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89.邂逅

 エレオノーラは部屋に戻ると、急ぎフィリップへの面会を求める手紙をしたためて侍女のマリーに託した。


 その後、エレオノーラは返信を待ちながら、領地への支援の手配を手伝った。避難民の受け入れ準備、物資の確認、騎士団への指示。やらなくてはいけないことは山ほどあった。クレメンティアが引き受けたとはいえ、膨大な仕事量だ。

 クレメンティアを直接手伝うことはしなかった。だが、結局エレオノーラが動けば、母の仕事を間接的に助けることになる。それが歯がゆかった。

(どうせ、私が手伝っても、お母さまは全部自分の手柄にするのよね……)

 でも、領民たちに罪はない。母への複雑な感情と、領民を守ることは別だ。エレオノーラはそう自分に言い聞かせ、手を動かし続けた。


 その日のうちには返信は来なかった。

 城も混乱しているのだろう。フィリップのもとに手紙は届いていないかもしれない。

 窓の外を見つめながら、エレオノーラは唇を噛んだ。

(できるだけ早く会って話したかったのに……)

 仕方なく、次の日の早朝に直接城に向かうことにした。


 翌朝、エレオノーラは馬車に揺られて王城へと向かった。

 空はどんよりと曇っている。冷たい風が吹き、マントを巻き付けても寒さが染み込んでくる。エレオノーラは侍女のマリーが渡してくれた、温めた石の入った袋を冷たくなった手で握りしめた。暖を取るために隣にくっついて座らせているマリーも、肩を抱いて寒そうにしている。


 城門が見えてきた。だが、その前には普段よりもはるかに多い数の衛兵が配置されていた。槍を持ち、鎧を身につけて厳しい表情で立っている。

 案の定、緊急時の城内では警備が強化されていた。マリーが衛兵と交渉したが、埒が明かない。

 エレオノーラも馬車を降りて門に近づくと、衛兵が槍を交差させて道を塞いだ。

「申し訳ありません、ヴェルデン公爵令嬢」

 衛兵の声は丁寧だが、その態度は断固としていた。

「ただいま城内は緊急体制にあります。約束のない方の謁見は許可できません」

「でも、緊急の用件があって——」

「申し訳ございません」

 衛兵は首を横に振った。


 エレオノーラは歯がゆい思いを抱えた。

 強引に押し通るわけにもいかない。だが、どうしたものか。

(なんとかして、フィリップに会う方法は……)

 彼女が思案している時、後ろから車輪が石畳を転がる音がした。


 振り返ると、豪華な装飾の施された馬車が城門の脇に止まるところだった。窓からピンク色の髪が見える。カミーユ・ラフォレットだ。

 しかし、いつもの余裕たっぷりな様子とは違い、顔色が蒼白だった。

「エレオノーラ様?」

 カミーユはエレオノーラに気づいて、一瞬、苛立たしげに眉をひそめた。

(なぜここに、という顔ね)

 しかし次の瞬間、何かを思いついたように目を細めた。口に手を当て、小さく呟く。

「もしかしたら……何かの役に立つかもしれない」

 エレオノーラにはほとんど聞こえないほどの声だった。

 そしてカミーユは、何かを決めたように息を吐いた。

「……私が責任を持つわ。一緒に来て」

 カミーユは馬車の扉を開け、手を差し伸べた。

 衛兵たちは驚いたように目を見開いた。顔を見合わせ、どうするべきか迷っている様子だ。


 だが、カミーユが現王ハーマンの婚約者であり、王からカミーユに関してはどんな時でも登城を許可されていることを考えれば、強く反対することもできない。

「カミーユ様、しかし——」

「私の責任だと言ったでしょう? 問題があれば、陛下に直接お伝えになればいいのよ」

 カミーユの声は冷たかった。有無を言わさぬ迫力がある。

 衛兵たちは渋々ながらも、道を開けた。


 エレオノーラは、カミーユの言葉に目を瞬かせた。

(どうして助けてくれるの?)

 だが、助かるのは確かだった。ヴェルデン公爵家の馬車を待機させるよう従者に指示し、エレオノーラはマリーを伴ってカミーユの馬車に同乗した。

 馬車の中は、香水の甘い香りがほのかに漂っていた。

 馬車が動き出す。車輪が石畳を転がる音が、規則正しく響く。


「ありがとうございます。でも……」

 エレオノーラはお礼を言いながらも、カミーユを訝しげに見た。

 高価な宝石を身に着け、豪華なドレスに包まれているカミーユ。いつもなら、何かと皮肉を交えて彼女をからかってくるのに、今日はそんな余裕すらないようだった。彼女の手は、膝の上で軽く握りしめられている。


 カミーユは、その視線を受けながら静かに言った。

「王の結界のことを調べるために来たのでしょう?」

「ええ……あなたも?」

「そうよ」

 カミーユは窓の外を見た。城壁が、ゆっくりと視界を横切っていく。

「たぶん、前王が処刑されたせいね」

 その声は静かだったが、その言葉の持つ重みは大きかった。


「どういうこと?」

 エレオノーラは身を乗り出した。

「王の結界は、王の魔力によって維持されるものなのよ」

 カミーユは説明を続けた。

「ハーマンに継承されたとはいえ、前王の魔力の支えが突然失われた。だから、きっとハーマンだけでは維持するだけの魔力が足りていないのよ」

 エレオノーラは思わず息を呑んだ。

(やっぱり、結界はちゃんと作動していないのね……)


 それにしても、カミーユがあまりにも魔法結界について詳しいことが不思議だった。王家の秘密なのではないのか。

(ハーマンが教えたんだとしたら、まだ結婚もしていないのに情報を漏らしすぎではないの?)


「……それで、あなたはどうするの?」

 エレオノーラが尋ねると、カミーユは真っ直ぐ前を見た。

「私はハーマンのもとへ行く」

 その声には、迷いがなかった。

「魔力を増幅する方法を試してみるわ」

「魔力を増幅?」

「ええ。やり方は知っているの」

 カミーユは一瞬、自嘲するように口元を歪めた。

「ただ、それでも足りないかもしれないのよ」

 彼女は続けた。その声は、かすかに震えていた。


「……でも、私だって、この国が滅びることは望んでいないの」

 その言葉に、エレオノーラはカミーユを見つめ直した。

 彼女はいつも、笑顔の裏に計算高さと毒を隠す冷静な貴族令嬢だった。それなのに、今日はまるで別人のようだ。必要な言葉を、必要なぶんだけ、まっすぐに話しているのを感じた。


 馬車が止まった。城の中庭に到着したようだ。

 カミーユとその侍女は馬車を降り、エレオノーラ達も後に続いた。

 冷たい風が吹き抜ける。石造りの城壁が、重々しく立ちはだかっている。

「エレオノーラ様はフィリップ殿下のもとへ行くのよね?」

 カミーユが振り返った。ピンクの髪が風に揺れる。

「……フィリップルートじゃないからフィリップは魔法を使えないはずだけど、まぁ、何か方法が見つかるといいわね」

 その言葉の意味が、エレオノーラにはよくわからなかった。

 フィリップルート? それは何を意味しているのだろう。


 だが、問いただす間もなく、カミーユは城の奥に向かって歩き始めた。

 エレオノーラは、ピンクの髪を揺らしながら歩く彼女の背中を複雑な思いで見送った。

 カミーユの足音が、石畳に響いて遠ざかっていく。

 やがて、その姿が廊下の角に消えた。


 エレオノーラは深呼吸をした。

(さあ、私も行かなくちゃ)

 フィリップの元へ。

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