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57.エレオノーラの思いつき

 エレオノーラは、スリングを使ってアンドリアンに対抗する方法を思いついてから、早く父リカルドに伝えたくてうずうずしていた。

「まだかしら」

 窓から外を何度も覗きながら、父の帰りを待っていた。胸の中では新しいアイデアへの興奮と、それが受け入れられるかどうかの不安が入り混じっている。


 ようやく父の帰りの音を聞きつけて、エレオノーラは急いで玄関ホールに向かった。

「お父さま、お帰りなさい。もしお時間がありましたら、夕食後にお話を聞いていただきたいのです」

 エレオノーラは丁寧にお辞儀をしながらも、目はきらきらと輝いていた。

 リカルドは、エレオノーラの表情から何か重要な提案があることを察して言った。

「そんなに大事な話なら、夕食前に時間を取ろう。少し待っていなさい」


 父の執務室で、エレオノーラは提案した。

「いっそのこと、このまま育児グッズの販売中止を諦めてはいかがでしょうか」

 リカルドは耳を疑った。思わず椅子から立ち上がってしまう。

「馬鹿な!お前は今まで一体何のために努力してきたんだ!」

 リカルドが驚いた声をあげると、エレオノーラは慌てることなく胸を張った。

「落ち着いて聞いてくださいませ、お父さま」

 そして堂々と言った。

「国民が、育児グッズを買わなくてもいいようにすればいいのです」

 リカルドのいぶかしげな視線を受けながらも、エレオノーラはさらに続ける。

「別の抱っこグッズを開発して、販売するのです。急いで作りたいので、マルテッロ公爵にはもうお手紙を出しました」

「何だと?」

 リカルドは目を丸くした。領地に行く前のエレオノーラとは違う行動力のある姿に驚きを隠せなかった。


 エレオノーラは、マリーに描いてもらった図を得意げにリカルドに見せた。

「これはスリングと言います」

 図を指差しながら、エレオノーラは熱心に説明を始めた。

「ベビー・ラップみたいに両手が完全に自由になるわけではないけれど、赤ちゃんの背骨を正しく支えることができ、股関節への負担を減らすことができるので、赤ちゃんが機嫌よく過ごせるようになります。これだと赤ちゃんがよく眠るんですよ」


 リカルドは眉をひそめた。

「ベビー・ラップと比べて、もっとわかりやすい利点はないのか?両手が空かないのであれば、たとえ発達にいいと言われても、わざわざそんな不便なものを使おうと思う者はいないだろう」

 エレオノーラは自信満々で答えた。

「スリングは材料が安価なので、安く販売することができます」

 エレオノーラは指を立てて説明した。

「それだけで足りなければ、ベビー・ラップの価格を値上げすることはできませんか?貴族は多少値上がりしても買うことができるけれど、庶民の手に届かない値段にすれば、庶民は抱っこ布を買わざるを得ないですよね」


 リカルドは腕を組んで難しい顔をして目を閉じた。娘の提案は思っていたより戦略的だった。

(ベビー・ラップの価格を上げることで、宰相が生活必需品で不当な利益を得ていると文句を言わないだろうか)

 更にリカルドは考えた。

(値上げはしないで、ただ代わりのものを販売するのであれば、国内産業の発展のためという名目を使えるはずだ。ベビー・ラップはしょせん輸入品だ。スリングが商品化して売れるものになれば、ダイバーレス王国の国力にもつながるだろう)

 リカルドは組んでいた腕をほどき、ひげを撫でつける。

(だが、逆に庶民の中で流行ったものを貴族が使うことは考えられるか?)


 不安そうな顔のエレオノーラが見つめる中、リカルドは目を開いた。

「宰相の目的が健康を害して国力を下げることにあるならば、健康に有効なスリングを販売することは理に適っている。安易にベビー・ラップを値上げするのではなく、他の方法で利益の面をもっと工夫するならば現実的なものになる」

 エレオノーラは、ほっとした顔で胸を撫で下ろした。

(去年の時みたいに却下されなくてよかった……)

「売り方については、クレメンティアにも相談してみよう。社交の場から広めることもできるだろう」

 エレオノーラは、癇癪を起していた頃に社交の場からは遠ざかったままだ。

(私も、次のシーズンからは社交界に復帰した方が、色々と動けそうね。お母さまから学ばなくちゃいけないね)


 そして、エレオノーラは一番気になっていたことについてリカルドにたずねた。

「これなら、アンドリアン宰相が不正な輸出入の書類で脅してくることは無くなりますよね?」

 エレオノーラが確認すると、リカルドは曖昧にうなずいた。

「宰相の言っていることは一応守っているな。宰相は販売中止を撤回するようにしか言っていない」

 リカルドは立ち上がって歩きながら考えを巡らせた。

「しかし、宰相が狙っているのが国力の低下である以上、油断はできない」

 その言葉に、エレオノーラは身を引き締めた。

(確かに、こんな小手先の方法では、根本的な解決にはならないよね……。まだ考えが甘かったな、私)


 リカルドが続けた。

「フィリップ殿下にもこの戦略について伝えなくてはならないな。今日はこの後クレメンティアと利益について相談をするから、明日、お前も一緒に登城するんだ」

 エレオノーラは驚いて青い瞳を大きく開いた。

「え、私もですか?」

 しかし、すぐに笑顔になって応えた。

「わかりました」


 リカルドは娘の嬉しそうな笑顔を見て、ふと思った。

(フィリップ殿下からも聞いてはいるが……)

 そして、エレオノーラをまっすぐに見た。

「ちなみにお前は、フィリップ殿下と婚約するということでいいのか?」

 エレオノーラは、顔を真っ赤にした。

「お父さま!?どうしてそれを!?」

 秘密にしておいた方がいいと思ってエレオノーラは言わなかったのに……。

(フィリップが言ったのかしら?)

「それで、どうなんだ。ハーマン殿下のときは、アンドリアン宰相からの猛烈な後押しがあってお前の意見も聞かずに決めてしまって、あとからあんなことになったからな。今度はお前の意見もちゃんと聞きたいんだ」

(こないだお父さまが縁談の話が増えているっていう話をしていたのを考えると、きっぱり宣言するべきだよね)

 エレオノーラは姿勢を正して、リカルドの目を見て答えた。


「私は、フィリップ殿下以外との結婚は考えられません」


次回は、リカルドに比べて出番の少なかったクレメンティアが登場する話です。

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