50.謝罪
夕食の席に着いたエレオノーラは、表面上は冷静な顔を心がけていた。しかし内心では、フィリップが帰り際に見せてくれた優しい微笑みが脳裏に焼きついて離れない。
(イケメンの攻撃力っていうだけじゃなくて……)
和真の優しさを備えた完璧な笑顔に彼女は心の中で一人照れながら、スープをゆっくりとすくった。まるで甘い夢の続きを楽しんでいるかのように。
しかし、その甘美な思い出に浸る時間は長くは続かなかった。リカルドが重々しく口を開いた瞬間、エレオノーラの甘い妄想は軽やかに打ち砕かれた。
「エレオノーラ、フィリップ王子と部屋で何を話していた?」
リカルドの声は表面上穏やかだが、その鋭い視線には父親としての厳しさが宿っている。まるで真実を見透かそうとするような眼差しだった。
エレオノーラは内心でドキリとしながら、一瞬だけ視線をそらした。しかし、すぐに気を取り直して、できるだけ自然な表情を保ちながら答える。
「ダイバーレス王国の改革について相談されていました。ヴェルデン領での取り組みをどう国内に広げていくかの話でした」
嘘をつくのは気が引けたが、今はまだフィリップのプロポーズを両親に伝えるべき時ではないと彼女は判断していた。
(フィリップに、他の人に伝えていいかちゃんと聞いていないのよね。それに、王家との婚約なら、たぶん正式にお父さまに打診が来るはずだし)
母クレメンティアは眉をひそめ、いつもの優しい表情とは違う、少し厳しい口調で娘を諭した。
「未婚の男女が部屋で二人きりというのは外聞が悪いわ。エレンちゃん、今後は控えるようにしなさい」
クレメンティアの声には、娘を心配する母親の愛情と、貴族社会での評判を気にする現実的な判断が混在していた。
「一応護衛騎士がいるので三人ですが、申し訳ありません、母さま。軽率でした」
エレオノーラは素直に謝ったが、その胸には複雑な思いが渦巻いていた。
(フィリップとの大切な時間だったのに……でも確かに、母さまの言う通りかもしれない)
リカルドはフォークを置くと、さらに重要な話題を持ち出した。
「そういえば、ヴェルデン領の改革の成果を聞いた他の貴族たちから、いくつか縁談の話が届いている。もし条件が合えば前向きに考えるのも悪くないだろう」
「縁談ですか……」
エレオノーラは思わず口ごもった。さっきまでフィリップからプロポーズされた余韻に浸っていたのに、いきなり他の男性との縁談の話とは。
「もちろん、今すぐ決めろという話ではない。ただ、領地のためにも、変な噂が立たないよう気を付けることが重要だ」
(どうしよう。ハーマンとの婚約みたいに、私の知らないところで勝手に縁談が進んでしまったら、フィリップと結婚できなくなっちゃう……)
エレオノーラは毅然とした態度で、きっぱりと意思を表明した
「父さま、私はフィリップ殿下の力になっていろいろな課題を解決するまでは、結婚するつもりはありません」
続けて、先ほどの行動について謝罪する。
「先ほどの件については、私が迂闊でした。気をつけます」
リカルドは納得したようにうなずいた。
「それなら良い。ただし、余計なトラブルは避けるように」
エレオノーラは一度深呼吸をしてから、重要な話題を切り出した。
「それと、父さま。夕食後にお話ししたいことがあります」
「ちょうど私も話したいことがあった。あとで執務室に来なさい」
リカルドは快諾した。
夕食後、エレオノーラはリカルドの執務室で父と向き合った。重厚な机を挟んで座る二人の表情は、どちらも真剣そのものだった。
「それで、話とは何だ?」
リカルドが促すように尋ねる。
「実は、フランソワから相談を受けたことがあります」
エレオノーラは友人の困った顔を思い出しながら説明を始めた。
「アッシュクロフト領の収益が落ちている原因がわからないらしく、お父さまに相談したいそうです。」
彼女は手振りを交えながら、詳しく状況を説明した。
「アッシュクロフト領産の小麦のスタンダル帝国への輸出量が減って、より安価で取引される国内での流通量が増えているということまではわかったみたいなのですが、どうして輸出量が減ったのかがわからないみたいで」
リカルドは娘の説明を聞きながら、頭の中で情報を整理していた。少し考え込んでから、慎重に答える。
「流通量の変動については先日の会議でも話題に上がっていたが、それが収益に関わっているとなると、スタンダル帝国への輸出ルートに何か問題があるのかもしれない。調べてみよう」
エレオノーラは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとうございます。フランソワもきっと安心すると思います」
リカルドは表情を引き締めると、より深刻な話題に移った。
「さて。先ほど話したアンドリアン宰相の件について、もう一度確認させてくれ」
彼の声には、父親としての心配と領主としての責任感が込められている。
「あの脅迫についてはすぐに対応するが、先ほども伝えたとおり、お前も十分に気を付けるんだ。万が一のことを考えて、一人での行動は避けるように」
リカルドの警告は具体的で切実だった。
「それと、もし今後育児グッズの販売を中止したら、ヴェルデン領に対して何か仕掛けてくるかもしれない。レイモンドにも警戒するよう伝えなくてはならない」
家族全体の安全を考えるリカルドの姿は頼もしい。
エレオノーラはリカルドの言葉を真剣に聞いて、深くうなずいた。父の心配が痛いほど伝わってくる。
リカルドは続けて、珍しく申し訳なさそうな顔をして話した。
「アンドリアン宰相の脅しがあってようやくわかったのだが、育児グッズの件については、お前の考えが正しかった。さきほどフィリップ殿下が宰相が国力を下げようとしていると言及して、確かにそうだと思った」
リカルドの声には、娘への敬意と自分への反省が込められている。
「知らなかったこととはいえ、目先の利益にとらわれて、お前の考えを理想論だとはねつけてしまって済まなかった」
父親が娘に謝罪する姿は、エレオノーラにとって印象深いものだった。
「父さま、そう言っていただけるだけで十分です」
エレオノーラは自分の考えをわかってもらえたことに、心から嬉しそうに微笑んで答えた。
リカルドは、エレオノーラとフィリップの関係について何か言いたげな様子を見せていた。しかし、結局その思いを言葉にすることはなかった。
娘の真剣な眼差しと、先ほどの毅然とした態度を見て、これ以上深入りするのを控えたのだろう。
こうして父娘の重要な会話は、互いの理解と信頼を深めながら穏やかな空気の中で幕を閉じた。
次回はフィリップ視点の、育児改革の話の続きです。




