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79.三公爵会議

フィリップ視点での話です。

 窓の外では、薄曇りの空から細かな雪が舞い落ちていた。灰色の雲の下、街を覆う冷たい空気が、まるで今の王国の不穏な空気そのもののように感じられた。

 ヴェルデン家の王都邸宅の客間には、暖炉の炎が静かに揺れている。パチパチと薪が爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙を破っていた。私は革張りの椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。

 集まったのは、三公爵家――リカルド・ヴェルデン、アメリア・アッシュクロフト、ゲルハルト・マルテッロ。そして私、フィリップ・ダイバーレス。


 最初に口を開いたのは、アメリアだった。椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま、はしばみ色の瞳で全員を見渡す。高い位置で一つにまとめたプラチナブロンドの髪が揺れた。

「まず、各領の状況を共有しよう。アッシュクロフト領では多くの領民が困惑している」

 彼女は眉をしかめた。

「ただ、育児に関わるものたちは、これからフランソワがエレオノーラ嬢から習った育児方法を伝えることでなんとかなるだろう。スリングを作らせていた職人たちも、公爵家からの補助金でなんとか凌げる範囲だと思う」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ゲルハルトが拳で机を叩く。

「うちはそうはいかん!」

 まるで雷鳴のように鋭く低く響く声だった。

「マルテッロ領は貴族向けの高級スリングを大量に仕込んでいたんだ。その負債は、わしの公爵家から出せる範囲の補助金ではまかないきれん」

 彼は立ち上がり、暖炉の前に立った。その大きな背中が、炎を背負って黒いシルエットとなる。

「なんとかしないと、このままでは暴動が起こるだろう。今日は、その打開策を求めてこの会合に参加したのだ」

 分厚い眉をしかめて黙りこんだ。白い髭が、暖炉の火の光を受けて金色に揺れる。


「ヴェルデン領は比較的落ち着いています。育児改革を早くに進めたおかげです。しかし……王都の混乱が広がれば、無事ではいられないでしょう」

 リカルドが、低い声で言った。

「現状の問題は、民衆の怒りが『スリング禁止』だけではなく、『王の統治そのもの』に向かい始めていることです」

「その通りだね」

 アメリアが椅子に深く座り直した。

「若者たちは、自分たちが生きづらいのは王が推奨した誤った育児のせいだと信じ始めている」


「待て」

 ゲルハルトが眉をひそめた。

「若者たちが怒っているのは分かる。だが、なぜ王が誤った育児を推奨したことになっているのだ? 確かにスリングを禁止したが、それだけではないのか?」


 リカルドが慎重に言葉を選んだ。

「ゲルハルト殿、アメリア殿。実は、この混乱の背景には、もっと深い問題があります」

 リカルドの視線が私に向いた。

(確かに、これは私の口から説明するべきだろう)


 私は二人を見渡した。

「ティモテウス・アウグスティヌスという育児論の権威をご存知ですか?」

「名前は聞いたことがある」

 アメリアが答えた。

「確か、この国で広く信じられている育児論の提唱者だったかな」

「その通りです」

 私は頷いた。

「エレオノーラ嬢の調査で、彼の理論に重大な誤りがあることが分かっています。そこに結び付けて、彼の論を支援していたのが王だという“デマ”が出回っています」

 ゲルハルトが驚いて目を見開いた。

「何だと?」


 リカルドが続けた。

「アンドリアン宰相の斡旋でヴェルデン家が販売していた育児グッズが、実は発達を妨げるものでした。また、ティモテウス・アウグスティヌスはアンドリアン宰相と親しいこともわかっています」


 アメリアはテーブルに両手をついた。

「つまり、この騒動の裏にはアンドリアンがいるということか。デマを流しているのも、彼なんだろう?……あの男なら、やりかねないね」

「アメリア殿は、彼のことを?」

 リカルドが尋ねた。

「あぁ」

 アメリアは頷いた。

「学園時代にね。彼の母親はスタンダル帝国の貴族だったが、この国でひどい扱いを受け、祖国に帰った後に亡くなったと聞いている。彼が復讐を考えてもおかしくない。陰険な、冷たい男だ」


 ゲルハルトは息を呑んだ。

「つまり、彼はこの国の子どもたちの発達を妨げ、国力を弱めようとしてきたということか」

 沈黙が落ちた。ゲルハルトは暖炉を見つめ、その拳を握りしめている。

「なんという……なんという卑劣な……」

 彼の声は怒りで震えていた。

「しかし、アンドリアンを除けばこの騒動は収まるのではないのか?……わしは、王を守りたい。王はダイバーレス王国の平和の象徴だ」


 私は、眉をひそめて腕を組んだ。

「それができれば苦労しないのですが……。アンドリアンを排除するのは、一筋縄ではいかないのです」

 ため息をつく。

「王はアンドリアンを傍から離しません。昔から、アンドリアンのことを第一に信用しています。また、ハーマン兄上もアンドリアンの影響を受けている様子です」

 育児改革についてアンドリアンから妨害を受けていると相談しに王のもとに向かった日のことを思い出す。あの時の兄上は明らかに影響を受けていた。


 冷めてしまった紅茶を一口飲んだアメリアがカップを置いた。

「確かに、アンドリアンの排除は難しいだろうね。法でも、政治でも、アンドリアンは手出しできない立場にいる。行政も司法も、彼の息がかかっている。証拠を集めようとすれば、逆に不正の罪を着せられるだけだ」

 その言葉にリカルドがうなずく。


「しかも、スリング禁止令を発しているのは、平和の象徴たる王その人です。そして、王に撤回を求めたら『お前に国のことを心配する資格はない』と言われました。全く撤回する気は無いようでした」

 あの時のショックを思い出して、私は顔をしかめた。


 ゲルハルトは暖炉の前で腕を組んでうつむき、アメリアは雪がちらつく窓の外を眺めた。


 リカルドは全員を見渡した。

「こうなってしまったら、王の存続は難しいかと……」

 ゲルハルトは長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

「……分かった。わしも、覚悟を決めよう」

 その声には、深い悲しみが滲んでいた。


 アメリアが立ち上がった。

「ならば、まず暴動に備える必要がある。アッシュクロフトからは食料を送ろう」

「マルテッロからは衣料品と武器を」とゲルハルト。

「ヴェルデンからは医薬品を」とリカルド。

 それぞれが短く頷き合う。


 私は立ち上がり、深く息を吐いた。

「――そして、議会を通して王に退位を願う。少し時間はかかりますが、連盟の請願書が必要でしょう。それぞれに手分けして進めてください。……王族である私が直接行うわけにはいかないので」

 

 炎の光が、三人の顔に揺れている。それぞれの瞳に、覚悟が宿っていた。

 私はゆっくりと目を閉じた。父である王を、王座から引き離す――その決意が、外に降る静かな雪のように胸の底へと降り積もっていった。


フランソワのお母さまは、かっこいい熟女でした。「美魔女」という言葉が似あいますが、王族ではないので魔法は使えません。

次回は、エレオノーラの話です。

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