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72.デモンストレーション巡回

 シュヴァルツェンブルク伯爵領の広場の石畳には多くの人々が集まっていた。晩秋の肌寒さに負けないほどの期待と好奇心の熱気に包まれて、スリングのデモンストレーションが始まるのを心待ちにしている。


 シュヴァルツェンブルク伯爵領を最初の出張地に選んだのには理由があった。

 チャリティ活動の会場ではヒューゴやフランソワからの申し出があったが、それぞれの侯爵、公爵がいない場でのことだったので、領地からの正式な申請はまだ遅くなるだろう。

 そこで、フィリップが提案した。

「申請を待つ時間が惜しいので、まずシュヴァルツェンブルク伯爵領に打診したいと考えています。以前、改革について各領地に打診した時、一番親身になって考えてくれた領地で、アンドリアンから圧力をかけられていると教えてくれました。すぐに受け入れてくれる可能性が高いです」

 伯爵夫人もチャリティ活動に参加していたこと、そして伯爵自身もアンドリアンに対して懐疑的に思っていたこともあり、シュヴァルツェンブルク伯爵への打診はあっという間に快諾された。


「ヴェルデン領での育児講習会を思い出すなぁ」

 エレオノーラは広場を見渡した。

 ヴェルデン領の保育士たちが参加者を案内し、広場の一角にはグラントン侯爵親子、アッシュクロフト公爵夫妻とフランソワ、そしてフィリップが控えている。反対側には、マルテッロ公爵領製のスリングが山積みだ。

 あの頃は自分の信念を貫くのに必死だった。でも今は、国全体を見据えて動いている。このデモンストレーションは、その道を進むための第一歩だ。

(まぁ、規模が大きくなっても、やることは同じだよね!)

 目の前の人々と赤ちゃんのために——エレオノーラは深く息を吸い込んだ。


 シュヴァルツェンブルク伯爵による紹介のあと、エレオノーラが舞台の中央に立って簡単にスリングについて説明した。そして、スリングで参加者の赤ちゃんを優しく包み込む。

「赤ちゃんが胎児の頃と同じように丸くなって楽な姿勢を保つことができるんですよ」

 参加者たちが熱心にメモを取り始めた。

「赤ちゃんがスリングの中で眠ってしまった場合は、布団に降ろすときに横向けにすることで、背中の丸さが保たれます。そうすると、降ろした瞬間に目が覚めることを防げるんです」

 エレオノーラが実演しながら続ける。

「よく硬い布団に仰向けに寝かせてしまいがちですが、それだと背中の丸さがつぶされて、痛くてすぐに目を覚ましてしまうんですよ」


「赤ちゃんは、仰向けで背中をまっすぐにして寝かせなきゃだめなんじゃないの?」

 想定されていた内容のその囁きに、エレオノーラは微笑んで答えた。

「昔の方法だと発達が妨げられることがわかってきました。ヴェルデン領では赤ちゃんが健やかに育っています。スリングはスタンダル帝国でも『添い寝布』として使われていて、フィリップ殿下もこれで育てられたんですよ」

 参加者たちの視線がフィリップに注がれた。フィリップは穏やかに頷く。

「また、今まで販売されていた『エンジェル・ステイタス』や『ベビー・ラップ』は、実はスタンダル帝国では販売されていないものだったのです。赤ちゃんの発達を阻害している疑いもあります。ぜひ、安価で安心なスリングを試してみてくださいね」


 販売会では、チャリティ活動の時と同じくスリングが飛ぶように売れ、デモンストレーションは大成功に終わった。

 日を開けずに、グラントン侯爵領、アッシュクロフト公爵領でも同様のデモンストレーションが行われた。どの領地でも反響は大きく、フランソワは平民向けのスリング作成方法を導入し、自領で独自に作り始めた。

 シュヴァルツェンブルク伯爵領では「これがないと育児ができない」という声まで聞こえるほどスリングが主流となった。

 この成功が噂となり、他の領地からも正式にデモンストレーションを求める声が届くようになった。


 クレメンティアによる社交で、婦人会、教育界など各方面でもスリングが話題となった。エレオノーラは複雑ながらも安堵していた。

(これで、もう子育てに苦しむ人も、辛い中で育つ赤ちゃんもいなくなるはず)

 ただ、アンドリアンの動きだけが読めず、不安に感じていた。

 父によると、城でスリングの販売について話しかけられたが、特にそれを阻むこともなく、むしろ育児グッズの販売の中止まで認められたという。

(このまま何事も無ければいいんだけど……)


 そんな冬のある日。

 ヒューゴとフランソワの結婚式が執り行われる日がやってきた。

 エレオノーラは二人の仲睦まじい様子を見るたびに結婚式を待ち遠しく感じていたが、いざその日を迎えると、不思議な感慨が胸をよぎる。


 結婚式は、アッシュクロフト公爵家の大広間で行われた。美しいステンドグラスから柔らかな光が差し込み、アッシュクロフト家自慢の温室で育てられた花々が散りばめられた室内は幻想的な雰囲気に包まれていた。


「フランソワ、すっごく綺麗!」

 控室で支度を終えたフランソワを見て、エレオノーラは顔を輝かせた。

 繊細なレースが施された純白のドレスに、柔らかなミルクティーベージュの髪をまとめ、ヒューゴの色である緑の髪飾りをつけた彼女の姿は、まさに絵画のようだった。

「ふふ……ありがとうございますわ」


 そこへやってきたヒューゴは、フランソワを見つめてしばし呆然とした。その様子を見たエレオノーラは、青い瞳を光らせてヒューゴの目の前で手を振ってみた。

「ヒューゴ、固まってるよ?」

 エレオノーラがいたずらっぽく言ったその言葉に、ヒューゴは我に返って耳を赤くした。

「だって、フランソワがあまりにも綺麗で……」

 そんなヒューゴは深緑のスーツにフランソワの瞳の色に合わせたハシバミ色の花のブートニアを飾っている。

 エレオノーラは目尻を下げて、ヒューゴと顔が真っ赤になっているフランソワを見比べた。

「今日のヒューゴもすっごくかっこいいよ!お似合いの二人だね!」

 エレオノーラの率直な言葉に、二人は更に顔を赤くした。


 結婚式は和やかに進んだ。招待された貴族たちも、二人の幸せそうな姿に温かい笑顔を向けていた。

 誓いの言葉と指輪の交換が終わると、会場全体が温かな拍手に包まれた。フランソワの目には涙が滲んでおり、ヒューゴもそれを優しく拭う。そのヒューゴの目にも涙が光っていた。

「もう、ヒューゴったら、こんなところで涙なんて……」

「いや、フランソワの方が泣いているんだろう?」

 そんな微笑ましいやり取りを、招待客たちは温かい笑顔で見つめていた。特に、会場の隅にいるアッシュクロフト家の護衛騎士たちは、今まで朝のトレーニングの中で育まれていく恋を密かに見守ってきた。今日は、彼らにとっても特別な日だった。


 新郎新婦への祝福の言葉が飛び交う中、ブーケトスを行う時間がやってきた。

「せーの!」

 フランソワの手から舞い上がったブーケが宙を描き、会場の中心へと落ちる。

「うわっ!?」

 エレオノーラの手が、偶然にもそれをキャッチした。

「あはは!私が受け取っちゃった!」

 会場が笑顔と拍手に包まれたが、その直後に周囲の貴族たちが意味ありげにひそひそと囁き始めたことに気づく。

 実は、エレオノーラはここ最近、フィリップの婚約者候補として噂されるようになっていた。国内のあちこちに二人そろって現れることが多かったので、当然のことだ。

 ブーケを抱えたまま、エレオノーラが人々の視線を追うと、フィリップが目に入る。

 彼が笑顔を浮かべてこちらを見つめていることに気づくと、途端に頬が赤くなった。

 それを見たフランソワが、くすりと笑う。

「ふふ、次の花嫁はエレオノーラかもしれませんわね」

「ちょ、ちょっと!まだそんなの決まってないわよ!」

 エレオノーラは慌てて否定するが、顔の熱さは収まらなかった。

 賑やかで幸せに満ちた結婚式の一日。この先の未来がどうなるかは分からないが、少なくとも今日のエレオノーラの笑顔は輝いていた。


 そんな冬の日の夕方——

 リカルドが城から帰宅すると、青い顔をして叫んだ。

「エレオノーラとクレメンティアを呼べ!大変だ!」

次回は、アンドリアン宰相視点の話です。さて、今まで黙っていたアンドリアン宰相は、一体何をしていたのか。

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