64.賊の目的
朝の食堂に緊張した空気が漂っている。エレオノーラとフィリップに話しかけたレイモンドの顔には疲労の色が濃く滲んでいた。
エレオノーラは眉をよせて、身を乗り出した。
「何かあったの?」
レイモンドは深いため息をつきながら、大きな掌で額をこすった。
「昨夜、捕らえていた賊の頭が自害しました」
エレオノーラの顔が青ざめる。
「護衛騎士が尋問をするために口の布を取った瞬間、歯に仕込んでいたと思われる毒を飲んでしまいました。血を吐いて即死でした」
「そんな……」
エレオノーラは手で口を覆った。驚きと失望が混じった声が漏れる。
フィリップも深い溜息をつきながら両手で頭を抱えた。
「なんてことだ。……厄介な相手だな。何の手がかりも得られなかった」
「いや――」
レイモンドが指を立てた。
「全く何も得られなかったわけではありません。身元を調べられるものは何も所持していませんでしたが、奴が着ていた黒装束の布は、スタンダル帝国のもので間違いないと思います」
エレオノーラとフィリップが顔を見合わせる。
(思っていたとおりだわ)
「スタンダル帝国人か、スタンダル帝国の服を手に入れられる立場だったということだけはわかりました。偶然出会ったただの盗賊では無さそうです」
フィリップの表情はさらに険しくなり、腕を組んだ。
「やはり、スタンダル帝国が関わっているのか。ということは、アンドリアンも……」
レイモンドが首をかしげた。なぜその名前が出てくるのかわからないという表情。
フィリップは、身を乗り出して説明した。
「アンドリアン宰相のところに、最近頻繁にスタンダル帝国からの使者が来ています。このことと無関係とは思えない」
エレオノーラは賊に襲われたときのことを思い出していた。ダイバーレス王国の者とは思えない統率のとれた素早い動き。馬車に押し入ってきた黒装束の男。あの時の恐怖が蘇ってくる。
(……そうだ。賊は私を探していたみたいだった。「ここにいたか」って言ってた)
心臓の音が早くなる。アンドリアン宰相が、スタンダル帝国人を刺客として自分に向けてきたのだとしたら……。
「あの……あのとき、賊は私を探していたみたいでした」
「何だって?」
レイモンドとフィリップが同時にエレオノーラの方を向いた。
「『お前がエレオノーラか』って言ってたんです」
エレオノーラの声が小さくなる。
「偶然通りかかった盗賊じゃなくて、最初から私を狙っていたんだと思います」
フィリップの顔が真っ青になった。
「なぜそんな重要なことを黙っていたんだ!」
「あの時は気が動転していて……今思い出したんです」
レイモンドは目をぎゅっと瞑って頭を抱えた。
「これは想像以上に深刻な事態だな……」
フィリップは、指を折りながら整理していく。
「スタンダル帝国の関与、アンドリアン宰相の不審な動き、そしてエレオノーラを狙った襲撃。全部つながっているとすれば――」
レイモンドは椅子に深く座り直した。
「対策を考えましょう。まず、エレンの護衛を強化する必要があります。帰り道ではヴェルデン領からも信頼できる護衛騎士を数名、追加で配置します」
フィリップが真剣な表情で追加した。
「行動を制限する必要もあります。街中のような、人の多いところは危険です。遠くに行くときは、今回の帰り道ぐらい多く護衛を配置する必要があるでしょう」
「それから、父上にも報告しなければならないな」
レイモンドの言葉に、エレオノーラもうなずいた。
「当面の対策が決まって、アンドリアン宰相の話も出たことだし、今までの王都での動きについてお兄さまとも情報を共有しましょう。……今後、何が起こるかわからないから」
朝食の間、三人は王都で起きていた出来事や今後の予定について詳しく話し合った。フィリップが慎重な口調で情報を整理して説明する中、レイモンドは的確な意見を挟み、エレオノーラは真剣な表情で耳を傾けていた。時折、緊張で手がこわばるのを感じながら。
朝食を終えると、エレオノーラとフィリップは確認済みの書類を持ち、アンドリアン宰相の指示でヴェルデン領で不正を働いていた者をもう一台の馬車に乗せて、すぐに王都へ向けて出発した。
市街地を抜けて、広い街道を駆け抜ける馬車の中には重い沈黙が流れていた。昨日の襲撃から一夜明けたが、今朝の出来事もあり、皆の心にはまだ緊張が残っている。馬車の外からはスズムシのような虫の鳴き声が響いていた。朝の冷気が伝わってきて、少し肌寒い。
エレオノーラは窓の外を見ながら、時折フィリップの方をちらりと見た。昨日彼が見せた不思議な光のことが頭から離れない。
(あれは一体何だったんだろう……)
口を開いたのはヘンリーだった。
「フィリップ殿下……昨日のことについてお聞きしたいことがあるのですが」
フィリップは心の中で覚悟を決めた。やはり隠し通すのは無理だろう。
「その前に、約束してほしい」
声のトーンを落として、真剣な表情になる。
「昨日起きたことについて、絶対に口外しないでほしい」
馬車の車輪の音だけが響き渡る中、エレオノーラ、マリー、ヘンリーの3人は、互いに顔を見合わせてから、うなずいた。
「わかりました。何か事情があるのですね」
エレオノーラがフィリップの顔を見つめた。
「……あれは、たぶん私の魔法の力によるものだと思う」
次回はフィリップのこれまでの話を中心にお届けします。




