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68 フィリップの母として

カトリーナ視点での話です。

 エレオノーラ嬢とのお茶会を終えた後、私は離宮の居間でひとり息をついていた。開け放った窓から夕陽が差し込み、部屋を琥珀色に染めている。

「お疲れ様でした、カトリーナ様」

 振り返ると、リディアが静かに入ってきた。スタンダル帝国から唯一連れてきた侍女——もう50を過ぎた今でも、背筋をぴんと伸ばして歩く姿は変わらない。

「リディア、お疲れ様。今日はありがとう」

 私の言葉に、リディアが微笑む。

「エレオノーラ様とのお話はいかがでしたか?」

「とても素敵なお嬢さんだったわ。フィリップが大切にするのもよくわかる」

 リディアが紅茶の準備を始める音が部屋に響いた。


「リディア、覚えている?フィリップが生まれたばかりの頃のこと」

 私がそう切り出すと、リディアの手が一瞬止まる。

「もちろんです。あの頃は本当に大変でしたね」

「フィリップは可愛かったけれど、もうあの頃には二度と戻りたくないわ……」

 私は窓の外を見つめた。庭の木々が夕風に揺れている。

「エレオノーラ嬢が育児道具のことを聞いてきて、昔のことを思い出してしまって」

「添い寝布のことですか?」

 リディアが振り返る。

「ええ。エレオノーラ嬢は『スリング』と呼んでいたわね」

 添い寝布にくるまれて安心して寝入っていたフィリップの顔が思い出される。

「この国で販売された『ベビー・ラップ』なんかとは比べ物にならない、子どもの発達にいい育児道具でしたからね」

 リディアが懐かしそうに微笑む。

「そうね。第三王女として外交のために他国へ嫁ぐ運命だとわかっていたから、子育ての知識も学んでおいたのに……」

 私は苦笑いを浮かべた。

「まさか、あんなことになるとは思わなかったわ」

 リディアの表情が曇る。

「カトリーナ様の妊娠中に、ヴェルデン家が売り出した育児グッズが流行りだしましたからね」

 私はため息をついて、リディアが用意してくれた紅茶に手を伸ばした。

「そんな育児グッズを使ってはハーマン殿下のためによくないと伝えたら、アンヌ様に『スタンダル帝国から嫁いできたあなたに批判される筋合いはない!』って怒鳴られて」

 あの時の声を思い出し、ついカップを持つ手が震えてしまう。

 リディアが眉を寄せる。

「スタンダル帝国で育ったはずのアンドリアン様も『この国にはこの国の育て方があるから』と取り合ってくれなかったのですよね。ひどい話でした」


「それでも、フィリップが生まれた時は覚悟を決めたのよね。『この子だけは正しく育てる』って」

 私が振り返ると、リディアが低い声で言った。

「隙を見せると『エンジェル・ステイタス』に座らせようとする使用人からフィリップ殿下を守り抜くのに必死でした」

 私は、フィリップが生まれてから、アンヌ様から送られてきた使用人たちに囲まれて過ごした日々を思い出した。

「……何を話しても、全てアンヌ様やアンドリアン様に伝わってしまって、本当に怖かったわ。子育ての方法が間違っていると責められて」

 もう過ぎたことだとはわかっているけれど、気持ちが沈んでいく。

「同じ使用人からの嫌がらせもあって、本当にあの頃は怖かったです」

 リディアがため息をついた。


 私たちはしばらく沈黙に包まれた。紅茶の湯気が立ち上り、よい香りに包まれる。

「でも、その甲斐あってフィリップ殿下は立派に成長されました」

 リディアが力強く言った。

「そうね。あの毒見の日々で体は弱くなったけれど、後悔はしていないわ」

「蜂蜜入りのものは、フィリップ殿下さえ口にしなければ美味しいものでしたけどね」

 リディアが私の顔を見て苦笑いしてから続けた。

「フィリップ殿下が成人されてから、締め付けも緩くなりました。もうあんな息苦しい思いをする必要はありません」

 成人してもフィリップが魔法を使えなかったことで、相続争いに加わる可能性が無くなった。執拗な攻撃をする必要が無くなったのだろう。1人だけお目付け役として残されているが、ずいぶん過ごしやすくなった。


「ところで、エレオノーラ様のことは、アンヌ様から送られてきていた使用人たちからはあまり良い話を聞きませんでしたが」

 リディアが首をかしげる

「私もそう聞いていたの。でも城内での評判は良かったのよ。そして、実際にお会いしてみると……」

 私は首を振った。

「心優しい、可愛らしいお嬢さんだったわ。フィリップの子どもの頃の話をあんなに喜んで聞いてくれて」

「フィリップ殿下は本当に可愛らしい上に賢くて素敵でしたからね」

「今も、エレオノーラ嬢の話をしているときのフィリップは可愛いわよ」

 私たちは顔を見合わせて笑った。


「リディア、私たちにも何か二人のためにできることがあるかしら」

「きっとあります。エレオノーラ様は子育てについて熱心に取り組んでいると聞きます。カトリーナ様のような理解者を必要とされているかもしれません」

「そうね。今度はもう少しゆっくりお話ししてみたいわ」

 私は窓の外を見つめた。もうじき日が沈む。風が冷たくなってきたのを感じて窓を閉めた。

「フィリップが幸せになってくれること——それが今の私の一番の願いよ。たぶん、その幸せには、エレオノーラ嬢が必要だと思うの」

「私もそう思います。私も、殿下の幸せを祈っております」

 リディアの温かい言葉に、私の心も少し軽くなった。

 長い孤独の日々を支えてくれた、たった一人の理解者。彼女がいてくれたからこそ、私は今日まで歩いてこられたのだ。


次回は、久々にいつもの3人の話。ほのぼの回です。

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