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41.突然の訪問

 エレオノーラがフィリップの突然の訪問を受けたのは、彼がヴェルデン領の視察を終えて旅立ってから約1か月後の夕暮れ時だった。

 慌てて出迎えると、フィリップが馬から降りて護衛騎士と一緒に立っていた。その表情は妙に険しく、何か深刻な問題でも抱えているかのようだった。

 しかし、エレオノーラの姿を見た瞬間、フィリップの眉尻が下がり、ほっとした表情を見せた。

「ああ、エレオノーラ。会えてよかった」

 その笑顔があまりにも可愛くて、エレオノーラは心臓を撃ち抜かれた。

(イケメンの、その笑顔は反則……)


 応接室に通されたフィリップは、前に視察に来たばかりの時の取り繕った王子の仮面を完全に脱ぎ捨てていた。椅子に深く腰を下ろすと、エレオノーラをまっすぐに見て口を開いた。

「帰り際にエレオノーラ嬢に話した通り、ヴェルデン領の改革を参考にしたダイバーレス王国の改革について、父上から了承を得ることはできた」

 フィリップは一度言葉を切り、額に手を当てて苦い顔をした。

「だけど、妨害にあって全く進めることができなかった」

「妨害ですか?」

 エレオノーラは横にいたレイモンドと顔を見合わせ、同時に眉をひそめた。

 フィリップは深いため息をついた。

「どういう意図なのかは測りかねているが、どうやらアンドリアン宰相が改革に協力しないよう、全領土の領主に圧力をかけているらしい」

 レイモンドは、いつもは冷淡だと評判のフィリップが見せる豊かな表情の変化に内心驚きながらも、話にしっかりと耳を傾けていた。一方、エレオノーラは小さくつぶやいた。

「育児グッズのアンドリアン宰相……」

 その声には複雑な感情が込められていた。

 フィリップは身を乗り出した。

「そこで考えたんだ。王や宰相の許可が無くてもできそうな、育児グッズの販売中止だったらできるんじゃないかと思って。ヴェルデン公爵に話すよりも、先にヴェルデン領にいるお二人に相談したほうがうまくいくと考えたんだ」


 レイモンドは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。

「なるほど。エレン、父上が育児グッズを販売することになったのは、確か俺が小さい頃の育児の大変さがきっかけだったな?」

 エレオノーラは頷いた。

「それに、育児グッズの販売は大きな収入源になっているから、やめたくないという話だったかな?」

「えぇ、その通りよ」

 エレオノーラが再び頷くと、レイモンドはさらに深く考え込むような仕草を見せた。


「でも、あの頃と今では状況が大きく変わっている」

 彼は立ち上がって窓の方を向いた。

「領地改革が成功したおかげで収入源も多様化しているし、育児グッズがなくても困ることはないはずだ」

「そうなの?」

 エレオノーラは目を見開いて驚いた。そんなことを考えたことが無かったのだ。


 レイモンドは振り返ると、少し得意げに微笑んだ。

「父上に説明するために、ヴェルデン公爵家の出納についての記録を用意した方がいいだろう。説明に出発するまでにまとめておこう」

 彼は出納簿を机に置くと、またソファーに座った。

「その資料を使えば、父上も納得してくれるはずだ。俺はさすがにまだ改革が安定していない領地から離れられないから、エレン一人での説得になるが……」

 レイモンドはフィリップを見て、にやりと笑った。

「フィリップ殿下の後押しがあれば、きっと頑張れるだろう?」

 エレオノーラは心の奥から温かい感謝の気持ちが湧き上がるのを感じた。

「お兄さま、ありがとうございます。これで希望が見えてきたわ」


 レイモンドは急にひらめいたように手を叩いた。

「そうだ。父上が俺の小さい頃の育児の大変さを考えて育児グッズの販売を決めたのなら、今の領地での政策を伝えれば効果的じゃないか?」

 彼は得意げに続けた。

「そうすれば、育児グッズなんて無くても政策でちゃんとサポートすればそんなに大変にならないってことを分かってもらえるはずだ」

 エレオノーラはその言葉に顔を輝かせた。

「確かにそうね!さすがお兄さま、素晴らしい考えだわ!」

 フィリップも感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

「協力ありがとうございます、レイモンド殿」


 その日の午後、場所をレイモンドの執務室に移し、レイモンドとエレオノーラは資料をじっくりと確認した。出納記録を開きレイモンドが説明すると、エレオノーラは改めて驚嘆した。領地改革によって得られた収益が詳細に記されており、育児グッズの収入に頼らなくても領地運営が十分に可能であることが数字で明白に示されていた。

「これなら父さまも納得してくださるはず」

 エレオノーラは小さくつぶやした。そして、フィリップに手伝ってもらって領地改革での保育施設事業についてまとめた資料も用意した。分厚い資料の束を見つめながら、父との再会話への決意を新たにした。


 ある程度資料がまとまり、ひと段落ついた頃のことだった。

 マリーがいつものようにお茶を運んできて、三人がほっと一息ついた時、フィリップが急に真剣な顔になった。

「エレオノーラ嬢は、ヴェルデン公爵と話をした後、そのまま王都に残る予定はあるかい?」

 エレオノーラは茶碗を手に持ったまま固まった。話が終わったらヴェルデン領に戻るつもりでいたからだ。

「いや、その、エレオノーラ嬢が王都にいてくれたら、色々心強いと思ったんだ。……無理に戻ってほしいとは言わないけど」

 フィリップは顔を赤くして、うつむいてしまった。

 その様子を見ていたレイモンドが、「ああ、なるほど」という顔をして口を挟んだ。

「もうこっちで学ぶことも、できることも、全部やり終えたんじゃないか、エレン?」

 赤くなってうつむいているフィリップを見てどぎまぎしていたエレオノーラは、レイモンドの言葉にはっとした。


 確かにレイモンドの言う通りだった。この1年間、がむしゃらに走り続けてきた努力が、今目の前に広がる豊かになったヴェルデン領として結実している。やりたかったことは全部やり遂げた。領民の健康改革や子育て方法改革、子育てについてのシステム考案、海鮮を活かした観光地化……。全てが軌道に乗ってきている。


(もうそろそろ、王都に戻ってもいいのかもしれない)

 エレオノーラの心の中で、新しい可能性への扉がそっと開かれた。

 そして何より、フィリップを支えたいという気持ちが胸の奥で強くなっていた。彼が立ち向かおうとしている困難を、少しでも分かち合いたかった。

「私で力になれるのであれば、王都に残ります」

 その言葉を聞いたフィリップは、心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべてうなずいた。

「頼りにしているよ、エレオノーラ嬢」

 二人は固い握手を交わし、しっかりと目を見合わせた。これから二人で協力して、このダイバーレス王国を変えていく。その強い決意が、静かな応接室に満ちていた。


 馬で一足先に帰ったフィリップに遅れて、エレオノーラは急遽荷物をまとめて2日後に馬車で領地を出発した。

 5日後、王都に到着したエレオノーラは馬車の窓から外を眺めながら、意外な発見をした。前回の馬車の旅と比べて、今回はそこまでひどくなかった。今は秋とはいえ、日中はまだ暑い。それでも、馬車の中はサウナみたいな酷い暑さにはならなかった。

(痩せたから、だよね。マリーと2人で乗っていても、全く狭さを感じないや)


 1年ちょっとぶりに訪れる王都は、以前と変わらぬ賑わいを見せていた。高い城壁に囲まれた街並みは、古い石畳の道や華やかな店先が並び、人々の活気が溢れている。


 しかし、エレオノーラの胸に広がるのは、純粋な懐かしさというよりも、静かで重たい何かだった。

(うまくお父さまを説得できるといいけれど……)

 エレオノーラは少し不安な気持ちを抱きながら、邸宅までの道のりを窓の外の風景をじっと見つめて過ごした。膝に置いた分厚い資料の束に手を置き、その重みを感じる。この資料は、彼女の1年間の努力の証であり、そしてフィリップと共に未来を切り開くための希望なのだ。彼女は静かに、覚悟を固めた。


次回は閑話。ヒューゴとフランソワの話です。

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