85.処刑
昼下がりだというのに、日の光は見えない。灰色の空から舞い落ちる雪片が石壁に次々と消えていくのが窓の外に見える。冬の冷気が隙間から染み込み、石造りの玉座の間を冷やしていった。
私は指先の冷たさを感じながら、目の前で繰り広げられる儀式を静かに見守っていた。
玉座の間には、限られた者たちだけが集められている。新王となるハーマン殿下、フィリップ殿下、アンドリアン宰相、アッシュクロフト公爵、主要な高官たち、そしてヴェルデン公爵である私。国民には非公開の、密やかな即位式だ。
重厚な扉が閉ざされ、外の喧騒は遮断されている。室内には香炉の煙がゆらめき、沈黙が重くのしかかっていた。
アンドリアンが進行役として、淡々と儀式を進めていく。
「前国王オーウェン陛下の退位詔書を、ここに確認いたします」
羊皮紙に記された退位詔書が淀みなく読み上げられる。
私は表情を変えずに、ただ聞いていた。
次に、王冠の授与が行われた。
重厚な金の冠が、ハーマン殿下の頭に載せられる。その瞬間、かすかに口の端が上がるのが見えた。
(……仮にも王となるものが、感情を抑えることぐらいできなくてどうするんだ)
心の中で呆れながらも、それでも、現状で王に成り得るのは彼しかいないことを考えて、ため息にならない程度に息を吐く。
(せめて、フィリップ殿下が魔法を使えるのであれば……)
そう考えてもどうしようもない。この国の魔法結界を維持するためには、魔法を使える王が必要なのだ。
「我ら、新王ハーマン陛下に忠誠を誓います」
アッシュクロフト公爵が膝をつき、続いて私も膝をついた。冷たい石床が膝に染み入る。高官たちも次々と忠誠を誓った。
フィリップ殿下は、儀式の間ずっと平然とした表情を保っていた。その横顔には、何の迷いも見えない。彼は彼なりに、新王を支える決意をもってこの場にいるのであろう。
今朝のことを思い出す。
アンドリアンからの書状が届いた。新王ハーマンの名代としてという形式だったが、その内容は半ば強制的に即位式への立ち会いを要請するものだった。
私は書状を握りしめ、苦々しい思いに駆られた。
一体どうして、アンドリアンはこんなに早く王の退位を急いでいるのか。
オーウェン王を傀儡として利用し続けるのが、彼の策略だと思っていた。なので、王の退位には反対するだろうと思っていたのだ。だからこそ、私は密かに他の貴族たちと連絡を取り、慎重に退位へ向けた工作を進めていた。
それなのに、アンドリアン自らが退位を推し進めている。
(一体何を企んでいるんだ……?)
とりあえず、こちらの目的としていた王の退位は成されるのだ。反対しているわけではない。腑に落ちないが、出席しないわけにはいかないと考えた。
即位式が終わり、私たちは王宮のバルコニーへと移動した。
外の冷気が一気に肌を刺す。雪はまだ降り続けており、広場を埋め尽くした民衆の頭上にも白い雪片が舞い落ちている。
ハーマン新王がバルコニーの中央に立ち、その隣にフィリップ殿下、そして後ろにはアンドリアンが控えている。
民衆はざわめいた。
新王ハーマンの登場に、不安そうな空気が広がる。ざわざわとした声が、波のように広場を満たしていく。
だが、フィリップ殿下の姿を見つけた途端、空気が一変した。
「フィリップ殿下だ!」
「やっと改革が進むんじゃないか!?」
歓声が上がる。民衆の顔に、安堵と期待の色が浮かぶ。その熱狂ぶりが、ハーマン新王への反応との対比をさらに際立たせていた。
ハーマン新王が声を張り上げた。
「我が臣民よ! 本日より、私ハーマンが新たな王として、この国を導くこととなった!」
その声は、冷たい空気に響き渡る。
「まず、民を苦しめてきたスリング禁止令を、ここに撤回する!」
どよめきが広がった。喜びの声と、驚きの声が入り混じる。
そして、ハーマン新王は続けた。
「前王オーウェンは、誤った政策により国を混乱に陥れ、多くの民を苦しめた。その罪は重く、死をもって償わせる。本日夕刻、処刑を執行する!」
広場が一瞬、静まり返った。
次の瞬間、民衆から歓声が沸き上がる。特に若者の喜ぶ声が耳に届く。
私は歯を食いしばった。表情には出さない。だが、胸の奥では苦々しい思いが広がっていく。
(これが、アンドリアンの描いた筋書きなのか。国の重鎮を介さず、王の処刑を決めるとは!)
夕方。
処刑の時刻が迫っていた。
告知からわずか二時間後。あまりにも早い執行だった。
広場には処刑台が設けられている。デモによる被害者の救済テントが張られている一角の、ちょうど反対側だ。木製の台が組まれ、その上に断頭台が置かれている。刃が鈍く光を反射していた。
私たちは再び王宮のバルコニーに集まっていた。
ハーマン新王、フィリップ殿下、アンドリアン、アッシュクロフト公爵夫妻、そしてアンヌ王妃。バルコニーの端の、目立たない場所には、エレオノーラを残念令嬢呼ばわりしたカミーユ嬢の姿も見える。
雪は止んでいたが、空は相変わらず灰色に曇っている。
民衆が処刑台の周囲に集まっていた。その数は昼よりも増えている。固唾を呑んで、台の上を見つめている。
やがて、前王オーウェンが引き出されてきた。
両脇を兵士に付き添われ、力なく歩いている。王衣は剥ぎ取られ、質素な衣服を身に纏っている。顔色は悪く、目には生気がない。わずか数時間前まで王であった男が、今は処刑される罪人として人々の前に晒されている。
民衆の間から、罵声が飛んだ。
「国を滅ぼした王だ!」
「民を苦しめた罪人!」
その声が、広場に響き渡る。
オーウェンは何も言わなかった。ただ、俯いたまま処刑台へと引きずられていく。
ハーマン新王の視線を追うと、向こうの白い山に向いている。
フィリップ殿下は、眉ひとつ動かさずに処刑台を見ていた。
(複雑な気持ちだろうに……)
ただ、視界の端で捉えた彼の拳は爪が手のひらに食い込むのではないかというくらい握りしめられている。それを表に出さないフィリップ殿下は、やはり王の器だと思った。
オーウェンが処刑台の上に跪いた。
処刑を知らせる鐘が鳴る。
執行人が斧を構える。
一瞬の静寂。
そして、刃が振り下ろされた。
鈍い音が響く。
民衆の間から、様々な声が上がった。安堵の声、悲鳴、歓声。
見届けたあと、私は目を閉じた。
(王はいなくなったが……)
だが、本当にこれで良かったのか。
胸の奥で、疑問がくすぶり続けている。この処刑の真意は何なのか。私たちの反対の余地を防いでまで、どうして執行する必要があったのか。
バルコニーから見下ろす広場では、民衆がざわめいている。新たな時代の始まりを告げる声と、不安の入り混じった空気が漂っていた。
冷たい風が吹き抜ける。
私は表情を変えずに、ただそこに立ち続けた。
ヴェルデン公爵として、この瞬間を目撃した者として。
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処刑場の方角から、民衆の声が聞こえてくる。私は窓枠を握りしめ、唇を噛んだ。
「王妃様、お辛いでしょう。窓からお離れください」
侍女の言葉に私は首を振り、外を見続ける。
言いたいことは山ほどあった。
あなたは私を愛していなかったのかと問いたかった。なぜ私を裏切ったのかと詰りたかった。まだ私の怒りは半分も伝え終わっていなかったのに。
その機会は永遠に失われた。
(アンドリアンめ……。オーウェンの処刑だけでなく、ハーマンの即位式にすら立ち会わせてくれないとは)
窓の外から、鐘の音が響いてくる。処刑の時を告げる音だ。
私は目を閉じた。
オーウェンを処刑することは、ハーマンの王権を盤石にするための必要悪なのだろう。
あの愚かな男よりも、私の愛するハーマンが王座を守り抜くことが最優先だ。
涙が一筋、頬を伝った。それでも、私は顔を上げ、窓の外を見続けた。
次回から、次の章に入ります。




