47.お茶会
先日リカルドが城から戻ってきたあとに、エレオノーラは執務室に呼ばれた。
(私、何も悪いことしていないよね……?)
まるで前世で学生の頃職員室に呼び出されたときみたいに、ドキドキしながらエレオノーラは執務室に入る。すると、重厚な机の向こうで、リカルドが深刻な表情を浮かべていた。
「実は、フィリップ殿下に内々に相談したいことがあるのだが……」
リカルドは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「城では話しにくい内容なのだ。なるべくなら、文書にも残したくない。何かいい考えは無いか?」
エレオノーラは少し考えて、ぱっと顔を明るくした。
「それなら、私的なお茶会を開いたらどうでしょう?」
にこりと笑って提案する。
「表向きは友人同士の気軽なお茶会。そのあとに、お父さまとフィリップ殿下が話し合える場を作るんです」
リカルドは感心したように頷いた。
「それはいい考えだ。お前に相談してよかった」
エレオノーラは、父に認めてもらえていることが嬉しくて、胸が温かくなった。
エレオノーラは、その日の朝トレが終わったあとに領地で開発したお菓子について話したあと、ヒューゴやフランソワにも食べてもらいたいと思っていた。それでとっさにひらめいたのがお茶会だった。
(そうだ!あれをフィリップ殿下に食べてもらいたいな)
万が一機会があったら作りたいと思っていて、材料は王都に戻ってくるときに一緒に持ってきていた。エレオノーラは料理長に頼んで作ってもらおうと決めた。父リカルドがフィリップにどんな相談をしたいのかは気になるけれど、それよりもお菓子を見たときのフィリップの反応を考えて顔がにやけてしまうのを止められなかった。
エレオノーラは、育児グッズの販売の中止を父が認めてくれたことで、なんとなく自分の役割は終わったような気がしていた。あとは、フィリップの改革の手伝いができればいいとだけ思っていた。だから、父がフィリップに相談する内容も、なんとなく蚊帳の外にいる気がしていた。
お茶会当日。先に到着したのはフランソワとヒューゴだった。
「よう!来たぞ!」
「お疲れさまですわ」
二人は仲良く一緒にやってきて、応接間に案内された。
マリーがお茶を淹れている間、ふとエレオノーラは思い出した。
「そういえば、先日王都から戻った時に話そうと思ったんだけど」
「何ですの?」フランソワが首をかしげる。
「ティモテウス・アウグスティヌスっていう人の育児理論について聞いたことある?」
二人は首を横に振る。
エレオノーラは二人の顔をそれぞれ見つめて言った。
「彼の理論では、赤ちゃんは生まれた時から縦抱きにするべきで、仰向けで背中をまっすぐに寝かせることで窒息死を防がなきゃいけなくて、運動能力を高めるために歩き始める前に訓練するべき……らしいの」
そこまで説明して、エレオノーラは一息ついた。ヒューゴとフランソワは怪訝な顔をしながら聞いていた。特に、ベビー・ラップのせいで目がうまく使えなくなったと思っているフランソワは「縦抱き」の言葉に強く反応して、「縦抱きだと首が重力に負けちゃうのですわ」と小さな声でつぶやいた。
「領地で聞いた話によると、その通りに育てるように国全体への通達があったんですって。みんな信じてその理論通りにしたら、子育てがどんどん大変になったって」
ヒューゴが腕を組む。
「……育児グッズが国中に広まったのは、そいつのせいじゃないのか?子育てが大変になったから、みんな育児グッズを買ったんだ。エレンの家のように」
フランソワも頷いた。
「そんなでたらめな理論のせいで……。ひどいですわ!」
二人は怒りで震えていたが、少し間を置いて落ち着きを取り戻す。そして、エレオノーラに向かって提案した。
「それなら、エレンが領地で広めた正しい育児方法を、ダイバーレス国中に広めるべきですわね」
「そうだな。みんなそのティモテなんちゃらの話を信じているんだろう?」
二人の話を聞いて、エレオノーラはこれから自分が何をするべきなのかがわかった気がした。
(育児グッズの販売中止の決定だけで安心している場合じゃないわ)
そこへ、フィリップが姿を現した。
「遅れて申し訳ありません」
上品に一礼して、用意された席に腰を下ろす。
「……お顔が良すぎますわ。知ってはいましたけれど……」
真っ赤になって小声でつぶやくその様子に、エレオノーラは思わず苦笑した。
(気持ちはわかるよ。フィリップ殿下は、本当にイケメンだもの。公式な場じゃないところで会うのなんてレアだしね)
心の中で同感しつつ、フランソワの反応が微笑ましい。
一方、ヒューゴは一瞬面白くなさそうな顔を見せたあと、エレンとフィリップの様子を見比べた。
「エレンがフィリップ殿下と親しいとは知らなかったぞ」
不思議そうにヒューゴが言うと、エレオノーラは「視察にヴェルデン領にいらっしゃったときにちょっとね」と言葉を濁しながら話題を変えた。
「そうそう、2人にはまだ言っていなかったけれど……」
エレオノーラは嬉しそうに微笑む。
「フィリップ殿下の口添えもあって、ついに育児グッズの販売中止をお父さまに認めてもらうことができたの!」
「まあ!」
フランソワの目が輝く。
「前に却下されたときは本当に悔しがっていましたけれど、今回は成功してよかったですわ」
ヒューゴも嬉しそうに頷いた。
「よかったじゃないか。エレンの努力が報われたんだな」
エレオノーラは、ヴェルデン公爵領での改革の成果をもってリカルドを説得できたことを詳しく説明した。
フランソワはさらに微笑んで言った。
「エレオノーラが領地に行ってしまって淋しかったですけれど、領地での取り組みが役に立ってよかったですわね」
「ありがとう、フランソワ。二人のおかげで頑張れたの」
話が一区切りしたところで、エレオノーラは気になっていたことを尋ねた。
「ところで、フランソワのお家の様子はその後どう?何かわかったことはあるの?」
フランソワの表情が急に深刻になった。
「実は……父さまが調べてわかったことですが」
フランソワは少し言いにくそうに続ける。
「アッシュクロフト領の小麦の国内流通が増えているんですの。我が領の小麦はスタンダル帝国に輸出する方が多いはずなのですが……。スタンダル帝国の方が高く売れるので、その差のぶん収益が落ちているんですわ」
エレオノーラは首をかしげながらフランソワを見つめた。
「おじさまはどうお考えなの?」
「お父さまにもどうしてそんなことになったのかがわからないのですわ。毎日書類とにらめっこしていますの」
フランソワは、痩せても変わらないぽよぽよの眉をしかめた。
「近いうちに経済担当国務大臣……つまりエレオノーラのお父様に相談するつもりですわ」
フランソワが遠慮がちに続ける。
「エレオノーラからも、それとなく話しておいてくださるかしら?」
「うん、もちろん。お父様に必ず伝えるわ」
エレオノーラは真剣に頷いた。
そのときフィリップが口を開いた。
「その件については僕も初耳です。僕のほうでも調査してみましょう」
フランソワは顔を赤らめ、感謝の意を込めて丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございますわ、フィリップ殿下。お忙しい中、恐縮ですわ」
その様子を見て、ヒューゴはまた面白くなさそうな顔をしていた。エレオノーラはそれに気づきつつも、今は追及しないでおこうと思った。
そこへ、マリーがエレオノーラの考案した特製のお菓子を持って現れた。
「お待たせいたしました」
綺麗に盛りつけられたお菓子を見て、フランソワは首をかしげる。
「あら、パンケーキですのね。これがエレンの考えたお菓子ですの?」
「……どら焼き……?」
フィリップが驚きを隠せない表情で小さく呟いた。
(和真はどら焼きが大好きで、いつも疲れたときにはこれだったのよね)
エレオノーラは心の中でつぶやくと、お菓子についての説明を始めた。
「これはね、パンケーキの間に小豆の餡とチーズクリームを挟んで、上からベリーソースをかけたものなの」
「面白い組み合わせですわね。この黒いのは何ですの?」
フランソワが興味深そうに見つめる。
その横でフィリップはすました顔で一口運んだ。手が止まり、目を見開く。
「パンケーキの生地が、どら焼きの皮ですね……」
感動の表情が浮かんだ。
フランソワとヒューゴは心の中で(どら焼き?)と思いつつ、口に入れる。
「なんだこれ、おいしいな!」とヒューゴ。フランソワも「新しい味ですわ」と頷いた。
「この黒いのは、小豆っていう外国産の豆で、甘く煮てつぶしたものなのよ」
エレオノーラも一口食べて「これよ、これ!」と満面の笑みを浮かべた。
マリーは紅茶を下げ、緑茶を用意する。それを見たフィリップは目を輝かせ、一口飲むとほっと息をつく。ヒューゴとフランソワも「さっぱりしておいしい」と口々に言い、評判は上々だった。
こうして四人のお茶会は、終始なごやかに終わった。フィリップがヴェルデン公爵に用があると言って応接室に残り、ヒューゴとフランソワは帰途についた。
和真はよく真央に「そんなにどら焼きが好きなんだったら、ポケットにしまっておけば?」とよくからかわれていました。「押し入れで寝てもいいんだよ?」とか。
次回は、お茶会を開いた本当の目的であるリカルドの相談です。




