108.変わりゆく人
新年のめでたい日。王都の中心部にある大聖堂には、冬晴れの柔らかな陽光が差し込んでいた。高くそびえるアーチ天井から下がるシャンデリアが、燭台の光とともに温かな輝きを放ち、堂内を静かに照らしている。空気には蝋燭の蜜のような甘い香りと、祭壇を飾る花々の清らかな香りが混ざり合っていた。荘厳さと華やかさを兼ね備えたその空間に、人々の視線は自然と中央に立つ二人の姿へと集まっていた。
結婚式の主役――ハーマン・ダイバーレス陛下とカミーユ・ラフォレット侯爵令嬢。
整えられたピンクの髪に、さりげなくハーマンの瞳の色と同じ赤い花の飾りを添えている。真っ白なウェディングドレスに身を包んだカミーユは、いつも以上に凛とした美しさを放っていた。
ドレスのトレーンが大理石の床に優雅に広がっている。カミーユは背筋を伸ばして立ち、顔を少し上げて観客から一番美しく見える角度で祭壇を見つめていた。彼女らしい計算されたふるまいではあるけれど、その表情は穏やかで、幸福に満ちているように見える。
そして隣には、かつては劣等感を隠すべく傲慢にふるまっていた第一王子であった、現国王のハーマン。黒のモーニングコートの左胸には、カミーユの瞳の色である蜂蜜色の花にピンクのリボンを結んだブートニアが飾られている。
ハーマンは胸を張って立っていた。顎を上げ、堂々とした立ち姿。その姿からは、昔みたいな尊大さは感じられなかった。
「……思ったより、変わったわね」
エレオノーラは、思わず呟いた。
ダイエットを始めてからまだそう日は経っていない。でも、ハーマンの立ち姿には、どこか以前と違う風格があった。痩せた、というよりも、全体の雰囲気が引き締まったのだろう。肉付きはまだまだ豊かだが、それすらも堂々とした印象に変わっていた。
……ただ、神父が言葉を区切るたびに、ハーマンの口元がわずかに上がり、参列者たちの反応を視線の端で確認しているのをエレオノーラは見逃さなかった。
(まだ、自己肯定感は足りていないみたいね。こんなところでまで他者の評価を求めるなんて)
エレオノーラが小さくため息をついたと同時に、カミーユが小さく息を吸った。
エレオノーラは、カミーユの瞳が潤んでいるのに気がついた。
顔を上げ、涙をこらえるように小さくまばたきをする。
カミーユは一度、わずかに唇を噛んだ。誰も気づかないほどの小さな動作。でも、それは彼女が感情を押し殺している証だった。次の瞬間には、また完璧な微笑みに戻る。この場にふさわしい、花嫁としての表情。
「やっと安心できるね」
隣にいるフィリップが、小さな声でつぶやいた。彼の黒のモーニングコートの中にはエレオノーラの瞳の色に合わせた青いベストが見える。エレオノーラは、フィリップの瞳の色に合わせた黒いドレスでの参加だ。華やかに見えるように異国から取り寄せた光沢のある生地をふんだんに使い、アクセサリーにはフィリップの髪の色に合わせて栗色を取り入れている。シックな雰囲気が、エレオノーラのグラマラスな体型を引き立てている。
「私が婚約破棄された頃には、こんなに穏やかな気持ちでハーマン陛下の結婚式に参加できるなんて思っていなかったわ」
エレオノーラが小さく言うと、フィリップは優しく微笑んだ。
「それはそうだろうね。僕も、兄上がこんな風に変化するとは思っていなかった。これからも見守っていきたいね」
フィリップの言葉に、エレオノーラは微笑を返した。
フィリップの向こうには、ヒューゴとフランソワ夫妻の姿も見える。どちらも礼装がよく似合っていて、特にフランソワは春の花のような優しい色合いのドレスで、式の空気を和らげていた。
ふと視線を移せば、ハーマンの側近たちも、一様に神妙な面持ちで式を見つめていた。彼らは誰よりも長くハーマンを近くで見てきた者たちだ。中には目頭を押さえる者もいる。その目には、安堵と喜びが浮かんでいた。
「……みんな、本当に嬉しそう」
エレオノーラの呟きは、誰にということもなく口をついて出た。彼らがどれだけ王太子の変化を待ち望んでいたか。どれほどの努力と、信頼と、時には失望があったのか。今日のこの瞬間が、彼らにとっても報われるものになったのだと感じた。
でも同時に、エレオノーラは知っている。人は完全には変わらない。ハーマンの中には、まだ傲慢さが残っている。カミーユの中には、まだ計算高さが残っている。それでも、二人は変わろうとしている。そして、変わり続けようとしている。それが大切なのだ。
「エレオノーラ」
フィリップがふと、彼女のほうに身体を向けて言った。
「……次は、僕たちの番だね」
静かに、でもしっかりとした声音だった。
エレオノーラは微笑んでフィリップを見つめた。そして、フィリップ以外の誰にも聞こえないように小さな声で囁いた。
「……そうね。前回は忙しくて式を挙げずに写真を撮っておしまいだったから、今度は盛大にみんなにお祝いしてもらおうね」
「そうだね。兄上たちほど豪華にはできないけれど、その分アットホームな式にしたいな。ウェディングドレスを着たエレオノーラとの誓いのキスが楽しみだ」
フィリップは優しく微笑んだ。
「……今度こそ、歳をとるまでずっと一緒にいたいな」
冗談めかして囁き返すその言葉に、思わずくすりと笑ってしまう。浮かんだ涙で、ハーマンとカミーユの姿が霞んで見えた。
式の進行が続く中、祝福の鐘が大聖堂の天井を震わせるように鳴り響いた。
深く、重く、そして温かな音色。その音が石造りの壁に反響して、まるで天からの祝福のように降り注ぐ。
ハーマンとカミーユが、ゆっくりと歩き始めた。二人は腕を組み、参列者たちの前を通り過ぎていく。ハーマンは胸を張り、誇らしげに。カミーユは優雅に微笑みながら。
エレオノーラは、ハーマンの変化と、カミーユの涙と、自分の隣でまっすぐな視線を向けてくるフィリップを、しっかりと胸に刻んだ。
完璧な人間なんていない。でも、完璧になろうとすることはできる。
ハーマンとカミーユは、その道を歩き始めたのだ。
そしてエレオノーラとフィリップも、同じ道を歩いている。
鐘の音が、まだ鳴り響いていた。




