43.1年ぶりの王都の邸宅、そして対決
馬車の窓から見える懐かしい屋敷は、以前と変わらず整然としている。立派な門構えに美しく手入れされた庭園——すべてが記憶の通りだった。しかし、この風景を見つめるエレオノーラの心境は、1年前とは全く違っていた。背筋をまっすぐに伸ばし、落ち着いた表情で屋敷を見つめる今の彼女からは、領地改革を成功させた経験が与えた自信が感じられた。
王都に入る際に先触れを出していたおかげで、母クレメンティアが玄関で出迎えてくれた。
「お帰りなさい、エレンちゃん——って、え!?」
クレメンティアは馬車から降りたエレオノーラを見て、まるでお化けでも見たかのように目を見開いた。
「エレンちゃん!?あらー、ずいぶん痩せて美人になったのね!まるで別人みたい!」
執事も思わず「これは……」とつぶやくほど驚いている。他の使用人たちも皆、口をぽかんと開けて固まっていた。
そんな中、なぜか侍女のマリーだけが得意満面の表情で荷物を抱えて馬車から降りてきた。
マリーのドヤ顔に、エレオノーラは思わずクスッと笑ってしまった。
簡単に身支度を整えた後、夕食のために食堂に向かった。そこには父リカルドが、いつものように背筋を伸ばして座っていた。
「ご無沙汰しておりました。お父さま、お母さま」
エレオノーラは深々とお辞儀をした。領地に行ってから1年と少し、結局一度も王都の邸宅に帰ることはなかった。久しぶりに顔を合わせる父は相変わらず厳格な表情をしていたが、以前のような冷たさは感じられなかった。エレオノーラは不思議に思いながら席に着いた。
「ねぇリカルド!エレンちゃんったら、本当に素敵になったと思わない?」
クレメンティアは興奮気味に夫の腕を軽く叩く。
「痩せたらこんなに美人だったなんて!これだったら、一緒に歩いても恥ずかしくないわ~」
クレメンティアがにこやかに微笑んでリカルドに話しかけた。
エレオノーラは曖昧に微笑んだ。母の言葉はエレンを褒めているものだったけれど、心の奥で小さなトゲのようなものを感じた。
(つまり、太っていた頃の私は、母にとって恥ずかしい存在だったのね)
心が冷えていくのを感じながらも、エレオノーラは表情を保った。
クレメンティアが新しいドレスを作らなきゃいけないなどと一人で騒いでいる中、リカルドは娘をじっと見つめてから、重厚な声でねぎらいの言葉をかけた。
「領地はうまくいっていたようだな」
かつては恐れを抱いていた父の威厳ある姿は今も変わらず厳格に感じられたが、不思議なことに、エレオノーラは全く気後れしなかった。むしろ、対等に向き合えている自分に驚いた。
「はい、おかげさまで。今回は、その件も含めて父さまにお話があって参りました」
「レイモンドから連絡があった。詳しいことは改めて昼間聞くことにする」
リカルドの声にはいつもの権威がありながらも、やはり以前のような冷たさは感じられなかった。
「明日フィリップ殿下もいらっしゃる予定です。ぜひ一緒にお話しさせていただきたいと思います」
「うむ」
リカルドは短く頷いた。
テーブルの上には、邸宅の料理人が腕を振るったご馳走が並んでいた。
(領地の料理も、私が考えた和食が中心でとても美味しかったけれど……)
一口頬張ると、懐かしい味が口いっぱいに広がった。
(王都で食べるご馳走は、やっぱり特別な味がするね)
そして、料理を見回して微笑んだ。
(以前私がお願いしたとおり、野菜とタンパク質を多めにしてくれている。しかも、私が好きだった献立ばっかり。料理長、ちゃんと覚えていてくれたのね)
その心遣いに、先ほどの母親の言葉で冷え切っていたエレオノーラの胸は少し暖かくなった。
次の日、フィリップがヴェルデン邸に到着した。玄関でヴェルデン公爵一家の出迎えを受けた彼は、ヴェルデン公爵領を初めて訪ねた時みたいな王子らしい優雅な挨拶をしたあと、応接室に案内された。
重厚な革のソファーに腰を下ろしたフィリップは、一瞬深呼吸をしてから、まっすぐにリカルドを見据えて言った。
「ヴェルデン公爵、ご協力いただきたいことがあります」
リカルドはフィリップをじっと見つめ、まるで相手の真意を読み取ろうとするかのように顎を軽く引いた。
「一体何でしょう、殿下」
フィリップは覚悟を決めたような表情で告白した。
「育児グッズの国内での販売を停止していただきたいのです」
「やはり、その話ですか」
リカルドは軽くため息をついた。
「以前エレオノーラにも話したのですが、育児グッズは安定した需要と利益をもたらす優秀な商品なのです。簡単に販売をやめるわけにはいかないのですよ」
その時、エレオノーラが身を乗り出した。1年前に父の前で萎縮していたことが信じられないくらい、堂々とした態度だった。
「お父さま。こちらをご覧ください」
エレオノーラは机の上に準備してきた分厚い資料を丁寧に広げた。数字がびっしりと書き込まれた帳簿や、グラフが描かれた報告書が整然と並べられる。
「これは過去5年間の領地の収支記録です」
彼女の声には確信が込められていた。
「育児グッズの収入がなくなっても、ヴェルデン公爵家の経営には十分対応できることがお分かりいただけるかと」
リカルドは眉間に深いしわを刻みながら資料に目を通した。ページをめくる音だけが静かな応接室に響く。
「……確かに、収入の面では問題がなさそうだ」
その言葉に手応えを感じたエレオノーラは、さらに畳みかけた。
「領地では正しい育児方法を広めた上に保育施設を設置することで、育児に苦労する人々を支援しました」
彼女は別の資料を取り出し、説明を続けた。
「これにより、領地内での育児グッズの販売を停止し、使用を禁止しても住民の不満は全くありませんでした。むしろ『子育てが楽になった』と感謝されたくらいです。それが、こちらの資料になります」
リカルドは娘が用意した詳細な資料にじっくりと目を通した。子育て支援政策の効果測定、保育施設の利用状況、住民からの感謝の手紙——すべてが克明に記録されている。
そして、ゆっくりと顔を上げてエレオノーラをじっと見つめた。
「つまり、お前は育児グッズを販売しなくても公爵家がやっていけると言いたいのか?」
「はい」
エレオノーラは迷いなく答えた。
「それどころか、販売を続ければ、国民の労働の質と健康が悪化し、国力が衰退するでしょう。国力が衰退すれば、わがヴェルデン公爵家もその影響から逃れることはできません。販売を中止することで回避できるのです。」
リカルドは椅子に深く寄りかかり、天井を見上げながら大きく息を吐いた。長い沈黙の後、彼は口を開いた。
「……わかった。フィリップ殿下とお前の言う通り、育児グッズの販売を停止しよう」
エレオノーラは心臓が跳ね上がるのを感じながら、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、父さま」
しかし、リカルドは完全に認めたわけではなかった。彼は指を組み、厳しい視線をフィリップに向けた。
「だが、条件がある。国民からの不満の声が上がったり、我が家の収入が大幅に減少したりした場合は、再び販売を検討する。殿下には、しっかりとした計画と実行力をお示しいただきたいものですな」
フィリップは背筋を伸ばし、力強く頷いた。
「もちろんです。その責任を全うすることをお約束いたします」
応接室に流れる空気が、希望に満ちたものに変わった瞬間だった。
エレオノーラとフィリップはお互いを満面の笑みで見つめた。
(これで、一歩前進したね!)
エレオノーラとフィリップはそれぞれの胸の中で、これからも二人で協力してダイバーレス王国を変えていく決意を抱いた。
次回は、あの2人の登場を予定しています。1年経って、彼らはどう変化しているのでしょうか。




