25.偉い医者が言っていた
孤児院の視察を終えたその日、城に戻ったエレオノーラはまっすぐ図書室に向かった。
「あの『偉いお医者様が言っていた方法』って何なの?」
孤児院の職員たちが話していたその正体を、どうしても確かめたかった。
高い棚から古い資料を引き抜き、埃を払いながら次々と目を通していく。やがて、ある名前が目に飛び込んできた。
――ティモテウス・アウグスティヌス。
二十年以上前、この医師が「新しい育児方法」と称して国内に広めたという記録が残っていた。そこには、三つの提唱がはっきりと書かれている。
「赤ん坊は生まれた時から縦抱きにすべき」
「仰向けで背中をまっすぐにして寝かせると窒息死を防げる」
「歩き始める前に訓練を行えば運動能力が高まる」
その文字を読んだ瞬間、エレオノーラは怒りで思わず資料を机に投げ出しそうになった。
「これよ...これが原因だったのね」
孤児院で目にした光景が頭の中でよみがえる。子どもたちの発達を妨げる抱き方や寝かせ方、そして歩行訓練。すべての源がここにあったのだ。
「なんてこと...」
彼女は口の中で呟き、顔をしかめた。怒りで体が震える。
二十年以上前、つまり兄レイモンドが赤ん坊だった頃には、この方法はすでに広まっていたはずだ。
「そうか……だからお兄さまの子育ては大変だったんだ」
母や父が言うように、育児グッズがなかったから苦労したのではない。間違った育児法が子どもを育てにくくしてしまい、その結果、エンジェル・ステイタスやベビー・ラップが「なければ無理」という状況を生んでいたのだ。
兄だけではない。この方法で育てていた母たち。そして、今まで子育てしてきた国民すべてが、この間違っている方法で苦しめられてきた。そのことに思い至ると、あまりの憤りに頭がクラクラしてきた。
資料を抱え、エレオノーラはレイモンドの執務室に息を切らしながら駆け込んだ。
机に書類を置くや否や、レイモンドの驚く顔も気にせずに話し始める。
「お兄さま、わかったの!なんで、こんなに子育てが大変になってしまったのか。全部、全部この医者のせいなの!ティモテウスって医者のせいなの!」
レイモンドは眉を寄せ、資料に目を走らせた。しばらくして顔を上げる。
「二十年以上前、か。……つまり、俺も、その方法で育てられたのか」
低い声で静かにつぶやいた。
「そうなの。お母さまやお父さまが、お兄さまの育児が大変だったって言っていたのは、この子育て方法のせいだと思うの!」
エレオノーラはそう言って、怒りを隠しきれずにいた。
しばらく無言で考え込んでいたレイモンドが、顔を上げる。
「なら、正しい方法を領民に伝えればいい。育児グッズの販売中止で困っている人たちも、それで救えるはずだ」
「わかったわ!」
エレオノーラの声が弾んだ。
「私が直接、今子育てをしている人たちに話すわ」
「今子育てをしている人だけの問題じゃない」
レイモンドは続けた。
「すでに大人になっている領民にも、何らかの手だてが必要だろう。間違った方法で育ったせいで、不自由や苦手を抱えている人もいるはずだ」
エレオノーラは頷き、ぱっと笑顔を広げた。
「じゃあ……私が普段やってるトレーニングをみんなにも教えましょう!姿勢や体の動かし方を整えれば、大人だってきっと変われます」
「いいだろう。それでいこう」
兄妹は視線を交わし、うなずき合った。
こうして、エレオノーラは領民の前に立ち、正しい子育て法を広める役目を引き受けることになった。
(孤児院に視察に行ってよかった。原因もわかったし、熱意のある保育士候補も何人か勧誘できたし。)
心の中でそう思いながら、エレオノーラはいつでも味方になってくれて、正しい方向を教えてくれる兄レイモンドに感謝していた。
「お兄さまのおかげだね!」
次は、育児講習会をします。




