27.反省と、気づき
ヴェルデン城の大広間には、再びエレオノーラの呼びかけに応じて集まった多くの人がいた。ただし、今回集まったのは、若者や健康に興味を持つ領民たちだ。若者の中には、いかにも体がうまく使えていなさそうなぎこちない動きをする人、太っていたり、逆に痩せていたりする人、集中できないのか、あちこちきょろきょろして落ち着きが無い人、1点を見たまま固まって動かない人やブツブツずっと唱えている人などが多く見られた。
普段は商人として、船乗りとして、職人として、農業を営むものとして忙しく働く彼らが、エレオノーラの提案にどんな期待を寄せているのか、彼女自身にもよくわかっていた。領民たちが自分の健康を気遣って、新しいトレーニングに興味を示してくれていることが心から嬉しかった。
エレオノーラは、前回の育児講習会のことを思い出した。あの講習会が終わってからは、あちこちでエレオノーラに感謝する声が聞こえるようになったと報告を受けている。城で働く育児中の使用人からも、お礼の言葉を聞くことが多かった。
今回の健康を目指す講習会も、同じようにうまくいく気がして、エレオノーラは期待に胸をふくらませていた。
エレオノーラは人々の前に立ち簡単な挨拶をしたあと、トレーニングの効果について話し始めた。
「目を鍛えることで集中力が上がり、体を整えることで疲れにくくなります。また、体の調子が良くなると、肌の調子が良くなったり、余計な肉が落ちたりするのですよ。私もこんな見た目ですが、トレーニングを始めてからドレスのウエストがサイズダウンしました」
と説明すると、前列にいる若い女性たちが興味深そうに真剣な様子で前のめりになった。その反応に、エレオノーラは手ごたえを感じる。
続いて、ビジョントレーニングや操体法の具体的な内容を説明し、実際にいくつかの簡単な動きを実演してみせた。視線を上下左右に動かす運動や、足首をまわす運動など、どんどん説明していく。領民たちもその場でできそうなものは真似するようになり、少しずつ場の雰囲気が柔らかく、活気づいていった。人々が興味を持ってくれていることに、エレオノーラは安心していた。
しかし、彼女が次の言葉を口にした途端、状況は一変した。
「これらのトレーニングを毎日行うことで、より大きな効果が期待できます」
その瞬間、場の空気が冷たく張りつめた。後ろのほうからざわざわとした声が聞こえてくる。
「毎日なんて無理だよ」
「朝から晩まで働いているっていうのに、いつやれって言うんだ」
「そんな暇があったら、少しでも家のことがやりたいわ」
不満の声が次々と上がった。エレオノーラは困惑しながらも、なんとか説明を続けたが、領民たちの不満は収まらない。
(どうしよう...)
心の中で混乱するエレオノーラ。彼らが直面している日常の忙しさを理解していなかった自分に気づき、深く反省した。
働いている人々にとって、トレーニングのために毎日まとまった時間を割くのは現実的ではなかったのだ。
育児の講習は、今までも続けていた育児を楽にするものだったから、受け入れられたのだ。今までやっていなかった新しいことを始めるには、ハードルが高すぎたのかもしれない。
王都でのエレオノーラ、ヒューゴ、フランソワの3人は、自由になる時間があったから毎日のトレーニングを続けられたのだということに、今更になって気づく。自分が当たり前だと思っていたことが、領民たちにとってはとても贅沢な時間だったのだ。エレオノーラは領民の現実に思い至らなかった自分のことを、恥ずかしいと思った。
そんな時、以前働いていた児童デイサービスでの出来事を思い出した。当時、子どもたちにトレーニングを続けさせるのが難しかった経験から、楽しく取り組めるように工夫を凝らしたことや、短い時間で集中して行えるプログラムを試行錯誤したことが脳裏に浮かんだ。
(そうだ、領民たちの生活にあった方法を考えてみよう)
とエレオノーラは心の中で決意した。領民たちが反発する理由を理解しつつも、この場を無駄にしたくない気持ちが強かった。
エレオノーラは一旦説明を切り上げ、領民たちに向かって深く頭を下げた。
「私の提案が皆さんの生活にそぐわなかったこと、心からお詫びします。しかし、皆さんの健康をお守りするために、もう少し工夫を凝らして改めてお伝えしたいと思います。どうか、そのときには再びお力を貸してください」
その言葉に、一部の人々はまだ懐疑的な表情を浮かべていたが、多くの人々が静かにうなずいた。エレオノーラはこの場を完全な失敗にはしないと心に決めた。
「次はもっと簡単で、日常生活に取り入れやすい方法を考えます」
冷や汗をかきながらも微笑みを浮かべるエレオノーラの姿を見て、侍女のマリーや護衛騎士たちも彼女を温かく見守っていた。
この日の結果は、決して満足のいくものではなかった。けれど、エレオノーラは今回の失敗を、領民の心に寄り添うための第一歩だと確信していた。
(次はきっと、もっと彼らの役に立てるはず)
エレオノーラの心には、失敗の悔しさよりも、新たな挑戦への希望が満ちていた。
次回は、いったんマルテッロ領へ靴の発注に行ってきます。




