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84.王の退位、そして

 支援活動の翌日、執務室で情報を整理し、溜まっていた執務をある程度片付けるともう昼近かった。午後からはまた広場に向かおうと考えていたところ、アンドリアンが私の執務室を訪ねてきた。扉をノックする音が妙に軽く響いて、なぜか胸騒ぎがした。


「王がハーマン殿下に王位を譲ることになりました」

 アンドリアンはそう告げた。

 それ自体は悪いことではない。三公爵会議でもすでに決定していたことで、私としても異を唱える理由はない。ただ、まだ公爵たちが貴族たちに根回しをしている段階なのに、どうしてアンドリアンがそのことを告げにきたのか。その意図が読めなかった。

 彼は父を傀儡として、ダイバーレス王国を徐々に蝕んでいくつもりだったのではないのか。このまま国を混乱させ続けた方が、彼の目的には合っているはずではないのか。アンドリアンは、王位の譲渡に反対すると思っていた。

 窓の外からは、遠く城下町のざわめきが聞こえていた。民の不満が渦巻く声だ。


「先ほど、前王陛下から退位の詔書に署名をいただきました」

 アンドリアンは淡々とした口調で続けた。

(先ほど!?すでに手続きが終わっているというのか!?)

 私は思わずアンドリアンを凝視した。

「急ぎ準備を整え、午後にはハーマン殿下の即位式を執り行います。そして式の後、速やかに前王の処刑へと移る手はずです。民心を掴むには、この流れが最も効果的でしょう」


「父上を処刑するというのですか!?」

 思わず声が震えた。喉の奥が渇いて、言葉が引っかかる。

 アンドリアンは静かにうなずいた。

「ええ。前国王陛下の政策が国を混乱に陥れ、多くの民が苦しんでいることは事実です。そして民衆の怒りは収まるどころか、日に日に膨れ上がっている。王を糾弾する声は、もはや無視できないほどに大きくなっています」

 その言葉を聞きながら、私は拳を握りしめた。指先に爪が食い込む痛みが、現実を突きつけてくる。

「だからといって、処刑というのはあまりにも極端ではありませんか?だいたい、国民の怒りを抑えるために、兄上が即位するのではないのですか?」


「……ええ、おっしゃる通りです、殿下」

 アンドリアンは私の言葉を受けて、ゆっくりと首を縦に振った。

「しかし現実を見なければなりません。ハーマン殿下は民からの支持がほとんどない。これまで目立った功績もなく、思慮の足りない傲慢な人物だということで有名です。そのような方が王として立つには、強烈な印象操作が必要なのです」

 アンドリアンは一歩近づいた。革靴が石床を踏む音が、静まり返った部屋に響く。

「前王を断罪し、処刑する。その姿を民に見せることで、ハーマン殿下は『悪政を終わらせた新王』として印象づけられる。民の怒りの矛先を前王に向けさせ、同時に新王への期待を高める。これ以上ない演出です」

 私は思わず息を呑んだ。


「そして」

 アンドリアンは私を見つめた。

「フィリップ殿下、あなたの協力も不可欠です。民から慕われているあなたが新王を支持する姿を見せれば、ハーマン殿下の正統性はさらに強固なものになる」

 私は歯を食いしばった。

(言っていることの筋は通っている。だが、王や私をまるで道具のように……)

 怒りがこみ上げる。

「私が協力するというのなら、なおのこと父上を処刑するなどという手段を取らずとも、他に道はあるのではないですか。そこまで極端な方法を選ぶ必要が、本当にあるのですか?」

 アンドリアンは何も答えず、ただ漆黒の瞳で私を見つめ続けた。

「……兄上とも話をさせてください」

 私はそう告げた。アンドリアンの策に乗るわけにはいかない。ハーマンを説得して、この処刑を止めさせなければ。そして、アンドリアンの言うことを鵜呑みにするのは危険だということも、ハーマンに伝えなければならない。


 話し合いが終わり、アンドリアンが退室した後、私はすぐにハーマンの執務室に向かい、声をかけた。

「兄上、少しお時間をいただけますか?」

 ハーマンは軽く手を上げて、側近たちを下がらせた。足音が遠ざかり、部屋には私たち二人だけが残された。静寂が重くのしかかってくる。

 私は深呼吸をして、口を開いた。

「父上の処刑を考えたのは、兄上ですか? それともアンドリアン宰相ですか?」

「アンドリアンだ」

 ハーマンは即座に答えた。

「国民の不満を逸らし、俺への支持を盤石なものにするためだと言っていた。父上には申し訳ないが、理にかなっていると思ったから採用した」

 私は一歩前に出た。兄上の目をまっすぐ見つめる。

「兄上はアンドリアン卿のことを、どう思われていますか? 私には、彼がこの国のために動いているとは思えないのです」

 ハーマンは少し眉を寄せ、考え込むような表情を浮かべた。


「……確かに、胡散臭さは感じるな。何か気になることがあるのか?」

「はい」

 私は言葉を選びながら、続けた。

「父上は今までの政策について、アンドリアン宰相に頼る部分が大きかったと思います。父上の失態は、むしろアンドリアン宰相の責任でもあるはずです。それなのに、今になって彼が父上を責める立場にいることが、どうしても腑に落ちないのです」

 風が窓を叩きつける音が聞こえる。

「それに、彼はダイバーレス王国を憎んでいるという話も耳にしました。そんな人物が、本当にこの国の再建のために動いているとは考えにくい。彼には別の目的があるのではないでしょうか」


 ハーマンはしばらく沈黙した後、小さくため息をついた。

「なるほどな。確かに、あいつの動きには注意が必要かもしれん」

「くれぐれも、お気をつけください」

 私がそう言うと、ハーマンは呆れた顔をした。

「お前は昔から慎重すぎるところがある。私としては、アンドリアンは私の味方だと思っている。お前の考えすぎだと思うが……まあ、一応気をつけておこう」

 完全には信じてもらえなかった。それでも、少しでも警戒してもらえたなら意味はある。


「……兄上」

(今なら、聞き入れてもらえるかもしれない)

 そう思い、口を開く。

「それから、もう一つ。前にもお伝えしましたが、私は王位には興味がありません。そもそも魔法が使えない私には、王位に就く資格がありません。今後は兄上を支えるつもりです」

 私は一息ついて、続けた。

「そのためには、私が今まで行ってきた政策も、兄上の手柄として扱ってくださってかまいません」


 ハーマンは驚いたように目を見開いた。

「お前……それは本心か?」

「もちろんです。私は兄上のために動くつもりです」

 私は真剣な眼差しで兄上を見つめた。

「兄上の地盤を固めることが父上を処刑する理由であるならば、私の支持だけでも対応できるのではないでしょうか。そうすれば、わざわざ父上の命を奪わずとも済むはずです」


 沈黙が部屋を満たした。

 時計の針が進む音だけが、やけに大きく聞こえる。ハーマンは腕を組み、じっと考え込んでいる。その横顔に、苦悩が滲んでいた。

「……わかった。お前の考えは受け入れよう」

 兄上は重い口調で言った。

「しかし、父上の処刑はやめられない」

 私は息を呑んだ。


「俺には国民の支持が全くない。何もせずにお前の功績を受け取っても、国民には『弟に手柄を譲られた情けない王』としか映らないだろう。それでは意味がないんだ」

 ハーマンの表情は硬く、こわばっていた。拳を握りしめたその手が、かすかに震えている。内心では複雑な感情が渦巻いているのだろう。

 以前、兄上が口にした私へのコンプレックス。それは消えたわけではないのだ。

 ハーマンは、アンドリアンの策なしに王としての地位と人気を確立できないと思い込んでいる。そして、その思い込みが、兄上を追い詰めている。


 私は唇を噛んだ。

 これ以上ハーマンに処刑の撤回を求めるのは無理だ。そう悟った。

 そして、もし処刑をするのであれば、悩んでいる暇はない。一刻も早くハーマンが即位し、処刑を行って国の混乱を収める必要がある。それも理解できてしまう。

 どうにもならないのか……。

 胸の奥で、ざわざわとした不安が渦巻いている。まるで、何か大きな過ちを犯そうとしているような、そんな予感が消えない。

 それでも、私にできることは限られていた。

 父の処刑。

 その重い現実を、私はしかたなく受け入れるしかなかった。


次の主人公はリカルド。まだエレオノーラはマルテッロ領にいます。

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