55.奇妙な絵
エレオノーラの頭に浮かんだのは、フランソワがスリングを使って赤ちゃんを抱っこする姿だった。
(まだ結婚もしていないのに、気が早すぎるよね)
エレオノーラは苦笑したが、同時に胸が躍るのを感じた。アンドリアン宰相に育児用品の販売が阻止されていても、このスリングが突破口になるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
前世では、スリングは誤った使い方を理由に敬遠されることもあった。しかし正しい方法で扱えば、親の負担を大幅に軽くするだけでなく、赤ちゃんの身体をケアして緩めることができる優れものだったのだ。
エレオノーラは前世の記憶を辿った。スリングは本当によく眠れて体も楽になるらしく、真央の息子はうまく眠れない時にはわざわざ真央のところにスリングを持ってきて、入れてほしいとお願いしたくらいだった。
(あの時のあの子はスリングに入ってすぐに目を閉じて、気持ちよさそうに眠っちゃったのよね)
エレオノーラは懐かしそうに微笑んだ。
彼女はすぐにマルテッロ公爵宛てに手紙を書こうとした。スリング開発の協力を得るためだ。
しかし、ペンを握って数行書いたところで、エレオノーラの手が止まった。
スリングは、マルテッロ公爵にとっては初めて見るものだ。靴と違って、形状のイメージは文章だけでは伝わらないのではないか。
そう思ったエレオノーラは、スリングの図を描こうと意気込んだ。
紙の上に線が走り始めた。しかし、すぐに手は止まり、エレオノーラは眉を寄せた。描き直しても、現れるのはどうにも妙な形ばかりだった。
「やっぱりダメだわ……」
肩を落としてため息をつく。頭の中にあるイメージを形にできないのは、昔からの苦手分野だった。
エレオノーラは昔のことを思い出した。まだ学園に通っていた頃、美術の授業で「王室の象徴となる花」を描く課題が出たことがある。だが完成した絵はあまりに独特で、教師は困った顔をしながら「これは……花、ですね?」と苦しい評価を口にした。
最悪なのは、その絵をハーマンがエレオノーラの手から取り上げて見た時のコメントだった。
「エレオノーラ、これは新種の魔物か?それとも何かの呪いの図形なのか?……まさか花だとでも?」
ハーマンは赤い目を冷たく細めて、嫌味たっぷりにそう言った。そして、教室中に見えるように高く掲げたのだ。その酷評と動作に、エレオノーラは悔しさで胸がいっぱいになり、紙をびりびりに破って床に投げ捨てた。横でカミーユが他の令嬢たちと一緒にくすくすと笑って見ているのが目の端に映っていた。
(あの時は本当に恥ずかしかったわ)
その記憶がよみがえり、エレオノーラは苦笑いを浮かべた。
すると、傍らで控えていた侍女マリーが一歩前へ進み出た。
「お嬢様、もしよろしければ私が描いてみましょうか?」
控えめながらも真剣な声だった。エレオノーラは振り返り、少し恥ずかしそうに笑った。
「お願いしてもいいかしら? 私にはやっぱり絵は無理だったみたい」
「承知いたしました」
マリーは深く頷き、紙とペンを丁寧に手に取った。
エレオノーラは身振り手振りを交えて説明を始めた。
「スリングは布でできていてね、こう肩にかけて赤ちゃんを支えるの」
そう言いながら、エレオノーラは自分の腕で赤ちゃんを抱くような仕草をして見せる。
「首のサポート用に小さな枕を添えられると安心だわ。赤ちゃんの頭がぐらぐらしないように」
「なるほど。肩にかけるときは、こういう形でしょうか?」
マリーは真剣に聞きながら、紙の上に布の流れや赤ちゃんの姿勢を描き出していく。その筆運びは滑らかで、エレオノーラが思い描いていたイメージが少しずつ形になっていった。
「そうそう、まさにそんな感じ!」
やがて紙の上には、イメージ通りのスリングが美しく描かれていた。
エレオノーラは思わず身を乗り出し、目を輝かせた。
「すごいわ、マリー! まさにこれなの!これで、きっとうまく伝わるわ!」
エレオノーラは完成した図を大切そうに手に取った。マリーは冷静を装いながらも、誇らしげな顔をした。
「お嬢様のお役に立てて、何よりです」
スキルや体の使い方はトレーニングでなんとかなるかもしれませんが、頭の中にある絵を描くという才能は……。見たものを描くだけなら、ビジョントレーニングでなんとかなりそうです。
次回は、フィリップの話の続きです。




