16.約束
毎日の日課となっている朝のトレーニングが終わったあと、涼やかな風が吹き抜けるヴェルデン公爵家の庭で、エレオノーラはタオルで汗を拭いているフランソワとヒューゴに向かってため息をつきながら話した。
「急な話だけど、近々領地の方に行くことになったの」
フランソワは心底驚いたようにはしばみ色の瞳を丸くした。ヴェルデン公爵領は王都から馬車で3日間の距離にある。簡単に行き来できる距離ではない。エレオノーラが領地に行くということは、今までみたいに気軽に会うことができなくなることを意味していた。
ヒューゴがいぶかしげな顔をしながら問いかける。
「もしかして、昨日育児グッズについてヴェルデン公爵と話したことで、何かあったのか?」
エレオノーラは、静かにうなずいた。
「育児グッズの販売を見合わせた方がいいって言ったら、ものすごく怒って、『暇にしてるから余計なことを考えるんだ』って」
「まあ!おじさまったら、余計なことだなんて酷すぎますわ」
フランソワが憤った。
ヒューゴは、腕を組んで考え込んだ。
「ヴェルデン公爵は、育児グッズの販売に対して何かこだわりがあるのか?」
「お兄さまの子育てのとき、とても大変だったらしいの。それで、育児グッズを使って私を育てたらお母さまの子育てが楽だったから、育児グッズはいいものだって。安定した需要と利益をもたらす優秀な商品だって」
エレオノーラは、続ける。
「でもね、苦労して育てたお兄さまはちゃんと育っていて、楽して育てた私はデブで愚鈍な癇癪持ちだから婚約破棄されて、それは本当に正しい子育てなの?って聞いたら、それはお前の努力が足りなかったからだって。私、あんなに頑張って王太子妃教育を受けていたのに、それなのに、努力が足りないって……」
昨日言われたときはまだ平気だった。なんとかしなければと思って必死だったためだ。でも、言葉に詰まったエレオノーラの目には涙が浮かんできた。
(2人の前だからかな……)
「エレン……」
フランソワが、柔らかい手で優しくエレオノーラの背中を撫でた。その優しさが心に染みて、更に涙が出てくる。けれど、ここで泣いていてもどうしようもない。深呼吸をして無理やり気持ちを落ち着けた。
「お父さまが私のことをあまり良く思っていないのは前からだし、その理由も私が癇癪を起こしてはあちこちで問題を起こしたからだし、仕方ないんだけどね。領地に戻るのも、婚約破棄された私が結婚できるような相手なんて、ろくな人がいないだろうと思って自分から言いだしたことだし、仕方ないの」
エレオノーラは、そう言いながら寂しそうに笑った。
そんな彼女の表情を見て、ヒューゴが腕を組みながらぼそりと呟いた。
「『仕方ない』って言うけど、その仕方なさは、本当にエレンのせいなのか?育児グッズを使っていなければ、こんなに苦労することは無かったんじゃないのか?」
「私も、こんな体じゃなければもっと色々違ったと思う。でもね」
エレオノーラは、気持ちを切り替えて、二人に笑顔で話した。
「領地で新しい事業を始めることにするの。健康にいい靴を作ったり、育児グッズの代わりになるものを考えたり。お兄さまは絶対私の味方になってくれると思うし、頑張るよ」
その様子を見ていたヒューゴは明るく言った。
「それでこそ、エレンだな!お前はいつでも頑張り屋だもんな」
「でも、やっぱり寂しくなりますわ。エレンと毎日会えなくなるなんて……」
フランソワの潤んだ瞳に、こらえきれず再び涙が浮かんだ。いつもは朗らかなフランソワに、こうして別れを惜しまれると、やはり胸にじんわりとしたものが広がる。
「ヒューゴは? 寂しい?」
「……まあな」
涙が出ないようにわざと冗談めかして言ったエレオノーラに、ヒューゴは目をそらしながらぼそりと答えた。そのぶっきらぼうな態度が、逆に彼の本音を表しているようで、エレオノーラは思わずくすっと笑ってしまった。
「なら、帰ってきたらまた仲良くしてくれる?」
「当たり前だろ」
「もちろんですわ!」
二人の即答に、エレオノーラは満面の笑みを浮かべた。
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