44.約束無しでの訪問
フィリップと明日改めて作戦を練る約束をして別れを告げた昼下がりのことだった。
エレオノーラの部屋の扉が軽やかにノックされ、マリーが駆け込んできた。
「お嬢様、ヒューゴ様とフランソワ様がいらしています。いかがいたしますか?」
「あら!」
エレオノーラは目を丸くして驚いた。
(急に決まったことだったから、私がこっちに帰ってきたこと二人に伝えていなかったのに……?)
戸惑いながらも、久しぶりの再会への喜びが胸いっぱいに広がる。
「マリー、二人を庭にご案内して。私もすぐに行くから」
「かしこまりました!約束無しでの訪問なんて、まるで1年前みたいですね」
そう言って、また急いで二人の元へ向かった。
(1年前は婚約破棄の直後で2人とも私を心配して来てくれたんだよね)
エレオノーラの心が温かくなった。この1年で自分が成長して、みじめだったあの時とは全く状況が変わっていることに気づいてエレオノーラは自分のことを誇らしく感じた。
(もう、私は残念令嬢なんかじゃないわ)
エレオノーラは急いで身支度を整えて庭へ向かった。温かい陽射しが降り注ぐ庭には、既に白いテーブルクロスがかけられたテーブルに、色とりどりのお茶と焼き菓子が美しく並んでいる。
久々のお茶会への期待に心を躍らせるエレオノーラを見つけると、ヒューゴが大きな声で感嘆した。
「エレン!すごいじゃないか!こんなに痩せるなんて、本当にびっくりだ!」
「本当に、たくさん努力しましたのね、エレン。前よりも更に美しくなってびっくりしましたわ!」
二人の素直な驚きぶりにエレオノーラは照れ臭そうに笑った。
「そういう二人だって、前よりずっとすっきりしたわ!フランソワが可愛いのは当たり前だけど、ヒューゴだってずいぶんかっこよくなったじゃない」
エレオノーラの言葉に、ヒューゴの頬が少し赤くなった。そして満足げに自慢話を始めた。
「これを見てくれよ!」
彼は腰のベルトを指差して誇らしげに胸を張った。
「エレオノーラからもらったこのベルト、前よりずっときつく締めても、まだ余裕があるんだ!」
そう言ってベルトの余った部分を見せるヒューゴの笑顔は、昔の無邪気さを残しながらも、とてもしっかりして見えた。
横にいたフランソワもまた、以前とは見違えるほど美しくなっていた。彼女は嬉しそうにエレオノーラから贈られた黄色のミニドレスの裾を持って、くるりと優雅に回ってみせる。
「見てくださいまし!前は少しきつかったけれど、今ではこんなにゆとりができてしまったのですわ」
笑顔でうなずいたエレオノーラは、しかし、すぐに自分のことを思い出して少し残念そうな表情になった。
「せっかくお揃いだったのに、私のミニドレスは今ではぶかぶかになって着られないの」
エレオノーラは苦笑いを浮かべた。
「また新しいお揃いを作りましょうか」
「絶対にそうしましょう!」
フランソワは目を輝かせて力強く頷いた。
三人がテーブルに着くと、フランソワが口を開いた。
「エレン、ごめんなさいね、急に押しかけてしまって。うちの使用人がヴェルデン公爵家の使用人からエレンが戻ったっていうことを聞いて、いてもたってもいられなくて」
「俺はフランソワからエレンが戻ってきたことを聞いたんだ。それで、1年前みたいに、急に訪ねてびっくりさせようって」
ヒューゴが、片眉を上げて、得意げな顔でエレオノーラを見た。
「二人の訪問なら、大歓迎!用事も終わってひと段落ついたところだったから、ちょうどよかった!」
そのあとは、自然とそれぞれのトレーニングの成果について話が弾んだ。
ヒューゴは胸を張って報告した。
「書類仕事がずいぶんはかどるようになったんだ。」
彼は少し得意げに続けた。
「親父や兄貴たちから、『どこへ婿に出しても恥ずかしくない』って太鼓判を押されたぞ。いつでも結婚できるな!」
その自信に満ちた様子に、エレオノーラは微笑ましく思った。グラントン侯爵家はすでに結婚もしている長男が継ぐことになっているので、三男のヒューゴは独立するか、婿養子に入るしかない。将来のことを考え始めているヒューゴを見て、エレオノーラは自分もこれからのことを考えなくてはと思った。
なぜか耳が真っ赤になっているフランソワも負けじと話し始めた。
「私も苦手だった刺繍がすごく上手になったのですわ!お母さまからも褒められているのよ」
彼女は手を組んで嬉しそうに続けた。
「私の刺繍したハンカチは、チャリティーバザーでも人気なんですって!」
「フランソワは、もともとセンスがあったものね。それで刺繍も上手になったら、すごく素敵なハンカチなんだろうな」
エレオノーラは、昔フランソワが描いていた絵を思い出しながら言った。フランソワは特に花の絵が得意だった。
「こんど、エレンにもプレゼントいたしますわ!」
「本当に!?楽しみにしているわ!」
エレオノーラとフランソワは顔を見合わせて笑った。
ヒューゴとフランソワはエレオノーラの領地での活躍について、街中で聞いた噂話に興味津々だった。
「本当のところはどうだったの?」
フランソワが身を乗り出して尋ねる。
エレオノーラは保育施設の設立や育児方法の改善について語った。2人とも領民や子どもたち、そして赤ちゃんの反応について聞いて、まるで自分のことみたいに喜んだ。そして、領地の観光地化のための海鮮料理開発の話になると——
「いいなぁ、俺も食べたい!」
ヒューゴが身を乗り出して叫んだ。
「新鮮な魚介類をふんだんに使った料理だなんて、想像しただけでよだれが出そうだ」
また、エレオノーラがビジョントレーニングのプリントやゴムベルトについて説明すると、今度は二人ともやってみたいと興味を示した。
「それじゃあ、明日からまた一緒にトレーニングしましょう」
「賛成!」「ぜひそうしよう!」
三人とも、楽しみな顔をして約束を交わした。
和やかな雰囲気の中、フランソワが急にふうっと深いため息をついた。
「最近、ちょっと困っていることがあるのですわ。家のことなのですが……」
彼女の声のトーンが急に重くなった。
「うちの家は、2人とも知っていると思うのですけど、穀倉地帯を治めているのですわ。」
アッシュクロフト家は、豊かな土壌と優れた農業技術で、国の食料安全保障を支えている名門だ。
「でも、最近になって穀物の販売収益がどんどん減少しているらしくて、お父さまの機嫌がとても悪いのですわ」
フランソワは困り果てたような表情で続けた。
「いつもは明るいお父さまの機嫌が悪いと、家中の空気がどんよりと重くなってしまって……。使用人さんたちもみんなびくびくしているし、私もなんだか居心地が悪くて気疲れしちゃう」
エレオノーラはフランソワの手を優しく取って励ました。
「フランソワ、あなたが気に病むことじゃないわ。きっと原因が分かれば、解決策だって見つかるはずよ」
ヒューゴも頷く。
「そうだな。俺たちには、どうもしてやることはできないな。一応親父たちにも聞いてみるけど」
ふと、場に沈黙が降りた。その重い空気を払うように、ヒューゴが明るい声を出す。
「そうだ!こないだ、トレーニングしているときにさ……」
しかし、エレオノーラ自身はフランソワの話に強い違和感を覚えていた。眉間に小さなしわを寄せながら、心の中で考えを巡らせる。
(穀物の流通について、特に大きな問題があるという話は聞いていないし……)
つい最近チェックしたヴェルデン領の出納記録を思い出してみても、穀物取引に関して何の異常も見当たらなかった。むしろ、国内では豊作続きで相場も安定していたはずだ。
(でも、そんなに収益が減っているなんて……)
エレオノーラは首をかしげた。
「少し気になるわね」
そうつぶやいたものの、今はせっかくの久しぶりのお茶会を楽しむ時間だと考え直して意識的に思考を止めた。
「エレン?聞いていました?今のヒューゴの話」
フランソワがぽよぽよと眉をひそめてエレオノーラをのぞき込む。
(今日は友達との再会を喜ぶ日なんだから、難しいことは明日考えよう)
温かい紅茶を一口飲み、
「ごめん!考え事をしていて聞いていなかったの。もう一回教えて!」
とヒューゴに謝った。
1年経って、3人とも5話からのトレーニングで目指していた目標を達成しました。
育児グッズの販売中止も決まったし、さて、ここからどう進むのか。
次回は、父リカルド視点の話です。




