45.正解
父リカルドの視点の話です。
夜が更ける頃、私は書斎に籠って育児グッズの販売中止に関する手続きを進めていた。
作業の間に、昨日のエレオノーラの顔を思い出した。真剣そのものだった。
あの資料はレイモンドの協力もあったのだろう。しかし、そのもとになっているのはエレオノーラが行った領地改革の結果だ。以前みたいな、単なる理想論の提案なら聞く価値も感じなかっただろうが、十分納得できる提案だった。
私は、エレオノーラが1年前に言い張った夢物語を現実に変えたその手腕に、心の内で脱帽した。
(昔のことを思い出すと、頭が痛くなる)
以前は所かまわず癇癪を起して物を壊すため、謝って回るのにうんざりしていた。「ヴェルデン公爵家は娘のしつけもできないのか」と陰口を叩かれ、ハーマン殿下と婚約していなければ家に閉じ込めていたいほどだった。成長すれば収まると考えていたのに、まさか学園を卒業しても続くとは。
舞踏会での婚約破棄は、本当に頭が痛かった。アンドリアン宰相に呼ばれ、別室でスタンダル帝国との貿易についての話をしていたところに侍従が飛び込んできたとき、一体何が起きたのかと思った。
「これ以上問題が大きくなる前に対策を取らなくては」と思った私は、宰相はもちろん参加者への挨拶もそこそこに、最短ルートで我が家に急いでエレオノーラを迎えた。エレオノーラの話を聞いても、ハーマン殿下やカミーユ嬢について思うところはあれど、こんな娘なのだから婚約破棄されても仕方ないと考えた。
あれからしばらく、その事後処理で胃の痛くなるような思いをさせられた。王にも今までの王太子妃教育の成果を引き合いに皮肉を言われ、婚約破棄という愚行はハーマン殿下の独断だったのにも関わらず、強気に出られなかった。そんな中で体のトレーニングをしているなどのんきなことを言っている娘を見て苛々を募らせていた。そんな時に、事業について理想論を元に口を出してきたのだ。あの時の私に受け入れられるわけがなかった。
しかし、領地から戻ってきたエレオノーラは、もはや別人だった。レイモンドからの報告で伝えられてはいたものの、以前の癇癪持ちの姿は微塵もなく、自信に満ちた姿に驚いた。厄介払いをするために領地に送り出そうとした私の提案を逆手に取って、領地改革を成し遂げてしまうとは。エレオノーラの婚約破棄で失ったヴェルデン家の名声を自分自身で取り返した娘の姿に胸が熱くなる。
(婚約破棄されたとき、無理して婚約相手を探さなくて良かった)
しかも、レイモンドの話によると、エレオノーラとフィリップ殿下は気が合うらしい。このままフィリップ殿下と婚約でもしてくれれば、それ以上いいことはない。フィリップ殿下はあのハーマン殿下に比べれば、エレオノーラを大切にしてくれるだろう。
翌朝、私は早くから登城した。経済を司る国務大臣として、日々多くの会議に出席する必要がある。
到着後まもなく始まった会議では、貿易収支の見直しや穀物の流通について話し合われた。アッシュクロフト領産の穀物の流通に変動が起きて国内消費が増えたという報告があったが、特に問題視されることもなく予定通り進行した。
育児グッズの問題に触れる機会はなかったが、終了後にアンドリアン宰相と顔を合わせることができた。
「宰相閣下、少しお時間をいただけますか」
私は彼に歩み寄り、育児グッズの販売中止について報告した。事業についてはヴェルデン家単独で行っていることだが、輸入を決定したのは彼の勧めが大きかっただけに、一言伝える必要があると考えたのだ。
しかし、彼の反応は全く予想外だった。普段は感情を表に出さない冷静な彼が、明らかに苛立った様子で私を睨んだ。
「そのような国全体に関わる決定をヴェルデン公爵の独断で進めるのですか?理由をお聞かせいただいても?」
アンドリアンの声には明らかな険があった。私は動揺を隠しながら冷静を保ち、領地改革の成功例を挙げて説明した。
だが、彼の表情は説明を聞くたびに険しさを増していく。
「ここで話すのは適切ではないでしょう。別室で話しましょう」
彼は立ち上がると、人気のない会議室へと私を導いた。
扉が閉まると、彼は低い声で語り始めた。
「ヴェルデン公爵。私の手元には、あなたの不正の証拠があるのですよ」
私は驚きとともに彼の言葉を毅然と否定した。
「宰相閣下、そのような事実はありません。私は一切、不正など行っておりません」
しかし、彼は薄気味悪い冷笑を浮かべた。
「証拠が事実かどうかは重要ではありません。重要なのは、それを王にどう見せるかです」
彼は息がかかるくらい傍まで寄ってきて、囁いた。
「私が提出すれば、あなたの立場はどうなるでしょうね」
その瞬間、私は全てを理解した。
この証拠は彼が捏造したものであり、私を脅すための道具に過ぎない。彼の目的は明白だった——育児グッズの販売中止を撤回させるための圧力だ。
「販売を続けることにすれば、この証拠は無かったことにできますよ」
彼はいつもの感情の無い表情で冷たく言い放った。
私は内心で憤りを覚えつつも、ここでことを荒立てるのは得策ではないと考え、表面上は冷静を装った。
「承知しました。販売中止の件は再考いたします」
城内の執務室に戻る途中、私は頭の中で状況を整理した。
アンドリアンがここまでして育児グッズに執着する理由は何なのか。その裏には何か大きな企みがあるに違いない。
そして、エレオノーラが第二王子フィリップとつながりを持っていることを思い出した。
(フィリップ殿下にも相談してみよう)
アンドリアンの今日の様子から察するに、育児グッズを利用して何かを企んでいるのは間違いない。
私は決して屈するつもりはなかった。口頭で返事をしたのは、ただの時間稼ぎだ。
育児グッズの販売は必ず中止する。
(エレオノーラやフィリップ殿下が問題点に注目したのは正しかったのだ)
宰相の異常な態度を思い返しながら、私はそう確信した。そして、アンドリアンの企みがなんであろうと、国のためにならないことは絶対に阻止してみせようと固く決意した。
アンドリアン宰相は怪しいということにやっと気づいたリカルド。
次回は、いつもの3人の朝トレです。最後に、エレオノーラが気が遠くなるような話をします。




