38.フィリップの奮闘
フィリップが前世の夫である和真の生まれ変わりだとわかったあの日。
エレオノーラたちは暖炉の前の椅子に向かい合って座り、夜明けまで話し続けた。
前世での思い出、2人の大切な息子のこと、今世での今までの体験、そして未来への希望。
エレオノーラは話せば話すほど、目の前にいるフィリップが真央の大好きだった和真なのだということが実感できた。
(でも、前世では普通の男性だったのに、今世ではこんなにイケメンの王子様になるなんて)
時々、フィリップの美しい横顔に見惚れてしまって、話が頭に入らなくなることもあった。
(集中しなきゃ!でも、本当にイケメン……まつ毛が長いし、切れ長の黒曜石みたいな瞳が本当に素敵……)
「真央?聞いてる?」
「は、はい!聞いてます!」
慌てて返事をするエレオノーラに、フィリップがクスッと笑った。
「真央は昔から、考え事をすると上の空になるよね」
その優しい笑顔は、確かに前世の和真そのものだとエレオノーラは思った。
「本当は、名乗り出るのが怖かったんだ」
フィリップはそう言って息を吐いた。
「……もしかしたら、真央は僕のこと恨んでいるんじゃないかって思って」
そして彼は目を伏せた。
エレオノーラは、慌てて言った。
「恨んでるなんて!」
一息おいて続ける。
「……全くそんなことが無いと言ったら嘘になるけど、でも」
エレオノーラは、フィリップの手を取った。
「私も、もっと和真さんの体調を気遣って、強引にでも休ませていればよかったと思ってずっと後悔していたんです。まさか、生まれ変わっても会えるなんて思っていなかったから、本当にうれしいです」
エレオノーラは青い瞳をうるませてフィリップに向かって微笑んだ。
暖炉の火がパチパチと音を立てて、部屋を温かく照らしていた。外は秋の冷たい風が吹いているけれど、この部屋だけは春のように暖かかった。
部屋の隅で無表情を保っていたカークは、二人の幸せそうな声を聞きながらほんの少しだけ口角を上げていた。その小さな変化に、エレオノーラとフィリップは気づかず、お互いが目の前にいる幸せをかみしめていた。
――――――
王都に戻った私は、さっそく父上である国王陛下に面会を申し込んだ。ヴェルデン領での視察について一刻も早く報告するべきだと思ったからだ。
エレオノーラと語り合ったあの夜のことが頭をよぎる。これからのダイバーレス王国の展望について話していたときのことだ。
エレオノーラは心配そうな表情で言っていた。
「この国の若者世代の発達不全の割合が高すぎると思うのです」
目や体の動きは脳の働きにも大きく影響する。特に前頭葉の動きが悪くなると、情緒や集中力に影響が出やすくなる──そんなことを前世で一緒に学んでいた。まさか異世界でもその知識が役に立つとは思わなかったが。
ダイバーレス王国の将来のことを考えると、対策を取ることが望ましい。それは私の使命であり、エレオノーラの切なる願いでもあった。
大広間の重厚な扉を開けると、いつものように厳格な雰囲気が部屋全体を包んでいる。玉座に座る父上の冷静で鋭い視線が私をじっと見つめていた。その威厳ある眼差しを前にすると、今でも背筋がぴんと伸びて少し緊張してしまう。
隣には、氷の彫刻のような冷淡な表情を浮かべた宰相アンドリアンが控えていた。
彼は仕事の効率と成果にこだわり、まるで精密機械のように王国の政治の根幹を支えている。その有能さから父である王からの信頼も厚い。感情のコントロールについては確かに見習うべき点があると思うけれど、正直言ってあまり彼のことが好きではない。何を考えているかまったくわからないところが不気味で仕方ない。
「なんの用だ、フィリップ」
父上の低く威厳のある声が大広間に響く。私は背筋をさらに伸ばして、しっかりとした声で答えた。
「ヴェルデン領での視察で得た重要な情報を報告いたしたいと存じます」
「うむ。言ってみろ」
父上の厳しい顔をまっすぐ見つめて、深く息を吸ってから報告を始める。緊張で口が少し乾いていた。
「ヴェルデン領では健康改革が大いに進んでおり、住民の生活が目に見えて向上していることを確認しました」
エレオノーラの改革案がいかに革新的で素晴らしいか、具体例を交えながら情熱を込めて説明した。病気になる人が劇的に減ったこと、子どもたちが以前より格段に元気になったこと、働く大人たちの活力が明らかに増したこと。これを王国全体に広めることができれば、きっと国力を飛躍的に高められると力説した。
父上は私の話を最後まで一言も発せず黙って聞いていた。そして少し考えるような重い沈黙を挟んでから、慎重に言葉を選んで口を開いた。
「その案、確かに試みる価値はあるだろう。ただし慎重に進めるのだ。いきなり全土で実施するのではなく、協力を得られそうな領地から段階的に始めるのがいいだろうな」
承認を得られたことに、私は胸の奥でほっと安堵した。これで改革への第一歩を踏み出せる。さっそく準備を整えて、各地の有力な領主たちを訪問して回ることにした。
改革案への協力を求める活動を精力的に始めた私は、ヴェルデン領で得た詳細な資料を武器に、改革の素晴らしい成功事例を説明して回った。朝から晩まで馬車に揺られて、領地から領地へと奔走する毎日だった。
いくつかの領主は「なるほど、非常に興味深い話ですね」と関心を示してくれる。けれど「十分検討させていただきます」「慎重に考えさせてください」と言うばかりで、その場で具体的な取り組みを約束することはなかった。どの領主も判で押したような慎重な態度を崩さない。
「殿下、今回もまた事実上のお断りの封書が届きました」
側近のヘンリーが肩を落として話しかけてくる。検討すると答えた領主たちに結果を尋ねる手紙を送ったものの、返事はことごとく断りの内容だった。彼の困った表情を見ていると、こちらまで気が滅入ってくる。
「改革を支持する意向は皆さん示されるのですが、いざ自分の領地でとなると尻込みする領主が多いのが気になります」
ヘンリーはそう言って、書類を整理し始めた。
ヘンリーの話を聞いて、私は首をひねった。興味を示しているのに、なぜかどこか乗り気ではない。この案は確かに革新的で大胆な案ではあるけれど、ここまで全員が慎重なのは明らかにおかしいと思った。まるで何かに怯えているようだ。けれど、その裏に何があるのかさっぱりわからない。
この行き詰まった状況で、私はずっとエレオノーラの顔を思い浮かべていた。彼女の明るい笑い声を聞けば、どんな重苦しい霧の中でも、光が差す気がする。だが、改革に進展が見られない今、理由もなく彼女の元を訪ねるわけにはいかないと、自分を抑えていた。
視線が窓辺に向かう。そこに夜のヴェルデン領が蘇る。暖かい暖炉の前で語り合ったあの夜――。彼女が真央であるとわかったときの感動。美しい顔立ちと、澄んだ青い瞳。柔らかく艶やかな金色の髪、そして抱きしめた体の温もり。思い出しただけで、胸の奥が締め付けられる。
(中身が真央な上にあんなに美しいなんて、反則だ。惹かれないわけがない)
今日の訪問先のシュヴァルツェンブルク伯爵の屋敷では、いつものように温かく穏やかな笑顔で迎え入れられた。けれど改革の話を具体的に進めるにつれて、案の定伯爵の表情に微妙な陰りと戸惑いが現れてきた。
「殿下、改革の意図は理解しております」
シュヴァルツェンブルク伯爵は慎重に言葉を選んで、そう告げた。
「しかし、我が領地では財政状況が厳しく、新たな施策に割ける余裕がございません。」
「それでも、健康改革は住民の生活を向上させ、長期的には領地の発展に寄与するはずです」
私は身を乗り出して熱心に説得を試みた。
「初期費用については王室からの手厚い支援を検討する用意があります」
「それは確かにありがたいお話ですが……」
伯爵は困ったように目を伏せて、声を小さくした。
「殿下には申し訳ないのですが、宰相閣下からこの件に関しては慎重にするようにと助言をいただいておりまして。」
その言葉に私は軽い衝撃を受けたが、表情には絶対に出さないよう必死に堪えた。
「宰相が?それはなぜでしょう?」
「詳しい事情は私にもよくわかりません。ただ……」
伯爵は申し訳なさそうに顔をしかめて、さらに声を落とした。
「宰相閣下の最近の動きには十分気を付けた方がよろしいかと思います。これ以上は本当にお許しください、殿下」
シュヴァルツェンブルク伯爵の意味深な言葉が頭から離れなかった私は、信頼できる手の者に密かに宰相アンドリアンの動向を詳しく調べるよう指示した。
数日後、衝撃的で腹立たしい事実が次々と明らかになった。
宰相が各地の有力領主に密かに働きかけて、私の改革案を組織的に妨害していたのだ。彼は巧妙な口調で「殿下は改革にかこつけて自身の政治的影響力を強めようと企んでいる」「王太子の地位を狙った危険な野心の表れだ」「各領地の自治権を脅かす中央集権化の陰謀だ」などと吹聴し、領主たちの不安と疑心を巧みに煽っていたらしい。
なんてことだ。道理で皆が一様に慎重だったわけだ。背後でそんな悪質な工作をされていたとは。
だが、決定的で確実な証拠がない以上、この重大な件を公然と追及することはできない。宰相という王国の要職にある人物を軽々しく糾弾するわけにはいかないのだ。まずは引き続き慎重に証拠を集めることにした。内心では激しい怒りが渦巻いていたが、ここで感情的になっては完全に負けてしまう。
(ただ、これ以上、領地を回っても無理かもしれない……)
夜の深い静寂の中、窓から差し込む銀色の月明かりが地図を照らしている。その光を見つめながら、私は心の奥底で改めて強い決意を固めた。
(まずは、敵を知ることから始めよう。彼が一体どういう男で、何を目的にしているのか)
宰相の妨害があろうとも、どんな困難な障害が立ちはだかろうとも、絶対に改革を成功させるために歩みを止めることはない。この愛すべき国のためにも、そしてエレオノーラのためにも。
未来への希望を胸に、私は必ず二人の描く道を切り開いてみせる。




