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32.新ヴェルデン公爵領

 エレオノーラがヴェルデン領に戻ってきてから、1年が経った。

「まさかこんなに変わるなんてな」

 レイモンドは太い筋肉質の腕を組んで城のバルコニーから街を眺めながら、思わずつぶやいた。その光景は、1年前とはまったく違っていた。


 見違えるほど発展したヴェルデン領。どれも、エレオノーラの知識なしには考えられなかったことだ。


「お兄さま、何をそんなに眺めているの?」

 エレオノーラが後ろから声をかけてきた。手には湯気の立つカップを持っている。

「いや、この1年の変化を振り返っていただけだ」

 レイモンドは振り返ると、エレオノーラから温かい紅茶を受け取った。


 まず、保育施設の充実と保育に対する支援が功を奏し、領民が働きやすくなった。

「保育所ができてから、本当に街の雰囲気が変わったな」

 レイモンドの言葉に、エレオノーラは嬉しそうに微笑んだ。

「この前、オリーブさんに会ったの。『グランを預けて安心して働けるから、売り上げが前の年の倍になったわ』って、目を輝かせて話してくれたのよ」

「そうか、それは良かった。あと、領民自身も変わったな」

 レイモンドはバルコニーの柵にもたれかかった。

「鍛冶屋のトーマスは、体のトレーニングを始めてから、一日中作業しても疲れにくくなったと言っていた。パン屋のマルタも、手首の体操のおかげで生地をこねるのが楽になったって喜んでいたらしいぞ」


 領民たちがエレオノーラのトレーニングを実践した結果、体を使いやすくなり、あらゆる効率が上がったのだ。その結果、通常の税収も自然と増えていた。また、持病の症状がやわらいだ者も多く、教会の患者が減って、本当に必要な者だけが治療に訪れるようになったと聞いている。


「エレンが、この1年で一番驚いたのは何だ?」

 エレオノーラは、ちょっと上を見上げて考えてから、口にした。

「やっぱり、ビジョントレーニング関係の商会かしら。まさか、そんなに収益が上がるなんて思ってもいなかったもの」

 レイモンドは苦笑いを浮かべた。

 エレオノーラが考案して領地の職人に作らせたビジョントレーニングのプリントやボードゲームは、予想以上に人気が出ていた。他の領地や海外の商人からも注文が入るほどだ。

「保育施設のために必要で、領民が使いやすいように収益を抑えて廉価で販売しようって作った商会だったのにな」

「まさか王都の貴族の奥様方から『ぜひうちの子にも』って注文が殺到するなんて、私も思わなかったわ」

 エレオノーラは少し困ったような、でも嬉しそうな表情を浮かべた。


 販売のために立ち上げた商会は順調に成長し、その収益が保育士の給料や子育て手当の財源となっている。完璧な循環システムが出来上がっていた。


「観光業の発展も目覚ましいな」

 レイモンドは港の方を指差した。

 エレオノーラはヴェルデン領を、観光地に変えてしまったのだ。


 ヴェルデン領は海に面しており、豊富な海産物が獲れる。エレオノーラは、まずその地の利を活かした料理の提供から始めた。


「あの『海の幸定食』は本当にうまい」

 レイモンドは思い出すように目を細めた。

「港から入ってくる外国産の醤油や味噌、米を使った料理は、当たりだったな。俺も、つい食べ過ぎてしまう」

「お兄さまったら、昨日も『もう一杯』って三回もおかわりしてたものね。以前の私みたいに、太るわよ」

 エレオノーラがクスクスと笑った。


 妹の姿もこの1年で本当に大きく変わった。

 忙しい毎日の中でも時間を見つけてはトレーニングに励んでいたことをレイモンドは知っている。今、目の前にいるのは、まだ少しだけ柔らかな曲線が残る体ではあるが、すっきりとした顔立ちの女性だ。


「エレンはずいぶんと変わったな」

 レイモンドは、改めて隣に立つ妹を見つめた。かつては樽のようだった体型が信じられないほどに、彼女は美しかった。 エレオノーラは、その言葉に少し照れたように笑った。

「最近、人々の視線が変わったのよ。昔は体の大きさのせいか、初対面の人に怖がられることが多かったの。でも、今はみんな親しみを込めて見てくれるの。なんだか嬉しい」

 軽やかに話す姿には自信が漂い、美しい金髪と大きな青い瞳がさらに際立って見えるようになっていた。

「努力の成果だな」

 レイモンドは率直にそう言った。

「ええ。みんなが支えてくれたからこそよ」

 外見の変化以上に、エレオノーラの内面の成長が、彼女をより美しく見せているのかもしれない。そのことが、レイモンドにとっては、より一層嬉しかった。


「ただ、やっぱりレストランを1軒立てただけじゃ、限界があったね」

「あぁ、魚を加工して瓶詰する方法は、当たりだったな。あれがなければここまでにはならなかった」


 それまでは内陸で食べられる魚は干物しか無かった。それを、酢や油に付け込んで瓶詰にすることで、少なくとも1週間は日持ちすることになった。ヴェルデン領から王都までは馬車で3日の距離なので、王都でも十分楽しめる。


「最初は『魚を瓶に詰めるなんて』って、みんな半信半疑だったけど、試作品を味見してもらったら、目を丸くして驚いたのよね」

「母上の社交術も効いたな」


  母クレメンティアが上流社会の集まりで、この瓶詰海産物をさりげなく紹介したのだ。王妃や有力貴族の夫人たちが「これは珍しくて美味しい」と評判にしたことで、一気に国中に知れ渡った。そして、領地だけでなく国中からヴェルデン領まで食を求めて旅行してくる者が増えたのだ。


 観光客の姿が街のあちこちで見られるようになり、港の市場は活気にあふれていた。

「おーい、新鮮な鯛だよ!今朝獲れたばかりだ!」

「こっちのイカも見てってくれ!歯応えが違うぞ!」

 地元の漁師たちは笑顔で新鮮な獲物を観光客に売り込んでいる。宿泊施設や土産物店も次々とオープンし、領地全体が活気に満ちていた。


「『海風亭』の女将さんなんか、『毎日部屋が満室で嬉しい悲鳴よ』って言ってたぞ」

「それに、お土産屋の『潮の香』も、『魚の瓶詰セット』が飛ぶように売れて、職人さんを増やさなきゃ』って張り切ってたわ。」

 エレオノーラはそう言ってから、満足そうに街を見渡す。

「これなら、観光業をもっと発展させて、領地経営の安定につなげられるね」

 レイモンドもその通りだと思った。領地の未来は、確実に明るいものへと変わりつつあった。


「『この領地は子育て世代が働きやすくて、しかもおいしいものが食べられる』って、評判だそうだな」

 実際、新たな住民が続々と移り住むようになっていた。

「先月も若い夫婦が三組、引っ越してきたのよ。みんな『子育てしやすい環境を求めて』って言ってくれて」

「人口が増えれば、それだけ活気も生まれる」

 レイモンドは街中を行き交う人々を眺めた。子どもを連れた家族、買い物を楽しむ観光客、忙しそうに働く商人たち。

 どの顔にも活気があふれていた。


やっと、痩せたエレオノーラを書くことができました。イメージとしては、身長173cm 、体重80㎏です。痩せる前は140㎏ぐらいだったので、かなり頑張って痩せています。


次回は、改革による余波の話です。

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