように振り返った。

 彼女は、昔と変わらぬ穏やかな表情のまま、首をかしげた。その落ち着いた様子が、さらに私の怒りを煽った。


「王太后様、いきなり何のことですか?」

「とぼけるのはやめなさい!」

 私は一歩踏み込んだ。

「前王の処刑後、魔法結界の魔力が弱まったことを祖国に伝えたのは、あなたでしょう!?」

 私は彼女を鋭く睨みつけた。


 しかし――カトリーナは本当に心当たりがないようだった。目を見開いて私を見つめている。

「私は何もしておりません。そもそも、フィリップが生まれてからというもの、スタンダル帝国とはほとんど連絡を取っていません」

「嘘をおっしゃい!」

「嘘ではございませんわ」

 カトリーナは静かに首を振った。

「私はずっと、王太后様と宰相から監視をつけられていました。そんな状態で、祖国と密かに連絡を取るなど、不可能ではございませんか」


「あなたなら、それくらいやりかねないでしょう!」

 私は怒りのままにカトリーナへと詰め寄った。距離が縮まる。カトリーナの黒曜石のような瞳が、すぐ目の前にある。

「この裏切り者!」

 私はカトリーナの肩を掴んだ。華奢な肩。こんなに細い体で、どれだけのものを奪っていったのか。

 揺さぶろうとした、そのとき――


「どうなさったのですか!?」

 部屋の扉が開き、慌ただしい足音が響いた。

 入ってきたのは、フィリップとエレオノーラだった。

「おやめください、王太后様!」

 エレオノーラが私の手を引き離そうとする。

 そしてフィリップがカトリーナの前に立ちはだかった。


「……フィリップ」

 私は息を荒くしながら、彼を見た。

「あなた、この女を庇ってただで済むと思っているの?」

「庇うとか、そういうことではありません、王太后様」

 フィリップの声は冷静だった。その落ち着きが、かえって私を苛立たせる。

「冷静になってください」

「……私は冷静よ」

 私は唇を噛んだ。体が震えている。

「王太后さまは震えていらっしゃるではないですか。落ち着いてください」

 エレオノーラはまっすぐな目で私を見据えた。

(ハーマンをつかまえておくこともできなかった愚鈍な娘が、何を生意気に)

 彼女を睨みつけると、今度はフィリップが口を開いた。

「王太后様。いったい、母が何をしたと言うのですか?」

 私は深呼吸をした。胸が苦しい。

「何をした、ですって!?この女のせいで、スタンダル帝国が攻めてきたのでしょう!?」

 私の声は震えていた。

「私からオーウェンの愛を奪って、それだけでは飽き足らず、今度はこの国まで奪おうというの!?」

 私はカトリーナを指差した。

「今すぐスタンダル帝国の侵攻を止めさせなさい!!あなたにはそれができるはずでだわ!!」


 フィリップはため息をついた。その音が、静まり返った部屋に響く。

「母は、確かにスタンダル帝国の第三王女でした」

 彼は静かに言った。

「しかし今は、ただただこの国で静かに暮らしているだけです。スタンダル帝国と連絡を取っているのを見たことはありません」

 私の手が震える。

「……そんなこと、カトリーナの息子に言われたって、信じられるものですか」

 私は、カトリーナを睨みつけたまま、拳を握りしめた。


 カトリーナは、ただ静かに私を見つめ返していた。その瞳には、悲しみが滲んでいる。

 なぜ、あなたが悲しそうな顔をするの。

 私の心が激しく乱れているのを感じた。

 怒りと、疑念と、そして……ほんの少しの迷いが、私の中で渦巻いていた。

 本当に、カトリーナがやったのだろうか。

 でも、そうでなければ、誰が。

 私は、自分が何を考えているのかわからなくなった。


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