42.トレーニングの先に見えたもの
エレオノーラが領地に行って半年後ぐらいの、王都にいるヒューゴとフランソワの話です。
春のアッシュクロフト邸の庭は、今朝も鳥のさえずりと新緑の香りに包まれていた。朝日がまぶしく差し込む中、俺とフランソワは汗をかきながら庭でウォーキングをしていた。
エレンが領地へ行ってしまってからも、俺たちは彼女が残してくれた習慣を欠かさず続けていた。ヴェルデン邸宅から場所を移してアッシュクロフト家の騎士たちと一緒に行う、毎朝のトレーニングだ。
「フランソワ、歩くペースが落ちてるぞ!」
俺は後ろからついてくるフランソワに声をかけた。
「はあ、はあ……! ヒューゴこそ、息が上がってますわ!」
騎士たちは筋肉に負荷をかけるためにわざとゆっくり歩きながら、苦笑いを浮かべて俺たちのやり取りを眺めている。どうやら、俺たちの掛け合いは微笑ましく映るらしい。
最初の頃は少し体を動かしただけで息が上がったが、今では随分と持久力もついてきた。劇的に痩せたわけじゃないけれど、体全体が引き締まって、以前より格段に動きやすくなった実感がある。階段を上っても息切れしなくなったし、エレオノーラにもらったベルトの穴もどんどんサイズダウンしている。
最後のウォーキングを終えて、俺たちは木陰で休憩に入った。
フランソワは、いつものように艶やかな髪を高い位置で一つに縛っている。額には汗がうっすらとにじみ、白い首筋にはミルクティーベージュのおくれ毛が張り付いていた。
その様子を見て、俺は思わずどきりとした。
な、何だ、この胸の高鳴りは。
慌てて目を逸らそうとしたが、なぜか視線が戻ってしまう。フランソワの横顔が、なんだかいつもより輝いて見える。
本格的な走り込みに入った騎士たちは、そんな俺の様子をチラッと生暖かい目で見て走り去る。
(ちきしょう。見るんじゃねぇ!)
俺は耳が熱くなるのを感じながら、わざと別の方向を向いた。
「そういえば、ヒューゴ、聞いてくださる?」
フランソワが少しむくれたような口調で話しかけてきた。
「最近、婚約の打診が増えて困ってますのよ」
(なんだって!?婚約?フランソワが?)
その言葉を聞いてなぜか焦った俺は、動揺を隠すようにわざと軽い調子で言った。
「モテてるんだからいいんじゃないのか?それの何が悪いんだ?」
「少し痩せたからって、今まで見向きもしなかった人たちが急に言い寄ってくるのですわ。気持ち悪いったらもう!」
フランソワは眉をひそめて、本当に嫌そうな顔をした。
確かに、フランソワはもともとかわいらしい顔立ちをしていたが、最近は頬のラインがすっきりして、ますます美人になった。もともと俺やエレオノーラと違って象のように太っていたわけじゃないし、そんな美人の彼女に男たちが群がるのは当然かもしれない。
でも、なぜだろう。胸の奥がざわざわする。
(フランソワは、昔からずっと可愛かったんだぞ!)
そう考えて、ふと冷静になって考えた。
(……いや、フランソワ相手に可愛いとかって、どうしたんだ?俺。だいたい、フランソワは……)
俺は深呼吸をして気を取り直してから言った。
「トレーニングを始める前に、『痩せてモテモテになる』って自分でも言っていたじゃないか。願いが叶ったんだろう?」
「でも、実際に言い寄られたら全然嬉しくないのですわ。まるで手のひら返しみたいで……。本当に、なんとかならないのかしら」
心底いやそうな顔をしているフランソワに、俺はぽろっと言ってしまった。
「だったら、俺と婚約すればいいんじゃないのか?」
……あ。
(な、なに言ってるんだ、俺!?)
口から出てしまった言葉に、俺自身が一番驚いた。
「いや、あの、俺と結婚したら、気持ち悪い婚約の打診も無くなるかなって……」
言葉にしてしまった瞬間、俺は自分の軽率さを後悔した。
「なっ……!」
フランソワの顔が一瞬で真っ赤になる。そして、チャームポイントのぽよぽよの眉毛を釣り上げて怒って言った。
「ヒューゴ!そんな大事なことを、ノリで言うものではありませんわ!」
ドンッ!
俺はフランソワに思いっきり突き飛ばされ、そのまま芝生の上に転がった。尻もちをついて情けない格好になる。
フランソワはぷいっと顔を背けると、家の中へと駆け込んでしまった。
俺は、ただ呆然とその後ろ姿を見送ることしかできなかった。まだ走り始めていなかった騎士たちの「やれやれ」という視線が痛い。
……やってしまった。
ノリが軽いにも、ほどがあるだろう、俺。
その日は書類仕事もはかどらず、夜になっても俺は眠れずに天井を見つめていた。フランソワの怒った顔、真っ赤になった頬、それから駆け去っていく後ろ姿が頭から離れない。
(一体、なんでこんなにフランソワのことが気になるんだ!)
必死に眠ろうとするが、目を閉じれば、あの柔らかそうなおくれ毛が瞼に浮かんでくる。
(あーーーーー!!くそ!!!)
ここまで来たら、認めるしかない。俺は、たぶん、フランソワのことが好きなんだ。フランソワはずっと俺のそばにいてくれると思っていた。そのフランソワが他の奴と結婚するなんて、俺には耐えられない。
認めてしまったら、今日の自分の行動が、本当にやりきれなくて仕方ない。ベッドの上でのたうち回る。枕を抱きしめながら、ふと気づく。
(いや、でも、嫌いって言われたわけじゃないし、全く相手にされなかったわけでもないし、ワンチャンあるんじゃないのか……?)
翌朝、俺は決意を固めた。
ちゃんと、真剣に伝えよう。
フランソワのことが好きだということを。
そして、今度こそ正式に、心を込めて婚約を申し込むのだ。
フランソワも受け入れてくれると信じて。
次回はエレオノーラの回!あの両親のいる王都の邸宅に戻ります。




