81.鉛色の空の下
フィリップ視点の話です。長いですが、お付き合いください。
夕方、日が沈む頃になって、やっと中心街は静けさを取り戻しつつあった。
私は、軍による鎮圧行動が収束したという報告を受け、ヘンリーとカークのほか数名の護衛騎士を引き連れて教会の前の広場へ向かった。鉛色の空の下、冷たい風が吹き抜け、どこかで子どもの泣き声が響く。
窓ガラスが割られた商店、焼け焦げた看板、散乱した商品。地面には血の跡が残り、壁には「王は退け」と書かれた文字が生々しく残っている。
広場には、すでにテントが張られていた。そこには、ヴェルデン公爵夫人であるクレメンティア夫人と、アッシュクロフト公爵夫人であるアメリア夫人がいた。二人ともそれぞれ従者を数名伴って、軽装ながらも暖かそうな服装で忙しく動いている。
「クレメンティア夫人、アメリア夫人」
私が声をかけると、二人が振り返った。
「フィリップ殿下、お疲れ様です」
クレメンティアが頭を下げた。
「公爵たちは?」
「リカルドとアッシュクロフト公爵は、他の貴族との連携のために奔走しています。王の退位を求める請願書の署名を集めるために」
「そうですか……」
私は頷いた。
「それでは、私たちで今できることを確認いたしましょう」
クレメンティア夫人が提案した。
「ヴェルデン家からは、医療物資を提供いたします。包帯、消毒薬、鎮痛剤。教会のシスターたちと協力して、怪我人の手当を担当しますわ」
「アッシュクロフト家からは、食品を運んでいる」
アメリア夫人が続けた。
「無事だった人たちを募って、炊き出しをしてもらうことにした」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「私は、マルテッロ公爵から預かっていた避難物資を持ち込ませています。衣類、毛布、薪などが届いています。騎士たちに配らせます」
三人は、それぞれの役割を確認し合った。
「それでは、救済活動を開始しましょう」
私は広場に集まった人々に向かって、大きな声で宣言した。
「皆さん、どうか落ち着いてください。怪我をされた方は、テントで手当を受けてください。食事が必要な方は、炊き出しの列に並んでください。毛布が必要な方は、騎士たちに声をかけてください」
テントでそれぞれが自分の持ち場で働いている間、私は被害に遭った人々の話に耳を傾けることにした。人々が怯えずに話しかけられるように、カークに指示し、できるだけ近くで話を聞けるようにする。
「店を壊されました……」
ある商人が泣きながら訴える。
「商品を全て奪われました。もう、商売ができません」
「お気持ち、お察しします」
私は深く頭を下げた。
「被害の状況を記録させていただきます。後日、しかるべき対応を検討いたします。どうか、希望を捨てないでください」
私はヘンリーに目配せし、商人の名前と被害の詳細を記録させた。
「息子が……息子が軍に殺されました……」
ある母親が、私のすぐ近くまで詰め寄って悲痛な声で訴えた。
「なぜ、こんなことになったんですか!? なぜ、王は軍を使ったんですか!?」
私は、その手をそっと両手で包んだ。その手は、氷のように冷たい。
「……お悔み申し上げます。このような悲劇が二度と起こらないよう、私は全力を尽くします」
母親は、うずくまって泣き続けた。私は、ただ黙って、悲しみに寄り添うことしかできなかった。
(やはり、軍による鎮圧はするべきではなかった)
私は、王、そしてアンドリアンに対して心の中で強く憤った。
一人一人の話を聞いていると、時間があっという間に過ぎていく。空はさらに暗くなり、風が冷たさを増していく。
そのとき、突然、若者が群衆の中から飛び出してきた。
「この偽善者め!」
その手には、ナイフが握られている。刃が、夕闇の中で鈍く光る。
「殿下!」
カークが素早く私の前に立ち、若者の手首を掴んだ。ナイフが地面に落ちる。カチン、という音が広場に響いた。
「放せ! 放せ!」
若者は暴れている。その目は、怒りと絶望に満ちている。
「落ち着け」
カークが低い声で言った。
「殿下に危害を加えることは許さん」
「危害を加える? 笑わせるな!」
若者は叫んだ。
「俺たちの人生を壊したのは、王だ!今さら救済なんてして、良い人ぶったって無駄なんだよ!!」
沈黙が落ちた。広場にいる人々が、息を呑んで見守っている。
そのとき、ヘンリーが一歩前に出た。
「フィリップ殿下は、お前たち若者の苦しみを理解し、そのための改革をしようとしているんだ。殿下の誠意は、偽善ではない」
ヘンリーの声が、広場に響く。
若者は、黙って聞いていた。その目に、わずかな迷いが浮かんでいる。
私は、一歩前に出た。カークが止めようとしたが、私は首を振った。
「君の怒りは、もっともです」
私は、若者を真っ直ぐに見つめた。
「君たちが苦しんできたこと、それを放置してきたこと、私たちはもっと早く気づくべきでした。」
私は胸に手を当てた。
「今すぐに全てを変えることはできません。ですが、もう少し待ってください。必ず、君たちが生きやすい国に変えてみせます」
若者は、涙を流しながら崩れ落ちた。
ひと段落して、私はテントに戻った。体が冷え切っている。手の指先の感覚がない。アメリア夫人のところで配っている温かい飲み物が欲しかったが、私がここで受け取っていいものではない。気持ちを切り替えて、また周囲への声かけを再開しようと考えたとき、ちょうど、治療のひと段落がついたクレメンティア夫人が出てきた。
「クレメンティア夫人、お疲れ様です」
私は手を上げた。
「多くの方々を救ってくださり、ありがとうございます」
「いえいえ、これくらいは当然のことですわ」
クレメンティアは微笑んだ。
「ところで、夫人。エレオノーラ嬢はこの騒動の中、ご無事でしょうか?」
こういうときに夫人と一緒に現れそうな彼女がいないことがずっと気になっていた。王都が混乱している中、彼女の身が案じられる。
「ああ、あの子なら夕方私が家を出る時にマルテッロ領へ向かいましたわ」
「え!? こんな危険な中を!?」
私は思わず声を荒げた。
「王都が封鎖される前に、急いで出発させましたの。リカルドの判断でしたわ。マルテッロ領まで暴動が広がっては大変ですもの」
私は唖然とした。
(もう空は暗いというのに、エレオノーラは……無事なのか?)
「夫人、それは無謀すぎます!」
私は抗議した。
「夜道は危険です。盗賊も出ますし、道も悪い。エレオノーラ嬢は――」
「あら、フィリップ殿下」
クレメンティアは平然と言った。
「エレオノーラをマルテッロ領へ派遣することは、ヴェルデン家で最善の策だと判断しましたの。もともとマルテッロ領へ講習会をしに行く予定でしたし。それに、あの子、マルテッロ領を救うために、とてもはりきっていましたのよ」
「それでも!」
私は声を張り上げた。
「彼女の安全が第一ではないですか!」
「まあ、心配してくださって嬉しいですわ」
クレメンティアは、どこか得意げに微笑んだ。
「護衛騎士もたくさんつけましたし、特に問題は無いでしょう。それよりも、あの子には私からマルテッロ領を救うためのアドバイスをたくさんしてあります。あの子は、私の代わりにマルテッロ領で立派に自分の勤めを果たしてくると思いますわ。私のアイディアは、本当に素敵ですのよ」
(問題は無いだと?しかも、心配していないどころか、自分のアピールをするのか!)
私は怒りを抑えるのに必死だった。
「スリングにする予定だった布を、エレオノーラが育児講習会で扱っていたおひなまき用の布に加工するんですのよ。それを、私が王都で広めますの。画期的だと思いませんか?」
「クレメンティア夫人」
アメリアが、低い声で割って入った。
「エレオノーラ嬢は、今、危険な旅の途中だ。自分の功績を語るのではなく、無事を祈るべきじゃないかな」
「まあ、アメリア夫人」
クレメンティアは眉をひそめた。
「私だって、あの子の無事を祈っていますわ。ただ、私の素晴らしいアイディアを聞いてほしいと思っただけですの。何か問題でも?」
「問題だよ」
アメリアは、はっきりと言った。
「子どもは、親の装飾品じゃない。私は、フランソワにかこつけて自慢なんてしたことがない。そして、いつでも、フランソワの安心や安全を最優先に考えている。それが、親としての務めだと思うからね」
クレメンティアの顔が紅潮した。何か言い返そうとしたが、アメリアが手を上げて制した。
「今はそんなことを言い合っている場合じゃない。エレオノーラ嬢の無事を祈り、私たちはここでやるべきことをやろう。それが、彼女への最大の支援だ」
クレメンティアは、何か言いかけたが、黙り込んだ。
(アメリア夫人、かっこいいな……)
アメリア夫人のさっぱりとした物言いに、私は溜飲を下げた。そして、私の言いたかったことを代弁してくれたアメリア夫人に、心の中で感謝した。
空を見上げると、雪は降っていないが、どんよりとした雲が空を覆っている。
(エレオノーラ、どうか無事で)
私は心の中で祈った。
次回はエレオノーラのマルテッロ公爵領での話です。




